第58話 新規区画
第58話です。
初めてのパーティーで、地下迷宮へ挑む大河。
一人で戦う時とは違う、仲間と連携して進む感覚を少しずつ覚えていきます。
そして一行は、ついに未調査の新規区画へ。
今回もよろしくお願いします!
ダンジョンへ一歩足を踏み入れた瞬間、外の空気が背中で切れた。
岩肌から滲み出した冷気が頬を撫で、湿った土と苔、それに古い石の匂いが鼻へ入ってくる。入口付近には壁に取りつけられた魔石灯が一定間隔で並び、青白い光が奥へ細く続いていた。床には長年多くの冒険者が踏み固めた跡があり、土の上に靴底や獣の爪痕が重なっている。
先頭を歩くハクサンが盾の位置を確かめながら振り返った。
「ここはまだ既存区画だ。何度も調査されてるし、出る魔物もある程度分かってる。ただし油断はするなよ」
その声はギルドにいた時より低く、必要なことだけを伝える響きに変わっていた。
大河は軽く頷き、周囲へ目を向けた。
天井は思っていたより高い。場所によっては人が三人並んでも余裕があり、壁面には人工的に削られたような直線も残っている。自然洞窟というより、古い建造物がそのまま地下へ埋もれたような印象だった。
「大河さん」
肩の近くを飛ぶポルポルが、奥の暗がりを覗き込む。
「思ったより広いのです」
「俺もそう思った」
「暗いのです」
「それは入る前から言ってただろ」
「実際に入ると、もっと暗いのです」
大河が小さく笑う。
その前を歩いていたビスタが振り返った。
「ポルポル、怖かったら俺の肩来る?」
「嫌なのです」
「即答?」
「ビスタさんの肩は信用できないのです」
「なんでだよ」
「何となくなのです」
「何となくで断られた」
ビスタは苦笑し、そのまま前へ向き直った。
隊列はハクサンが先頭。その少し後ろに大河とビスタ。さらにケイ、最後尾にニックという形だった。
少し進んだところで、ハクサンが片手を上げる。
全員の足が止まった。
「来る」
大河にはまだ何も見えない。
数秒後、前方の暗がりから低い唸り声が響いた。
三匹。
犬に似た魔物がゆっくり姿を現す。身体は灰色の毛で覆われ、額には一本ずつ短い角が生えていた。
大河は反射的に右足へ力を入れた。
距離は近い。
あれくらいなら、自分が前へ出ればすぐ終わる。
そう思った瞬間。
「大河、待て」
ハクサンの声が飛んだ。
大河の足が止まる。
「ここは俺が受ける」
ハクサンは盾を前へ構えた。
魔物の一匹が走る。
地面を蹴り、正面から飛びかかってきた。
ガンッ。
牙が盾へぶつかる。
金属音が通路へ響いた。
ハクサンの身体はほとんど動かない。
「ニック」
「分かってる」
後方から弦の音。
矢がハクサンの肩越しを抜け、魔物の前脚へ突き刺さった。
体勢が崩れる。
「ケイ」
「はい!」
ケイの杖先に淡い赤い光が集まった。
「火よ!」
小さな火球が飛び、別の一匹の進路を塞ぐように床へ落ちる。
魔物が横へ逃げた。
「今」
ハクサンの声。
ビスタが前へ出る。
片手剣を抜きながら、もう片方の手を軽く振った。
横風が魔物の身体をわずかに押す。
その瞬間、剣が首筋へ滑り込んだ。
ザシュッ。
一匹が崩れる。
大河はその流れを見ていた。
誰か一人が全部やっているわけではない。
ハクサンが受け、ニックが崩し、ケイが動きを制限し、ビスタが仕留める。
残った一匹が横から飛び出した。
「大河、右!」
ハクサンの声に、大河はすぐ身体を向けた。
魔物の牙が迫る。
今度は止められない。
大河は一歩外へずれ、勢いを利用して肩を押した。
重心が崩れる。
そのまま足を払う。
魔物が横倒しになったところへ拳を叩き込んだ。
ドッ。
身体から力が抜ける。
「そこまで」
ハクサンが盾を下ろした。
戦闘が終わる。
大河は軽く息を吐き、倒れた魔物を見た。
「……俺一人なら、もう少し早く終わったかもしれない」
思わず口から出た。
ハクサンは大河を見たが、怒った様子はなかった。
「だろうな」
「否定しないんですね」
「お前ならそうだろ。でも俺たちの目的は、早く倒すことじゃない」
ハクサンは盾の表面を確認する。
「怪我をせず、消耗を抑えて、奥まで行って、帰ることだ」
大河は少し黙った。
「なるほど」
言葉にすると簡単だった。
それでも、一人で戦う時とは考え方が違う。
自分が倒せるかどうかではない。
全員が無事に先へ進めるか。
