第60話 守る者
第60話です。
絶体絶命の状況で、大河たちを包んだ謎の白い光。
果たして、あの瞬間に何が起きたのか。
今回はその続きからです。
よろしくお願いします!
白い光が、ダンジョンの闇を塗り潰していた。
大河は薄れかけた意識の中で、その光だけをぼんやりと見ていた。ついさっきまで腹部を押し潰していた重みが消えている。冷たい石床に背中を預けたまま、何が起きているのか理解しようとするが、頭がうまく働かない。口の中にはまだ鉄の味が残り、呼吸をするたび胸の奥に鈍い痛みが走った。
光の向こうで、巨大な影が動く。
アビス・ヴルム。
黒い前脚が再び持ち上がった。大河の身体など、そのまま踏み潰せるほどの大きさだった。空気を押し退けるように振り下ろされ、石床へ向かって落ちてくる。
「……っ」
逃げられない。
身体は動かなかった。
大河が反射的に目を閉じかけた、その瞬間だった。
ドォンッ!
凄まじい衝撃が地下空間を震わせた。
しかし、痛みは来なかった。
大河はゆっくり目を開ける。
アビス・ヴルムの前脚が、自分のすぐ上で止まっていた。
何もないように見える空間に、淡い白色の光が膜のように広がっている。巨大な爪がその表面へ食い込み、強烈な圧力をかけているのに、光はわずかに波打つだけだった。
ハクサンの盾を一撃で砕き、大河の骨すら容易く折った力。それが、今は少しも前へ進めない。
アビス・ヴルムが低く唸った。
さらに体重をかける。
ミシミシと石床が鳴り、大河の周囲に細かな亀裂が走った。天井から砂が落ち、砕けた小石が跳ねる。
それでも、白い光は消えなかった。
「……なんだ……これ……」
少し離れた場所で、ハクサンが掠れた声を漏らした。
割れた盾のそばに座り込み、負傷した左腕を抱えている。その顔からは戦闘中とは別の緊張が浮かんでいた。
「魔法……?」
ケイも杖を握ったまま呆然としている。
「こんなの、見たことない……」
ニックは動かない右脚を引きずりながら弓を構え、光の中心へ目を細めた。
ビスタだけは壁にもたれたまま、口元の血を拭うことすら忘れていた。
「……何だよ、あれ」
光の中心に、何かが立っていた。
大河は霞む視界を必死に凝らした。
最初に見えたのは翼だった。
大きい。
普段のポルポルの小さな翼とは比べものにならない。左右へ大きく広がり、その一枚一枚の羽根から淡い光がこぼれている。
羽毛は白を基調としていたが、光の角度によって薄い金色や紫色が混ざったように輝いている。尾羽は長く、ゆっくり揺れるたび、細かな光の粒が宙へ舞った。
身体は大型の鳥ほどの大きさがあり、翼を広げれば数メートルに達している。
神々しい。
大河の頭に浮かんだのは、そんな言葉だった。
けれど。
その鳥がゆっくり顔を向けた瞬間、大河の胸の奥に別の感覚が走った。
丸みを帯びた顔。
大きな瞳。
紫がかった色を残す羽毛。
そして。
「……大河さん」
声。
大河の目がわずかに見開かれた。
「……ポル……ポル?」
声を出しただけで喉が焼けるように痛んだ。
それでも間違えるはずがなかった。
ずっと隣で聞いてきた声。
食べ物を要求するときも、金を見て目を輝かせるときも、危ないと叫ぶときも聞いていた声だった。
大きな鳥は返事をしなかった。
ただ大河へ近づく。
アビス・ヴルムが再び前脚を振り下ろした。
光の膜へ激突。
ドンッ!
