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異世界ランキング王~総合1位だけが王になれる世界〜  作者: れいじ


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第7話 五秒フラット

第7話です。


バトルで敗北した大河は、傷が癒えた身体でもう一度、自分の原点である五十メートル走へ挑みます。


負けたままでは終われない。

その思いを胸に、大河は再びスタートラインに立ちます。

翌朝、大河はいつもより深く眠っていたことに気づいた。薄い窓硝子の向こうでは、街の朝がすでに動き始めている。遠くの通りから荷車の軋む音が聞こえ、どこかの店先で水を撒く音が石畳に涼しく跳ねていた。寝台の上でゆっくり身体を起こすと、昨日まで腹の奥に残っていた鈍い痛みが、かなり薄くなっている。頬の腫れも熱を失い、肩の重さもだいぶ引いていた。


 枕元ではポルポルが丸くなって眠っていたが、大河が動いた気配に反応して耳をぴくりと動かした。彼女は眠そうに片目を開け、大河の顔を見てから、すぐにふわりと浮き上がる。


「大河さん、傷の具合はどうなのです?」


「昨日よりかなりいい。動けそうだ」


「念のため、もう一回だけ回復魔法をかけるのです」


 ポルポルは小さな前足を胸の前で合わせ、目を閉じた。ピンクに近い紫色の毛並みの奥から淡い光が漏れ、朝の部屋に柔らかく広がっていく。その光が大河の頬と腹、肩のあたりに触れると、冷えた水が染み込むような感覚が皮膚の下へ流れ込んだ。痛みが完全に消えるわけではない。だが、身体の内側で固まっていたものが少しずつほぐれていく。


 大河は拳を握り、肩を回した。昨日よりずっと軽い。身体の奥に残っていた嫌な引っかかりが消え、関節の動きも滑らかになっている。


「ほぼ戻ったな」


「無茶は駄目なのです」


「分かってる。今日はまず身体を確認する」


 ポルポルは疑わしそうに目を細めた。食いしん坊で少し騒がしい相棒だが、こういう時の観察眼は鋭い。大河が本気でランキングに挑むつもりかどうか、もう見抜いているのかもしれない。


 二人は朝食の前に街外れの広場へ向かった。朝の空気はひんやりしていて、踏み固められた土の地面には夜露の名残がわずかに残っている。広場の向こうでは、早起きの職人たちが荷物を運び、遠くの屋根の上を白い鳥が鳴きながら飛び去っていった。大河は深く息を吸い、ゆっくりと身体を伸ばした。


 昨日までとは違う。


 最初の一歩を踏み出した瞬間、そう感じた。足裏が地面を捉え、身体が前へ出る。以前のように力が上へ逃げない。走ろうとして無理に速さを出しているのではなく、自然に前へ運ばれていく感覚がある。腕を振ると、肩から背中、腰、脚まで一つの線で繋がるように動いた。


 大河は広場を軽く一周し、少しずつ速度を上げた。呼吸は乱れない。足も重くない。むしろ、身体の方がもっと動きたがっているようだった。神から与えられた異世界仕様の身体。最初は扱いきれず、力に振り回されていた。だが、バトルで痛みを知り、模擬戦で軸を意識し、朝の訓練を繰り返したことで、少しずつ自分の感覚に馴染み始めている。


「大河さん、以前よりずっといいのです!」


 横を飛ぶポルポルの声が弾んでいた。彼女は大河の足元を覗き込むように低く飛び、尻尾をぴんと立てている。


「跳ねてないのです。力がちゃんと前に出てるのです」


「自分でも分かる」


 大河は短く答え、最後に三十メートルほどの短いダッシュを入れた。地面を蹴った瞬間、身体が風に押されるように前へ滑った。視界が伸びる。足が勝手に回る。だが、昨日までのような怖さはない。速さの中に自分の意思が残っている。


 止まった時、大河は思わず息を吐いた。汗が額に浮かんでいたが、疲労よりも高揚の方が強い。胸の奥で静かに熱が灯っている。競技場のスタートラインに立つ前の、あの懐かしい感覚に近かった。


