第54話 ランス・ドー
第54話です。
今回は、ついにAランク指定魔物、アーマードオーガとの戦いです。
素手格闘ではハイランカーとなり、魔力も第三段階まで解放された大河ですが、今回の相手はこれまでの魔物とは明らかに違います。
拳が通らない。
水魔法も決定打にならない。
さらに、重心を崩しても圧倒的な腕力で耐えてくる。
これまで学んできた一つの力だけでは届かない相手に、大河はどう戦うのか。
そして今回は、ポルポルもただの応援役ではありません。
大河とポルポル、二人だからこそ見つけられる突破口にも注目してもらえたら嬉しいです。
アーマードオーガの太い指が、ぴくりと動いた。
大河とポルポルは同時に息を止めた。森の奥にできた小さな空き地には、風が枝葉を揺らす音すら遠く感じられるほどの静けさが落ちている。目の前の巨体は、相変わらず木にもたれかかるように座ったままだった。
やがて、アーマードオーガの肩が大きく上下した。
「……寝返りなのです?」
大河の肩の後ろへ隠れていたポルポルが、ほとんど囁くような声を出した。
「たぶん」
大河も声を抑える。
巨大な魔物はわずかに身体を傾けただけで、再び低い寝息を響かせ始めた。ズズズ……という音に合わせ、胸部を覆う黒褐色の装甲がゆっくり持ち上がる。
依頼は討伐。
だからといって、眠っている相手へいきなり全力で殴りかかるのも妙な気分だった。
「どうするのです?」
「どうするって言われてもな」
「起こすのです?」
「討伐しに来て、寝てるから帰りましたじゃ仕事にならないだろ」
「受付のお姉さんには危なくなったら逃げると言ったのです」
「まだ何もしてない」
大河はゆっくり前へ出た。
一歩。
湿った土が靴の下で小さく沈む。
二歩。
距離が縮まるにつれて、アーマードオーガの大きさがさらに現実味を帯びてくる。座っているだけなのに、大河が立っている時より遥かに高い。腕一本だけでも、人間の胴ほどの太さがあった。
「大河さん」
ポルポルの声が背中から飛ぶ。
「無理だと思ったらすぐ逃げるのですよ」
「分かってる」
大河は拳を握った。
まずは、自分の素手格闘がどこまで通じるか確かめる。
眠っている相手へ全力を叩き込むつもりはなかった。軽く反応を見ようと、さらに一歩踏み込んだ、その時だった。
アーマードオーガの目が開いた。
濁った黄色の瞳。
大河の身体が反射的に止まる。
ほんの数秒、互いに動かなかった。
アーマードオーガは目の前に立つ人間を理解できていないように、大河をぼんやり見つめていた。
次の瞬間。
「グォオオオオオオッ!」
空気が震えた。
大河は思わず後ろへ跳んだ。
咆哮だけで腹の奥へ響く。木々から鳥が一斉に飛び立ち、落ち葉が舞い上がった。
「起きたのです!」
「見れば分かる!」
アーマードオーガが立ち上がる。
地面を押した掌だけで、巨体がゆっくり持ち上がった。
大河はその姿を見上げ、思わず唇を引き結んだ。
でかい。
座っていた時とはまるで印象が違った。頭は近くの低い枝に届きそうな高さがあり、肩幅も人間の倍どころではない。胸部にはさらに厚い装甲が張り付き、その中央付近だけ、他よりわずかに盛り上がっている。
アーマードオーガは大河を見下ろし、鼻から荒い息を吐いた。
「来るぞ」
大河が呟く。
巨体が動いた。
速い。
見た目から想像した鈍重さとは違い、一歩が大きい。地面を蹴っただけで数メートルの距離が一気に消えた。
太い腕が横から薙ぎ払われる。
大河は身体を沈めた。
頭上を巨大な拳が通過する。
風圧だけで髪が強くなびいた。
「大河さん!」
「大丈夫!」
大河は懐へ入った。
右拳を握る。
腰を回し、胸部の下あたりへ拳を叩き込む。
ゴッ。
「っ……!」
拳に返ってきた感触は、肉ではなかった。
岩を殴ったような硬さ。
アーマードオーガの巨体はわずかに揺れただけで、ほとんど動かない。
大河はすぐ距離を取った。
「硬っ……」
右拳に鈍い痺れが残る。
アーマードオーガが怒りの声を上げた。
今度は両手を頭上へ持ち上げる。
「まずい!」
大河は横へ飛んだ。
両拳が地面へ叩きつけられる。
ドゴォン!
