第62話 生きて帰った夜
第62話です。
命がけのダンジョン探索を終え、ようやく街へ戻ってきた大河たち。
張りつめていた空気から離れ、まずは少し落ち着く時間となります。
今回もよろしくお願いします!
冒険者ギルドを出る頃には、街の空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
西の空には橙色の光が残り、石造りの建物の壁を柔らかく照らしている。通りには仕事を終えた人々が行き交い、屋台からは焼いた肉や香辛料の匂いが流れてきた。ほんの少し前まで冷たい地下で死を覚悟していたことが、どこか遠い出来事のように思える。
大河は腕の中で眠るポルポルへ目を落とした。
小さな身体はまだ力が抜けたままで、柔らかな毛が風に揺れている。時折、鼻先がぴくりと動くのを見て、そのたびに大河は無意識に呼吸を緩めた。
「このまま帰る?」
ビスタが隣を歩きながら聞いた。
「帰ってもいいけど……」
大河は後ろを振り返る。
ハクサン、ニック、ケイもまだ一緒にいる。全員、身体の傷は消えているものの、壊れた装備や汚れた服までは元に戻っていない。ハクサンの盾は中央から大きく割れたままだし、ニックの服も膝のあたりが裂けている。
こんな状態で「じゃあまた」と別れるのも、なんとなく違う気がした。
「せっかくだし、みんなで何か食べません?」
大河がそう言うと、ハクサンが少し目を丸くした。
「今から?」
「はい。今日は……まあ、生きて帰れたんで」
言葉にした瞬間、自分でも少しだけ笑った。
勝ったわけではない。
むしろ、完敗に近い。
それでも五人ともここにいる。
ポルポルも生きている。
それだけで、今日は十分だった。
「いいじゃん」
ビスタが真っ先に乗った。
「俺、腹減ってたんだよね」
「お前はいつも腹減ってない?」
「そうでもないよ」
「そうなのです」
腕の中から小さな声がした。
大河が視線を落とすと、ポルポルが薄く目を開けていた。
「起きた?」
「ご飯と聞こえたのです」
「そこだけ聞こえるのかよ」
「大事な言葉なのです」
ポルポルはまだ眠そうにしながらも、さっきまでより目に力が戻っている。
ケイがその様子を見て、少しだけ頬を緩めた。
「元気そうでよかったわ」
「ポルポルはいつも元気なのです」
「さっきまで寝てたけどね」
ニックが淡々と言う。
「それは休憩なのです」
「結構長い休憩だな」
そんなやり取りをしながら、一行は大河の案内でダッカスの店へ向かった。
店に近づくにつれ、通りの雰囲気が少し変わっていく。
派手な看板はない。
けれど入口の前には上品なランプが並び、窓越しに見える店内には落ち着いた暖色の光が満ちている。扉を開けると、焼いた肉と香草、バターに似た濃厚な香りが一気に鼻へ届いた。
「ここ?」
ハクサンが店内を見回す。
「はい。前に何度か来たことがあって」
「結構いい店じゃん」
ビスタが感心したように言う。
「お前、金あるんだな」
「今さら?」
「いや、思ってたより」
「大河さんはお金持ちなのです」
ポルポルが胸を張る。
「なんでお前が誇るんだよ」
店員に案内され、奥の大きな卓へ向かう。
その途中で、大河は足を止めた。
「……え?」
窓際の席。
白い髪の少女が、当然のような顔で料理を食べていた。
エリカだった。
しかも一人ではなく、テーブルいっぱいに料理を並べている。
大河たちに気づいたエリカは、口に運びかけていたフォークを止めた。
「遅かったの、大河くん」
「……なんでいるんですか?」
「なんでとは何じゃ」
「いや、それはこっちのセリフです」
エリカは料理を飲み込み、口元を布で軽く拭った。
「帰りが遅いからの。わしを置いてどこかで美味いものでも食べておるんじゃないかと思って来たんじゃ」
「なんでこの店なんですか」
「勘じゃ」
大河はしばらく黙った。
ビスタが横から感心したように呟く。
「すげえな」
「褒めるなよ」
「でも普通分からなくない?」
