第65話 大手グループからの誘い
第65話です。
学院での訓練を終えた大河の前に、見知らぬ二人組が現れます。
どうやら目的は、大河をあるグループへ勧誘することのようで……。
ランキングの世界には、戦うこと以外にもさまざまな繋がりがあるようです。
今回もよろしくお願いします!
学院の午後は、乾いた木剣の音と、窓から差し込む白い光に満ちていた。
大河は剣を構えたまま、向かいに立つタイラの動きを追っていた。以前なら真っ先に見ていたのは剣先だったが、今はそこだけに意識を置かない。肩の向き、腰の捻り、足の位置、踏み込む直前にわずかに変わる重心。グランサンダーとの戦いで最後に相手の動きを読めたのも、学院で繰り返してきた訓練があったからだ。
タイラの右足が床を擦った。
そのわずかな変化を捉え、大河は半歩だけ身体を外へ逃がした。直後、木剣が肩口を鋭く通り過ぎる。
風が頬を撫でた。
大河は空いた場所へ踏み込み、木剣を滑らせるように前へ出す。その先端がタイラの胸当てへ軽く触れた。
「そこまで」
キルギスの声が訓練場に響いた。
大河は木剣を下ろし、ゆっくり息を吐いた。額を流れた汗が顎まで伝い、床へ落ちる。向かいではタイラが自分の胸元を見下ろしたあと、納得できないように眉を寄せていた。
「また読まれた」
「俺も少しずつ分かってきたからな」
「前より戦いにくいよ」
「それなら成長してるってことでいい?」
大河が笑うと、タイラは木剣を肩へ担ぎながら小さく息を吐いた。
「多分ね。でも次は当てるから」
「望むところだ」
二人が構え直そうとしたところで、キルギスが手を叩いた。
「今日はここまでだ。剣を戻しておけ」
訓練場のあちこちで張り詰めていた空気が緩み、生徒たちが木剣を片づけ始める。大河も壁際の武器掛けへ向かい、使っていた木剣を元の位置へ戻した。
剣術ランキングへの挑戦はまだ先だ。
キルギスからは基礎の途中だと言われているし、大河自身もそれには納得している。身体能力だけなら下位の剣術ランカーを倒せるかもしれないが、それでは何のために学院へ通っているのか分からない。
焦る必要はない。
昨日、素手格闘ランキングも四十一位まで上がったばかりだ。
「大河さん、今日は長かったのです」
頭上から声が降ってきた。
大河が顔を上げると、ポルポルがふわふわと高度を下げてくる。いつもの元気がなく、小さな前足で腹を押さえていた。
「そうかな。いつもと同じくらいだろ?」
「ポルポル、お昼からずっとお腹が空いてたのです」
「そっちの長さかよ」
「お腹が空いている時間は長いのです」
妙に説得力のある顔で言われ、大河は笑いながら荷物を肩へ掛けた。
「じゃあ、久しぶりにマイラ食堂でも行くか」
腹を押さえていたポルポルの耳がぴんと立った。
「行くのです!」
「急に元気になったな」
「アイさんの料理なのです!」
さっきまでの空腹で弱っていた姿はどこへ行ったのか。ポルポルは大河を置いていきそうな勢いで出口へ飛んでいく。
学院を出ると、傾き始めた陽が正門前の石畳を淡い橙色に染めていた。
大河は門を抜けたところで足を止めた。
学院の生徒とは明らかに違う服装の者が、道の両側に何人も立っている。揃いの上着を着た男、胸元に紋章を付けた女性、手に資料らしきものを持った者までいる。
そのうちの一人が学院から出てきた男子生徒へ近づき、何やら話しかけていた。少し離れた場所では、別の生徒が女性から差し出された紙を受け取っている。
「前から気になってたんだけど、あの人たち何してるんだ?」
大河が尋ねると、ポルポルは不思議そうに首を傾けた。
「勧誘なのです」
「勧誘?」
「学院にはランカーを目指してる人や、強くなりそうな人がたくさんいるのです。グループの人たちがいい選手を探しに来るのです」
言われてみれば、これほど人材を探しやすい場所もない。
「学院の中では見ないよな」
「中で勧誘するのは禁止なのです。だからみんな外で待ってるのです」
「なるほど。出待ちみたいなもんか」
大河が門の周囲を見回していると、不意に横から声がかかった。
「望月大河さんですね」
振り向く。
最初に目へ入ったのは、長身の女性だった。
腰まで流れる髪に、すらりと伸びた脚。姿勢がよく、立っているだけで周囲の視線を集めるような華やかさがある。大河は一瞬、彼女が声をかけてきたのだと思った。
しかし、もう一度声を発したのは隣にいる小柄な男だった。
「突然申し訳ありません」
