19.考察、始まる
朝、目を覚ましてすぐ、俺はいつものようにスマホの通知を確認した。昨日のFortress個体撃破の反響は、思っていた以上に大きかったらしく、通知欄が埋め尽くされている。
「うわ、すごい数……」
一つ一つ確認する余裕もないまま、俺は身支度を整えて配信の準備を始めた。今日はどんな一日になるのか、正直、少しの不安と、それを上回る好奇心が入り混じっていた。
母さんが淹れてくれたお茶を一口飲みながら、俺はぼんやりとスマホの画面を眺めていた。昨日の一撃は、思っていた以上に大きな反響を呼んだらしい。それ自体は嬉しいことのはずなのに、なぜか素直に喜べない、そんなもやもやとした感覚が胸の奥に残っていた。
配信を始めると、いつもと違う種類のコメントがいくつも目に留まった。
【コメント】Code-Xさんの動画見た?
【コメント】あの人がるかのこと取り上げてたよ
【コメント】考察系の中では結構有名な人だから、注目度上がるかもね
「Code-Xさん? どなたですか、それ」
聞き覚えのない名前に、俺は首を傾げた。
【コメント】ゲーム内の考察系動画投稿者だよ
【コメント】毎日いろんなプレイヤーの動きを分析してる人
【コメント】結構鋭い考察するから、業界内でも一目置かれてる
「へえ……そんな人が、私のことを?」
半信半疑のまま、俺は教えてもらったリンクを開いてみた。動画のタイトルには、こう書かれていた。『るかは本当にノーダメージなのか?』
思わず息を呑んだ。サムネイルには、あの大型個体を一撃で沈めた瞬間の映像が使われている。再生数の欄には、既に驚くほどの数字が並んでいた。
「うわ、思いっきり名指しされてる……しかも、もうこんなに見られてるんですね」
動画を再生してみる。落ち着いた声で、Code-Xと名乗る投稿者が、これまでの俺の戦闘映像を淡々と分析していた。支援砲撃が通用しなかった敵を一撃で撃破したこと、過去の戦闘でも被弾判定こそあるものの、実際のダメージらしきエフェクトがほとんど見られないこと。一つ一つの事実が、丁寧に積み上げられていく。
動画の中盤では、初撃破の瞬間や、パイルバンカーを初めて使った回の映像まで引っ張り出されていた。「この配信者の強さの根拠は何なのか」という問いを軸に、過去のアーカイブが丹念に検証されている。
「これ、いつの間にこんなに映像集めてたんですか……なんか、自分より私の配信に詳しい気がします」
【コメント】さすがCode-X、仕事が丁寧
【コメント】これは注目度上がる予感
【コメント】本人がリアルタイムで見てるの面白いw
動画の終盤、Code-Xはこう締めくくっていた。「今後もこの配信者の動向を追い続ける」。淡々とした口調の中に、確かな熱量が滲んでいた。
「なんか、監視されてるみたいで、ちょっと緊張しますね……」
冗談交じりにそう言いながらも、俺は内心、落ち着かない気分になっていた。これまでは、視聴者との気楽なやり取りの延長でしかなかった配信が、少しずつ「分析対象」という別の顔を持ち始めている。その変化に、まだうまく馴染めずにいた。
それでも、配信は続けなければならない。今日も今日とて、担当のコアへ向けて歩き出す。
「よし、いつも通りやりますか」
【コメント】また歩いてる
【コメント】この状況でも徒歩は変わらないの草
【コメント】ある意味一番安定してる部分かも
「そこは変わらないですよ! むしろ、これだけは絶対変わらない自信あります!」
軽口を叩きながら歩を進める。周囲の空気がどれだけ変わっても、この地道な移動時間だけは、これまでと何一つ変わらない。その事実が、今の俺には妙に心強かった。
歩きながら、俺はふと考える。Code-Xという人は、こんな地味な移動シーンまで見ているんだろうか。だとしたら、随分と根気のいる作業だ。派手な戦闘シーンだけでなく、こんな暇な時間まで含めて分析されているのだとしたら、それはそれで、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。
「Code-Xさん、もし見てたら、暇な時間まで見せてすみません、って感じですね」
【コメント】絶対見てないだろこんな地味なシーン
【コメント】いや、逆に地味な部分にこそヒントがあるのかも
【コメント】考えすぎだよw
軽口を叩き合いながら、俺はそのまま歩みを進めた。道中、討伐対象の反応が視界に浮かび上がる。いつも通り両腕を構え、迫る一撃を受け止めた。ガキンッという重い音が響く。
