第56話 いつの間にか居候
第56話です。
森で出会い、そのまま大河についてきた冒険者ビスタ。
一晩だけのはずが、翌朝になっても当然のように診療所にいるようで……。
自由すぎるビスタに振り回される大河とエリカ。
果たして、この男はいつまでいるのでしょうか。
今回もよろしくお願いします!
翌朝、大河が目を覚ますと、診療所の上階には香ばしいパンの匂いが漂っていた。
窓の外では朝日がまだ低く、向かいの屋根を淡く照らしている。昨夜のアーマードオーガ戦の疲れは完全には抜けておらず、身体を起こした瞬間、肩から背中にかけて鈍い張りが残っているのが分かった。右拳も痛みこそほとんどないものの、強く握ると奥にわずかな違和感が残っている。
「……まだ少し残ってるな」
大河は手を開き、指を一本ずつ曲げた。
「大河さん、起きたのです?」
枕元で丸くなっていたポルポルが、眠そうに顔を持ち上げた。紫がかったピンク色の毛が寝癖のように乱れ、小さな羽も半分閉じたままだった。
「そろそろ学院行かないと」
「今日は剣なのです?」
「剣だな」
大河は寝台から降り、着替えを始める。
すると階下から、聞き慣れない男の笑い声が響いてきた。
手が止まった。
「……まだいるのか」
昨夜、森から当然のようについてきたビスタの顔が浮かぶ。
結局、エリカから正式に泊まっていいと言われた記憶はない。
それなのに昨夜は「空いてる部屋あるじゃん」と勝手に部屋を見つけ、そのまま荷物を置き、気づけば寝ていた。
大河は軽く額を押さえた。
「どうしたのです?」
「下行けば分かるよ」
ポルポルを連れて階段を降りる。
食卓のある部屋へ入った瞬間、大河は足を止めた。
ビスタがいた。
しかもすでに椅子へ座り、皿の上に置かれたパンを頬張っている。
「お、起きたじゃん」
片手を上げる姿には、昨夜初めてこの家へ来た人間らしい遠慮が一切なかった。
向かい側にはエリカが座っている。
こちらは逆に、かなり不機嫌そうだった。
白い髪の少女は腕を組み、ビスタをじっと睨んでいる。その前には手つかずの茶が置かれ、表面から細い湯気が上がっていた。
「……何してるんだ?」
大河が聞くと、ビスタはパンを飲み込んだ。
「朝飯」
「それは見れば分かる」
「パン結構うまいよ」
「そうじゃなくて」
エリカが机を軽く叩いた。
「大河くん!」
「はい」
「わしはこやつを泊めると言っておらぬぞ!」
「俺も聞いてません」
「でも泊まれたじゃん」
ビスタが平然と口を挟む。
エリカの眉がぴくりと動いた。
「そういう問題ではない!」
「空いてる部屋あったし」
「勝手に入っただけじゃろう!」
「鍵かかってなかったじゃん」
「おぬしは人の家というものを何だと思っておる!」
ビスタは少しだけ考えた。
「雨風しのげる場所?」
「そういう意味ではない!」
大河は椅子を引きながら、小さく息を吐いた。
「昨日のうちに追い出さなかったんですか?」
「追い出そうとしたわ!」
「でももう夜だったじゃん」
ビスタが当然のように答える。
「夜に追い出して魔物に襲われたら後味悪いでしょ?」
「そこまで計算しておったのか?」
「いや、今思いついた」
「なお悪いわ!」
ポルポルが大河の横へ飛んできて、テーブルのパンを見つめる。
「ポルポルの分はあるのです?」
「あるぞい」
エリカが皿を一つ差し出す。
「やったのです!」
ポルポルはすぐにそちらへ飛んでいった。
大河は食卓につきながら、ビスタを見る。
「今日どうするんだ?」
「どうするって?」
「宿取るんだろ?」
「まだ朝じゃん」
「夜になったらまた泊まる気じゃないだろうな」
ビスタはパンをちぎりながら笑った。
「その時考えればよくない?」
「よくない」
「細かいなあ」
大河は一瞬、何か言い返そうとしたが、壁の時計へ目を向けてやめた。
学院へ行く時間が近い。
「エリカ、すみません。俺そろそろ学院行かないと」
「待つのじゃ!」
エリカの顔が勢いよくこちらへ向く。
「こやつを置いていくつもりか!」
「俺が連れてきたわけじゃ……」
そこまで言って、大河は口を閉じた。
昨日、確かに自分がここまで一緒に歩いてきた。
「……一応、連れてきたことになるのか」
「なるのじゃ!」
ビスタが笑う。
「じゃあ責任取ってよ」
「お前が言うな」
ポルポルがパンを口いっぱいに頬張ったまま、大河の肩へ飛び移った。
「学院に遅れるのです」
「そうなんだよ」
大河は立ち上がり、エリカへ軽く頭を下げた。
「とりあえず、お願いします」
「何をじゃ!」
「ビスタを」
「大河くーん!」
エリカの声を背中で受けながら、大河は逃げるように診療所を出た。
朝の街へ出ると、涼しい風が頬を撫でた。
ポルポルが肩の上で振り返る。
「エリカさん、怒ってるのです」
「だろうな」
