第91話 五秒間の奇跡
第91話です。
A級魔物の登場によって、窮地に追い込まれたスペースワンダフル。
ルルは谷底へ落下し、大河とクララが救出に向かう中、橋に残されたライズとトータにも危険が迫ります。
仲間たちが分断され、これまで以上に連携が試される戦い。
果たして大河たちは、この強敵を倒すことができるのでしょうか。
今回もよろしくお願いします!
「トータ! 逃げろぉぉ!!」
ライズの叫びが、山あいに架かる石橋へ響き渡った。
しかし、その声はトータの耳に届いていながら、身体を動かすことにはつながらなかった。目の前へ迫るキングスカルノの巨体が陽射しを遮り、橋の上に広がった影が、まるで自分だけを飲み込もうとしているように感じられる。灰黒色の翼が風を切るたびに、石畳に散らばった小石が転がり、砕けた欄干の粉塵が舞い上がった。
黄色く濁った巨大な瞳が、まっすぐ自分を捉えている。
その視線から逃れようと顔を背けても、鋭く湾曲した嘴と太い鉤爪が視界の端に入り込んできた。喉の奥が乾き、呼吸をするたびに胸の内側が引きつる。逃げなければならないことは分かっているのに、地面についた両手は震えるばかりで、足にはまるで力が入らなかった。
「く、来るな……!」
絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。
ライズが橋を蹴り、こちらへ向かって駆け出している。普段なら頼もしく感じるその姿も、今はひどく遠くに見えた。キングスカルノはすでに翼を畳み、獲物を捕らえるための最後の加速に入っている。
もう間に合わない。
トータの頭に浮かんだのは、そんな絶望的な考えだった。
巨大な鉤爪が、目の前へ伸びてくる。
その瞬間、橋の外側から赤い光が噴き上がった。
「《炎界》!!」
聞き覚えのある声とともに、轟音を上げて炎が空へ立ち上った。
谷底から吹き上げていた冷たい風が、一瞬にして熱を帯びる。巨大な炎は橋の外側から弧を描くように広がり、トータへ迫っていたキングスカルノの進路を塞いだ。
ギャアアアッ!!
キングスカルノが甲高い鳴き声を上げ、炎の直撃を避けようと身体を傾けた。
その動きは、あれほどの巨体とは思えないほど素早かった。翼を大きく広げながら橋の上をかすめるように通過し、鋭い嘴がトータの頭上を横切る。続いて翼の先端が石造りの欄干を叩き、耳をつんざくような破砕音が響いた。
砕けた石が飛び散り、トータは反射的に顔を伏せた。
頬に細かな破片が当たり、鼻の奥へ石の粉っぽい匂いが入り込んでくる。激しい風圧に髪を乱されながらも、トータは自分がまだ生きていることを確かめるように、荒い息を繰り返した。
助かった。
そう思った直後、目の前を灰黒色の翼が通り過ぎようとしていることに気づいた。
手を伸ばせば届くほどの距離だった。
トータの視線が、その翼へ吸い寄せられる。
これまで何度も繰り返してきた訓練が、頭の中を駆け巡った。大河やライズが敵の注意を引きつけ、その隙に自分が近づいて《目印》を付ける。最初は相手に触れることさえできず、何度も失敗した。それでも仲間たちは、自分のスキルが役に立つと信じて練習に付き合ってくれた。
しかし、今回は訓練ではない。
失敗すれば、次こそ命を落とすかもしれない。
震える右手を見つめたトータは、唇を強く噛んだ。
ルルは自分を庇って橋から落ちた。大河はそのルルを助けるため、飛ぶこともできないのに谷へ飛び込んだ。ライズもクララも、自分たちを守るために必死で戦っている。
それなのに、自分は何をしているのだろう。
トータはもう一度、目の前の翼を見た。
今なら届く。
次にこんな機会が訪れる保証などない。
「う……うおおおっ!!」
震える右腕を必死に伸ばし、通り過ぎようとする翼へ指先を押しつけた。