土と石が一気に弾け飛んだ。
さっきまで大河が立っていた場所に、大きな穴ができている。
ポルポルが上空へ逃げながら叫んだ。
「当たったら潰れるのです!」
「それは俺も分かった!」
大河はアーマードオーガの周囲を回るように走った。
まず真正面から殴り合うのは無理だ。
攻撃力が違いすぎる。
しかも、こちらの拳はまともに効かない。
なら。
大河は走りながら右手を前へ向けた。
胸の奥の魔力へ意識を向ける。
第三段階まで開いた魔力の流れが、腕へ集まってくる。
「試してみるか」
掌の前へ水が集まる。
昨日より慎重に魔力を絞る。
それでも十分な大きさの水弾が生まれた。
「行け!」
水弾が一直線に飛ぶ。
アーマードオーガの肩へ直撃。
ドンッ!
大量の水が弾け、巨体がわずかに後ろへよろめいた。
「効いたのです!」
「いや……」
水が流れ落ちる。
アーマードオーガは肩を一度回しただけだった。
装甲にはほとんど傷がない。
「これでも駄目か」
大河の口元から息が漏れた。
魔力解放後の水魔法。
道中の魔物なら、一発で吹き飛んだ。
それが今は、少し揺らしただけ。
「グルルルル……」
アーマードオーガの目が大河を捉える。
次の瞬間、巨体が突進してきた。
大河は横へ走る。
速さでは負けない。
方向を変える。
アーマードオーガも追ってくる。
さらに切り返す。
巨体の動きが少し遅れる。
「やっぱり……」
大河は足元へ視線を落とした。
腕力も防御力も桁違い。
魔法にも強い。
でも、身体が大きい分、急な方向転換ではどうしても遅れる。
「ポルポル!」
「はいなのです!」
「上から足を見ててくれ!」
「足?」
「どっちに体重が乗ってるか、分かったら教えて!」
「やってみるのです!」
ポルポルが高く飛ぶ。
大河は速度を上げた。
右。
左。
アーマードオーガの正面へ一度入り、すぐ横へ抜ける。
巨大な腕が追ってくる。
大河は紙一重で避けた。
拳が木へ当たる。
バキッ!
太い幹が途中から折れた。
「大河さん、右なのです!」
ポルポルの声が飛ぶ。
「右足にいっぱい力が入ってるのです!」
大河は視線を落とした。
アーマードオーガが攻撃する瞬間、確かに右脚へ体重が乗っている。
そこから左腕を振る。
攻撃後、重心が前へ流れる。
「見えた」
大河はもう一度誘った。
正面へ。
アーマードオーガが腕を振り上げる。
大河はぎりぎりまで待った。
拳が落ちる。
直前で横へ。
巨大な拳が地面を抉る。
同時に大河は右脚の外側へ回り込んだ。
足首へ手を当てる。
力任せには押さない。
ワイナから何度も教え込まれた感覚。
相手が動く方向。
重心の流れ。
その流れを、ほんの少しだけ横へずらす。
「っ!」
大河は全身を使って力を流した。
アーマードオーガの巨体が傾く。
「グォッ!?」
「いける!」
大河はさらに脚へ圧力をかける。
しかし。
アーマードオーガは左手を地面へついた。
バンッ!
巨大な腕一本で身体を支える。
倒れない。
「嘘だろ」
人間なら完全に崩れている姿勢だった。
それを腕力だけで止めた。
アーマードオーガの顔が大河へ向く。
距離が近い。
「まずい!」
大河は跳んだ。
直後、巨大な足が地面へ踏み下ろされる。
ドンッ!