「ビスタさん、追い出されるのです?」
「分からない」
大河は少し考えたあと、苦笑した。
「でも、あいつ追い出されても普通に夕方戻ってきそうなんだよな」
「ありそうなのです」
二人の意見だけは、妙に一致した。
学院では予定通り剣術の基礎訓練が行われた。
キルギスは大河のアーマードオーガ討伐など知るはずもなく、今日も木剣を渡すなり「昨日と同じ」とだけ告げた。
大河は足運びと踏み込みを繰り返しながら、何度かビスタの戦い方を思い出した。
風魔法で魔物の軌道をずらし、そのまま剣を入れる。
剣と魔法を別々に使っていない。
二つ合わせて一つの攻撃にしていた。
大河もアーマードオーガ戦では、速さと素手格闘、それに水魔法を組み合わせた。けれど、あれは追い込まれた中で偶然つながった感覚に近い。
ビスタは最初からそう戦っている。
「大河」
タイラの声で意識が戻る。
「また剣先ずれてるぞ」
「あ、ごめん」
「何考えてるんだ?」
「ちょっと昨日のこと」
「昨日?」
「まあ、色々あって」
説明すれば長くなる。
大河は木剣を構え直した。
今は剣術。
キルギスに言われた通り、まずは一つずつ身体へ染み込ませる。
それでも頭の片隅には、ビスタの「その方が楽じゃん」という軽い言葉が残り続けた。
一方、その頃。
診療所ではエリカが朝から頭を抱えていた。
「おぬし、いつまでそこにおるつもりじゃ」
「別に邪魔してないじゃん」
ビスタは待合室の椅子へ座り、窓の外を眺めていた。
「いるだけで邪魔じゃ」
「ひどいなあ」
「宿代もあるのじゃろう。泊まる場所を探してこい」
「今日の夜でよくない?」
「今すぐ行け!」
エリカが指差したところで、診療所の扉が開いた。
「先生!」
若い男が肩を貸しながら、足を引きずる冒険者を連れて入ってくる。
負傷した男の左脚には布が巻かれていたが、血が滲み、赤黒く染まっていた。
エリカの表情が瞬時に変わった。
「そこへ寝かせるのじゃ」
先ほどまでの苛立ちは消え、声も低く落ち着く。
ビスタは椅子から身体を起こした。
「何にやられた?」
「森でボア系の魔物に……牙を受けて」
付き添いの男が息を切らしながら答える。
「出血してるじゃん」
ビスタはすぐ負傷者の反対側へ回り、肩を支えた。
「こっち持つよ。ゆっくり」
エリカが一瞬だけ彼を見たが、何も言わなかった。
診察台へ寝かせる。
ビスタは血で濡れた布を外し、傷口が見えるよう脚の位置を整えた。
「水」
エリカが言う。
ビスタはすぐ近くの水差しを取る。
「清潔な布じゃ」
「これ?」
「それじゃ」
手の動きに迷いがない。
エリカは傷を確認しながら、ちらりとビスタを見た。
「慣れておるのう」
「冒険者やってりゃ怪我人くらい見るじゃん」
「回復魔法も使えると言っておったな」
「少しだけ」
「やってみい」
「俺が?」
「わしが見ておる。失敗しても止める」
ビスタは肩をすくめ、傷へ掌をかざした。
淡い緑色の光が生まれる。
傷口の周囲がゆっくり閉じ始めるが、光にはわずかな揺らぎがあった。
エリカの目が細くなる。
「魔力を広げすぎじゃ」
「そう?」
「傷全体へ撒くな。裂けている部分へ沿わせるように流せ」
「こんな感じ?」
ビスタは指先を少し動かした。
光の形が細くなる。
傷の縁へ沿うように魔力が集まり、先ほどより明らかに治癒が速くなった。
「おっ」
ビスタ自身が目を丸くした。
「すげえ。いつもより楽じゃん」
「当然じゃ」
エリカは腕を組み、小さく鼻を鳴らした。
「誰に教わっておると思っておる」
「エリカって結構すごいんだな」
エリカの眉が跳ね上がる。
「今さら何を言っておる!」
「見た目小さいからさ」
「誰が小さい!」
患者の男が痛みに耐えながらも、わずかに口元を緩めた。
それから昼まで、診療所には何人かの患者が訪れた。
ビスタは追い出されるどころか、いつの間にかエリカの横で動いていた。
高い棚の薬を取る。
患者を診察台まで運ぶ。
包帯を巻く。
簡単な傷には、自分の回復魔法を使う。
スポット冒険者として様々なパーティーを渡り歩いてきただけあり、最低限の応急処置は身体に染みついているらしい。
「そこ、もう少しきつく巻くのじゃ」
「これくらい?」
「強すぎる」
「どっちだよ」
「加減を覚えい」
「細かいなあ」
「治療とは細かいものじゃ!」
口では文句を言いながらも、エリカはもうビスタを追い出そうとはしなくなっていた。
夕方。
学院から帰ってきた大河が診療所の扉を開けると、最初に目に入ったのは受付横の椅子へ座るビスタだった。
「おかえり」
大河の足が止まる。
「……なんでお前が言うんだよ」
「帰ってきたから」
「そうじゃなくて」
「大河さん!」
肩の上からポルポルが勢いよく飛び出す。
「ビスタさん、まだいるのです!」
「見れば分かるよ」
