16.担当がつきました
朝、目を覚ましてすぐ、スマホの通知欄を確認する癖がすっかりついていた。今日も何件か、配信の切り抜きや感想らしき投稿が並んでいる。慣れてきたとはいえ、まだ完全には実感の伴わない日常だった。
階下に降りて朝食を済ませ、いつも通り自室に戻る。窓の外は、よく晴れた青空だった。特に理由もなく、今日はなんとなくいい一日になりそうな予感がしていた。
配信を始めようとヘッドセットを被ったところで、見慣れない通知が画面の隅に浮かんだ。
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LiveGate運営より、クリエイターサポート担当がつきました。
担当者:朝霧美咲
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「え、担当? そんなのつくものなんですか?」
誰もいない部屋で、思わず声が漏れた。配信はまだ始めていない。それでも、この通知だけは一人でじっくり確認しておきたい気がして、俺はヘッドセットを一旦机に置いた。
戸惑いながら詳細を開いてみる。運営からの正式な通知らしく、簡単なプロフィールと、連絡用のチャットルームへのリンクが添えられていた。半信半疑のまま、案内されたチャットルームを開いてみる。しばらくすると、向こうから通話の申請が届いた。深呼吸を一つして、俺は応答ボタンを押した。
「もしもし、初めまして。LiveGateの朝霧です」
思っていたよりずっと落ち着いた、それでいて柔らかい声だった。
「あ、初めまして……るかです」
「今日はお時間いただいてありがとうございます。単刀直入に言うと、るかさんの配信、担当としてサポートさせていただきたくて、ご連絡しました」
いきなりの本題に、俺は少し面食らった。
「サポートって、具体的にはどういうことをするんですか?」
「企業案件のご紹介だったり、大会や特別イベントへの参加調整だったり。あとは、配信中や配信外で何か困ったことがあれば、いつでも相談できる窓口になります」
淡々とした説明の中に、押しつけがましさがまったくないのが印象的だった。
「あの、私、まだ全然そんな大した配信者じゃないと思うんですけど……本当に、私でいいんですか?」
「るかさんの配信、初めて見たときからずっと追いかけてるんです。数字だけじゃなくて、中身がちゃんと伴ってる配信者さんだと思ってます」
まっすぐな言葉に、俺はどう返していいかわからず、しばらく黙り込んでしまった。
「あ、あの、ありがとうございます……なんか、実感が全然湧かないですけど」
「無理に実感しなくても大丈夫ですよ。ゆっくり慣れていってもらえれば」
その一言に、肩の力がすっと抜けた気がした。通話を通してさえ伝わってくる、この人の穏やかな誠実さに、俺は思っていたより早く警戒心を解いていた。誰かに何かを期待されること自体、これまでの人生ではあまり歓迎できるものではなかった。それなのに、今日のこの期待のされ方は、不思議と重荷に感じなかった。
「今すぐ何かをお願いする、というわけではないので、ご安心ください。まずは、るかさんの配信スタイルを崩さないことを一番大事にしたいと思っています」
「それは、すごくありがたいです……正直、急に色々変えられたらどうしようって、ちょっと身構えてたので」
「そういう心配をされる方、実は多いんです。でも、るかさんの場合、変える必要をあまり感じていなくて。むしろ、今のままの方が伸びると思っています」
率直な言葉に、俺は思わず苦笑した。褒められているはずなのに、なんだかくすぐったい。
「あと、これは今すぐの話じゃないんですが、将来的に大会への招待なんかもあるかもしれません。そのあたりは、また時期が来たらご相談させてください」
「大会……ですか。想像もつかないですけど、そういうのもあるんですね」
「るかさんの実力なら、十分に狙えると思いますよ」
さらりと告げられたその言葉に、俺はどう反応していいかわからず、曖昧に頷くしかなかった。大会という単語が、まだ自分とは遠い世界の出来事のように感じられる。
「まあ、今すぐの話じゃないので、頭の片隅に置いておいてもらえれば十分です」
「あ、はい……なんか、想像もつかないですけど、覚えておきます」
