21.宣戦布告
朝、いつものように目を覚まし、階下に降りる。母さんはキッチンで洗い物をしていた。
「おはよう、楓」
「おはよう」
特に変わり映えのしない朝の光景。トーストを一枚齧りながら、俺はぼんやりとテレビの天気予報を眺めていた。今日も特別なことは何もない、いつも通りの一日になるはずだった。
部屋に戻り、いつも通りスマホの通知を確認していると、見慣れない名前のタグが目に留まった。「#神代レン」「#るか」――二つの名前が、並んで表示されている。
「あれ、これ何のタグですかね」
軽い気持ちでクリックしてみると、そこには一本の配信アーカイブが紹介されていた。サムネイルには、鋭い目つきの機体と、こちらを見据えるような視線。タイトルには、はっきりとこう書かれていた。『るかは間違いなくチートだ』。
「……え」
思わず息を呑んだ。動画を再生してみると、聞いたことのない、しかし芯の通った声が流れ出す。
「俺は、努力を積み重ねてきた人間を、何よりも尊重する。だからこそ、努力もせずに規格外の強さを手にしている存在を、俺は絶対に許さない」
淡々とした、それでいて確かな怒りを孕んだ声だった。動画の中で、神代レンと名乗るその配信者は、俺のこれまでの戦闘映像を次々と流しながら、一つ一つ丁寧に問題点を指摘していく。支援砲撃が効かない敵への一撃撃破、被弾しても崩れない機体、そして「不沈艦」という呼び名。
「これらすべてが、偶然で片付けられるとは、俺には到底思えない」
一つ一つの指摘には、感情論だけではない、冷静なデータの裏付けもあった。撃破に要した時間、被弾回数、そして支援砲撃の効果測定値。素人目にも、丁寧に調べ上げた形跡がはっきりとわかる内容だった。
映像の最後、レンはまっすぐにカメラを見据えて、こう締めくくった。
「るか。お前がどういう手を使っているのか知らないが、俺は必ず、その化けの皮を剥いでやる」
配信画面が静まり返る。しばらくの間、俺は言葉を失っていた。動画の再生時間は十五分近くあったが、俺はその間、ずっと画面に釘付けになっていた。
冷静に、丁寧に、それでいて確かな熱量を持って積み上げられていく指摘の数々。ふざけているわけでも、揶揄っているわけでもない。真剣に、本気で「不正」を疑っている――その事実が、これまで浴びてきたどんな考察動画よりも、ずっしりと重く響いた。
【コメント】うわ、ガチのやつだ
【コメント】神代レンって世界ランク5位だよな
【コメント】完全に宣戦布告じゃん
「え、これ、私のことですよね……? チート、ですか?」
困惑したまま、俺はもう一度動画を見返した。何度見ても、そこにあるのは自分の見慣れた戦闘シーンだった。いつも通り、ガードして、踏み込んで、殴っているだけ。それのどこが「化けの皮」に該当するのか、正直まったく見当がつかない。
【コメント】本人が一番困惑してるw
【コメント】これもう様式美だな
【コメント】でもレンさん結構本気っぽいから心配
「本気、なんですかね……なんか、すごい熱量感じましたけど」
動画の再生数は、既に驚くほどの数字に達していた。コメント欄には、レンを支持する声と、それに反発する声が入り混じって、これまでにない熱を帯びている。
「あの、皆さん、ちなみに私、本当に特別なことは何もしてないんです。頑丈な機体だから、たまたま耐えられてるだけというか……」
自分でもわかるくらい、しどろもどろな説明だった。誰かを納得させるための言葉を、そもそも持ち合わせていない。それでも、黙っているわけにもいかず、俺は必死に言葉を探し続けた。追い詰められたときほど、言葉というのはうまく出てこないものらしい。
説明すればするほど、言葉が空回りしていくのを感じた。自分でもうまく説明できないことを、他人に納得させられるはずがない。それでも、何か言わないわけにはいかない気がした。
【コメント】説明が説明になってない
【コメント】でも嘘つく感じでもないんだよなあ
【コメント】この温度差がまた怪しく見えるという
画面の隅の登録者数に、ふと目をやる。「142,850人」。ここ数日でまた大きく伸びていた数字だったが、今日はその伸びを素直に喜べる気分ではなかった。むしろ、注目される人数が増えれば増えるほど、こういう疑惑の声も、それに比例して大きくなっていくのかもしれない。そう思うと、複雑な気持ちになる。
「うーん、これ、登録者数増えるのは嬉しいんですけど、なんか今日はちょっと複雑な気分ですね……」
【コメント】まあ気持ちはわかる
【コメント】でも変な人に絡まれても堂々としてればいいよ
【コメント】応援してる人の方が多いから大丈夫
防衛戦の通知が届き、俺はいつも通り、担当エリアへ向けて歩き出す。今日はいつも以上に、この移動時間が長く感じられた。
「宣戦布告、されちゃいましたね……どうしましょう、これ」
【コメント】受けて立つしかないだろ
【コメント】そのうち直接対決とかありそう
【コメント】るかは普通にしてればいいと思うよ