「俺もそう思う」
ポルポルが大河の腕から顔を上げる。
「エリカさんは食べ物に関してだけ鼻が利くのです」
「だけとは何じゃ!」
「いつもなのです」
エリカが頬を膨らませる。
ハクサンたちは少し離れたところで状況を見ていた。
「知り合い?」
ニックが小声で聞く。
「一緒に住んでる人です」
大河が答えると、ケイがエリカを見る。
「妹さん?」
「違う」
「娘?」
「もっと違う」
「聞こえておるぞ!」
エリカが立ち上がった。
小柄な身体に似合わない迫力がある。
「わしはエリカじゃ。大河くんの……」
一瞬考える。
「婚約者じゃ」
「違います」
「まだ予定なのじゃ」
「予定もないです」
ビスタが笑いを堪えきれず肩を揺らした。
「大河、家でもこんな感じなんだ」
「毎日だよ」
「苦労してるんだな」
「お前も増えたからもっと大変なんだよ」
そんなやり取りをしながら、結局エリカも同じ卓へ移ることになった。
料理が次々に運ばれてくる。
焼き目のついた肉。
香草を使った魚。
濃厚なソースのかかった野菜。
温かなスープ。
湯気と香りが卓の上に広がる。
ポルポルはもう何が起きたのか忘れたように料理へ夢中だった。
「これ美味しいのです!」
「まだ熱いぞ」
「熱い方が美味しいのです!」
「火傷するって」
大河が皿を少し遠ざけると、ポルポルは不満そうに前足を伸ばした。
その様子を見ながら、ハクサンが小さく笑う。
「ダンジョンじゃあんなに静かだったのにな」
「怖かったのです」
「今は?」
「美味しいのです」
「答えになってないな」
店の中には食器の触れ合う音と、客たちの穏やかな話し声が流れていた。
地下の轟音。
アビス・ヴルムの咆哮。
骨が折れた時の音。
それらが少しずつ遠くなっていく。
大河はスープを一口飲んだ。
温かさが喉を通り、腹へ落ちていく。
それだけのことが、妙にありがたかった。
「で」
エリカが肉を切りながら、大河を見る。
「何があったんじゃ?」
エリカの視線が、大河の腹に残る血の跡へ落ちた。
「実は、旧グランディア地下迷宮で……」
大河が言いかけたところで、隣に座っていたハクサンが静かに口を開いた。
「アビス・ヴルムと遭遇しました」
エリカの手が止まった。
「アビス・ヴルム?」
「知ってるんですか?」
大河が尋ねる。
「名前だけじゃ。S級じゃろう」
「はい」
エリカの目が細くなる。
「……よく生きて帰ったの」
「それが……」
大河はポルポルを見る。
当の本人は肉を頬いっぱいに詰め込み、こちらの話など耳に入っているのか怪しい。
「ポルポルが助けてくれたんです」
「ほう?」
「なんなのです?」
口いっぱいのまま、ポルポルが顔を上げる。
「だから飲み込んでから喋れって」
しばらくして、大河たちはダンジョンで起きたことを順番に説明した。
アビス・ヴルムの圧倒的な強さ。
ハクサンの盾が壊れたこと。
大河のランス・ドーでも鱗一枚しか砕けなかったこと。
そして、大河が腹部を貫かれたこと。
その話を聞いた時、エリカの眉がわずかに動いた。
「腹を?」
「はい」
「完全に?」
「貫通してました」
大河は血の残る服を少し持ち上げる。
「ここです」
エリカは何も言わず、大河の腹部へ手を伸ばした。
服の上から軽く触れる。
目を閉じる。
「……傷はないの」
「全部治りました」
「わしが治したわけではないぞ」
「分かってます」
「では誰が」
「だから、ポルポルです」
「ポルポルが?」
エリカの視線がゆっくり動く。
ポルポルはちょうど魚を一口食べたところだった。
「なんなのです?」
「おぬし、本当に何も覚えておらんのか?」
「何をなのです?」
エリカはしばらくポルポルを見つめたあと、大河へ戻る。
「続けてみい」
大河は話した。
ポルポルが大きな鳥のような姿へ変わったこと。
白い光で大河を治したこと。
ハクサンたち四人の傷まで同時に治したこと。
アビス・ヴルムの攻撃を光の壁で完全に防いだこと。
