17.海洋戦、ありません
朝、身支度を整えながら、俺はスマホでニュースサイトを流し読みしていた。特に意味はない。ただ、なんとなく世間の動きを追いかけておきたい気分だった。
母さんが洗濯物を干している横を通り過ぎながら、軽く挨拶を交わす。
「行ってらっしゃいって言うのも変だけど、今日も配信頑張ってね」
「うん、行ってきます……って、どこにも行かないんだけどね」
軽口を交わしながら、俺は自室に戻った。今日はいつもより早い時間から、運営の告知が出ているのが気になっていた。
配信を開始すると、案の定、いつもと違う空気が漂っていた。今日の防衛戦は、いつもより規模が大きいらしい。運営からの通知には「大規模討伐イベント」という、見慣れない文字が並んでいた。
「大規模って、どれくらい大規模なんですかね」
【コメント】行けばわかる
【コメント】とりあえず歩こう
【コメント】お約束
「わかってますよ! 歩きますよ、はい!」
軽口を返しながら、俺はいつも通り、担当エリアへ向けて歩き出す。今日は、いつもより多くのプレイヤーが同じ方向を目指しているのが見えた。
道中、前を歩く数人のプレイヤーの会話が、風に乗って断片的に聞こえてきた。
「なあ、あそこにいるのって、NEREID MARINE機体だよな? なんでまだ使ってる奴いるんだ?」
「海洋マップないのに何であれ使ってるの? 完全にロマン枠じゃん」
聞き覚えのある単語に、俺は思わず耳をそばだてた。NEREID MARINE――自分の機体のメーカー名だ。
「あの、すみません、今の話、もしかして私のことですか?」
声をかけると、相手は少し驚いた様子でこちらを振り返った。
「あ、いや、別に悪口とかじゃなくて……ただ、単純に疑問だったんだよ。海洋マップ実装されてないのに、あのメーカーの機体使う意味って、正直あんまりないだろ?」
「そう、なんですかね……」
「NEREID MARINEって、そもそも海洋戦専門のメーカーなんだよ。潜水艦とか駆逐艦とか、海軍兵器がベースのフレーム作ってる。でも、このゲーム、正式サービス開始からずっと海洋マップがないだろ? だから、あのメーカーの機体使ってる人、本当に数えるほどしかいないんだよ」
初めて聞く詳しい説明に、俺は思わず聞き入ってしまった。
「へえ……知らなかったです、そんな事情があったんですね」
【コメント】本人が一番知らなかった説
【コメント】いつも通りすぎて逆に安心する
【コメント】でも確かに海のマップ、見たことないな
「まあ、俺も詳しいわけじゃないけど、界隈じゃ有名な話だよ。『海洋アップデート待ちのネタメーカー』って言われてる」
「ネタメーカー……なるほど」
妙に納得してしまった。自分の機体が不人気だということは薄々知っていたけど、それがメーカー全体の話だったとは、今日初めて知った。
「他にも使ってる人、いるにはいるんですか?」
「いるにはいるけど、本当に一握りだよ。俺の知り合いにも一人いたけど、結局早々に別の機体に乗り換えてた。海がないんじゃ、どうしようもないもんな」
「そう、なんですかね……」
実感の湧かない相槌を打ちながら、俺は自分の機体を見下ろした。丸みを帯びた黄色い装甲、不格好な巨体。誰にも選ばれずに整備拠点の隅に放置されていた、あの日の光景がふと蘇る。
「ちなみに、他の機体に乗り換えなかったんですか、その知り合いの人は」
「乗り換えたよ。今はもっと機動力のある機体使ってる。まあ、普通はそうするよな。海がないメーカーの機体にこだわり続ける理由なんて、そうそうないし」
「普通はそうする」という一言が、妙に胸に引っかかった。自分がこれまで、その「普通」を一度も選んでこなかったことに、今更ながら気づかされる。乗り換えるという発想自体、正直これまで一度も浮かんだことがなかった。
「じゃあ、その海洋マップって、いつか実装される予定とかあるんですか?」
「さあ? 少なくとも今んとこ、そういう話は聞いたことないな。運営も特にアナウンスしてないし」
軽く肩をすくめてそう言うと、相手は自分の目的地の方へと歩いていった。俺はしばらくその場に立ち尽くしたまま、今聞いた話を頭の中で整理していた。
【コメント】海洋マップ来たらイエローサブマリン覚醒するのでは
【コメント】そのときが来たら伝説になりそう
【コメント】気の長い話だな
「みなさん気が早いですね! 来るかどうかもわからないのに!」