「ポルポル」


「はいなのです?」


「今日、五十メートル走に出るよ」


 ポルポルは一瞬だけ目を丸くした。だが驚きはすぐに真剣な表情へ変わる。彼女は大河の顔をじっと見つめ、朝の訓練で見た動きを頭の中でなぞっているようだった。


「……今なら、かなり記録を縮められると思うのです」


「俺もそう思う」


「でも無理は駄目なのです。昨日の怪我も完全に消えたわけじゃないのです」


「無理はしない。今の身体がどこまで走れるか、確かめたいだけだ」


 そう言いながら、大河自身も分かっていた。ただ確かめたいだけではない。五十メートル走の順位は八十六位まで下がり、ポイントは十五まで落ちている。さらに格闘バトルの敗北でボーナスポイントはマイナス十。月末までまだ時間はあるが、生活を安定させるには確実な収入源が必要だった。


 何より、負けたまま縮こまっていたくなかった。


 朝の訓練を終え、二人は食堂で昼食を取った。ポルポルは回復魔法を使った分を取り戻すように、肉入りのスープと焼き魚を次々と食べた。大河もいつもよりしっかり食べた。温かい汁物が胃に落ち、身体の中に力が戻ってくる。食堂の窓からは協会の尖塔が見えていた。白い石造りの建物は昼の光を受け、どこか静かにこちらを待っているように見えた。


 食事を終えると、大河は迷わず協会へ向かった。受付ホールには今日も多くのランカーが集まっていた。剣士、魔法使い、料理人、職人、格闘家。誰もがカードを持ち、何かの数字を追っている。大河はその人波を抜け、基礎体力部門の受付へ向かった。


 ポルポルがカードに魔力を流すと、空中に五十メートル走ランキングが表示された。


 望月大河。現在八十六位。記録五秒九三。ポイント十五。


 大河はその数字をしばらく見つめた。最初に見た時は誇らしかった五秒九三が、今は少し遠い過去の数字に見える。たった数日のことなのに、自分の身体は変わっている。いや、正確には変わったのではない。本来の力の出し方を、ようやく少し覚えただけなのだろう。


「五十メートル走ランキングへ再挑戦します」


 大河が受付にカードを差し出すと、係員は慣れた手つきで手続きを進めた。


「50メートル走ランキング2回目の挑戦ですね。基礎体力部門のため、魔法、スキル、補助具の使用は禁止です。前回記録は五秒九三。現在八十六位となっています」


「分かっています」


 自分の声は落ち着いていた。けれど掌には汗が滲んでいる。緊張はある。だが嫌な重さではなかった。昨日の格闘バトルとは違う。五十メートルは大河が長く向き合ってきた距離だ。今の自分がどこまで行けるのか、それを知るための一本だった。


 転移陣の光に包まれ、次の瞬間には競技場の走路の上に立っていた。前回と同じ場所。黒く弾力のある走路。五十メートル先に引かれた白いゴールライン。空は高く、風はほとんどない。観客席はまばらだったが、記録確認に来ているランカーたちが数人、こちらへ視線を向けていた。


 大河は靴紐を結び直した。指先に伝わる紐の感触が、不思議と心を落ち着かせる。地球で何度もやってきた動作だ。大会前も、練習前も、悔しい記録の後も、同じように靴紐を結んできた。その積み重ねだけは、この世界へ来ても消えていない。


「大河さん」


 ポルポルが走路脇で声をかけた。彼女の瞳はいつになく真剣だった。


「最初の三歩なのです。今の身体なら、力を抑えすぎなくても大丈夫なのです。でも上に跳ねたら駄目なのです」


「分かってる」


「腕は前後に。身体を起こすのは少し我慢なのです」


「トレーナーらしくなってきたな」


「ポルポルは最初からトレーナーなのです」


 頬を膨らませるポルポルを見て、大河は少し笑った。その笑いで肩の力が抜けた。スタートラインへ向かう。走路の表面に指先を触れると、前回よりもはっきりと地面の反発を感じた。冷たい。ざらついている。だが、その奥に押し返してくる力がある。


 審判員が確認を終え、水晶球の前に立った。


「五十メートル走ランキング挑戦。望月大河。準備はよろしいですか」


「はい」


 大河はスタート位置についた。片膝を下げ、指先を走路に添える。視線はゴールの先。呼吸を一度だけ深く吸い、吐く。胸の奥に残っていた余計な音が消えていく。


 五十メートル。


 短い距離だ。


 だからこそ、迷う時間はない。


「位置について」


 大河は身体を前へ傾けた。足裏に力が溜まる。背中の筋肉が張り、腕が静かに待つ。世界が薄くなる。観客席の気配も、審判の呼吸も、ポルポルの尻尾が揺れる音さえ遠くなった。