今度は衝撃で周囲の岩壁まで揺れた。
しかし、白い障壁には傷一つつかない。
アビス・ヴルムの金色の瞳が細くなる。
先ほどまで大河たちを相手とも思っていなかった巨大な地竜が、初めて目の前の存在を警戒するように首を低くした。
鳥は気にした様子もなく、大河のすぐ横へ降りた。
翼が静かにたたまれる。
「ポルポル……なんだよな……?」
大河がもう一度尋ねる。
返事はない。
その代わり、鳥が大河の腹部へ顔を向けた。
血に濡れた服。
アビス・ヴルムの爪に貫かれた傷。
そこへ、羽根の先がそっと触れる。
温かかった。
次の瞬間、白い光が大河の身体を包んだ。
「……!」
身体の奥へ熱が流れ込む。
腹部に残っていた鋭い痛みが、波が引くように薄れていく。傷口から流れ続けていた血が止まり、裂けた肉がゆっくり閉じていった。
大河は息を呑んだ。
右腕にも光が広がる。
明らかに折れていた骨が、内側から引き戻されるような感覚とともに正しい位置へ戻っていく。肋骨の痛みも消え、呼吸するたび肺へ空気が深く入るようになった。
「……嘘だろ」
さっきまで指一本まともに動かせなかった。
それが今は、左手に力が戻っている。
大河は恐る恐る右手を動かした。
指が動く。
拳も握れる。
「治って……」
言葉が続かなかった。
白い光が大河から離れ、今度は周囲へ広がっていく。
ハクサン。
ニック。
ケイ。
ビスタ。
四人の身体へ細かな光が降り注いだ。
「うわ……」
ビスタが自分の胸へ手を当てる。
「ちょっと待って。痛くないんだけど」
壁へ叩きつけられた時に負った傷が塞がり、呼吸も楽になっている。
ニックは自分の右脚へ手を伸ばした。
「……動く」
恐る恐る膝を曲げる。
さっきまで体重をかけることすらできなかった脚が、何事もなかったように動いている。
「ハクサン」
ケイの声。
ハクサンも左腕を見つめていた。
不自然な角度に曲がっていた腕が元へ戻り、指まで正常に動いている。
「なんだ……この回復」
ハクサンが呟いた。
ケイは自分の杖を握りながら、光の中心を見つめていた。
「こんな回復魔法……知らない」
その言葉に、大河は鳥へ視線を戻した。
エリカ。
頭に浮かんだ。
これほどの傷を、一瞬で治せる存在を大河は一人しか知らない。
けれど、目の前にいるのはエリカではない。
「ポルポル……」
鳥の身体が、わずかに揺れた。
大河は気づいた。
翼の先にあった光が、少し薄くなっている。
透明になったわけではない。
それでも最初に見た時より、身体の輪郭が淡く霞んで見えた。
アビス・ヴルムが低く吠える。
「グォオオオオッ!」
巨大な尾が振られた。
「来る!」
ハクサンが反射的に身構える。
けれど盾は壊れている。
大河も立ち上がろうとした。
その前に、鳥が翼を広げた。
白い光が大河たちを包み込む。
アビス・ヴルムの尾が障壁へ激突した。
ズガァン!
衝撃で天井の一部が崩れ、岩が落ちてくる。
大河は思わず肩をすくめた。
しかし、光の内側には何一つ届かない。
石も。
砂も。
衝撃すら。
「……止めた」
ニックが呟く。
大河も目の前の光へ手を伸ばした。
薄い。
触れてみても、硬い壁のような感触はない。
それなのに、S級の攻撃を完全に遮っている。
アビス・ヴルムが再び前脚を叩きつける。
ドンッ!
次は爪。
さらに尾。
攻撃のたびに通路が震え、周囲の岩壁が崩れていく。
光だけは揺るがない。
「これ……何なんだよ」
ビスタが乾いた笑いを漏らす。
「こいつ、さっきまで大河の肩に乗ってた小さいやつだよな?」
「ポルポルなのです!」
いつもの反論が返ってくる。
そう思った。
けれど、鳥は何も言わない。
大河は妙な違和感を覚えた。
「ポルポル?」
呼びかけても顔を向けない。
ただ大河たちを守るように翼を広げている。
まるで何か一つの目的だけに従って動いているようだった。
「大河」
ハクサンが周囲を見る。
「傷は治った。でも問題は変わってない」
「退路ですね」
「そうだな」
崩落した通路はそのままだ。
横道も、どこへ続いているか分からない。
アビス・ヴルムは目の前。
今は光に守られている。
でも、いつまで続くか分からない。
「このまま岩をどかす?」
ニックが崩落部分を見る。
「間に合うか?」
ビスタが問う。
ハクサンはすぐには答えなかった。
大河は神々しい鳥へ目を向ける。
翼の光が、また少し薄くなった。
「……もしかして長く持たないのか?」
大河の言葉に、誰も答えられない。
鳥自身も返事をしない。
ただ一度だけ、大河を見た。
その瞳が、どこか疲れているように見えた。
「ポルポル……」
大河が一歩近づく。
その時だった。
鳥が大きく翼を広げた。
大河たちの足元に光が走る。
「何だ?」
ハクサンがすぐ足元を見る。
白い線が石床を這い、複雑な模様を描き始める。
円。
さらにその内側に、見たことのない記号。
幾重にも重なる光。
「ケイ」
ハクサンが彼女を見る。
「分かるか?」
「分からない」
ケイの声には迷いがなかった。
「こんな魔法陣、見たことない」
「魔法陣なのか?」
