第53話 Aランクの魔物
第53話です。
今回は、久しぶりの冒険者ギルドから始まります。
素手格闘ではハイランカーへ到達し、魔力も第三段階まで解放された大河。今の自分が魔物相手にどこまで通用するのか、その力を確かめるために選んだ依頼は、Aランク指定魔物の討伐でした。
道中では、ワイナから学んだ崩しや投げ、そして解放されたばかりの水魔法も実戦で試していきます。
以前より確実に強くなった大河。
ですが、森の奥で待っていた相手を前にすると、その自信も一度静かに止まります。
眠っているだけで、近づきたくない。
今回の相手は、これまでとは少し違います。
受付嬢の声が冒険者ギルドの一角へ響き、近くにいた何人かの冒険者が一斉に振り返った。
「Aランク指定の魔物ですよ!?」
両手で依頼書を持ったまま、受付嬢は大河の顔をじっと見つめている。冗談を言っているのではないかと確かめるような視線だったが、大河がいつまで経っても依頼書を引っ込めないため、やがて困ったように眉を寄せた。
「望月さんが素手格闘部門のハイランカーになったことは、こちらでも確認しています。ですから規定上、この依頼を受けること自体はできます」
「じゃあ問題ないですね」
「問題はそこじゃありません」
受付嬢は即座に首を振り、机の上へ依頼書を置いた。
「アーマードオーガは攻撃力も防御力も非常に高い魔物です。しかも確認された場所は森の奥。そこへ辿り着くまでにも別の魔物と遭遇する可能性があります。一人で向かえば、途中で消耗した状態で戦うことになるかもしれません」
大河は依頼書に描かれた簡単な地図へ視線を落とした。
街から半日ほど離れた森。そのさらに奥に、アーマードオーガの目撃地点が記されている。
昨日までなら、Aランクという文字だけで少し考えたかもしれない。
しかし今は、自分の力がどこまで通用するのか確かめたい気持ちの方が勝っていた。
「危ないと思ったら逃げます」
受付嬢の目が細くなる。
「本当に?」
「約束します」
その横から、ポルポルが勢いよく手を上げた。
「逃げることなら大河さんは世界一なのです!」
「言い方が悪いな」
「でも五十メートル走は一位なのです」
受付嬢は一瞬だけ黙ったあと、思わず口元を緩めた。
「そこだけ聞くと、確かに説得力がありますね……」
「本人としてはあまり嬉しくないですけど」
大河が苦笑すると、受付嬢は依頼書をもう一度確認し、最後に小さく息を吐いた。
「分かりました。ただし、アーマードオーガだけを見て進まないでください。森の中では周囲の魔物にも十分注意すること。危険を感じたら、討伐より帰還を優先してください」
「分かりました」
「ポルポルも見張るのです!」
「頼むぞ」
受付嬢は依頼書へ受注済みの印を押し、大河へ返した。
しばらくして二人は街を出た。
朝の空には薄い雲が流れ、街道沿いの草は風に揺れていた。遠くに見える森は、外から眺める限り穏やかで、Aランクの魔物が潜んでいるようには見えない。
「大河さん」
「ん?」
「今日は報酬いくらなのです?」
「そこ気にしてたのか」
「大事なのです」
「今日は金を稼ぐのが目的じゃないって言っただろ」
ポルポルは納得できないという顔をする。
「一千万マールを超えると、お金に興味がなくなるのです……」
「なくなってない。ただ今日は試したいことがあるだけだ」
大河は歩きながら、自分の拳を軽く握った。
ワイナとの訓練、サムパレスとのランキング戦、そして最近の剣術訓練。
自分の身体の使い方は、以前とは確実に変わっている。
さらに昨日、三回目の魔力解放を受けた。
魔法は明らかに強くなった。
ただし、その力を本当に扱えているかは別問題だった。
「ポルポル、森に入ったら周り見ててくれ」
「任せるのです」
胸を張る姿はいつも通りだったが、今日はその言葉を頼もしく感じた。
森へ足を踏み入れると、空気が変わった。
街道を照らしていた陽射しは枝葉に遮られ、地面には斑模様の光が落ちている。湿った土と苔の匂いが鼻をつき、足元では落ち葉が柔らかく沈んだ。
少し進んだところで、ポルポルが急に高度を上げた。
「大河さん、止まるのです」
声の調子が変わった。
大河はすぐ足を止める。
「どうした?」