軽口に励まされながらも、俺は内心、複雑な気分だった。誰かにこんなにも真正面から敵意を向けられるのは、初めての経験だった。しかも、その相手は、こちらの事情など何も知らないまま、勝手に「不正をしている悪者」だと決めつけている。
歩いている途中、通信画面に朝霧さんからの着信が入った。
「るかさん、今お時間大丈夫ですか? 例の動画の件で、少しお話ししたくて」
「あ、はい、大丈夫です。ちょうど気になってたところで」
「まず結論からお伝えしますが、るかさんの方から直接反論したり、感情的に反応したりする必要は一切ありません。事実に基づかない指摘には、事実で淡々と応じる。それだけで十分です」
落ち着いた声のトーンに、俺は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
「あの、正直、どう振る舞えばいいのか、全然わからなくて……」
「無理に何かを変える必要はないですよ。るかさんはいつも通り、いつも通りの配信を続けてもらえれば、それが一番の答えになります」
「いつも通り、ですか」
「はい。変に身構えたり、逆に強気に出たりすると、かえって不自然に見えてしまうことがあります。今のるかさんの、あの素直な戸惑い方そのものが、視聴者には一番説得力を持つと思いますよ」
電話越しの声からも、彼女がこれまで数多くの配信者を支えてきた経験の重みが伝わってくる気がした。付け焼き刃の助言ではない、地に足のついた言葉だった。
その言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。
「ありがとうございます……なんか、朝霧さんと話すと、いつも落ち着きます」
「それが仕事ですから。何かあれば、いつでも連絡してください」
通話を終えると、入れ替わるように、今度はハチからのメッセージが届いた。
「るかちゃん、例の動画見たよ。大丈夫? なんか変なこと言われてるみたいだけど」
「あ、ハチさんも見てくれたんですね……なんか、すみません、変な騒動に巻き込んじゃって」
「いやいや、るかちゃんは何も悪くないでしょ! てか、あの人ちょっと熱くなりすぎな気がするけど」
軽い調子のメッセージに、俺は少しだけ気持ちが軽くなるのを感じた。
「なんか、真面目な人なんだろうなーとは思いました。あの動画見てて」
「まあ、そうかもね。でも、真面目だからって、決めつけていいわけじゃないし」
「ハチさんがそう言ってくれると、なんか安心します」
「困ったことあったら、いつでも呼んでよ。それじゃ、また今度な!」
軽快なメッセージを最後に、やり取りは締めくくられた。友人からのさりげない気遣いに、俺はじんわりとした温かさを感じていた。誰かが自分の味方でいてくれる。そのことが、こんなにも心強いものだとは、これまであまり実感したことがなかった。
通話を終え、俺は改めて気持ちを切り替えた。今できることは、これまでと変わらず、目の前のことに向き合い続けることだけだった。
悪意があるわけではないことは、なんとなく伝わってきた。むしろ、あの動画からは、真面目に努力を積み重ねてきた人間だからこその、強い正義感のようなものが滲んでいた。それだけに、どう向き合えばいいのか、余計にわからなくなる。
歩きながら、俺はもう一度、レンの言葉を思い返していた。「努力を積み重ねてきた人間を、何よりも尊重する」――その言葉自体には、素直に共感できる部分もあった。ただ、その裏返しとして向けられる敵意を、自分がどう受け止めればいいのか、答えは出ないままだった。
思えば、自分はこれまで、誰かに正面から敵意を向けられた経験がほとんどなかった。学校でも、目立たないように、波風を立てないように過ごしてきた。誰かに嫌われることを、何よりも恐れていたからだ。それなのに今、画面の向こうの誰かから、これほどまでにはっきりとした敵意を向けられている。
不思議なことに、想像していたほどの恐怖は感じなかった。むしろ、少しだけ申し訳ないような、居心地の悪いような、そんな感覚の方が強かった。相手が本気で「不正だ」と信じているのなら、それを覆すだけの説明を、自分は持ち合わせていない。
【コメント】そんな深刻に考えなくていいと思うけどな
【コメント】まあ本人が一番戸惑ってるもんな
【コメント】これも含めて配信のネタになるさ
「そう言ってもらえると、少し気が楽になります……でも、正直、初めての経験なので緊張はしますね」
軽口を返しながらも、俺はまだ、胸のざわつきを完全には拭えずにいた。
討伐対象の反応が視界に浮かび上がる。いつも通り両腕を構え、迫る一撃を受け止めた。
「インパクトスマッシャー!」
いつも通りの一撃で、敵の姿が崩れ落ちる。それでも、今日はどこか、この一撃が誰かの目にどう映るのかを、初めて強く意識させられた気がした。
続けて現れた二体目にも、同じ要領で立ち向かう。ガードして、踏み込んで、殴る。何度繰り返しても変わらないはずのこの動作が、今日だけは妙にぎこちなく感じられた。誰かに見られている、値踏みされている――そんな意識が、動きの端々にまで滲み出てしまっている気がする。
【コメント】なんか今日ちょっと動き硬くない?
