第80話 エリア63
第80話です。
ついに始まった《大規模エリアバトル》。
100グループ、総勢500人が同じ島で戦う中、スペースワンダフルも動き始めます。
どこに敵がいるのか。
誰が《エリアの玉》を持っているのか。
そして、どれほど強いランカーが参加しているのか。
五対五とはまったく違う、何が起こるか分からない戦い。
スペースワンダフル、最初の接触です。
今回もよろしくお願いします!
開始を告げる声が消えたあとも、大河たちはすぐには動かなかった。
エリア63。背後には木々が密集した森が広がり、目の前には陽光を浴びた平原がどこまでも続いている。風が吹くたび、膝ほどの高さまで伸びた草が一斉に傾き、緑色の波となって遠くへ流れていく。その光景だけを見ていれば、ここが五百人ものランカーが入り乱れる競技場だとは思えなかった。
大河は森から完全には出ず、太い木の幹に片手を添えながら平原の向こうへ目を凝らした。
「誰も見えないな」
隣まで出てきたライズも額に手をかざしている。クララは少し後ろで周囲の魔力を探るように視線を巡らせ、ルルとトータは森の中に残っていた。
「三十キロもあるんだもの。五百人いるって言われても、最初はこんなものかもしれないわね」
クララの赤い髪が風に揺れる。
大河は胸元へ手を当てた。服の内側には《エリアの玉》がある。身体を動かすたび、硬い球体がわずかに胸へ触れていた。
この一個を失えば終わり。
そう考えると、目の前の穏やかな景色まで違って見えてくる。
「とりあえず、いきなり遠くまで行くのはやめよう」
大河は地図を取り出した。中央付近にあるエリア63だけが青紫色に染まり、《スペースワンダフル》の文字が浮かんでいる。
「まずはこの辺りを見てから――」
言葉の途中だった。
平原の遥か向こうで、景色が赤く染まった。
「え?」
ルルの小さな声が背後から漏れる。
大河が顔を上げた瞬間、遠い地平線近くから炎が噴き上がった。
ゴオオオオオッ――!
距離があるため、最初に届いたのは音ではなく光だった。
赤く巨大な炎が渦を巻きながら空へ伸びていく。周囲の木々など比較にもならないほど高い。巨大な炎柱は上空で大きく広がり、青かった空の一部を赤く染めた。
「……何だ、あれ」
大河は地図を持ったまま動けなかった。
数拍遅れて、腹の底へ響くような轟音が届いた。
ゴォォォン……!
足元の土がかすかに震え、森の枝から何枚もの葉が落ちてくる。
その場にいた全員が、炎の上がった方向を見つめていた。
大河はこれまでにも魔法を見てきた。学院でも学び、自分自身も使えるようになった。エリカが桁違いなのは知っているし、クララも魔法ランキングのハイランカーだ。
それでも、今の魔法は別物に見えた。
あれが自分たちへ向けられたら。
一瞬だけ頭に浮かんだ光景を、大河は考えるのをやめた。
「クララ、今のって……」
返事がない。
振り返ると、クララは目を細めたまま炎を見つめていた。いつもの自信に満ちた表情は消え、赤い光を映した瞳がわずかに揺れている。
「……私には無理ね」
ようやく口から出た声は小さかった。
「少なくとも、今の私があんな規模の魔法を使ったら、撃ったあとまともに動けなくなると思う」
「クララでも?」
トータが冗談を挟むことも忘れたように聞き返す。
「上位グループじゃないかしら。どこのグループかまでは分からないけど、相当な魔法使いがいるわね」
炎は少しずつ小さくなっていた。それでも黒い煙が空へ残り、風に押されて横へ流れている。
ライズが口元を引き締めた。
「同じ島にあんなのがいるのかよ」
「……あれとは関わりたくないな」
大河が漏らすと、トータが珍しく真顔のまま何度も頷いた。
「それは完全に同意。俺、あれが見えた瞬間に降参する自信あるわ」
「戦う前から諦めるなよ」
「大河だって関わりたくないって言ったじゃん」
わずかに空気が緩んだ、そのときだった。
『エリア66、《グラムゾン》の脱落を確認しました』
突然、空から降ってきた声に全員が顔を上げる。
「もう?」
ルルが目を見開いた。
大河はすぐ地図へ視線を戻した。指先で番号を追い、エリア66を探す。