年齢は四十代から五十代くらいだろうか。大河より頭一つ以上低く、髪には白いものが混じっている。穏やかに笑っているものの、こちらを見る目には妙な鋭さがあった。
「はい。望月大河ですけど」
男は丁寧に頭を下げた。
「私はカールと申します。ダブルスターで選手の勧誘を担当しております」
「ダブルスター……」
「グループランキング五位なのです」
ポルポルが大河の耳元へ近づく。
「スターエルミナスの傘下なのです」
そこまで聞いて、大河の頭に昨日の対戦相手が浮かんだ。
「グランサンダーさんの?」
カールの目元がわずかに緩む。
「その通りです」
隣の女性も一歩前へ出た。
「補佐をしております、リンです。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
大河も頭を下げる。
「昨日の試合を拝見しました」
カールが大河の顔を見る。
「グランサンダーさんとの?」
「ええ。彼からもあなたについて聞いております」
「何て言ってました?」
大河が尋ねると、カールは少しだけ笑った。
「強い、と」
「……それだけですか?」
「それだけです」
「やっぱり」
あの男らしい。
「もしよろしければ、少しお話をさせていただけませんか?」
カールがそう続けたところで、ポルポルが大河の横から顔を出した。
「これからマイラ食堂へ行くのです」
「ポルポル」
「お腹が空いてるのです」
カールは怒るどころか、小さく笑った。
「でしたら、お食事をご一緒してもよろしいでしょうか。もちろん、こちらでご馳走しますよ」
「行くのです!」
「決めるの早いな」
リンが口元に手を添えて笑った。
四人で学院前を離れ、しばらく歩く。夕方の街には夕食の準備を始めた店から香ばしい匂いが流れ、仕事を終えた人々の姿も増え始めていた。
やがて見覚えのある店構えが見えてくる。
マイラ食堂。
「なんか久しぶりだな」
大河は少し懐かしい気持ちで扉を開けた。
カラン、と軽い音が鳴る。
店内には煮込んだ肉と香草の匂いが漂い、皿や鍋が触れ合う音に客たちの話し声が重なっていた。
「いらっしゃいませ!」
聞き覚えのある声が飛んでくる。
料理を運んでいたアイがこちらを向き、その目が大きくなった。
「大河さん!」
「久しぶり」
アイの顔がぱっと明るくなる。
「本当に久しぶりですね。ポルポルちゃんも!」
「アイさん! ポルポル、お腹が空いたのです!」
「ふふっ、ポルポルちゃんは相変わらずですね」
その声を聞きつけたのか、厨房からもう一人が顔を出した。
「どうしたの、アイ?」
マイラだった。
大河を見つけた瞬間、マイラの足が止まる。
「あら、大河くん」
「ご無沙汰してます」
「本当に久しぶりね。元気にしてた?」
「はい。学院とかいろいろ忙しくて、なかなか来られなくて」
「そうだったのね。でも、元気そうでよかったわ」
マイラは大河の顔をしばらく眺め、柔らかく目を細めた。
「エリカさんも元気?」
「元気ですよ。今も仕事ばかりしてます」
「ふふっ、そうなのね」
マイラがこうして厨房に立っている姿を見ると、大河も少しだけ胸の奥が温かくなる。以前は病に苦しみ、店に立つことすらできなかった。そのマイラが今は当たり前のように客を迎え、料理の匂いに包まれている。
「今日はお友達も一緒なのね」
「ちょっと話があって」
大河がカールたちを紹介すると、マイラは二人にも丁寧に頭を下げた。
「ゆっくりしていってくださいね。席をご用意します」
四人は店の奥にある少し広めの席へ案内された。
注文を取りに来たアイへ、大河はふと思い出して尋ねる。
「そういえば、料理ランキングはどう?」
アイの手が止まった。
「なんとかベスト10は維持してます」
「すごいじゃん」
「でも、そこからが難しくて……」
アイは困ったように笑った。
「上にいる人たち、本当にすごいんですよ。少し調子がいいくらいじゃ全然順位が動かないんです」
「アイでも苦戦するんだな」
「しますよ。むしろベスト10に入ってからの方が大変です」
横で聞いていたポルポルが胸を張った。
「ポルポルの中ではアイさんが一位なのです!」
「ありがとう、ポルポルちゃん」
アイが嬉しそうに笑う。
「でもポルポルちゃん、前に何を食べても美味しいって言ってませんでした?」
「美味しいものは美味しいのです」
「それ、答えになってるのかな?」
大河が笑っていると、料理が次々に運ばれてきた。
