18.不沈艦、来る
朝、いつも通り身支度を整えていると、スマホの通知が珍しく続けざまに鳴った。何事かと思って確認してみると、どれもゲーム関連の速報アカウントからのものだった。
「なんか今日、やけに騒がしいな……」
朝食もそこそこに、俺は自室に戻ってヘッドセットを手に取った。嫌な予感というほどではないけれど、いつもと違う空気は、画面を開く前から伝わってきていた。
朝から、運営のアナウンスが配信画面いっぱいに表示されていた。
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緊急討伐任務:Fortressランク個体、複数エリアにて出現確認
参加プレイヤーを強く推奨します
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「Fortressランクって、結構上の方のランクですよね? なんか今日、雲行き怪しくないですか」
【コメント】ついに大物来たか
【コメント】今までで一番強そうな敵じゃない?
【コメント】るか、頑張れ
「頑張りますけど、正直ちょっと緊張してきました……」
いつも通り、担当のコアへ向けて歩き出す。今日の空気は、これまでとは明らかに違っていた。コメント欄の勢いも、どこか張り詰めている。
【コメント】今日はいつもと違う緊張感あるな
【コメント】るかも珍しく素直に緊張してる
【コメント】逆にちょっと心配になってきた
歩きながら、俺は自分に言い聞かせるように呟いた。
「まあ、今まで通りやれば、多分大丈夫でしょう。多分!」
いつもの根拠のない自信を装いながらも、内心では、これまでにない種類の緊張感を拭いきれずにいた。「Fortressランク」という耳慣れないランクの響きが、妙に重く胸にのしかかってくる。
しばらく歩いていると、遠くに巨大な影が見えてきた。近づくにつれ、その全容が徐々に明らかになっていく。通常のINVADERとは比較にならないほどの巨躯。装甲は鈍く光り、動くたびに大地が震えた。
「うわ……でっか」
思わず声が漏れる。今まで戦ってきたどの敵よりも、明らかに一回り、いや、二回りは大きい。表面の装甲には、無数の傷跡のようなものが刻まれていたが、どれも浅く、致命傷には程遠いように見えた。
【コメント】これはやばそう
【コメント】他のプレイヤー、もう苦戦してる
【コメント】通常攻撃全然通ってないっぽい
周囲を見渡すと、既に何人かのプレイヤーがその巨体に挑んでいた。しかし、放たれる攻撃はことごとく弾かれ、傷一つついていないように見える。剣を叩きつけても、砲撃を浴びせても、巨体はまるで意に介さない様子で、ゆっくりと進軍を続けていた。
「これは……確かに、苦戦してますね」
思わず息を呑む。これまで見てきたどの防衛戦とも、明らかに違う緊張感が漂っていた。周囲のプレイヤーたちの表情――というより、機体の動きから伝わってくる焦りが、痛いほど伝わってくる。
防衛拠点からの通信が入る。「同時弾着射撃支援を行います。各機射撃兵装を装備の上照準を合わせ距離を取ってください」という館内放送が、戦場全体に響き渡った。
「あ、これ聞いたことあります! 支援砲撃が来るやつですよね!」
以前、桜庭が開発チャンネルの雑談で触れていたような気がする、あの支援システムだ。派手な演出の裏に、実はバランス調整の苦肉の策が隠れているだなんて、この時の俺はもちろん知る由もなかった。ただ純粋に、心強い援護が来るというその事実に、少しだけ安堵していた。
時間になると、整備拠点からの特大砲撃と、参加プレイヤー全員の射撃兵装による一斉射撃が、寸分違わぬタイミングで着弾した。轟音と共に、巨大な砂煙が視界を覆う。地面が大きく揺れ、周囲の瓦礫が吹き飛んでいくのが見えた。これだけの砲撃を受ければ、さすがに決着がつくだろう――誰もがそう思っていたはずだった。
――しかし、煙が晴れた後も、敵の巨体はそこに悠然と立っていた。装甲には、うっすらとした傷跡が新たに刻まれているだけで、行動に支障をきたしている様子は微塵も見られない。
【コメント】は?
【コメント】あの支援砲撃効いてないの?