想像していた柔らかな羽根の感触とは違い、その表面は硬く、細かな凹凸が指先へ伝わってきた。激しい風圧に腕を持っていかれそうになりながらも、トータは意識を集中させる。
《目印》。
触れた場所に、小さな光の輪が浮かび上がった。
その光を確認した瞬間、トータは喉が裂けそうなほどの声で叫んだ。
「付けたぁぁ!!」
橋の上を駆けていたライズが、その声に反応して顔を上げた。
同じ頃、谷から上昇してきたクララたちも、トータの叫びを耳にしていた。
風魔法で三人の身体を支えていたクララは、橋の高さへ達したところでキングスカルノへ視線を向けた。巨大な翼の付け根には、小さな光の輪が浮かんでいる。
大河もその光に気づいた。
「トータがやったのか!?」
「見えてるわ!」
クララは短く答えると、風の流れを操って三人を橋の上へ運んだ。
大河は抱えていたルルを石畳へ降ろし、すぐにキングスカルノへ向き直った。先ほど氷の柱で落下を止めた左肩には、まだ鈍い痛みが残っている。ルルの回復魔法によって動かせるようにはなっていたが、腕を上げると筋肉の奥が引きつるような感覚があった。
それでも、今は痛みを気にしている場合ではない。
五秒。
トータの《目印》が敵に付いている時間は、それだけしかない。
以前の訓練で、大河とクララには使用者側の印が付けられていた。トータが敵に触れたことで、二人の攻撃は五秒間だけ、相手がどれほど素早く動いても追いかけるようになる。
ただし、必中とは回避できないという意味であり、防御まで無効にするわけではない。
相手はA級魔物。生半可な攻撃では、強靭な翼で防がれてしまう可能性があった。
「クララ!」
「分かってるわよ!」
クララは大河の言葉を最後まで聞かなかった。
すでに右手を掲げ、キングスカルノへ狙いを定めている。赤い髪が熱風に煽られ、額に張りついた汗が頬を伝って落ちた。彼女の足元から赤い光が広がり、石畳の表面には陽炎が揺らめき始めていた。
大河も右手を前へ突き出し、掌へ魔力を集中させる。
透明な水が空中へ集まり、拳ほどの塊が急速に膨れ上がっていく。周囲の空気を巻き込みながら伸びた水は、やがて鋭い槍の形へ変わった。
大河は奥歯を噛みしめ、身体の内側へ意識を向けた。
「《火力マックス》!」
身体の奥から熱が湧き上がり、右腕へ流れ込む魔力が一段と強くなった。水の槍が激しく振動し、その先端がさらに細く研ぎ澄まされていく。
キングスカルノが翼を大きく羽ばたかせた。
黄色い瞳がクララの炎を捉え、続いて大河の水の槍へ向けられる。先ほどまで一方的に攻撃を仕掛けていた魔物が、二人の魔法を警戒するように高度を上げ始めた。
クララはその動きを見逃さなかった。
「逃がさないわよ……!」
彼女の周囲で渦巻いていた炎が、さらに勢いを増した。
赤い炎の中心には白く輝く部分が生まれ、その周囲を幾重もの火炎が取り巻いている。熱気に押された空気が震え、足元の石畳に転がっていた小さな破片がカタカタと音を立てた。
「《炎帝》!!」
クララが腕を振り下ろすと、巨大な炎の塊が空へ飛び出した。
キングスカルノは翼を傾け、炎の進路から外れようとした。あれほどの巨体でありながら、空中での動きには無駄がない。普通の魔法であれば、十分に回避できたはずだった。
ところが、炎はキングスカルノの動きに合わせて進路を変えた。
まるで意思を持っているかのように、巨大な炎が空中で弧を描く。
キングスカルノの黄色い瞳が見開かれた。
その瞬間、大河も右腕を振り抜いた。
「《ランス・ドー》!!」
鋭く圧縮された水の槍が、空気を切り裂きながら放たれた。
キングスカルノは逃げる方向を変えようとしたが、水の槍もまた、その動きに合わせて軌道を修正する。
炎と水。
本来なら相性の悪い二つの魔法が、異なる方向から同じ標的へ迫っていた。
キングスカルノは咄嗟に翼を広げ、身体の前へ折り畳んだ。
巨大な翼が盾となり、最初にクララの《炎帝》を受け止める。
ドゴオオオオッ!!