【コメント】まあ、あんな動画見せられたらそうなるよな
【コメント】気にしすぎだよ、いつも通りでいいのに
「いつも通り、いつも通り……頭ではわかってるんですけどね」
自分に言い聞かせるように呟きながら、俺は残りの敵も丁寧に片付けていった。それでも、胸の奥に居座る違和感は、そう簡単には消えてくれそうになかった。
配信を終え、いつものように現実へと戻る。夕食の席で、母さんが尋ねてきた。
「楓、今日は静かだね。何かあった?」
「うーん……ちょっと、知らない人に喧嘩売られたっぽい」
「え、大丈夫なの、それ」
「多分、大丈夫。画面の中の話だし」
軽く笑って誤魔化しながらも、内心では、まだこの状況をどう受け止めればいいのか、答えが出ないままだった。それでも、こうして何気ない夕食の会話を交わせるだけで、少しだけ心が落ち着いていく気がした。
「喧嘩って、どんな感じの?」
思いのほか食いついてきた母さんに、俺は少し戸惑った。
「なんか、私が反則みたいなことしてるんじゃないかって、疑われてるっぽい」
「楓がそんなことする子には見えないけどねえ」
あっさりとした一言に、俺は思わず苦笑した。母さんの中では、俺は昔からずっと変わらない、あの引っ込み思案な息子のままなんだろう。それを裏切りたくないという気持ちと、こそばゆいような安心感とが、同時に胸に湧いてくる。
「まあ、そのうちわかってもらえるといいけど」
「うん、そうだといいな」
それだけの会話だったけれど、胸の奥に溜まっていた重さが、少しだけ軽くなった気がした。母の何気ない一言には、いつも不思議な力があった。
食後、部屋に戻ってから、俺はもう一度、レンの動画のコメント欄を眺めてみた。賛否両論の声の中に、時折、こちらを気遣うようなコメントも混じっている。「本人の反応見る限り、悪意はなさそうだけどな」「まあ様子見だな」――そういった、慎重だけれど冷静な意見に、俺は少しだけ救われた気がした。
ベッドに横になり、天井を見上げる。今日という日は、これまでとは明らかに違う種類の緊張感をもたらした。それでも、朝霧さんの言葉通り、いつも通りでいることしか、今の自分にできることはない。
考えてみれば、これまでの人生でも、似たような場面は何度かあった気がする。誤解されて、説明する機会もないまま、距離を置かれてしまう。そのたびに、深く傷つきながらも、結局は何もできずにやり過ごしてきた。それが今回は、これだけ多くの人の目に晒される形で起きている。規模は比べ物にならないほど大きいけれど、感じている戸惑いの質は、あの頃とそう変わらない気がした。
それでも、今回は一人じゃない。朝霧さんがいて、ハチがいて、そして画面の向こうには、自分を信じてくれる大勢の視聴者がいる。その事実だけで、以前とは明らかに違う心強さがあった。
スマホの画面を閉じて、俺は静かに目を閉じた。明日、この騒動がどう転がっていくのか、まだ何もわからない。それでも、逃げ出したいとは、不思議と思わなかった。
【神代レン視点】
投稿ボタンを押した後も、しばらく手の震えが収まらなかった。
物心ついた頃から、努力だけを武器に生きてきた。才能に恵まれているわけじゃない。人より長く練習し、人より多く研究し、人より真剣にこのゲームと向き合ってきた自負がある。世界ランク五位という結果は、その積み重ねの証だと思っている。
小学生の頃から、何をやっても人並み以下だった。運動も、勉強も、要領よくこなす同級生たちを、いつも羨望の眼差しで見ていた。そんな自分が唯一、誰にも負けないと言えるものがあるとすれば、それは「継続する力」だけだった。人が諦めるところで諦めない。人が妥協するところで妥協しない。ただそれだけを武器に、この世界でトップクラスの座を掴み取ってきた。