「あった」
エリア63から遠くはない。
先ほど炎が上がった場所とは別の方向だった。
「始まって、まだほとんど経ってないよな」
ライズが大河の肩越しに地図を覗き込む。
「ってことは、あの魔法とは別のところでもう一グループ消えたってこと?」
トータの言葉に、大河は地図から顔を上げた。
目の前には変わらず穏やかな平原が広がっている。
しかし、その向こうではすでにいくつもの戦いが始まっている。
「まずは周りを確認しよう。敵を探すとしても、いきなり遠くまで行くのは危ない」
大河は地図を畳み、森の奥へ視線を向けた。
「五人で動こう。まだ離れない方がいい」
誰からも反対は出なかった。
◇
同じ頃、ランキング協会の観戦スペースでは、大型魔法モニターを前に大勢の観客が集まっていた。
壁一面を覆うほど巨大な画面には、島の各地で始まった戦闘が次々と映し出されている。剣士同士が激しく斬り結ぶ場所もあれば、森の中を息を潜めて進むグループもいる。先ほどの巨大な炎魔法が映し出されたときには、広い観戦スペース全体からどよめきが起こっていた。
ポルポルは人々の頭より高い位置に浮かび、画面が切り替わるたびに忙しく顔を動かしていた。
「大河さんたちはまだなのです?」
「百グループいるからね。ずっと映してくれるわけじゃないんじゃない?」
ビスタは腕を組み、巨大なモニターを見上げている。
やがて画面が切り替わり、森を進む五人の姿が映った。
「あっ!」
ポルポルの身体がぴょこんと跳ねる。
「大河さんなのです! ライズさんも、クララさんもいるのです!」
画面へ近づこうとするポルポルの後ろで、ビスタが口元を緩めた。
「ちゃんと五人で動いてるじゃん」
「ドキドキなのです……」
ポルポルは胸元で小さな前足を合わせたまま、大河たちから目を離そうとしない。
ビスタもその隣で画面を見つめた。
「初めてのエリアバトルで、どこまでやれるか見ものじゃん」
◇
森へ入ると、平原とは空気が変わった。
頭上を覆う枝葉が陽射しを遮り、足元にはまだ湿り気の残る土が広がっている。踏みしめるたびに落ち葉が柔らかな音を立て、苔の匂いを含んだ冷たい空気が肌を撫でた。
大河たちは互いの姿が見える距離を保ちながら、ゆっくり進んでいた。
ライズが少し前。
大河とクララがその後ろにつき、ルルとトータを挟むようにしている。
遠くでは時折、低い爆発音が聞こえていた。
ドン……。
しばらくして、また別の方向から。
ズズン……!
音がするたび、大河の視線がそちらへ向く。
だが木々に遮られ、何が起きているのかは見えない。
「こういう方が嫌だな」
トータが声を落とした。
「何が?」
ライズが振り返る。
「さっきみたいに派手にやってくれた方が分かりやすいじゃん。森の中だと、どこに誰がいるか全然分かんないし」
大河も同じことを考えていた。
風が葉を揺らす音。
鳥の鳴き声。
自分たちが踏む落ち葉の音。
耳へ入ってくるものが多すぎて、その中から人の気配だけを拾うのは難しい。
前を歩いていたライズが太い木の脇を通り抜けた。
その瞬間だった。
シュバッ!
木々の隙間から青いものが走った。
「ライズ!」
大河が叫ぶより早く、水の塊がライズの左脚へ直撃した。
バシャァン!
「ぐっ!」
ライズの身体が横へ崩れる。勢いのまま地面を転がり、湿った落ち葉が大きく舞い上がった。
「敵よ!」
クララの声が森に響く。
大河はライズへ駆け寄ろうとした足を止め、攻撃が飛んできた方向へ身体を向けた。
木々の間に二つの人影がある。
一人は杖を持った男。
その杖の先には、まだ水が渦を巻いていた。
「もう一発!」
男が杖を振り上げる。
しかし、その前にクララが動いた。
赤い髪が翻る。
「《炎界》!」
ゴオッ――!
クララの前方から炎が噴き出した。
木々の間を縫うように広がった炎が一瞬で男との距離を埋める。森の湿った空気が急激に熱を帯び、大河の頬にまで熱風が押し寄せた。
「なっ――!」
水魔法を放とうとしていた男が慌てて杖を前へ出す。
バシュッ!
水が炎へぶつかり、白い蒸気が爆発するように広がった。
だが、炎は止まらない。
ゴオオッ!