笑いながらそう返しつつも、心のどこかで、その可能性に少しだけ胸が高鳴っている自分がいた。もし本当に海が実装されたら、この歩くだけの日々にも、何か変化が訪れるのだろうか。今はまだ、想像もつかない話だった。
考えてみれば、この機体を選んだのも、突き詰めれば「なんかこれでいいや」という、行き当たりばったりの理由だった。不人気メーカーの烙印を押されていることも、今初めて知ったくらいだ。それでも、今さら後悔する気にはならなかった。むしろ、知らなかったことが、逆に良かったのかもしれない。最初から「不人気機体だ」と知っていたら、選ぶことすら躊躇っていたかもしれないから。
しばらく歩いていると、集合地点らしき開けた場所に到着した。既に多くのプレイヤーが集まっている。今まで参加してきた防衛戦とは、明らかに規模が違った。
「うわ、本当に大規模だ……こんなに人いるの、初めて見ました」
【コメント】壮観だな
【コメント】これは期待できる
【コメント】るかもその中の一人になったんだな
感慨深げなコメントに、俺は少し面食らった。確かに、初めて放り出されたときのあの心細さを思えば、今のこの状況は随分と違う。周りにこれだけのプレイヤーがいても、もう不安よりも高揚の方が勝っている自分がいた。
集合場所の一角には、大型モニターのようなものが設置されていて、参加プレイヤーの一覧やランキングらしき数字が表示されていた。自分の名前を探してみようとしたけど、あまりの数の多さに、すぐに見つけるのを諦めてしまう。
「これ、全部でどれくらいの人数参加してるんですかね」
【コメント】数百人はいそう
【コメント】これで一部のエリアだけらしいから、全体だともっとすごいことになってそう
【コメント】ゲーム内イベントとしては相当規模でかいやつ
「そんなに……なんか急に緊張してきました」
軽口交じりにそう言いながらも、内心では、この規模の大きさに素直に圧倒されていた。運営からのアナウンスが響き渡り、討伐イベントの開始が告げられる。周囲のプレイヤーたちが、それぞれの持ち場へと散っていく中、俺もいつも通り、担当のコアへ向けて足を進めた。
「よし、今日も頑張りますか!」
両腕を構え、最初の敵の姿を視界に捉える。いつも通りの戦い方で、いつも通りに立ち向かう。それでも、今日知ったばかりの事実――自分の機体が、メーカーごと見捨てられたような扱いを受けているという事実は、思っていたよりずっと重く胸に残っていた。
ガキンッという重い音とともに、敵の一撃を受け止める。踏み込んで拳を叩き込み、肘の杭を突き立てる。
「インパクトスマッシャー!」
いつも通りの一撃で、敵の姿が崩れ落ちる。周囲の喧騒の中でも、この一連の動作だけは、変わらず自分を支えてくれる確かな手応えだった。
大規模イベントというだけあって、次から次へと敵が押し寄せてくる。二体、三体と立て続けに相手をしながら、俺は自分のペースを崩さないよう意識した。
「よし、まだまだいけますよ!」
声を張り上げながら、俺は目の前の敵に向かって踏み込んだ。周囲では、他のプレイヤーたちも入り乱れながら、それぞれのやり方で敵を捌いている。誰かの叫び声、爆発音、機体同士がぶつかり合う金属音。これまでにない密度の戦場だった。
【コメント】この規模の戦場、初めて見たかも
【コメント】戦争映画みたいになってきた
【コメント】るかの周りだけ妙に落ち着いてる
「落ち着いてるように見えます? 内心結構テンパってますよ、これ!」
軽口を返しつつも、俺は着実に敵の数を減らしていった。ふと視線を上げると、遠くの方で、ひときわ目立つ動きをするプレイヤーの姿が見えた。素早い身のこなしで、次々と敵を薙ぎ払っている。あれほどの実力者が参加しているのかと、俺は素直に感心した。
【コメント】あれ多分ランカーだよ
【コメント】このイベント、結構有名どころも参加してるらしい
【コメント】るかもその中の一人になったんだから成長したよな
言われてみれば、そうなのかもしれない。ほんの一週間ちょっと前まで、右も左もわからないまま放り出されていた自分が、今はこうして名だたるプレイヤーたちと同じ戦場に立っている。実感はまだ薄いけれど、確かにここまで来たんだという事実だけは、胸の奥にじんわりと残った。
ふと、無線越しに緊迫した声が飛び込んできた。「三時方向のコアが危険水域! 応援求む!」という叫びに、周囲のプレイヤーたちが一斉に反応する。
「あ、これ私も行った方がいいですかね?」
【コメント】担当エリア離れて大丈夫なのか?