電話越しの朝霧さんの声には、急かすような響きは一切なかった。その距離感が、今の俺にはちょうどよかった。
「あの、あと一点だけ確認させてください。るかさんは、配信では顔出しをされていない方針でよろしいですか?」
「あ、はい。それは絶対に……できれば、このままでお願いしたいです」
声が、少しだけ強張ったのが自分でもわかった。この話題だけは、どれだけ状況が変わっても、絶対に譲れない一線だった。
「もちろんです。無理に変えていただく必要は一切ありません。通話だけのやり取りで、私の方は問題ないので」
その配慮に、俺は密かに胸を撫で下ろした。もし顔出しを強く勧められたら、正直断る自信がなかった。
通話を終えると、部屋の中はまた静かになった。誰にも見られていない、配信を始める前のほんの十数分間の出来事だった。それでも、この短い時間だけで、これまでとは違う何かが動き出した気がした。
気持ちを切り替えて、俺は改めてヘッドセットを被り、配信を開始した。
「みなさん、こんにちはー! るかです! ……あの、いきなりなんですけど、実は今日、担当さんがついたっぽいです」
【コメント】おお、ついに担当ついたか
【コメント】伸びてきた証拠だな
【コメント】朝霧さんって人、聞いたことある気がする
「え、みなさん詳しいですね……私、正直この仕組み自体、さっきの通話で初めて知ったくらいなんですけど」
配信前にあった一連のやり取りを、俺はかいつまんで視聴者に説明した。担当という制度のこと、朝霧さんという人の第一印象、それから、当面は配信スタイルを変えるつもりがないということ。
【コメント】ガチ勢っぽい担当さんで安心
【コメント】この温度感なら任せられそう
【コメント】急に企業案件だらけにならなくてよかった
「なんか、みなさんの反応見てても安心します。今のままでいいって言ってもらえたので、変にキャラ作ったりはしないでおこうと思います!」
軽い調子でそう宣言しながらも、内心では、まだ少しの不安が燻っていた。担当という存在が加わることで、この気楽な配信の空気が変わってしまわないか。そんな心配が、拭いきれずに残っている。
そんな話をしていると、今度は別の通知が画面に表示された。
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配信活動条件を満たしました。
収益化機能が有効になりました。
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「あ……これ、収益化ってやつですか?」
【コメント】ついに来たか
【コメント】おめでとう!
【コメント】これで晴れてプロってわけだ
思わず声が漏れた。
「え、待って、これ結構前から気にはなってたやつなんですよ! やった、これでちょっとはお小遣い稼げるかも!」
配信を始めた頃の、あの軽い動機をふと思い出す。月に数万円でも稼げたら――そんな些細な気持ちから始まったはずのこの配信が、今や担当までついて、収益化まで達成している。始めた当初の自分に、この状況をそのまま話しても、絶対に信じてもらえないだろう。
【コメント】原点回帰の発言で草
【コメント】結局そこがゴールなんだな
【コメント】初心忘れてなくて逆にえらい
「いや、笑わないでくださいよ! 私の中では結構重要な目標だったんですから!」
軽口を叩きながらも、俺は内心、じんわりとした感慨を噛み締めていた。何か大きなことを成し遂げた、というよりも、小さな約束を一つ果たせたような、そんな静かな満足感だった。
考えてみれば、あの頃の自分は、配信を続けることすら想像していなかった。三日坊主で終わるだろうと、心のどこかで思っていた気がする。それが今、こうして担当までついて、お金の話まで出てきている。人生というのは、案外どこに転がっていくかわからないものらしい。
収益化の詳細画面を開いてみると、今後の見込み額についての簡単な試算が表示されていた。具体的な数字を見て、俺は思わず声を上げそうになった。
「え、これ、本当に月々こんなに……?」
【コメント】想像より全然多くてびっくりしてるw
【コメント】そりゃそうだろ、この登録者数だもん
【コメント】自分の伸びに一番驚いてるの草