久しぶりに食べる味は変わっていなかった。温かな湯気と一緒に香草の匂いが鼻へ抜け、柔らかく煮込まれた肉を噛むと旨味が広がる。
ポルポルは早くも会話より食事へ意識を奪われていた。
カールはそんな様子をしばらく眺めてから、小さな鞄を開いた。
「では、お食事中に失礼します」
数枚の書類がテーブルへ置かれる。
「単刀直入に申し上げます。望月さん、ダブルスターへ所属しませんか?」
大河の手が止まった。
「俺が?」
「もちろんです」
「昨日グランサンダーさんに勝ったからですか?」
「それだけではありません」
カールの指が書類の端に触れる。
「短期間で素手格闘四十一位まで上がり、学院では剣術を学んでいる。魔法も扱い、冒険者としても活動している。これからさらに伸びる選手だと我々は判断しています」
「よく調べてますね」
「それが仕事ですから」
隣に座るリンが書類を大河の方へ向けた。
「待遇については私からご説明します。正式所属後、ランカーである間は毎月百万マニーが支給されます」
「百万マニー?」
大河は思わず聞き返した。
「毎月ですか?」
「はい。ランキングによって得る報酬とは別になります」
「すごいのです」
料理に夢中だったポルポルまで反応した。
「また、ランキング活動によって収支がマイナスになった場合には保証制度があります。怪我や年齢などでランカーではなくなった後も、月五十万マニーが支給されます」
「元ランカーになっても?」
「普通に生活するには十分な額かと思います」
大河は書類へ視線を落とした。
かなりいい。
今はランキング報酬があるため生活には困っていないが、いつ順位を失うかは分からない。昨日だって、気づけば九十九位まで落ちていた。
毎月の固定収入があり、引退後まで生活を保証してもらえる。その安心感は大きい。
「さらに専用訓練施設の利用、所属ランカーとの合同訓練、スキル育成に関する支援も受けられます」
「スキルの種もですか?」
「購入補助があります。スキルの実については高額ですので、成績やグループへの貢献によって支援対象となります」
「そこまであるんだ……」
大河は書類を眺めながら、この世界で多くのランカーがグループへ所属する理由を初めて実感した。
強くなるためだけではない。
生活そのものを守ってもらえる。
「条件だけで決めていただく必要はありません」
カールが静かに口を開いた。
「私も以前はランカーでした。所属するグループによって選手人生が大きく変わることは理解しています」
「カールさんもランカーだったんですか?」
「ええ。今は引退し、こうして勧誘の仕事をしております」
「私はその補佐です」
リンが微笑む。
カールが何気ない調子で続けた。
「そして妻でもあります」
「……奥さん?」
大河の視線が二人の間を往復した。
小柄なカールと、モデルのように背の高いリン。
その動きを見て、リンの笑みが少し深くなる。
「何か?」
「いえ、何も」
「大河さん、すごく驚いてるのです」
「ポルポル、黙って食べてろ」
カールは慣れているらしく、特に気にする様子もなく書類を整えた。
「最後に一つだけ、お伝えしておかなければならないことがあります」
声の調子がほんの少し変わる。
「ダブルスターはスターエルミナス系列のグループです。我々は国王陛下を支える立場にあります。そのことだけは、所属を検討される際に覚えておいてください」
大河はカールを見る。
「分かりました」
返事をしながらも、その言葉が妙に引っかかった。
けれどカールはそれ以上説明しない。
「今日はここまでにしましょう。ゆっくりお考えください」
「ありがとうございます」
食事を終えて店を出る時、マイラが入口まで見送りに来た。
「またいつでも来てね、大河くん」
「はい。今度はもう少し早く来ます」
「待ってるわ」
「アイさん、ごちそうさまなのです!」
「また来てね、ポルポルちゃん」
夕暮れの街へ出ると、店の中の温かさが背中に残った。
診療所へ戻る頃には、空はすっかり暗くなっていた。
居間ではエリカが仕事を終え、茶を飲んでいる。ビスタはソファに寝転がりながら本を眺めていた。
「ただいま」
「おかえり、大河くん」
「おかえり」
ポルポルが真っ先にエリカのところへ飛んでいく。
「大河さん、勧誘されたのです!」
エリカがカップを口元へ運ぶ手を止めた。
「誰にじゃ?」
「ダブルスターです」
大河が答えると、ビスタも本から顔を上げた。
「ダブルスター? すごいじゃん」
「条件もかなり良かったよ」