【コメント】まあ余裕ありそうだしいいんじゃない
【コメント】るかの機動力だと間に合わなそうだけど
「機動力ないのは自覚してますけど、応援がいらないよりはマシですよね!」
軽口を返しながら、俺は指定された方角へと歩き出した。徒歩でどこまで間に合うかはわからなかったが、それでも足を止める理由にはならなかった。
しばらく歩いていると、既に他のプレイヤーたちが応戦している様子が見えてきた。加勢するには少し出遅れた形になったが、それでも俺は両腕を構えて戦線に加わった。
目の前に新たな敵が現れる。今度は少し大きめの個体だった。両腕を構え、真正面から受け止める。衝撃はいつもより強かったが、それでも痛みらしい痛みは相変わらず感じない。
「よし、これもいっちょ!」
踏み込んで拳を叩き込み、肘の杭を突き立てる。手応えとともに、敵の姿が崩れ落ちた。残りの敵も、いつも通りの要領で着実に片付けていく。気づけば、周囲の喧騒も少しずつ落ち着きを見せ始めていた。
【コメント】この状況でもブレない安定感
【コメント】不人気メーカーとか言われてもこの強さは草
【コメント】メーカーの評判と本人の強さが全然釣り合ってない
「メーカーの評判はどうあれ、私はこの機体、気に入ってますけどね! 足遅いですし、弱そうですけど!」
軽口を叩きながらも、俺は素直にそう思っていた。人気があろうがなかろうが、この不格好で頑丈な相棒と過ごしてきた時間は、紛れもなく自分だけのものだ。
振り返ってみれば、乗り換えるという発想が一度も浮かばなかったのも、ある意味では幸運だったのかもしれない。もし今日聞いたような「不人気メーカー」という評判を最初から知っていたら、きっと違う機体を選んでいただろうから。知らなかったことが、結果的に自分だけの道を作ってくれた。そう思うと、この行き当たりばったりな性格にも、少しだけ感謝したい気持ちになる。
大規模討伐イベントは、想像していたよりずっと長丁場になった。配信を終える頃には、すっかり日も暮れていた。
「今日は疲れましたね……でも、なんか新しい発見もあった一日でした」
ヘッドセットを外し、大きく伸びをする。今日知った「不人気メーカー」の話は、思っていたより自分の中に重く残っていた。それでも、不思議と落ち込む気持ちにはならなかった。むしろ、自分が選んだこの機体に、これまで以上の愛着が湧いている気さえする。
夕食の席で、母さんが尋ねてきた。
「楓、今日はやけに疲れた顔してるね」
「今日、ちょっと大きいイベントがあって。人がいっぱいで、賑やかだったよ」
「そう、大変だったね。ご飯たくさん食べて」
いつも通りの気遣いに、俺は小さく笑って頷いた。誰にも顧みられないメーカーの機体を選んでしまったことも、今となっては、なんだか愛おしい巡り合わせのように思えてくる。
食後、自室に戻ってから、俺はもう一度、今日聞いた話を思い返していた。NEREID MARINE、海洋マップ、不人気メーカー。どれも今日初めて知った単語だったけど、不思議と自分の中にすとんと収まった。知らなかったことを恥じる気持ちより、これから知っていけばいいという、前向きな気持ちの方が強かった。
【ARES Entertainment 開発ディレクター 一ノ瀬誠(42歳)視点】
定例の開発会議で、また例のNEREID MARINE機体の話題が出た。
「海洋マップの実装、やっぱり優先度低いままでいいんですか?」
若手スタッフからの問いに、私は資料をめくりながら答えた。
「正直な話、今のリソース配分だと、当分は厳しいな。プレイヤー数のデータ見ても、あのメーカーの利用率、全体の一パーセントにも満たない」
「でも、最近ちょっと話題になってる配信者、あのメーカーの機体使ってますよね。『るか』さんでしたっけ」
その名前に、私は思わず苦笑した。社内でも、ちょっとした噂になっている配信者だ。
「ああ、あの子か。パイルバンカーの一撃、社内でも結構バズってるらしいな」
「あの機体で、あれだけ暴れてるのは正直すごいと思います。海洋マップ実装されたら、もっと化けるかもしれないですよ」
「化けるかもな。でも、それとこれとは別の話だ。一人のプレイヤーの活躍で、優先度を動かすわけにはいかない」
言いながらも、内心では少し複雑な気持ちがあった。あの機体を選んだプレイヤーが、これだけ目立った活躍を見せている。それなのに、開発側は依然として、そのメーカーを冷遇し続けている。皮肉な話だと思う。
会議室の隅で、デバッグ班の桜庭が、何か言いたげにこちらをちらちらと見ていることに気づいた。
「桜庭さん、何か気になることでも?」
「あ、いえ……なんでもないです。ちょっと、あの機体に搭載されてるスキル周りで、確認したいことがあるだけなので」
どこか歯切れの悪い返事だったが、それ以上は追及しなかった。デバッグ班には、それぞれ抱えている案件がある。よほど緊急性が高くない限り、彼らの判断を尊重するのが、この会社での自分のやり方だった。
会議が終わった後、廊下で桜庭とすれ違った。心なしか、いつもより顔色が優れないように見える。
「桜庭さん、根詰めすぎないようにね。何かあったら早めに共有して」
「はい……ありがとうございます。もう少し自分で調べてから、ご報告します」
それだけ言うと、桜庭は逃げるように足早に去っていった。あの反応が少し気になったものの、この時の私は、まださほど深刻には受け止めていなかった。
「まあ、覚えておくよ。いつか海洋マップを実装する日が来たら、真っ先にあの子に知らせてやりたいくらいだ」
冗談交じりにそう言うと、会議室に小さな笑いが起きた。それでも、私の中では、その言葉は半分本気だった。




