第69話 ルルの実力
第69話です。
グループの回復役候補として名前が挙がったルル。
授業では優秀なのに、ランキングでは本来の力を出せないという少し不思議な少女です。
大河とライズは、その実力を自分たちで確かめてみることに。
今回もよろしくお願いします!
翌日の放課後、学院の訓練場にはまだ昼間の熱が残っていた。石造りの床は長く陽を浴びたせいでほんのり温かく、開け放たれた窓からは、乾いた風と土の匂いが入り込んでくる。大河は額に浮いた汗を手の甲で拭いながら、訓練場の端に置かれた長椅子へ腰を下ろした。腕には素手格闘の打ち込みを繰り返した重さが残り、指を握るたびに前腕の筋肉が鈍く張る。
少し離れたところでは、ライズも壁際に背を預けていた。首元まで汗で湿った服をつまみ、風を入れるように何度か煽いでいる。
「結構やったな」
大河が肩を回すと、奥の方からまだ残っている生徒たちの掛け声が響いてきた。床を踏み込む乾いた音と、拳が受け止められる鈍い音が混じり合い、訓練場特有の熱気を作っている。
「ちょうどいいんじゃないか」
ライズはそう言って、自分の腕を軽く揉んだ。視線は大河ではなく、訓練場の出口へ向いている。
「これなら、わざわざ怪我を作らなくても済む」
昨日から二人で考えていたことだった。
ルルの回復魔法が本当に噂通りなのか確かめたい。けれど、本人は人に見られるだけで緊張する。大勢の前で何かをやらせれば、ランキングの時と同じように本来の力を出せない可能性が高い。
大河は膝の上で手を組み、指先を何度か動かした。疲労は確かにある。身体が動かないほどではないが、朝から剣術、その後に素手格闘の自主練習まで続けたせいで、肩から背中にかけて薄い膜でも張りついているような感覚が残っていた。
「疲労回復なら、ちょうど分かりやすいか」
「俺たち自身が受ければな。変化も分かる」
ライズがそう返したところで、ポルポルが二人の間へふわりと降りてきた。今日は珍しく食べ物を持っていない。代わりに、どこか得意げな顔で胸を張っている。
「ルルさんのところへ行くのです?」
「頼むぞ、ポルポル」
「任せるのです。ルルさんとはもうお友達なのです」
「昨日会ったばっかりだろ」
「可愛いもの同士、時間は関係ないのです」
ポルポルはそう言い切ると、くるりと空中で向きを変えた。ライズが小さく笑い、大河も立ち上がる。足を踏み出した瞬間、腿の奥にじわりと疲れが残っているのを感じた。
学院の裏手へ回ると、訓練場の熱気が嘘のように遠ざかった。高い校舎の影が石畳を半分ほど覆い、風も少し冷たい。木々の葉が擦れ合う音が頭上から降り、花壇の土からは水を含んだ匂いが漂っていた。
昨日ルルを見つけた裏庭には、今日も人影がほとんどない。
低い生垣の向こう、一本の木の根元に、小さな人影が見えた。
青い髪。
肩に届くか届かないかほどのボブが、風に揺れている。
ルルは膝の上に本を開いていた。けれどページはほとんど進んでいないようで、同じところへ視線を落としたまま、時折指先で紙の端を撫でている。
大河たちの足音に気づいたのだろう。
ルルの肩がわずかに動いた。
顔を上げかけ、こちらを確認した瞬間、すぐに視線が本へ戻る。背中まで少し丸くなり、開いていた本を身体へ近づけるように抱えた。
大河は思わず足を止めた。
昨日と同じだ。
近づけば近づくほど、ルルの身体が固くなっていくのが分かる。声をかける前からこれでは、直接頼むのは難しい。
ポルポルが振り返った。
「大河さんたちはここで待つのです」
「頼んだ」
小さな身体がふわりと浮き、ルルの方へ飛んでいく。
ルルは最初こそ本を見つめたままだったが、目の前までポルポルが近づくと、ゆっくり顔を上げた。大河たちの位置から声までは聞こえない。ただ、ルルの唇が小さく動き、ポルポルが勢いよく何度も頷いている。