「それすら分からない」
ビスタが左右を見回す。
「おいおい、今度は何が起きるんだよ」
ニックは弓を手にしたまま、アビス・ヴルムを警戒している。
「何でもいい。あれを何とかしてくれるなら」
大河だけは鳥を見つめていた。
「ポルポル」
返事はない。
「何をしようとしてる?」
鳥がゆっくり目を閉じた。
翼から光があふれる。
足元の模様が一気に明るくなった。
アビス・ヴルムが咆哮する。
口の奥に黒い光が集まった。
「まずい!」
ケイが叫ぶ。
あの衝撃波。
大河はすぐ鳥の前へ出ようとする。
けれど白い翼が横へ伸び、大河を制するように止めた。
「ポルポル?」
アビス・ヴルムの口から黒い光が放たれる。
轟音。
通路いっぱいに衝撃波が広がった。
白い障壁へ激突する。
視界が揺れた。
空気が震える。
岩壁が崩れる。
それでも障壁は破れない。
鳥の身体が大きく揺れた。
「ポルポル!」
大河が叫ぶ。
羽根の輪郭がさらに薄くなる。
それでも翼は下がらない。
足元の光が強くなる。
「大河!」
ハクサンが叫ぶ。
大河が振り向いた。
「これ、何が起きる!?」
「俺にも分からない!」
「分からないのか!」
「ポルポル本人も分かってないと思う!」
「本人!?」
ビスタの声が混じる。
大河はもう一度鳥を見る。
ポルポル。
そうとしか思えない。
姿は違う。
力も違う。
でも、あれはポルポルだ。
大河にはなぜか確信があった。
鳥が最後に大きく翼を打った。
白い光が爆発する。
「うわっ!」
大河は腕で顔を覆った。
何も見えない。
身体が一瞬だけ浮いたような感覚。
耳の奥で高い音が鳴った。
次の瞬間。
風が頬を撫でた。
冷たい地下の空気ではない。
柔らかく、草の匂いを含んだ風。
大河はゆっくり腕を下ろした。
「……え?」
頭上に青空があった。
薄い雲。
昼の太陽。
鳥の声。
目の前には緑の草が風に揺れている。
「……は?」
今度はビスタの声。
ハクサンも。
ニックも。
ケイも。
全員が立ち尽くしていた。
ハクサンがゆっくり周囲を見回す。
「ここ……」
大河も振り返った。
少し離れた場所に、大きな岩山。
その中央へ黒く口を開ける入口。
旧グランディア地下迷宮。
「外……?」
ケイが呟く。
「なんで?」
ニックは自分の足元を見てから、ダンジョン入口を見る。
「俺たち……さっきまで中にいたよな」
「いたじゃん」
ビスタが答える。
「間違いなく」
誰も続きが言えなかった。
歩いて出たわけではない。
気づいたら。
一瞬で。
場所が変わっていた。
大河の胸の奥で、心臓が大きく跳ねた。
「ポルポル!」
周囲を見る。
大きな鳥はいない。
白い翼も。
光も。
「ポルポル!」
もう一度呼ぶ。
その時。
足元の草むらに、小さな紫がかったピンク色が見えた。
「……!」
大河は駆け寄った。
いつものポルポルだった。
小さな身体。
小さな翼。
目を閉じ、草の上へ横たわっている。
「ポルポル!」
大河はすぐ抱き上げた。
軽い。
いつもの重さ。
「おい、ポルポル」
返事がない。
「ポルポル!」
胸元へ耳を近づける。
小さな音。
トクン。
トクン。
呼吸もある。
身体も温かい。
「……よかった」
大河の肩から力が抜けた。
ポルポルはただ深く眠っているだけだった。
「大河」
ハクサンが近づいてくる。
その目はポルポルから離れない。
「さっきの……こいつなのか?」
「多分」
「多分?」
「俺にも分からない。でも声はポルポルだった」
ケイも近づき、眠る小さな身体を見つめた。
「こんな小さい子が……」
言葉が続かない。
ニックは自分の右脚を何度も動かしている。
「傷も全部治ってる」
ビスタが大河を見る。
「俺も。さっき絶対肋骨やってたと思うんだけど」
ハクサンも左腕を握る。
「俺もだ」
大河は自分の腹部へ目を落とした。
服には血が残っている。
アビス・ヴルムの爪に貫かれた穴も開いている。
なのに、その下の皮膚には傷一つない。
右腕も正常に動く。
夢ではない。
服に染み込んだ血と、砕けた装備だけが、地下で起きたことが現実だったと伝えていた。
大河は腕の中のポルポルを見る。
静かな寝息。
いつもの丸い顔。
いつもの小さな羽。
さっきまでの神々しい姿が、同じ存在だったとは思えない。
「……お前」
大河は小さく呟いた。
返事はない。
風が草原を渡り、ポルポルの柔らかな毛を揺らした。
「何者なんだよ」
ポルポルは何も答えず、大河の腕の中で静かに眠り続けていた。
第60話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、これまでずっと大河のそばにいたポルポルに、大きな謎が生まれる回となりました。
傷を癒し、S級の攻撃を防ぎ、さらには大河たちを一瞬でダンジョンの外へ。
けれど目を覚ました時には、いつもの小さなポルポルへ戻っています。
本人は何か覚えているのか。
そして、あの姿と力は一体何だったのか。
大河にとって一番身近だった相棒が、急に一番謎の存在になってしまいました。
次回もよろしくお願いします!