「ダンジョンじゃ、一戦ごとに全力なんて使ってたら持たないよ」
ビスタが剣を拭きながら言う。
「だから楽に勝てるなら、その方がいいじゃん」
「お前が言うと急に軽く聞こえるな」
「ひどいなあ」
再び歩き始める。
既存区画では、その後も何度か魔物と遭遇した。
甲殻を持つ虫型の魔物。
天井近くを這う小型の爬虫類。
数は多くない。
ハクサンの指示通りに動けば、危険な場面もほとんどなかった。
大河は少しずつ、前へ出るタイミングを待つことに慣れ始めていた。
一人なら自分の判断だけでいい。
ここでは仲間の位置を見る。
後ろにケイがいる。
さらに後ろにはニック。
ビスタがどこに動くのか。
ハクサンの盾がどこを塞いでいるのか。
意識するものが増える。
それでも、何戦かするうちに不思議と視界が広がっていく感覚があった。
「止まって」
突然、最後尾のニックが低い声を出した。
全員が止まる。
大河は前を見る。
何もいない。
魔石灯の光が届かない先には、黒い闇が広がっているだけだった。
「何かいるのか?」
大河が小声で尋ねる。
「いる」
ニックはすでに弓を構えていた。
「どこ?」
「奥」
大河は目を凝らす。
見えない。
耳を澄ませても、何も聞こえない。
「見えてるのか?」
「見えてない」
「え?」
「音」
ニックはそれだけ言うと、弦を引いた。
指が離れる。
ヒュッ。
矢が闇へ消えた。
しばらく何も起こらない。
その直後。
暗闇の奥から、短い悲鳴が響いた。
何かが床へ倒れる音。
大河は思わずニックを振り返った。
「今の距離で?」
「音がしたから」
「どの辺にいるか分かったのか?」
「だいたい」
「だいたいで当てたのか……」
ニックは特に誇る様子もなく、もう一本矢を取り出した。
「近づけば分かるよ」
大河はしばらくニックの横顔を見ていた。
弓ランキング世界二位。
数字だけは聞いていた。
けれど、実際に見ると意味が違う。
「すごいのです」
ポルポルも小声で呟く。
「ポルポルでも何も見えなかったのですよ」
「俺もだよ」
ビスタが笑う。
「ニックはこういうの得意だからね」
「こういうのって言い方やめろ」
ニックが少しだけ眉を寄せた。
さらに奥へ進むと、通路の造りが少し変わり始めた。
壁には古い石積みが増え、天井も低くなる。
やがて前方に大きな崩落跡が見えてきた。
床には新しい岩片や砂が広がり、その向こうに今までの通路とは角度の違う暗い穴が開いている。
ハクサンが足を止めた。
「ここだ」
大河は穴を見つめる。
「新規区画?」
「そう。数日前、この壁が崩れた」
ハクサンは崩れた石へ触れた。
表面にはまだ細かな粉が残っている。
「この奥は未調査だ」
ケイが小さく息を吐く。
「やっぱり空気違うね」
大河も感じていた。
新しい通路の奥から流れてくる空気は、これまでよりさらに冷たい。
湿気も強い。
そして妙に重い。
ハクサンが全員を見回す。
「ここから本番だ。何か見つけても勝手に触るな。魔物を見ても、俺が言うまで攻撃しない」
「了解」
大河が答える。
ポルポルだけは通路の奥をじっと見つめていた。
「ポルポル?」
大河が声をかける。
返事がない。
「どうした?」
少しして、ポルポルがゆっくり振り向いた。
「大河さん」
「ん?」
「ここ……嫌なのです」
いつもの調子とは違った。
声が小さい。
羽もほとんど動いていない。
「何かいるのか?」
「分からないのです」
「匂い?」
「違うのです」
ポルポルは胸元へ小さな手を当てた。
「何なのか分からないけど……ポルポルの中の何かが、戻った方がいいって言ってるのです」
大河の表情から笑みが消えた。
「ハクサン」
「聞こえた」
ハクサンも奥を見ている。
「無理に進まない。少し入って異常があれば戻る」
その判断に誰も反対しなかった。
一行はゆっくり新規区画へ入った。
足元の感触が変わる。
今まで踏み固められていた床とは違い、細かな砂や砕けた石が多い。
壁には長い亀裂が走っている。
そして。
音がない。
既存区画では、遠くから魔物の鳴き声や爪が床を擦る音が聞こえていた。
ここには何もない。
足音だけがやけに大きく響く。
「静かすぎるな」
ビスタが珍しく声を抑えた。
ニックも弓を構えたまま周囲を探っている。
「何もいない」
「それが逆に怖いね」
ケイが杖を握り直した。