そして。
「気づいたら、ダンジョンの外にいたんです」
エリカの指が止まった。
「外?」
「はい。一瞬で」
「歩いて出たわけではないのじゃな?」
「そんな時間なかったです」
ケイが横から補足する。
「足元に見たことのない光の模様が出て、そのあと真っ白になって……気づいたら外にいました」
エリカは顎へ指を当てた。
「おぬしは魔法使いじゃったか」
「はい」
「あれが何だったか分からんかったか?」
「全く」
「ふむ……」
珍しくエリカが長く考え込んでいる。
大河はその横顔を見ていた。
「エリカさんでも分からないんですか?」
「わしを何だと思っておる」
「何でも知ってる人」
「嬉しいことを言うのう」
「借金以外は」
「余計じゃ!」
エリカが睨む。
けれど、すぐにその表情は戻った。
「回復だけなら、似た魔法はある。防御もそうじゃ。ただ……」
「ただ?」
「大河くんの状態を一瞬で治し、さらに四人同時。しかもS級の攻撃を防ぎ、その直後に全員を迷宮の外へ出した」
エリカは小さく息を吐いた。
「わしの知る魔法だけでは、綺麗に説明できん」
ポルポルが肉を食べながら首を傾げる。
「ポルポル、そんなことしたのです?」
「したらしいぞ」
「覚えてないのです」
「俺たちもびっくりしてる」
ハクサンが苦笑した。
ニックはポルポルを見る。
「世界って広いな」
「それ、俺も最近よく思う」
大河が返す。
エリカはまだポルポルを見ていたが、やがて肩の力を抜いた。
「まあ、よい」
「いいんですか?」
「今ここで考えても分からんものは分からん」
エリカは料理へ手を伸ばす。
そして、少しだけ声を落とした。
「何にしてもじゃ」
大河を見る。
「大河くんが無事で何よりじゃ」
その言葉には、いつものふざけた調子がなかった。
大河は少しだけ目を伏せた。
「……ありがとうございます」
「次はあまり無茶をするでないぞ」
「はい」
「死なれたら困るからの」
「結婚できなくなるからですか?」
「それもある」
「やっぱりそれもあるんだ」
卓に小さな笑いが広がった。
食事が進み、皿の数が減っていく。
ポルポルはもう何皿目か分からない。
ビスタも負けじと食べている。
ハクサンたちは少しずつ緊張が抜け、冒険のこと以外も話し始めた。
ニックとケイが幼い頃から一緒だったこと。
ハクサンが何度もビスタをスポットで雇っていること。
ビスタが毎回、報酬を使い切りそうになってから仕事を探すこと。
「使い切ってないじゃん」
「今回も宿代なくなりそうだっただろ」
「なくなる前に大河と会ったじゃん」
「それをなくなるって言うんだよ」
大河は笑いながら聞いていた。
昨日までほとんど知らなかった三人。
それが今は、同じ卓で食事をしている。
死にかけた経験を「いい思い出」と呼ぶには早すぎる。
けれど、あのダンジョンで一緒だったからこそ、この距離になったのだと思えた。
やがて食事が一段落した頃。
大河は空になった皿へ視線を落とした。
ランス・ドー。
鱗一枚。
その映像が、また頭へ浮かんだ。
「エリカさん」
「なんじゃ?」
「俺、もっと強くなりたいです」
卓の空気が少し変わった。
ハクサンたちは口を挟まず、大河を見る。
「今回、本当に何もできなかった」
「何も、ではないじゃろ」
エリカは水を一口飲んだ。
「おぬしが時間を稼がなければ、もっと早く全滅しておったかもしれん。鱗とはいえS級の防御を一枚抜いたのじゃろ?」
「でも、それだけです」
「それだけでも十分おかしいんじゃがの」
エリカは少し呆れた顔になる。
大河は自分の右手を見る。
「もっと上に行かないと、ああいう相手には届かない」
しばらく沈黙。
エリカがフォークを置いた。
「なら、手っ取り早い方法が一つあるぞ」
大河が顔を上げる。
「そんなのあるんですか?」
「スキルじゃ」
「スキル?」
聞いたことはある。
けれど、大河は詳しい仕組みを知らなかった。
「スキルの種というものがある」