「よーい」


 指先に力が入る。


 音が鳴った。


 大河の身体は、前回とはまるで違う感覚で飛び出していた。地面を蹴った瞬間、身体が浮くのではなく、低く前へ滑る。最初の一歩が走路を噛み、二歩目で加速が乗り、三歩目で視界が一気に伸びた。風が顔を打つ。だが、怖くない。身体の軸がぶれていない。


 十メートル。


 まだ加速できる。


 腕を振る。肩に力は入っていない。足裏が走路に触れるたび、反発がそのまま前へ変わる。前回は扱いきれなかった異世界の身体が、今は大河の意思に合わせて動いていた。速い。自分でも分かる。地球で走っていた時とは違う速度だ。だが、ただの暴走ではない。


 二十メートル。


 身体が伸びる。


 肺に入る空気が熱く、耳元で風が細く唸った。ゴールラインが近づいてくる。近すぎる。五十メートルという距離が、こんなに短かったかと思うほどだった。大河は身体を起こしすぎないように意識しながら、最後まで腕を振り切った。


 三十メートル。


 まだ落ちない。


 四十メートル。


 視界の端が流れ、ゴールラインが足元へ飛び込んでくる。


 最後の一歩で、大河は胸を前へ押し出した。


 白線を駆け抜けた瞬間、身体はなお前へ行こうとしていた。数歩、十数歩と走り抜けて、ようやく速度を落とす。止まった時には、胸が激しく上下していた。だが疲労より先に、奇妙な感覚があった。


 速かった。


 自分でも分かる。


 前回とはまるで違う。


 大河は振り返った。走路脇でポルポルが固まっている。小さな口を開け、尻尾も耳もぴんと立ったまま動かない。審判員も水晶球を見つめたまま、しばらく声を出さなかった。


「記録は?」


 大河が尋ねると、審判員はようやく我に返ったように瞬きした。水晶球の中で光が渦を巻き、記録板へ数字が映し出される。


「記録……五秒〇〇」


 競技場の空気が一瞬止まった。


 五秒フラット。


 大河自身、その数字をすぐには飲み込めなかった。地球ではあり得ないタイムだ。人間の身体で出せる領域ではない。だが今の大河は、地球人の身体ではない。神から与えられ、この世界で戦うために調整された身体。その力が、ようやく一部だけ形になったのだ。


 審判員は続けて表示を確認し、声を少し上ずらせた。


「現在順位、一位。獲得ポイント、百ポイント」


 ポルポルが空中で跳ねた。


「い、一位なのです! 大河さん、一位なのです!」


 その声で、ようやく周囲の時間が動き出した。観客席にいた数人のランカーがざわめき、誰かが掲示板を確認する。別の者は信じられないという顔で大河と記録板を見比べていた。


「五秒フラット?」


「基礎体力部門だろ? 魔法なしで?」


「誰だ、あいつ」


 ざわめきが少しずつ広がっていく。大河はその中心に立ちながら、自分の手を見下ろした。指先がわずかに震えている。嬉しさだけではない。自分の身体が、自分の常識を超えてしまったことへの戸惑いがあった。


「本当に俺が出したのか」


 呟くと、ポルポルが勢いよく飛んできた。彼女は大河の顔の前で止まり、目を輝かせながらも、どこか呆然としている。


「予想以上なのです。ポルポルも、五秒三くらいまではあるかもと思っていたのです。でも五秒フラットは……さすがにびっくりなのです」


「俺もだ」


「でも、これで五十メートル走ランキング一位なのです。月末時点で維持できれば、百ポイント。つまり百万マールなのです!」


 百万マール。


 その響きは、昨日までの生活不安を一気に押し流すほど大きかった。部屋代、食費、ポルポルの大食い、これから必要になる訓練費、魔法や剣やスキルを学ぶための費用。考えれば百万でも足りなくなる可能性はある。だが、それでも毎月の土台としては圧倒的だった。