しばらくすると、ルルの肩から少し力が抜けた。
ポルポルが何か話しながら、自分の身体を両前脚で示している。ルルはほんの少し口元を緩め、指先でポルポルの頭を撫でた。
昨日と同じ光景だった。
人間と向き合う時とは別人のように見える。
「やっぱり、ポルポルとは普通に話せるんだな」
ライズが小声で言った。
「普通っていうか……俺たちがいる時より、ずっと自然だな」
その時、ポルポルがこちらを振り返った。
続いてルルも視線を向ける。
目が合った瞬間、ルルの指が止まった。ポルポルの頭の上に置かれていた手が固まり、背筋がわずかに伸びる。
ポルポルが何かを説明する。
ルルは何度か大河を見ては、すぐに視線を逸らした。やがて、小さく頷く。
ポルポルが戻ってきた。
「ルルさん、大河さんたちが疲れてるなら、回復魔法を使ってもいいって言ってるのです」
「本当か?」
「でも……」
ポルポルが少しだけ声を落とした。
「近くで見られると緊張するから、あまりじっと見ないでほしいのです」
大河は思わずライズと顔を見合わせた。
「それでいいなら、こっちは全然構わない」
「俺もだ」
ポルポルが再びルルのところへ飛んでいく。
しばらくして、ルルが立ち上がった。
本を胸の前に抱えたまま、こちらへ向かってゆっくり歩いてくる。距離が縮まるたびに足取りが重くなり、最後の数歩は、床の模様を一つずつ確認するような小さな歩幅になっていた。
大河の前まで来ても、顔は上がらない。
青い髪の隙間から、頬が少し赤くなっているのが見える。
「よろしく」
大河ができるだけ柔らかく声をかけると、ルルの肩がぴくりと動いた。
返事はない。
代わりに、横に浮いていたポルポルを見る。
「大河さん、座った方がいいのです」
「あ、そうか」
大河は近くの木製のベンチへ腰を下ろした。少しでもルルの視界に入る面積を減らした方がいい気がした。
ルルは大河の前に立った。
両手を胸の前へ持ち上げる。
その指先が、ほんの少し震えていた。
淡い光が生まれかける。
けれど、形になる前に揺らいで消えた。
ルルの指が止まる。
俯いたまま、唇を強く結んだ。
大河は何も言わなかった。
ライズも少し離れたところへ視線を向け、あえてルルを見ないようにしている。
ポルポルだけが、ルルの目の高さまで降りてきた。
「大丈夫なのです。ポルポルだけ見てればいいのです」
ルルはゆっくり顔を上げた。
視線が大河から外れ、ポルポルへ移る。
小さく息を吸った。
今度は、指先に光が生まれた。
白に近い淡い緑色の光だった。さっきの不安定なものとは違い、静かに形を保ったまま、ルルの掌の中で丸く広がっていく。
その光が大河の肩へ触れた。
最初に感じたのは、温かさだった。
湯に浸かった時のような熱ではなく、身体の内側へ染み込んでいくような柔らかな温度。肩に残っていた重さがゆっくりほどけ、背中に張りついていた疲労が薄い布を剥がすように消えていく。
大河は思わず指を握った。
さっきまで硬かった前腕が軽い。
腿の奥に残っていた鈍さも消えている。
それだけではない。
身体が急に軽くなったという不自然さがなかった。疲れだけが必要な分だけ抜け、身体そのものは普段の状態へ静かに戻っている。
大河はルルを見た。
ルルはまだポルポルだけを見ている。
額には薄く汗が浮かんでいたが、指先の光は乱れていない。
そのまま数秒。
光が消えた。
ルルはすぐに両手を胸元へ引き寄せた。
「……終わったのです」
ポルポルが代わりに告げる。
大河は立ち上がり、肩を回した。
軽い。
腕を振ってみても、さっきまでの張りがない。
「すごいな」
思わず出た言葉に、ルルの身体が小さく縮んだ。
大河は慌てて声を少し落とす。
「いや、悪い意味じゃなくて。本当に疲れが抜けてる」
ルルはポルポルを見る。
何かを小さく呟いた。
「ルルさん、たまたま上手くいっただけって言ってるのです」