「いや、だって、月三万円くらいでいいかなーくらいの気持ちで始めたので……この数字、本当に合ってます?」
何度も見返してしまうくらい、数字の桁が想像とかけ離れていた。実感がまるで追いつかない。それでも、悪い意味でないことだけは、はっきりとわかった。
ふと、この収益で何をしようか、という考えが頭をよぎった。特に欲しいものがあるわけでもない。強いて言うなら、配信機材を少し新調するくらいだろうか。贅沢な使い道を思いつかないあたり、自分の欲のなさを改めて実感させられる。
「うーん、何に使おう、これ……とりあえず、貯金しておきますかね」
【コメント】現実的すぎるw
【コメント】もっと夢見ようよ
【コメント】でもそれがるからしいといえばらしい
配信を続けながら、俺はふと、朝霧さんとの通話の内容を思い返していた。担当がつくということが、これから自分の配信にどんな変化をもたらすのか、まだ想像もつかない。それでも、一人で手探りに進んできたこれまでとは、何かが確実に変わっていく予感があった。
防衛戦の通知が届き、俺はいつも通り、担当エリアへ向けて歩き出す。
「よし、じゃあ今日も行きますか!」
軽くそう呟きながら、俺は改めて気を引き締めた。担当がついたからといって、これから何かが劇的に変わるわけじゃない。今日もこれまで通り、目の前のことに向き合っていくだけだ。
歩いている途中、視界の端にINVADERの反応が浮かび上がった。
「お、来ましたね。よし、いつも通りいきますか」
両腕を構え、迫る一体の攻撃を受け止める。ガキンッという重い音とともに、いつも通りの手応えが伝わってきた。懐に踏み込み、拳を叩き込む。
「インパクトスマッシャー!」
肘の杭が深々と突き刺さり、敵の姿が崩れ落ちた。
【コメント】相変わらずの安定感
【コメント】担当ついても強さは変わらずで安心
【コメント】むしろテンション上がってて草
「担当さんついたからって、強さは変わらないですからね! むしろ今日はちょっと気分いいので、もう一丁いけそうです!」
言葉通り、続けざまに現れた二体目にも、同じ要領で立ち向かう。ガードして、踏み込んで、殴る。何度繰り返しても飽きの来ない、いつも通りのリズムだった。
ふと、通信画面にフレンドからの着信を知らせるアイコンが点滅した。開いてみると、ハチからだった。
「るかちゃん、いる? 今日もその辺で暴れてる?」
「あ、ハチさん! ちょうど今、戦闘中です!」
「お、じゃあ俺も混ざろうかな。ちょうど暇してたし」
軽い調子でそう言うと、ハチはビークルモードで颯爽と駆けつけてきた。相変わらずの機動力に、俺は思わず苦笑する。
「今日、実は担当さんがついたんですよ」
「え、マジ? おめでとう! いよいよ本格的になってきたね」
「なんか実感全然湧かないんですけどね……ハチさんは担当とかついてないんですか?」
「俺? そんな大層な配信者じゃないから、全然そういうのないよ。るかちゃんは順調に有名人への道進んでるなあ」
からかうようにそう言われて、俺は思わず頬をかいた。ハチのその気負わない態度に、いつも通り救われている気がした。二人でしばらく残りの敵を片付けながら、他愛もない雑談を続ける。何も変わらない、いつも通りの戦闘とやり取り。それでも、その「変わらなさ」自体が、今の俺には妙に心強く感じられた。
「じゃあ、俺はこの辺で。また今度な、るかちゃん」
「はい、ありがとうございました! また誘ってください!」
軽く手を振って、ハチはまたどこかへと去っていった。残された静けさの中、俺はふと、さっきまでの賑やかさが名残惜しく感じられた。誰かと過ごす時間の心地よさを、こんなふうに素直に感じられるようになったのも、思えば随分と久しぶりのことだった。
考えてみれば、担当がついたからといって、明日から急に何かが変わるわけじゃない。配信のやり方も、戦い方も、これまで通り。変わるとすれば、それは自分自身のペースで、少しずつ、無理のない範囲でのはずだ。そう思うと、さっきまで燻っていた不安も、少しずつ和らいでいく気がした。
それでも、今日も変わらず、目の前の道を一歩ずつ歩いていく。それだけは、これまでと何一つ変わらない事実だった。
夕食の席で、母さんに今日のことを軽く話してみようか迷ったけれど、結局、うまい言葉が見つからないまま、いつも通りの会話に落ち着いた。