中学の頃、ARES Entertainmentが以前運営していた「STEEL VANGUARD」というタイトルに出会った。ZERO-DAYと同じ、機体を駆って戦う対戦型のオンラインゲームだ。最初は何もかもが下手くそで、簡単な敵にすら手こずっていた。それでも、毎日欠かさずログインし、少しずつ動きを研究し、負けた試合を何度も見返しては、改善点を洗い出す作業を繰り返した。友人が遊びに誘ってくれても断り、ひたすら練習に打ち込んだ日々もあった。孤独を感じなかったと言えば嘘になる。それでも、積み重ねた時間だけは、絶対に裏切らないと信じてきた。
数年をかけて、「STEEL VANGUARD」の世界ランキングで上位に食い込めるまでになった頃、運営から後継タイトルとしてZERO-DAYのサービス開始が発表された。既存タイトルの実績上位プレイヤーには、新作でのランク付けに一部実績が反映されるという移行措置が取られ、俺はその恩恵もあって、ZERO-DAYの開始直後から上位ランカーとして名を連ねることになった。とはいえ、そこに胡座をかくつもりは毛頭なかった。むしろ、まっさらな新作の中で、改めて自分の実力を証明したいという気持ちの方が強かった。
だからこそ、あの配信者の存在が、どうしても許せなかった。
支援砲撃すら効かない敵を、たった一撃で沈める。被弾しても、まるで何事もなかったかのように平然としている。あんな結果が、真っ当な努力の延長線上にあるとは、俺にはどうしても思えなかった。
もちろん、証拠があるわけじゃない。運営が調査していることも、風の噂で聞いてはいる。それでも、いつまで経っても「異常なし」の一点張りで、埒が明かない。ならば、自分が声を上げるしかない。そう思って、今日のこの動画を撮った。
撮影中、何度も台詞を練り直した。感情的になりすぎないように、それでいて、伝えたい熱量が薄まらないように。バランスを取るのに、思っていた以上に神経を使った。
コメント欄には、既に賛否両論の声が溢れ始めていた。「よく言った」という声もあれば、「証拠もないのに決めつけるな」という反論もある。想定していた反応ではあったけれど、実際に目の当たりにすると、胸がざわつく。
「……これでよかったのか」
誰に問うでもなく、そう呟く。それでも、一度口にしてしまった以上、後には引けない。むしろ、これは始まりに過ぎないという確信めいた予感が、胸の奥で燻っていた。
スマホを閉じて、俺は自室の壁に貼られた、これまでの大会の記録を見上げた。予選敗退、初戦敗退、そしてようやく掴んだ入賞。どの結果も、一朝一夕で手に入れたものじゃない。血の滲むような努力の末に、ようやく辿り着いた場所だった。
それなのに、あの配信者は、まるでそんな努力の重みなど存在しないかのように、あっさりと規格外の結果を叩き出している。それが真実なら、これまで積み重ねてきた自分の努力は、一体何だったというのか。認めたくない、という気持ちが、正義感の裏側に張り付いていることも、薄々自覚していた。
配信仲間の一人から、心配するメッセージが届いていた。「大丈夫か? ちょっと熱くなりすぎてないか」。その気遣いに、俺は苦笑しながら返信を打った。
「大丈夫だ。むしろ、ここまで黙ってた方がおかしい」
自分にそう言い聞かせながらも、心のどこかで、小さな迷いが顔を覗かせていた。もし本当に、あの配信者が悪意なく、ただ純粋に頑丈な機体を使っているだけだったとしたら――そんな可能性を、完全には拭いきれずにいた。
それでも、真実を確かめる方法は、もう一つしかない。直接、この目で確かめる。そのための機会を、自分から作り出すしかなかった。
いつか必ず、あの配信者と直接ぶつかる日が来る。そのときこそ、真実がはっきりするはずだ。俺はそう信じて、拳を固く握りしめた。
窓の外はすっかり夜になっていた。パソコンの電源を落とす前に、俺はもう一度、投稿した動画のサムネイルを見つめた。自分の中の正義感が、果たして正しい方向を向いているのか。その確信だけは、まだ完全には持てずにいた。それでも、進むしかない。そう自分に言い聞かせながら、俺はその日の作業を終えた。