「よし、いつも通り!」
踏み込んで拳を叩き込み、肘の杭を突き立てる。
「インパクトスマッシャー!」
敵の姿が崩れ落ちる。続けて現れた二体目、三体目にも、同じ要領で対処していく。一つ一つの動作を、まるで誰かに採点されているような気分で繰り返す自分に、俺は思わず苦笑した。
「なんか、意識しすぎて逆にぎこちなくなってる気がします……」
【コメント】意識しすぎだろw
【コメント】でも気持ちはわかる
【コメント】自然体が一番なのにな
いつも通りの光景のはずなのに、コメント欄の反応は、以前とは明らかに温度が違っていた。
【コメント】この瞬間も検証されそうだな
【コメント】Code-Xさん絶対このシーン切り抜くと思う
【コメント】もう普通に殴ってるだけなのに考察対象になってるの草
「そんな、普通に殴っただけなんですけどね……なんか、変な感じです」
これまでと同じ動作、同じ手応え。それなのに、その一つ一つに、誰かの分析の目が向けられている。悪いことをしているわけでもないのに、妙な緊張感がつきまとう。
配信を終えて、俺はもう一度Code-Xの動画のコメント欄を覗いてみた。「これは絶対何かある」「本人が無自覚っぽいのが逆に怖い」「今後の展開に注目」――様々な反応が並んでいる。悪意のようなものは感じられなかったけれど、これまでの純粋な応援コメントとは、明らかに質の違う視線だった。
「うーん、なんか、面白がられてるのか、疑われてるのか、微妙なラインですね……」
誰にともなく呟きながら、俺はスマホの画面を閉じた。これまでの配信生活の中で、初めて味わう種類の緊張感だった。それでも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。誰かが真剣に自分のプレイを見てくれている。その事実自体は、悪いものではない気がする。
配信を再開すると、コメント欄には、さらに新しい話題が流れ込んできていた。
【コメント】他の考察系の人たちも参入し始めてるらしいよ
【コメント】もうちょっとしたブームになってきてる
【コメント】これ、今後どうなっていくんだろうな
「え、Code-Xさん以外にも、そういうこと調べてる人いるんですか?」
【コメント】Pulseのトレンド見てみ、るか関連のタグめっちゃ増えてる
【コメント】考察勢からしたら格好の題材なんだろうな
【コメント】本人の温度感だけ相変わらず低いの草
教えられるままにPulseのトレンド欄を開いてみると、確かに「るか」に関連するタグがいくつも上位に並んでいた。「ノーダメージ疑惑」「不沈艦の正体」「るか現象」――物々しい見出しが並ぶ様子に、俺は思わず苦笑してしまう。
「なんか、大袈裟な感じになってきましたね……そんな大したことしてる自覚、全然ないんですけど」
軽く流すようにそう言いながらも、内心では、少しずつ状況の大きさを実感し始めていた。これまでは、あくまで一配信者の日常の延長でしかなかったはずのものが、いつの間にか、ゲーム内の一つの「現象」として扱われ始めている。その変化の速さに、頭の中の理解が追いついていなかった。
夕食の席で、母さんがふと尋ねてきた。
「楓、最近なんだか難しい顔してること多いね」
「あー……ちょっと、注目されすぎて、逆に落ち着かないっていうか」
「贅沢な悩みだね」
からかうようにそう言われて、俺は思わず苦笑した。確かに、贅沢な悩みなのかもしれない。それでも、この落ち着かなさが、しばらく続きそうな予感だけは、拭えずにいた。
食事をしながら、母さんがふと尋ねてきた。
「その、コードなんとかさんって人、悪い人じゃないんでしょう?」
「うーん、多分。今のところ、変なことは言われてないし」
「そう。なら、そんなに気にしなくていいんじゃない?」
あっさりとした一言に、俺は思わず肩の力が抜けるのを感じた。母さんの言葉はいつも、複雑に考えすぎている自分を、するりと元の場所に戻してくれる。
食後、部屋に戻ってから、俺はもう一度Code-Xの動画を見返してみた。落ち着いた声のナレーションが、淡々と事実を並べていく。悪意も、揶揄いも感じられない、ただ純粋な好奇心に基づいた分析。そのフラットな視線が、かえって落ち着かない気持ちにさせる。
それでも、この人が追いかけてくれることで、何か大きな真実に辿り着くのだとしたら――そんな漠然とした予感が、頭の片隅をよぎった。今の俺には、その正体を知る術はまだない。それでも、遠くない未来に、何かが動き出す気配だけは、確かに感じ取っていた。