「たまたまで、ここまでできるのか?」
今度はライズが前へ出た。
「俺もお願いしていいか?」
ルルの目が一瞬だけ大きくなる。
またポルポルを見る。
数秒迷った後、小さく頷いた。
ライズは大河と同じようにベンチへ腰を下ろした。
二回目だからか、ルルの指先は先ほどほど震えなかった。
光が生まれるまでの時間も短い。
ライズの肩から腕へ淡い光が広がり、しばらくすると彼の表情がわずかに変わった。手を開閉し、首を回す。
「……確かに違う」
ライズが呟いた。
その声に、ルルはまた視線を下げた。
大河は少し考えてから、ポルポルへ目を向ける。
「昨日の話、聞いてもらっていいか?」
「グループのことなのです?」
「頼む」
ポルポルがルルのそばへ寄る。
しばらく、小さなやり取りが続いた。
ルルは何度か大河とライズを見た。そのたびに視線はすぐに落ちる。それでも昨日より、こちらを見る時間がほんの少し長くなっている。
やがてポルポルが振り返った。
「ルルさん、自分なんかでいいのかって言ってるのです」
大河は一瞬だけ言葉を止めた。
目の前の少女は、自分が使った魔法の出来をまだ信じていないようだった。あれほど身体が軽くなったのに、本人だけがその価値から遠い場所にいる。
「俺たちはランキングの数字だけで決めたわけじゃない」
ルルの視線が、少しだけ上がった。
「今、実際に使ってもらった。俺はルルの回復魔法が欲しい」
隣でライズも頷いた。
「グループには最大十人しか入れられない。だから誰でもいいわけじゃない。その上で、俺も入ってほしいと思ってる」
ルルは何も言わなかった。
風が青い髪を揺らす。
木々の間から差し込んだ夕方の光が、彼女の頬を細く照らしていた。
ポルポルがルルの前で待つ。
長い沈黙の後、ルルの唇が動いた。
声は大河たちには届かなかった。
けれどポルポルの耳がぴくりと動き、すぐに顔が明るくなる。
「入ってみるって言ってるのです!」
大河は思わず笑った。
ライズも肩の力を抜き、息を吐く。
ルルは二人の反応を見て、少しだけ戸惑ったように目を瞬かせた。それから、ほんの一瞬だけ大河の方を見た。
目が合う。
今度はすぐには逸らさなかった。
ほんの二秒ほど。
それでも昨日までと比べれば、十分すぎるほどの変化だった。
「よろしく、ルル」
大河がそう言うと、ルルは小さく頭を下げた。
返事はまだない。
代わりに、ポルポルの頭へそっと手を置く。
「これで三人なのです!」
ポルポルが嬉しそうに空中で一回転した。
「あと二人集めれば、グループを作れるのです!」
大河は夕暮れに染まり始めた学院の建物を見上げた。
まだ三人。
最低人数にさえ届いていない。
それでも、昨日まで存在しなかった何かが、少しずつ形になり始めていた。
素手格闘の大河とライズ。
そして、ランキングの数字だけでは見えなかった力を持つルル。
大河は自分の腕をもう一度軽く回した。
疲れは、ほとんど残っていない。
ローランカー。
その肩書きと、今身体で感じたものが、どうしても結びつかなかった。
この少女は、きっとまだ自分の力を知らない。
そして大河たちもまた、ルルがどこまで伸びるのかを知らなかった。
夕方の風が裏庭を抜け、木の葉をさらさらと揺らしていった。
第69話を読んでいただき、ありがとうございました。
ルルの回復魔法は、噂以上の実力でした。
ランキングではローランカー。
それでも実際に魔法を受けた大河とライズは、数字だけでは見えないルルの力を知ることになります。
そして、ルルが大河たちのグループへ加入。
これで三人目の仲間が決まりました。
素手格闘の大河とライズ、そして回復魔法のルル。
少しずつグループらしい形になってきましたが、正式に登録するにはまだあと二人必要です。
次はどんな仲間と出会うのか。
次回もよろしくお願いします!