「楓、今日も配信頑張ったの?」
「うん、まあ……ちょっと、いいことあったよ」
「そう。よかったね」
多くを語らないまま、それでも確かに何かが積み重なっていく。そんな実感を抱きながら、俺はその日の夜を静かに終えた。
食後、部屋に戻ってから、俺はもう一度、朝霧さんとの通話を思い返していた。「今のままでいい」という言葉が、思っていた以上に心に残っている。誰かに「変わらなくていい」と言われることが、こんなに安心できることだとは知らなかった。
これまでの人生では、むしろ逆のことばかり言われてきた気がする。もっと頑張れ、もっと変われ、もっとちゃんとしろ。そういう言葉に押し潰されそうになって、結局、学校からも人間関係からも、少しずつ距離を置くようになった。
でも、今は違う。誰かが、今のままの自分を肯定してくれている。しかも、それが仕事として、きちんとした形で示されている。この事実だけで、何かが報われたような気がした。
ベッドに横になり、天井を見上げる。担当がついたことで、これから何が変わっていくのか、まだ全然わからない。それでも、悪い方向に進むとは、不思議と思えなかった。
窓の外から、虫の声がかすかに聞こえてくる。こんな何気ない夜の静けさも、今の俺にはやけに愛おしく感じられた。配信という、画面越しの賑やかな世界と、こうして一人で過ごす静かな時間。その両方があるからこそ、ちゃんとバランスが取れているのかもしれない。
スマホの画面を閉じて、俺は静かに目を閉じた。明日もまた、変わらず配信がある。それだけで、十分だった。
【LiveGate運営 クリエイターサポート担当 朝霧美咲(24歳)視点】
通話を終えて、私は小さく息をついた。緊張していたのは、どうやら自分の方だったらしい。
るかさんの声は、想像していたよりずっと控えめで、丁寧だった。配信中のあの弾けるようなテンションとのギャップに、思わず笑いそうになったのを堪えた。素の性格と配信中のキャラクターが、これだけ違う配信者は、実はそう多くない。
顔出しをしない方針について確認したときの、あの一瞬の緊張感も印象的だった。よほど大事にしているものなんだろう。理由までは踏み込んで聞かなかったけれど、聞かなくてよかったと思う。信頼関係は、まず「聞かないでいる」ことから始まる場合もある。
担当書類には、今後のサポート方針をいくつか書き込んだ。企業案件は、本人のペースを乱さない範囲で少しずつ。大会参加は、本人の希望を最優先に。何より、今のあの飾らない配信スタイルを、絶対に崩さないこと。
新人の担当につくたび、いつも同じ迷いがある。伸ばしてあげたい気持ちと、今のままでいてほしい気持ち。その両方が、いつも綱引きをする。あまり手を加えすぎると、本来の魅力が薄れてしまう。かといって、何もしなければ、担当がついた意味がない。そのバランス感覚だけは、何年経っても慣れることがない。
それでも、るかさんに関しては、答えははっきりしていた。あの人は、放っておいても勝手に伸びていく。だとすれば、自分の役割は、その邪魔をしないこと。そして、何かあったときに、隣で支えられる存在でいること。
ふと、収益化の通知が届いたタイミングで見せた、あの子供っぽい喜びようを思い出す。「お小遣い稼げるかも」という、あまりにも素朴な喜び方。大きな夢や野心を語る配信者を、これまでも何人も見てきた。それに比べると、るかさんの目線はどこまでも地に足がついている。その等身大さこそが、視聴者の心を掴んでいる理由の一つなんだろう。
通話の最後に、大会の話を少しだけ振ってみた。反応は、期待していた通り「まだ実感が湧かない」というものだった。それでいい、と思う。今すぐ気負わせる必要はない。時が来れば、自然とその舞台に立つことになるはずだ。そのときになって初めて、必要なサポートを差し出せばいい。
スケジュール帳を開き、今後の企業案件候補をいくつか書き出してみる。とはいえ、るかさんの雰囲気に合いそうなものは、そう多くない。無理に数を追うより、本当に相性のいい案件だけを厳選して提案しよう。そう心に決めた。
パソコンの画面に、今日の通話メモを打ち込みながら、私は小さく微笑んだ。この配信者の今後を、一番近くで見届けられる。それだけで、今日はいい一日だったと思えた。