衝撃で身体が浮きそうになる。
大河は着地しながら距離を取った。
「大河さん、今の危なかったのです!」
「こいつ、学習してる」
足元へ入った大河を待っていた。
ただ力が強いだけではない。
同じ攻め方を繰り返せば、次は狙われる。
大河は呼吸を整えながら、アーマードオーガを見る。
倒せない。
殴っても通らない。
魔法も決定打にならない。
重心を崩しても耐える。
ならどうする。
アーマードオーガが再び突進してくる。
大河は走った。
木々の間を抜け、さらに方向を変える。
巨体が追う。
「右なのです!」
ポルポルの声。
大河はまた右脚を見る。
何度も走らせる。
何度も切り返させる。
徐々に動きが荒くなってくる。
アーマードオーガが苛立ったように咆哮した。
腕を振り回す。
大河はかわす。
また走る。
「大河さん、右足が少し遅くなってるのです!」
「分かった!」
大河は真正面へ回った。
「来い!」
アーマードオーガが大きく踏み込む。
右脚へ体重が乗る。
巨体が前へ出る。
大河は直前で外へ。
そのまま右脚の内側へ潜り込む。
手を足首へ。
腰を低く。
自分で倒そうとしない。
前へ流れている巨体の力を、そのまま利用する。
「こっちだ!」
大河は身体を回した。
アーマードオーガの右脚がわずかにずれる。
支える位置を失った巨体が、大きく前へ傾いた。
左手を地面へつこうとする。
「させるか!」
大河はさらに速く回り込み、その腕の着地点へ水弾を撃ち込んだ。
地面が泥状に崩れる。
アーマードオーガの掌が滑った。
「グォオッ!?」
支えを失う。
次の瞬間。
ズズゥゥン!!
巨体が地面へ倒れ込んだ。
森全体が揺れたような衝撃だった。
土埃が舞い上がる。
「倒れたのです!」
ポルポルの声。
大河は呼吸を荒くしながら、倒れた巨体を見る。
「まだだ」
アーマードオーガの腕が動く。
起き上がろうとしている。
その時。
胸部の装甲がずれた。
中央にあった盛り上がり。
その隙間から、黒い結晶のようなものが見えた。
「……あれか?」
「大河さん、胸なのです!」
ポルポルも気づいた。
アーマードオーガが片肘を立てる。
大河は一気に距離を詰めた。
拳を構える。
胸部の核へ全力で叩き込んだ。
ゴンッ!
「っ……!」
腕に鋭い痺れが走った。
核には細い傷ひとつ付かない。
「ここまで硬いのか」
アーマードオーガが起き上がろうとする。
時間がない。
大河は後ろへ跳び、右手を前へ出した。
水魔法。
普通に撃っても通らない。
さっき肩へ当てた水弾もほとんど効かなかった。
そこで昨日のエリカの言葉が蘇った。
『強い魔法を撃つだけなら簡単じゃ』
強い魔法。
大きな魔法。
それだけでは駄目。
大河は胸部の核を見る。
「大きくする必要はない……」
掌に水が集まる。
いつものように球体にしない。
細く。
さらに細く。
大量の水を一本の線へ押し込むように意識する。
「大河さん?」
ポルポルが戸惑った声を出す。
水が震える。
形が崩れそうになる。
大河は歯を食いしばった。
第三段階まで開いた魔力を流す。
もっと。
さらに。
魔力を広げるのではなく、一点へ。
掌の前に集まった水が、少しずつ槍のような形へ変わっていく。
細い。
だが、その周囲の空気が震えていた。
「広げるから、力が逃げる」
大河は呼吸を整えた。
「だったら全部、一点に集めればいい」
アーマードオーガが身体を起こし始める。
「大河さん、早くなのです!」
「分かってる!」
水の槍の先端が、胸部の核へ向く。
狙いを外せば終わる。
この魔力をもう一度集め直せる保証はない。
大河は腕を固定した。
魔力を最大まで流し込む。
水の槍がさらに細くなる。
高い音が鳴った。
アーマードオーガが大河を見る。
「グォオオオッ!」
立ち上がる。
大河は息を吐いた。
「……貫け」
右手を突き出す。
「ランス・ドー!」
水の槍が放たれた。
一直線。
空気を裂き、胸部へ突き刺さる。
ズドンッ!
アーマードオーガの身体が止まった。
核と水の槍がぶつかり合う。
水は弾けない。
細い一点へ集中したまま、核へ圧力をかけ続ける。
「まだだ!」
大河はさらに魔力を流した。
掌が震える。
腕が重くなる。
胸の奥から魔力が一気に抜けていく感覚があった。
核の表面に細い亀裂が走る。
「大河さん! 割れてるのです!」
「いけぇぇっ!」
大河が最後の魔力を押し込む。
バキンッ!