【コメント】どうすんだこれ
周囲のプレイヤーたちの間に、明らかな動揺が走った。これまで頼りにしてきた切り札が、まったく通用していない。無線越しに、焦りを含んだ声がいくつも飛び交っているのが聞こえてくる。
「え、これどうしましょう……私、射撃武器持ってないんですけど」
持っているのは、頑丈な両腕とパイルバンカーだけ。遠距離攻撃の手段は、最初から何一つ持ち合わせていない。それでも、目の前で苦戦する仲間たちを前に、突っ立っているわけにもいかなかった。
これまでの防衛戦を思い返す。どんな敵が相手でも、結局は同じやり方で乗り越えてきた。両腕でガードして、距離を詰めて、殴る。それ以外の戦い方を、そもそも知らない。今さら変えようにも、変えようがなかった。
「よし、とりあえず、いつも通りいきますか!」
両腕を構え、俺は巨体に向かって突撃した。周囲のプレイヤーから、驚きの声が上がる。
「おい、無茶するな! 支援砲撃すら効いてないんだぞ!」
「大丈夫です、多分! ……多分!」
自分でも根拠のない自信だとわかっていた。それでも、足を止める理由にはならなかった。
巨体の繰り出す一撃を、真正面から受け止める。これまでにない衝撃が腕全体を突き抜けたが、それでも、痛みらしい痛みはやはり感じない。相手の巨腕が振り下ろされるたびに、大気が唸るような音を立てた。それでも俺は、その一撃一撃をただひたすらに受け止め続けた。
踏み込んで、拳を叩き込む。
「インパクトスマッシャー!」
肘の杭が飛び出し、深々と巨体の装甲を貫いた。手のひらに伝わる感触は、いつもと変わらない。ただ、その一撃を受けた相手の反応だけが、これまでとまったく違っていた。
――刹那、静寂が訪れた。
巨大な図体が、ぐらりと大きく傾ぐ。そのまま、地響きを立てて、その場に崩れ落ちた。土煙が舞い上がり、周囲の瓦礫がぱらぱらと音を立てて落ちていく。
【コメント】は?
【コメント】は??
【コメント】一撃で!?
誰もが言葉を失っていた。あれだけ苦戦していた巨体が、たった一撃で沈黙した。周囲のプレイヤーたちも、呆然とした様子でこちらを見つめている。
「あ、あれ? 倒れました?」
自分でもまだ状況が飲み込めていなかった。手応えは確かにあったけど、これほどあっさり決着がつくとは思っていなかった。
【コメント】ちょっと待って、今の絶対おかしいだろ
【コメント】支援砲撃全弾ノーダメージだったのに一撃で沈むわけないだろ
【コメント】これもう普通の強さじゃないだろ
初めて浴びせられる、疑いの言葉。それでも、俺はまだ本気で理解していなかった。
「いや、頑丈な武器なだけだと思うんですけど……」
【コメント】いやそういうレベルじゃないだろ
【コメント】これ、るかだけ何かおかしくないか?
【コメント】不沈艦、来たな……
最後のコメントに、俺は思わず動きを止めた。あの、昔言われた揶揄いのあだ名。「沈める海がないんだから、そりゃ不沈艦だわ」という、身も蓋もない皮肉。それが今、まったく違う響きを伴って、目の前を流れていく。
「不沈艦……また言われてる。でも今回のは、なんか、前と違う意味な気がするんですけど」
言いながら、自分でもうまく説明できない違和感を覚えていた。今までは、頑丈な機体でしっかりガードしているだけ、という自覚だった。でも今日のこの一戦は、明らかにそれだけでは説明のつかない何かがあった気がする。
思い返せば、これまでも似たような場面は何度もあった。攻撃を受けても平然としている自分に、コメント欄が驚くこともあった。それでも、その度に「頑丈な機体だから」という理由で、自分を納得させてきた。今日のこの結果を前にしても、その説明で片付けようとしている自分がいる。
【コメント】そりゃそうだろ、支援砲撃効かないレベルの敵を一撃だからな
【コメント】これもう「頑丈」の範疇超えてる
【コメント】運営、これ絶対調査案件だろ
コメント欄が、これまでにない熱を帯びて加速していく。称賛と困惑が入り混じったその空気に、俺はどう反応していいかわからないまま、立ち尽くしていた。
視界の端で、遠くのプレイヤーたちが、こちらを指差しながら何か話し込んでいるのが見えた。その視線の中に、これまでにない種類の――畏怖に近い何かが混じっている気がした。
誰かがこちらに近づいてくる気配がした。先ほど「無茶するな」と声をかけてきたプレイヤーだった。
「なあ、今の一撃、種明かししてくれよ。装備、何か特殊なもの使ってるのか?」
「いや、ずっと同じ機体ですけど……パンチとパイルバンカーだけですよ、本当に」
「それだけで、あの装甲を一撃って……嘘だろ」
半信半疑の様子で、相手はしばらくこちらを見つめていた。俺自身、うまく説明できる言葉を持っていなかった。
「本当に、それ以外何もしてないんです。強いて言うなら、頑丈な機体ってことくらいで」
「頑丈で片付く威力じゃないだろ、あれは……。まあ、いいや。とにかく、助かった。ありがとな」
そう言い残すと、相手は不思議そうな表情を浮かべたまま、自分の持ち場へと戻っていった。俺はしばらくその場に立ち尽くしたまま、今の一連のやり取りを反芻していた。