「右の奥。何か動いたのです」
ポルポルが小さな指で木々の隙間を示す。
大河が視線を向けた直後、低い唸り声が聞こえた。
茂みが揺れ、四足の魔物が姿を現す。
大型犬ほどの身体に黒い毛。長い牙が口の両端から突き出し、黄色い目が大河を捉えていた。
一匹。
さらに奥から二匹。
「三匹なのです!」
「見えてる」
三匹が同時に地面を蹴った。
大河は構えず、その場で待った。
正面の一匹が飛びかかってくる。
以前なら拳で迎え撃っていた。
だが今回は、牙が届く直前まで相手の身体を見た。
前脚が伸びる。
重心が前へ移る。
大河は半歩だけ横へずれた。
魔物の身体が脇を通り過ぎる。
その瞬間、肩へ手を添えた。
押したのではない。
前へ進んでいる力の向きを、ほんの少し変えただけだった。
魔物の身体が大きく傾き、地面へ転がる。
「今のです!」
ポルポルの声。
大河は倒れた魔物へ拳を振り下ろした。
ドッ。
短い衝撃音とともに、魔物の身体から力が抜ける。
残りの二匹が左右から迫った。
「左の方が速いのです!」
上空からポルポルの声が飛ぶ。
大河は左へ身体を向けた。
一匹の牙を避け、顎の下へ掌を当てる。そのまま頭を持ち上げるように力を流すと、魔物は自分の勢いのまま後ろへ倒れ込んだ。
もう一匹が背後から飛びかかる。
「大河さん、後ろ!」
振り返る。
間に合う。
大河は身体を沈め、懐へ入り込んだ。腹の下へ肩を当て、進んでくる力を利用して持ち上げる。
魔物の身体が宙へ浮いた。
そのまま地面へ叩きつける。
ドンッ。
落ち葉が舞い上がった。
大河は少し距離を取り、三匹の様子を確認した。
すべて動かない。
「前より楽だったな」
拳を開いてみる。
強く殴った感覚はほとんどなかった。
ただ相手の動きを見て、その流れを利用した。
サムパレスとの戦いで覚えた感覚が、魔物相手でも使える。
「大河さん、あまり殴ってないのです」
「そうだな」
「強くなったのです?」
「多分、力を使わなくても倒せるようになってきたんだと思う」
口にしながら、大河は少しだけ笑った。
こういう変化は分かりやすい。
数字が上がったことより、身体が以前と違う動きを選んだことの方が実感があった。
さらに森の奥へ進む。
しばらくすると、今度は前方の木々の間から甲高い鳴き声が聞こえた。
「上なのです!」
ポルポルが指を差す。
枝の上から、小型の猿に似た魔物が飛び移っていた。
一匹ではない。
五匹ほどいる。
「今度は魔法を試すか」
「水なのです?」
「弱めにな」
大河は右手を上げた。
胸の奥の魔力へ意識を向ける。
昨日の失敗を思い出す。
出しすぎない。
必要な分だけ。
指先へ流す魔力を抑え、小さな水弾を作る。
「よし」
一匹へ狙いを定めた。
放つ。
ヒュンッ。
水弾は木々の間を抜け、魔物の胴体へ直撃した。
次の瞬間。
ドンッ!
「え?」
魔物の身体が枝から吹き飛び、数メートル先の茂みへ突っ込んだ。
周囲の猿型魔物が一斉に騒ぎ出す。
ポルポルが大河の方を見る。
「大河さん」
「何だ?」
「今の弱めなのです?」
「そのつもりだった」
「全然弱くないのです!」
「俺もそう思う」
残りの魔物が枝から飛び降りてきた。
大河は今度こそ慎重に魔力を絞る。
小さな水弾。
一匹へ当たる。
今度は吹き飛ばない。
しかし、魔物は驚いたように地面を転がった。
「まだ強いな」
「昨日よりは弱いのです」
「少しずつだな」
その後は素手で残りを追い払った。
ポルポルは上空から魔物の位置を知らせ、大河は死角から来る攻撃を避けながら一匹ずつ倒していく。
戦いが終わる頃には、大河の額に薄く汗が滲んでいた。
「ポルポル、今日は役に立つな」
「今日は?」
「いつも役に立ってる」
「今、言い直したのです!」
「聞かなかったことにしてくれ」
ポルポルは頬を膨らませたが、少し嬉しそうに大河の肩へ降りた。
森の奥へ進むにつれ、木々は太くなっていった。
陽射しはさらに届きにくくなり、地面には濃い影が広がる。
道らしい道も消えていた。
「この辺だったはずなんだけどな」
大河は依頼書の地図を開いた。
目撃地点は近い。
しかしアーマードオーガらしい姿は見えない。
「ポルポル、上から見られるか?」
「行ってくるのです!」