硬い音が森に響いた。
黒い核が中央から砕ける。
水の槍がそのまま奥へ突き抜けた。
アーマードオーガの巨大な身体が硬直する。
目から力が消えた。
一歩。
二歩。
後ろへよろめく。
そして。
ズズゥゥン……。
巨体が仰向けに倒れた。
地面が大きく震え、枯れ葉が舞い上がる。
大河は右腕を下ろした。
「……はぁ……」
膝が少し笑う。
魔力を一気に使ったせいか、身体の奥が空っぽになったような感覚がある。
「大河さん!」
ポルポルが飛んできた。
「大河さん、大丈夫なのです!?」
「大丈夫……ちょっと疲れただけ」
大河は倒れたアーマードオーガへ視線を向けた。
動かない。
胸部の核は完全に砕けている。
ようやく肩から力が抜けた。
「倒したのです!」
「みたいだな」
「Aランクなのです!」
ポルポルが興奮したように空中を回る。
「大河さん、一人でAランクを倒したのです!」
「ポルポルも手伝ってくれただろ」
ポルポルが動きを止める。
「ポルポルもなのです?」
「足のこと教えてくれたし、上から見てくれた。助かったよ」
ポルポルの胸が少し膨らんだ。
「当然なのです。ポルポルは大河さんの相棒なのですよ」
「頼りにしてる」
素直にそう言うと、ポルポルは照れたように顔を逸らした。
少しして、その視線が大河の右手へ向く。
「そういえば大河さん」
「ん?」
「最後の水の槍、何なのです?」
「今考えた」
「今?」
「普通の水魔法じゃ核を壊せなかったから、細くして全部集中させてみた」
ポルポルの目が大きくなる。
「戦ってる途中で必殺技を作ったのです!?」
「必殺技ってほどじゃ……」
「名前まで言ってたのです!」
「なんとなく出てきただけだよ」
「ランス・ドーなのです!」
ポルポルはすっかり気に入ったらしく、何度も口にしている。
「大河さんの必殺技なのですよ!」
「まだ一回しか使ってないけどな」
大河は自分の右手を見た。
今の技を何度も使えるとは思えない。
魔力の消費が大きすぎる。
圧縮するまで時間もかかる。
動いている相手へ当てるのも難しい。
完成とは程遠い。
それでも。
自分で考え、自分の魔力を使い、一つの技として形にした。
その感覚は、今まで誰かに教えられた魔法とは少し違っていた。
大河は倒れたアーマードオーガへもう一度目を向けた。
拳だけでは勝てなかった。
魔法だけでも勝てなかった。
速さで動かし、重心を読み、足元を崩し、最後に魔法を一点へ集めた。
どれか一つだけでは、ここまで辿り着けなかっただろう。
「帰るか」
「はいなのです!」
ポルポルが元気よく答える。
「帰ったらお祝いなのです!」
「またかよ」
「Aランク討伐と必殺技誕生のお祝いなのですよ!」
「二つまとめるのか?」
「豪華になるのです!」
大河は苦笑しながら歩き出した。
森の中には、先ほどまでとは違う静けさが戻っていた。
拳の奥にはまだ硬い核を殴った痺れが残り、胸の奥には魔力を使い切った重さがある。
けれど、その身体には、それ以上に新しい感覚が刻まれていた。
相手の力を見る。
流れを読む。
自分の持っているものを一つずつ重ねる。
大河は歩きながら、無意識に右拳をゆっくり握った。
素手格闘も、魔法も、まだ先がある。
そのことが、以前よりはっきり分かる戦いだった。
第54話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、大河がこれまで覚えてきたものを全部使う戦いになりました。
ワイナから学んだ重心と崩し。
世界一の速さを生かした立ち回り。
エリカから教わった水魔法。
そして、上空から相手の動きを見てくれるポルポル。
拳だけでも、魔法だけでも倒せなかったアーマードオーガだからこそ、大河が少しずつ「自分の戦い方」を作り始める回になったと思います。
そして最後に生まれた新技。
ランス・ドー。
まだ発動まで時間がかかり、魔力消費も大きく、完成した技とは言えません。
それでも、誰かから教わった魔法ではなく、大河自身が戦いの中で考えて生み出した最初の技です。
そして個人的には、今回いちばん大きかったのはポルポルかもしれません。
「ポルポルも手伝ってくれただろ」
大河からそう言われたことで、ポルポルも少しずつ「案内役」ではなく、本当の意味で大河の相棒になってきました。
次回はAランク討伐を終えた大河が街へ戻ります。
この討伐が冒険者ギルドや周囲へどんな反応を生むのか。
そして新しく生まれたランス・ドーが、これからどんな技へ育っていくのか。
次回もよろしくお願いします。