周囲では、他のプレイヤーたちも、今の一撃について口々に話し合っているのが見えた。断片的に聞こえてくる言葉の端々に、これまでにない種類の熱がこもっている。称賛、困惑、そして少しの畏怖。その全部が入り混じった視線を、俺は初めて浴びていた。
「えっと……とりあえず、無事に倒せてよかったです、はい」
場を取り繕うようにそう言ってはみたものの、コメント欄の勢いは収まらなかった。この日を境に、何かが決定的に変わり始めていることだけは、俺にもなんとなく感じ取れた。
防衛戦を終え、いつもの道を歩きながら、俺は何度も今日の一撃を思い返していた。手応え自体は、いつもと変わらなかったはずだ。それなのに、周りの反応だけが、これまでとまるで違う。何かが噛み合っていないような、そんな据わりの悪さが、胸の奥に残り続けていた。
配信を終え、ヘッドセットを外す。窓の外は、もうすっかり夕暮れだった。今日一日の出来事を反芻しながら、俺はしばらくベッドに寝転がっていた。
夕食の席で、母さんが尋ねてきた。
「楓、今日はなんだか静かだね。疲れた?」
「うーん、疲れたっていうか……なんか、うまく言葉にできないことがあって」
「そう。無理に言葉にしなくていいよ」
その気遣いに、俺は少しだけ救われた気がした。今日感じた違和感を、誰かにうまく説明できる自信は、まだどこにもなかった。
部屋に戻ってから、俺はもう一度、今日のアーカイブを見返してみた。あの一撃の瞬間、コメント欄の勢いが、これまでとは明らかに違う色を帯びている。称賛でも、単純な驚きでもない、もっと踏み込んだ何か。
画面をスクロールしていくと、見慣れない単語がいくつも目に留まった。「異常」「検証」「本当にダメージ受けてるのか」――これまでのコメントとは、明らかに温度が違う。
「うーん、これ、そんなに大したことなのかな……」
誰にともなく呟いた言葉に、答えてくれる人はいなかった。それでも、これまでのような「ノリで盛り上がっているだけ」の空気とは、何かが違う気がしてならなかった。
布団に潜り込みながら、俺は今日一日の出来事を、もう一度頭の中で整理してみた。支援砲撃が効かない敵、一撃での撃破、そして「不沈艦」という呼び名の再来。どれもこれも、これまでの自分の物差しでは測りきれない出来事だった。それでも、明日になればまたいつも通りの日常が続いていく。そのことだけは、なぜか確信を持って言える気がした。
【ARES Entertainment 不正監視班】
監視システムのアラートが鳴ったのは、Fortressランク個体の討伐ログが更新された直後だった。
「……これ、数値おかしくないか?」
担当者がモニターを覗き込みながら、思わず声を漏らした。支援砲撃を全弾無効化するほどの装甲を持つ個体が、たった一撃で撃破されている。しかも、攻撃した側のプレイヤーは、被弾記録がほぼゼロに近い。
「この機体、前にもパイルバンカーの異常検知があったやつだよな」
「そうです。あのときは経過観察で終わってますけど……今回のはさすがに、規模が違いすぎます」
画面に表示されたログを、二人はしばらく無言で見つめていた。装甲貫通値、与えたダメージ量、そして受けたダメージ量。どの数値も、通常の範囲を明らかに逸脱している。
「与ダメの数値、防御力無視で計算しないと説明つかないぞ、これ」
「ですよね……クリティカル判定が絡んでるとしか思えません。でも、この機体のカテゴリって、クリティカルの概念自体が実装されてないパイルバンカー系のはずですよね」
「だったら余計おかしいだろ。実装されてない処理が、なんで発生してるんだ」
二人の間に、しばらく重い沈黙が流れた。データ上の矛盾は明らかなのに、その原因がまるで見えてこない。こういう「説明のつかない強さ」ほど、調査が難航するものはなかった。
「受けたダメージの方も見てみるか。さっきの防衛戦のログ、全部引っ張ってきてくれ」
過去数十戦分のログを並べてみると、さらに奇妙な傾向が浮かび上がってきた。被弾判定自体は発生しているのに、ダメージとして反映されている形跡がほとんどない。
「これ……もしかして、常時何らかの無敵状態にあるんじゃないか?」
「無敵スキルなら、効果時間の記録が残るはずです。でも、それらしいログが一切見当たりません」
「効果時間が記録されない無敵状態、ね……ますますわけがわからなくなってきたな」
「これ、正式に調査案件として上げた方がいいな」
「はい。不正監視班に回します」
報告書を作成しながら、担当者の一人がぽつりと呟いた。
「バグなのか、それともとんでもない実力なのか……どっちにしても、ちょっとした騒ぎになりそうだな」
その言葉通り、この日のログは、社内のあちこちで話題に上ることになる。そして、この小さな異常検知こそが、後にこの配信者を巡る、長い長い「調査するが証拠が出ない」という騒動の、静かな始まりだった。
窓の外はすっかり夜になっていた。担当者の一人は、報告書の末尾に小さく一文を書き加えた。
――継続監視を推奨。ただし、現時点で規約違反を裏付ける証拠は確認できず。
その一文が、これから何ヶ月にもわたって繰り返されることになるとは、この時の彼らはまだ知らなかった。