エリカは指を一本立てた。
「ランキング協会で売っておる。食べれば、その者の身体や魔力、経験と種が交わって、スキルが生まれることがある」
「ことがある?」
「必ずではない」
「何のスキルが手に入るんです?」
「分からん」
「え?」
大河の眉が上がる。
「種に決まったスキルが入っておるわけではない。同じ種でも、食べる者によって生まれるものは違う」
「じゃあ何も出ないことも?」
「ある。むしろ多い」
「……それ、手っ取り早いですか?」
エリカは堂々と頷いた。
「成功すればの」
「急に信用できなくなったな」
ビスタが笑った。
「でもスキル持ちは結構強いよ」
「ビスタは?」
「俺はない」
「ないんかい」
「何回か種食ったけど何も出なかった」
「そういうこともあるんじゃ」
エリカが言う。
「一生何も身につかん者も珍しくない」
「じゃあ金かければいいってわけじゃないんですね」
「そういうことじゃ」
「種はいくらくらいなんです?」
「普通のものならそこまで高くないはずじゃ」
「普通の?」
「さらに上にスキルの実がある」
「実?」
「すでに持っているスキルを成長させるものじゃ」
「それは確実に?」
「ならん」
「また?」
「しかも高い」
大河は思わず天井を見る。
「ずいぶんギャンブル要素強いな……」
「だから面白いのです」
ポルポルが肉を食べながら口を挟む。
「お前、絶対分かってないだろ」
「種を食べたら何か出るかもしれないのです」
「何も出ない可能性も高いんだよ」
「ならいっぱい食べればいいのです」
「そういう話でもないだろ」
エリカが笑う。
「まあ、大河くんなら一度試してみてもよいかもしれんの」
「俺なら?」
「おぬしはこれまで色々なものを身体へ詰め込んでおる。走り、格闘、魔法、剣。何が生まれるかはわしにも分からん」
大河は少しだけ黙った。
何が生まれるか分からない。
そもそも何も生まれないかもしれない。
けれど。
今まで知らなかった成長の道が、また一つ目の前に現れた。
食事を終えて店を出る頃には、街はすっかり夜になっていた。
石畳の両側に魔石灯が並び、淡い光が道を照らしている。
ハクサンたちとは店の前で別れた。
「また組もう」
ハクサンが手を差し出す。
大河はその手を握った。
「今度はもう少し普通の依頼がいいですね」
「俺もそう思う」
「俺は報酬次第じゃん」
「お前はうちに帰るだろ」
「そうだった」
ビスタが自然に大河の横へ並ぶ。
ニックとケイも手を振り、夜の通りへ消えていった。
大河はポルポルを肩へ乗せ、エリカとビスタと並んで歩き始める。
遠くにランキング協会の大きな建物が見えた。
夜空を背にして、窓の明かりがいくつも浮かんでいる。
大河はそこへ視線を向けた。
S級アビス・ヴルム。
ランス・ドーでも鱗一枚。
まだ遠い。
だからこそ、進むしかない。
「スキルの種か……」
大河が小さく呟く。
「買うのです?」
ポルポルがすぐ反応する。
大河は少し考え、口元を緩めた。
「今度、見に行ってみるか」
夜風が三人の間を抜けていった。
大河はもう一度ランキング協会を見上げながら、まだ形の見えない新しい力のことを考えていた。
第62話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回はダンジョン探索を終えた大河たちの、少し穏やかな時間となりました。
死にかけた直後でも、ご飯を前にすればいつものポルポル。
そして当然のようにダッカスの店にいるエリカ。
ようやく日常が戻ってきた感じですね。
ただ、大河の中にはアビス・ヴルムとの圧倒的な力の差が強く残っています。
もっと強くなりたい。
そんな大河の前に現れた、新たな成長方法。
「スキルの種」
何が生まれるか分からず、そもそも何も起きない可能性もあるという、なかなかクセの強い代物です。
果たして大河からは、どんなスキルが生まれるのか。
次回もよろしくお願いします!