【ARES Entertainment 不正監視班 白峰遼(28歳)視点】
朝一番に届いた報告書を読んで、私は思わず眉根を寄せた。
Fortressランク個体を一撃で撃破。支援砲撃が全弾無効化された相手を、単独で、しかも一撃で。数値を見れば見るほど、通常のプレイスタイルでは説明のつかない結果だった。
「これは……本格的に調べる必要がありますね」
過去の異常検知ログを引っ張り出し、時系列順に並べてみる。パイルバンカーの威力異常、被弾判定とダメージ量の乖離、そして今回のFortress個体撃破。一つ一つは些細な違和感でも、こうして並べてみると、明確な傾向が浮かび上がってくる。
まずは基本的なところから洗い直すことにした。プレイヤーアカウントの登録情報、課金履歴、デバイス情報。どれを見ても、これといって不審な点は見当たらない。ごく普通の、真面目にコツコツ遊んでいるだけのプレイヤーという印象しか受けなかった。
次に、機体の構成データを一から確認する。パーツ構成、カスタマイズ履歴、スキル一覧。ここでも、際立って異常な設定は見つからない。強いて言えば、スキル欄に一つ、聞き慣れない名称のスキルが登録されていることに気づいたが、詳細情報を開いても、効果の記載自体がごく地味なものだった。
「シャドーダイビング、か……効果を見る限りは、大した性能じゃなさそうだけどな」
念のためメモには残しておいたものの、この時点では、これが後の全ての鍵になるとは、私自身、微塵も想像していなかった。
まず疑うべきは、外部ツールの使用だ。しかし、通信ログやメモリ使用状況を確認する限り、そうした痕跡は一切見当たらない。次に疑うべきは、装備の不正取得。こちらも、装備一覧を精査したが、規定外のアイテムは見つからなかった。
「じゃあ、何が原因なんだ……」
思わず独り言が漏れる。原因不明のまま、異常な結果だけが積み上がっていく。この手の調査で一番厄介なのが、まさにこのパターンだった。証拠がないから不正と断定できない。かといって、この結果を「実力」の一言で片付けるには、あまりにも数値が突飛すぎる。
これまで扱ってきた不正案件の多くは、パターンが決まっていた。外部ツール、規約違反の取引、バグの意図的な悪用。どれも、突き詰めれば「意図」の有無で線引きができた。しかし、今回のケースは、その前提から外れている気がしてならない。
モニターに表示された対象プレイヤーのプロフィールを、私は改めて見つめた。「るか」。まだ新人と呼べる期間の配信者だ。悪意を持って不正を働いているようには、正直、見えない。むしろ、本人が一番、自分の異常さに気づいていないように見える。
それが余計に、事態をややこしくしていた。意図的な不正なら、いずれ尻尾を出す。しかし、本人に自覚がないとなると、こちらから何を指摘すればいいのかすら、判然としない。
ふと、社内のチャットに、開発ディレクターの一ノ瀬から一件のメッセージが届いているのに気づいた。
「白峰くん、例の子の件、進捗どう?」
「相変わらず、証拠は掴めていません。ただ、異常の傾向自体は、かなりはっきりしてきました」
「まあ、焦らずいこう。規約違反の証拠がないなら、変に騒ぎ立てる必要もない。むしろ、しばらく泳がせて様子を見るのも手かもな」
一ノ瀬らしい、飄々とした返信だった。上からのプレッシャーがない分、こちらとしても腰を据えて調査に取り組める。それだけは、ありがたいことだった。
「また、異常なし……で終わりそうだな、これも」
これまで何度も繰り返してきた結論を、今日もまた繰り返すことになりそうな予感がした。それでも、調査の手を緩めるわけにはいかない。何か見落としがあるはずだ。膨大なログの中に、きっとまだ気づいていない手がかりが眠っている。
コーヒーを一口飲んで、私は再びモニターに向き直った。今日も長い夜になりそうだった。
ふと、デバッグ班の桜庭から一件のメッセージが届いていることに気づいた。
「白峰さん、例の機体のスキル周りで、ちょっと確認したいことがあるんですが、お時間いただけますか」
タイミングの良さに、私は思わず苦笑した。ちょうど今、同じスキルのことが気になっていたところだった。
「ちょうどいいタイミングです。今からお伺いしても?」
返信を送りながら、私はわずかな手応えを感じていた。証拠はまだ何もない。それでも、点と点が繋がり始めている予感だけは、確かにあった。