大河はカールたちから聞いた内容を話した。
現役なら月百万マニー。元ランカーになっても五十万マニー。ランキング活動で収支がマイナスになった場合の保証に、専用訓練施設やスキル育成支援まである。
「俺なら入る」
ビスタはほとんど迷わず言った。
「早いな」
「だって毎月百万マニーだよ? しかもランカーじゃなくなっても五十万でしょ。十分じゃん」
大河も条件だけなら同意見だった。
ただ、一つだけ気になっている。
「カールさんが最後に言ってたんです。ダブルスターはスターエルミナス系列で、国王を支える立場だって」
エリカの指がカップの縁で止まった。
「ほう」
「何か意味があるんですか?」
エリカはすぐには答えず、湯気の向こうから大河を見た。
「大河くん。おぬし、王になるつもりなんじゃろ?」
「もちろんです」
「なら、ダブルスターには入らん方がよい」
「どうしてです?」
エリカはカップを静かに置いた。
「スターエルミナスは今の王が作ったグループじゃ。そしてダブルスターはその傘下。王を支える側のグループじゃな」
「それは聞きました」
「じゃが、その言葉にはもう一つ意味がある」
エリカは椅子へ背を預けた。
「王を抜くな、ということじゃ」
大河は眉を寄せる。
「そんなルールがあるんですか?」
「ない」
「ないんですか?」
「規則にはな」
エリカは淡々と続ける。
「総合ランキングは誰でも一位を目指せる。スターエルミナス系列の人間が一位になってはいけないなどという決まりはない。じゃが、自分たちが支えている王を、同じ系列の人間が引きずり下ろそうとしたらどうなる?」
大河の頭に、カールの言葉が蘇った。
我々は国王陛下を支える立場にあります。
ただの紹介ではなかったのだ。
「暗黙の了解ってことですか」
「そういうことじゃな」
部屋が静かになる。
大河は椅子へ身体を預け、天井を見上げた。
百万マニー。
生活保証。
専用施設。
スキル支援。
どれも魅力的だ。
もし、この世界で普通にランカーとして生きていくだけなら、断る理由を探す方が難しいかもしれない。
けれど、大河がこの世界へ来た理由はそこではない。
「じゃあ、断ります」
エリカが目を瞬かせた。
「随分早いの」
「だって俺、王になるためにここに来たんですよ」
百万マニーを捨てるのは少し惜しい。
ほんの少しだけ。
それでも、答えは最初から一つしかなかった。
翌日。
学院へ向かう大河は、正門の少し手前で見覚えのある二人を見つけた。
カールとリン。
今日も何人もの勧誘担当者が門の外に立ち、生徒たちへ声をかけている。
「望月さん」
カールも大河に気づいた。
「もう決まりましたか?」
「はい」
大河は二人の前で足を止める。
「昨日はありがとうございました。すごくいい条件だと思います」
「では」
「でも、今回はお断りします」
カールの表情はほとんど変わらなかった。
リンも何も言わず、大河を見ている。
「理由を伺ってもよろしいですか?」
大河は少しだけ考えた。
わざわざ隠すようなことでもない。
「俺、総合ランキング一位を目指してるんです」
カールの目がわずかに細くなった。
「それは……」
「王になるつもりです」
学院前を吹き抜けた朝の風が、大河の髪を揺らした。
カールは何も言わなかった。
隣に立つリンからも、昨日までの柔らかな笑みが消えている。
門を行き交う生徒たちの声だけが、二人の間を通り過ぎていった。
やがてカールは、大河の顔をじっと見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……そうですか」
それだけだった。
けれど、その目は昨日までとは明らかに違っていた。
第65話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回はグループランキング五位、ダブルスターから大河へ正式な勧誘がありました。
毎月の報酬に引退後の保証、専用施設やスキル育成支援まで。
ランカーにとって、大手グループへ所属するメリットがかなり大きいことも見えてきました。
しかし、大河の目的は安定したランカー生活ではありません。
目指すのは総合ランキング一位。
そして、この世界の王です。
「王を支える側」ではなく、自分が王になる。
大河の進む道が、少しずつ現在の王やスターエルミナスとも繋がり始めました。
最後に大河の宣言を聞いたカールの反応も、少し気になるところです。
次回もよろしくお願いします!