空中で炎が爆発した。
赤い光が谷全体を照らし、橋の上まで激しい熱風が押し寄せる。ルルは両腕で顔を覆い、トータは石畳へしがみついた。
キングスカルノの翼を覆っていた羽根が、次々と燃え上がる。
それでも、魔物は墜落しなかった。
焼け焦げた翼を無理やり広げ、炎の中から抜け出そうとする。
「まだ動けるのかよ……!」
ライズが思わず声を漏らした。
しかし、大河の視線はキングスカルノから離れていなかった。
炎の中から姿を現した魔物の胸元へ、水の槍が迫っている。
キングスカルノもそれに気づき、残った力で身体を捻った。
だが、《目印》の効果によって、水の槍はその動きを追い続ける。
ギャアアアアッ!!
キングスカルノが最後の抵抗を見せた。
鋭い鉤爪を前へ突き出し、水の槍を受け止めようとする。
次の瞬間、鈍い衝撃音が谷に響いた。
水の槍は鉤爪を弾き飛ばし、そのままキングスカルノの胸を貫いた。
巨大な身体が大きく仰け反る。
広げられていた翼から力が抜け、空中で一度だけ不自然に羽ばたいた。その拍子に、頭部を飾っていた大きな冠羽の一部と、折れた鉤爪が宙を舞った。
冠羽は風に流されながら橋の上へ落ち、鉤爪は石畳を叩いて転がった。
キングスカルノの身体が傾いていく。
もはや翼は、その巨体を支えられなかった。
ギャ……ア……。
先ほどまで谷を支配していた鳴き声が、弱々しく途切れた。
巨大な影が橋の下へ沈んでいく。
大河たちは誰も言葉を発せず、その姿を見送った。
キングスカルノは岩肌へ一度激突し、乾いた音を谷に響かせたあと、さらに下へ落ちていった。やがて木々の向こうから重い衝撃音が聞こえ、遅れて土煙が立ち上る。
しばらくの間、谷には風の音だけが響いていた。
最初に動いたのはライズだった。
「……倒した、のか?」
ライズは拳を握ったまま、谷底を覗き込んだ。
大河もゆっくりと右腕を下ろす。魔法を放った反動で指先が痺れていたが、胸の奥にはまだ戦闘の熱が残っていた。
「多分な。さすがに、あれで生きてるとは思えないな」
「すごいのです! キングスカルノを倒したのです!」
ポルポルが嬉しそうに大河の周囲を飛び回った。
その声に反応するように、上空に残っていたガルドスカルノたちが騒ぎ始めた。
ギャアッ! ギャアアッ!
それまで統率の取れた動きを見せていた群れが、突然ばらばらの方向へ飛び始める。何体かは橋の上へ近づこうとしたものの、大河とクララが顔を上げると、すぐに翼を翻して離れていった。
やがて群れは山の向こうへ消え、空には白い雲と青い空だけが残った。
大河は深く息を吐いた。
身体にまとわりついていた緊張が少しずつ解け、ようやく周囲の景色が目に入ってくる。
橋の欄干は何か所も壊れ、石畳には鋭い爪で削られた跡が残っていた。クララの魔法によって焦げた部分からは、まだ細い煙が立ち上っている。
少し離れた場所では、トータが座り込んだまま空を見上げていた。
その顔は青白く、額には大粒の汗が浮かんでいる。
「トータ!」
ライズが駆け寄り、目の前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
「……え?」
トータはぼんやりとライズを見つめた。
それから自分の右手へ視線を落とし、何度か指を開いたり閉じたりした。
「俺……触ったよな?」
「ああ、触った。ちゃんと《目印》が付いてたぞ」
「マジで……?」
トータは信じられないという顔で、自分の手を見つめ続けた。
大河も二人のもとへ歩いていった。
「よくやったな、トータ」
その言葉に、トータがゆっくりと顔を上げた。
第91話を読んでいただき、ありがとうございました。
ついにA級魔物を撃破しました!
今回の勝利で大きな役割を果たしたのは、トータの《目印》です。
これまで自分だけが戦いに参加できていないと感じていたトータですが、恐怖を乗り越え、キングスカルノに直接触れることに成功しました。
その結果、大河の《ランス・ドー》とクララの《炎帝》が、強敵を捉える決定打となりました。
一人では倒せなかった相手も、仲間の力を合わせれば倒せる。
スペースワンダフルらしい勝利になったと思います。
ただ、キングスカルノの群れは去ったものの、依頼の後始末はまだ残っています。
初めての冒険者依頼は、無事に完了するのでしょうか。
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次回もよろしくお願いします!