少し進んだところで、ハクサンが突然立ち止まる。
「止まれ」
大河が前を見る。
床に何かが転がっていた。
最初は黒い岩に見えた。
近づくと、それが魔物の身体だと分かった。
大きな甲殻を持つ虫型魔物。
ただし、原形をほとんど残していない。
厚い殻は中央から砕け、身体が地面へ押し潰されている。
「これ……」
ケイが口元へ手を当てた。
ハクサンはしゃがみ込み、死骸を確認する。
「最近だ」
「何にやられた?」
大河が尋ねる。
「分からない」
ハクサンの声が少し低くなる。
さらに少し先にも死骸があった。
一匹。
二匹。
今度は大型の獣型魔物。
その身体も壁へ叩きつけられたように潰れている。
「これ、普通じゃないよな」
ビスタの顔から笑みが消えていた。
ニックが壁を指差す。
「これ見て」
全員の視線が向く。
岩壁に、深い溝が三本走っている。
爪痕。
一本一本が大河の腕より太い。
「でかい……」
大河は思わず呟いた。
さらに床へ目を向けると、くぼみがあった。
足跡。
人間の何倍もある。
ポルポルが大河の肩へぴったり身体を寄せた。
「大河さん……」
「うん」
大河自身も、身体の奥が冷たくなるような感覚を覚えていた。
ハクサンが立ち上がる。
「戻る」
迷いのない声だった。
「もう?」
ビスタが尋ねる。
「ああ。十分だ」
ハクサンは巨大な爪痕へ一度視線を向けた。
「未知の大型魔物がいる。しかも、この辺の魔物を一方的に殺してる。これだけ持ち帰れば調査として成立する」
「正解だと思う」
ニックもすぐ頷く。
大河も異論はなかった。
誰も奥を見ようとは言わない。
一行は来た道へ戻り始めた。
その時。
ズズズ……。
足元が揺れた。
大河は反射的に壁へ手をついた。
「地震?」
「違う」
ハクサンが天井を見る。
細かな砂がぱらぱらと落ちてくる。
「崩落だ!」
次の瞬間。
後方から轟音が響いた。
ドォン!
全員が振り返る。
さっきまで通ってきた通路の一部が崩れ、大量の岩が積み重なっていた。
「嘘だろ……」
ビスタが低く呟く。
ハクサンがすぐ岩へ近づく。
「塞がった」
「壊せる?」
ケイが聞く。
「時間がかかる」
大河も崩落した壁を見る。
自分の力なら多少は動かせるかもしれない。
だが、その時だった。
ドン……。
奥から音がした。
全員の動きが止まる。
ただの落石ではない。
重いものが地面を踏んだ音。
ドン……。
また一つ。
今度は少し近い。
床の小石が微かに跳ねる。
ポルポルの毛が逆立った。
「大河さん……」
声が震えている。
「来るのです」
ハクサンが盾を構える。
ニックが矢をつがえた。
ケイの杖先に魔力が集まる。
ビスタも黙って剣を抜いた。
大河は拳を握り、暗闇を見る。
ドン……。
さらに近い。
魔石灯の光が届かない奥で、何か巨大なものが動いた。
まず見えたのは前脚だった。
黒い。
岩そのものが動いているような太い脚。
次に、光を吸い込むような鱗。
巨大な頭部が、ゆっくり暗闇から姿を現す。
通路が急に狭くなったように見えた。
大河は息を止めた。
アーマードオーガとは比べものにならない。
存在しているだけで、周囲の空気が重く感じられる。
巨大な瞼が開く。
鈍い金色の瞳が、こちらを捉えた。
「……嘘だろ」
ハクサンの声が掠れた。
大河は横顔を見る。
「知ってるのか?」
ハクサンは答えず、盾の縁を強く握った。
指が白くなる。
「……アビス・ヴルム」
「何?」
ハクサンの顔から血の気が引いていく。
「S級だ」
次の瞬間、ハクサンが叫んだ。
「戦うな! 全員、逃げろ!」
第58話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は大河にとって、初めて本格的に「パーティーで戦う」回になりました。
ハクサンが守り、ニックが射抜き、ケイが魔法で動きを制限し、ビスタが仕留める。
一人なら自分だけを見ればいいですが、仲間と戦う時は全員の位置や役割を見る必要がある。
大河にとっても、新しい経験になったと思います。
そして未調査区画で見つけた、明らかに普通ではない痕跡。
引き返す判断は正しかったはずなのですが……。
最後に現れたのは、S級アビス・ヴルム。
「戦うな、逃げろ」
果たして、逃げ道を失った五人はどうするのか。
次回もよろしくお願いします!