 大河はカードに表示された新しい数字を見つめた。


 五十メートル走ランキング、一位。記録五秒〇〇。ポイント百。


 ボーナスポイント、マイナス十。


 総合として見れば、王の五九五七ポイントには遠い。遠すぎる。だが、初めて確かな柱を一本立てた感覚があった。


「これで、当面は食っていけるな」


「ポルポルも安心してごはんが食べられるのです!」


「そこが一番か」


「とても大事なのです」


 ポルポルは胸を張った。大河は笑ったが、内心では深く息を吐いていた。負けて、落ちて、数字に追われた数日だった。その中でようやく、前へ進むための足場を一つ掴んだ。


 協会へ戻ると、基礎体力部門の掲示板はすでに更新されていた。大河の名前が一番上に表示されている。その下には、前の一位だった選手の名前が二位として並んでいた。通りすがりのランカーたちが足を止め、掲示板を見上げる。大河は少し居心地の悪さを覚え、足早にホールを抜けた。


 外へ出ると、午後の街は眩しかった。石畳に陽が反射し、通りには昼食を終えた人々が行き交っている。焼き菓子の甘い匂い、薬草を干した青い匂い、遠くで鳴る鐘の音。大河はその中を歩きながら、まだ身体の奥に残る走りの感覚を噛みしめていた。


「大河さん、有名になるかもしれないのです」


「まだ一種目だけだろ」


「一種目でも一位は一位なのです。しかも五秒フラットなのです」


「守れるかどうかは分からない」


「それでも、しばらくは簡単に破られないと思うのです」


 ポルポルの声には、いつもの軽さと、トレーナーとしての確信が混ざっていた。大河は頷きながら、通りの角を曲がった。


 その時だった。


 見覚えのある小さな背中が、通りの先を横切った。


 大きすぎる料理服ではない。今日は地味な薄茶色の服を着ている。けれど、肩のあたりで切り揃えられた髪と、小さな身体の動きには見覚えがあった。昨日、料理ランキングの会場で踏み台に立っていた女の子。


 アイ。


 彼女は周囲を気にする様子もなく、足早に一軒の店へ入っていった。店先の看板には、緑色の葉と小瓶の絵が描かれている。薬屋だった。扉が開いた瞬間、乾いた薬草の匂いが通りまで流れてくる。


 大河は足を止めた。


「今の……」


 ポルポルも同じ方向を見ていた。紫色の尻尾がゆっくり揺れる。


「昨日の料理ランキングにいた、アイなのです」


 しばらくして、薬屋の扉が再び開いた。アイが出てくる。小さな両手には紙袋が抱えられていた。中身は分からないが、彼女はそれを胸に押し当てるようにして持っている。表情は相変わらず読みにくい。ただ、その歩き方には急ぐ理由があるように見えた。


 アイは大河たちに気づかないまま、路地の奥へ消えていった。小さな背中は人混みに紛れると、すぐに見えなくなる。薬屋の扉だけが、ゆっくりと音を立てて閉まった。


 大河はその場に立ったまま、しばらく路地の奥を見つめていた。五十メートル走で一位になった興奮が、少しだけ別の色に変わっていく。昨日の料理会場で見た真剣な横顔。点数を見ても笑わなかった理由。薬袋を抱えて急ぐ姿。


 まだ何も知らない。


 けれど、気になった。


「行かないのです?」


 ポルポルが小さく尋ねた。


 大河は少し考え、首を横に振った。


「今はやめておく。ただ……覚えておこう」


 ポルポルは何も言わずに頷いた。午後の風が通りを抜け、薬草の匂いを薄く運んでいく。大河はもう一度だけアイが消えた路地を見てから、拠点へ続く道へ歩き出した。


 五十メートル走一位。


 百万マールの足場。


 それは確かな前進だった。


 だがこの世界には、まだ知らない事情を抱えた誰かが、同じランキングの中で必死に生きている。


 そのことを、大河は初めて強く意識していた。

第7話を読んでいただき、ありがとうございました。


大河は五十メートル走で一位となり、ようやく大きな足場を手に入れました。


けれど、王への道はまだ始まったばかりです。

そして今回は、料理ランキングに出ていた少女・アイの姿も再び登場しました。


彼女がなぜ薬屋へ向かったのか。

小さな料理人が抱えている事情とは何なのか。


次回も読んでいただけると嬉しいです。

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