水を呑み込み、そのまま男の周囲を取り囲んだ。
「うわああっ!」
男が地面へ倒れ込む。
クララは奥歯を噛み、伸ばしていた右手を握り込んだ。
男を包んでいた炎が一気に弱まる。
殺してはいけない。
その一線を越えないよう、最後の瞬間に威力を抑えたのが大河にも分かった。
倒れた男の身体を淡い光が包む。
次の瞬間、その姿が消えた。
「もう一人!」
大河が顔を上げる。
二人目の人影が森の奥へ走っていた。
「待て!」
追いかけようとしたライズが立ち上がりかけ、顔を歪めて膝をついた。
「ライズ、無理するな!」
大河は数歩だけ追ったものの、すぐに止まった。
逃げた男の背中は木々の間を縫い、あっという間に見えなくなる。
追えるかもしれない。
だが、その先に残りの仲間がいる可能性もある。
しかも大河自身が《エリアの玉》を持っている。
「……くそ」
大河は追跡を諦めて振り返った。
クララが警戒したまま周囲を見回している。ルルはすでにライズのそばへ駆け寄っていた。
「ライズさん、脚を見せて」
「大したことない。ちょっと食らっただけだ」
「動かさないで」
普段の小さな声とは違い、ルルは迷わず言った。
ズボンの裾を少し上げると、左脚の外側が赤く腫れている。直撃した場所には薄く血も滲んでいた。
ルルは両手を患部へ近づける。
柔らかな光が掌から広がり、ライズの脚を包んだ。
大河はその様子を見ながらも、耳を澄ませていた。
何かがおかしい。
いや、何も起きないことがおかしい。
「……放送がない」
大河の言葉に、クララが振り返った。
全員が一瞬、黙る。
男が消えてから少し時間が経っている。それでも島内放送は流れない。
大河は地図を開いた。
青紫色なのはエリア63だけ。
新しいエリアは増えていない。
「さっきの奴、《エリアの玉》を持ってなかったんだ」
ライズが治療を受けながら眉を寄せた。
「じゃあ、一人倒しただけか」
「それだけじゃないわ」
クララが男の逃げた方向へ視線を向ける。
「もう一人には逃げられた」
大河も同じ方向を見る。
逃げた男がどこのグループなのか分からない。残りの仲間がどこにいるのかも分からない。
だが向こうは、少なくともスペースワンダフルの姿を見た。
クララが強力な炎魔法を使えることも知られた。
「よし」
ルルが小さく息を吐き、両手を離した。
「これなら大丈夫だと思う」
ライズがゆっくり立ち上がり、左脚へ体重をかける。二度、三度と地面を踏みしめてから、驚いたようにルルを見た。
「ほとんど痛くない」
ルルは少しだけ口元を緩めた。
「軽かったから」
その横で、クララが小さく咳き込んだ。
《炎界》が通った場所から細い煙が立ち上っている。湿った森の匂いに、焼けた葉と焦げた木の臭いが混ざっていた。
◇
「ライズさんがやられたのです!」
ランキング協会の観戦スペースで、ポルポルが巨大モニターへ身を乗り出していた。
「大河さん、右なのです! 右から来たのです!」
「聞こえないって」
ビスタが横から言う。
「分かってるのです! でも言いたくなるのです!」
画面の中でクララの《炎界》が広がった瞬間、ポルポルの身体がびくりと跳ねた。
「クララさん、すごいのです……!」
ビスタは腕を組んだまま、逃げていくもう一人の男を目で追っていた。
「でも一人逃げたね」
その言葉に、ポルポルの表情から喜びが消える。
ビスタは画面の中で周囲を警戒する大河を見つめた。
「さて、どうするんだろうね」
◇
大河は地図を畳み、胸元へしまった。
遠くから、また低い爆発音が届く。
ドォン……。
どこかで別のグループが戦っている。
自分たちは一人を倒した。それでもエリアは一つも増えていない。
それどころか、逃げた相手が仲間を連れて戻ってくるかもしれない。
大河は《炎界》の跡へ目を向けた。
黒く焦げた葉から細い煙が立ち上り、風に乗って森の奥へ流れていく。これだけ目立つ痕跡が残れば、別のグループに気づかれる可能性もある。
ライズの脚はもう動く。
ルルも無事。
クララもまだ余裕がある。
今なら動ける。
大河は森の奥へ視線を巡らせたあと、平原の方向へ顔を向けた。
「……この辺りも、そろそろ離れた方がいいな」
第80話を読んでいただき、ありがとうございました。
開始早々、遠くで放たれた巨大魔法。
そして、スペースワンダフルもついに敵グループと接触しました。
クララの《炎界》で一人を倒すことには成功しましたが、《エリアの玉》は奪えず、領土は増えないまま。
さらに、もう一人には逃げられてしまいました。
相手を倒すだけでは勝てない。
誰が玉を持っているのか分からないからこそ、普通の戦闘とは違う難しさがあります。
現在のスペースワンダフルは、まだエリア63の一つだけ。
五時間の戦いは、まだ始まったばかりです。
次回、ここからどう領土を増やしていくのか。
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次回もよろしくお願いします!