ポルポルは勢いよく飛び上がった。
枝の隙間を抜け、木々の上へ消えていく。
大河はその場で周囲を見渡した。
風が葉を揺らす音。
遠くで聞こえる鳥の声。
それ以外には何もない。
数分後、枝葉が揺れ、ポルポルが戻ってきた。
「大河さん!」
「何か見えた?」
「向こうなのです」
小さな指が森の北側を示す。
「木がいっぱい倒れてる場所があるのです。不自然なのですよ」
「倒れてる?」
「道みたいになってるのです」
大河は地図を確認した。
方向は合っている。
「行ってみよう」
二人はポルポルが見つけた場所へ向かった。
しばらく進むと、確かに景色が変わり始めた。
太い木の幹が根元から折れている。
枝は踏み潰され、地面には大きなくぼみが点々と続いていた。
大河はその一つへ足を置いた。
「……足跡か?」
自分の足が何個も入りそうな大きさだった。
「大河さん」
肩の上のポルポルが小さな声を出す。
「さっきから魔物がいないのです」
大河も気づいていた。
あれほど頻繁に聞こえていた鳴き声が消えている。
鳥もいない。
虫の音すら少ない。
森そのものが、何かを避けて静かになっているようだった。
「近いのかもしれないな」
声を抑えながら進む。
地面の足跡はさらに大きく、深くなっていく。
やがて前方の木々が途切れた。
少し開けた場所。
その中央に、大きな岩のようなものがあった。
大河は足を止めた。
「……あれか?」
岩にしては形がおかしい。
黒褐色の表面には、石を何枚も重ねたような硬い凹凸がある。
その下には、大木ほど太い腕。
さらに奥には、巨大な脚。
ズズズズ……。
低い音が地面を伝ってきた。
大河の足元の枯れ葉が、わずかに震える。
「大河さん……」
ポルポルの声が小さくなった。
「今の音、何だ?」
「呼吸なのです」
大河は目を凝らした。
巨大な胸がゆっくり上下している。
アーマードオーガは、太い木の幹へ背中を預けるようにして座り込み、腕を腹の前で組んでいた。
眠っている。
ただそれだけだった。
戦う気配すらない。
それなのに、大河の身体は勝手に動きを止めていた。
全身を覆う皮膚は、鎧というより岩盤に近い。肩から胸にかけて盛り上がった筋肉は、人間とは比べものにならないほど分厚く、閉じた口からは大きな牙が覗いている。
呼吸するたびに、周囲の空気まで揺れているように感じられた。
森へ入ってから何匹もの魔物と戦った。
どれも以前より余裕を持って倒せた。
自分が強くなっていることも分かった。
その感覚が、目の前の巨体を見た瞬間にすっと消えた。
寝ているだけなのに、近づきたくない。
大河は無意識に拳を握った。
「……これがAランクか」
ポルポルが肩の後ろへ少し隠れる。
「大河さん」
「ん?」
「あれ……起こさない方がいい気がするのです」
いつもの冗談めいた声ではなかった。
大河もすぐには答えられなかった。
受付嬢との約束が頭をよぎる。
危険なら逃げる。
まだ何もしていない。
目の前の魔物も眠っている。
それでも身体の奥では、警戒するように心臓が強く打っていた。
その時。
アーマードオーガの太い指が、ぴくりと動いた。
大河とポルポルが同時に息を止めた。
第53話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、大河の成長を「以前ならどう戦っていたか」と比較しながら描いてみました。
森で遭遇した魔物たちに対しても、ただ力任せに殴るのではなく、相手の勢いや重心を利用する。
ワイナとの訓練やサムパレス戦で身につけたものが、少しずつ大河自身の戦い方になり始めています。
そして第三段階まで解放された水魔法。
威力そのものは申し分ないのですが、やはり問題は制御ですね。
大河本人は「弱め」のつもりなのに、相手が吹き飛ぶ。
まだまだポルポルの近くでは撃たない方が安全そうです。
そして森の最奥で、ついに発見したアーマードオーガ。
今回はまだ眠っているだけ。
それなのに、大河もポルポルも本能的に警戒するほどの存在です。
受付嬢と約束したのは「危険なら逃げること」。
果たして大河は、このAランク指定魔物を相手にどこまで戦えるのか。
次回、いよいよアーマードオーガ戦です。