奥からエリカが姿を現した。
朝とは違い、怒っている様子はない。
「大河くん、おかえり」
「ただいまです。……で、追い出さなかったんですね」
「まあの」
エリカはビスタへ視線を向ける。
「こやつ、思ったよりは使える」
「俺、結構役に立つじゃん」
ビスタが胸を張る。
「自分で言うなよ」
大河は呆れながらも、少し驚いていた。
「何したんだ?」
「診療所手伝ってた」
「ビスタが?」
「回復魔法も教えてもらった」
「へえ」
「エリカ、すごいじゃん」
「だから今さらじゃ!」
エリカの声が診療所へ響く。
大河は笑いながら、荷物を置いた。
朝の時点では、夕方にはいなくなっていると思っていた。
それが今では、ずっと前から住んでいたような顔で椅子へ座っている。
ビスタという男には、周囲へ入り込む妙な速さがあるらしい。
「じゃあさ」
ビスタが椅子から立ち上がる。
「しばらくここ住んでいい?」
大河の笑顔が止まった。
「なんでそうなるんだよ」
「今日手伝ったじゃん」
「一日手伝っただけだろ」
「これからも手伝えばよくない?」
エリカが腕を組む。
「ふむ」
「エリカ?」
「条件次第じゃな」
「え?」
今度は大河が驚いた。
ビスタは嬉しそうにエリカを見る。
「マジで?」
「診療所を手伝うこと。食費は自分で出すこと。それから家の物を勝手に使わぬこと」
「分かった分かった」
「本当に分かっておるのか?」
「たぶん」
「不安しかないのじゃ!」
大河は額を押さえた。
「エリカ、本当にいいんですか?」
「大河くんが学院へ行っている間、人手があるのは助かるからの。それに軽い回復魔法なら使えるしの」
「まあ……エリカがいいなら」
「よし、決まりじゃん」
「まだ俺は何も決めてないぞ」
「でも大河の家じゃないんだろ?」
「……そこを言われると弱いな」
ポルポルが楽しそうに二人の間を飛ぶ。
「住人が増えたのです!」
「また騒がしくなるな」
大河が苦笑すると、ビスタはすでに自分の荷物をどこへ置くか考えているようだった。
夕食を終えた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
窓の向こうには街の灯りが点々と浮かび、診療所の中には温かい茶の香りが漂っている。
大河が椅子へ座って剣術の復習を頭の中で整理していると、向かい側からビスタが声をかけてきた。
「そういや大河」
「ん?」
「次の休み、空いてる?」
「何で?」
「俺がたまにスポットで入ってるパーティーから声かかってるんだよ」
ビスタは椅子の背へ身体を預ける。
「一人足りないらしくてさ。一緒に来ない?」
「俺が?」
「そう」
「急だな」
「いいじゃん。お前、パーティーで冒険したことないんだろ?」
大河は返事を止めた。
言われてみれば、これまでの冒険はほとんどポルポルとの二人だった。
他の冒険者と一緒に依頼を受けたことはない。
「どんな依頼?」
「そこは聞いてない」
「聞いてないのかよ」
「行けば分かるじゃん」
「それでよく仕事受けるな」
「だから色んなパーティーに入れるんだよ」
ビスタは楽しそうに笑う。
「行かない?」
大河は少しだけ考えた。
剣も魔法も、まだ覚えることは多い。
そして昨日、ビスタの戦い方を見てから、他の冒険者がどう戦うのかにも興味が出ていた。
「……依頼次第かな」
「じゃあ決まりじゃん」
「まだ決まってない」
「ほぼ決まりでしょ」
「勝手だな」
大河が苦笑すると、ビスタは満足そうに椅子へ深く座り直した。
昨日まで、大河とポルポルで冒険へ出るのが当たり前だった。
けれど次の休みは、少し違う景色を見ることになるかもしれない。
大河は湯気の立つ茶へ視線を落としながら、まだ見ぬパーティーの姿をぼんやりと思い浮かべていた。
第56話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回はビスタが、そのまま診療所へ居ついてしまう回でした。
図々しくて自由人ですが、回復魔法が使えて応急処置にも慣れているため、エリカの診療所とは意外に相性がいいようです。
最初は完全に追い出すつもりだったエリカが、夕方には「条件次第じゃな」となっているあたり、ビスタの入り込む力はなかなか侮れません。
大河、ポルポル、エリカの三人だった生活にも、少しずつ新しい風が入ってきました。
そして次回は、ビスタが時々参加している冒険者パーティーへ大河も同行することになりそうです。
これまで大河は基本的に自分の力で戦ってきましたが、複数人で役割を分担して戦えば、また違った発見があるはず。
剣、魔法、回復、それぞれを組み合わせるビスタの戦い方も含めて、大河が「集団で戦う」ということをどう受け止めるのか。
次回もよろしくお願いします。




