第48話 剣術初級クラス
第48話です。
素手格闘ではついにハイランカーへ到達した大河。
ですが、新しく選んだ剣術では完全な初心者です。
今回からタイラ、ユニオン、ベイという新しい仲間たちも登場し、大河は再び一番下から学び始めます。
そして剣術を教えるのは、素手格闘のワイナとはまた違ったタイプの教師、キルギス。
普段はかなり気の抜けた男ですが、剣を握った時だけは別人です。
ハイランカーという肩書きを一度置き、新しい武器へ向き合う大河の剣術編、スタートです。
翌朝、大河が学院の剣術棟へ向かう頃には、薄い雲の切れ間から差し込んだ陽射しが石畳を淡く照らしていた。昨日まで通っていた素手格闘の訓練場とは建物の雰囲気が少し違い、廊下の壁際には長剣や短剣、大剣、盾が種類ごとに整然と並べられている。金属の匂いと、手入れに使われた油の匂いが空気へ薄く混じり、開け放たれた窓から入る朝風が、吊るされた練習用の布を静かに揺らしていた。
「剣がいっぱいなのです」
大河の肩の横を飛んでいたポルポルが、壁に掛けられた武器を見上げながら目を輝かせる。
「長いのもあるのです。短いのもあるのです。あれは二本持つのです?」
「たぶんな」
「大河さんも二本持てば、二倍強くなるのですよ」
「そんな単純なら、みんな二本持ってるだろ」
大河が苦笑しながら歩いていると、前方から三人の少年がこちらへ向かってきた。年齢は十六歳ほどだろうか。三人とも同じ学院の訓練着を着ているが、歩き方にも表情にもそれぞれ違いがあった。
中央にいる少年は、少し短めの茶髪を無造作に立て、肩に木剣を担いでいる。視線は真っすぐで、身体を動かすことが好きなのだろうと一目で分かるような快活さがあった。その右には、黒髪をきれいに整えた少年が歩いている。周囲をよく見ており、こちらへ気づいた時も大きく反応せず、目だけを細めた。左側の少年は三人の中ではやや小柄で、明るい金茶色の髪を揺らしながら、ポルポルの方を先に見ていた。
「あれ、望月大河じゃないか?」
中央の少年が足を止める。
大河も立ち止まり、軽く頭を下げた。
「おはよう」
「やっぱりそうだ。素手格闘でハイランカーになった人だろ?」
少年の声に、廊下の少し離れたところを歩いていた生徒たちもちらりと視線を向けた。
「昨日、九十五位になったって聞いた」
「噂、早いな」
「ランキングの話はすぐ広がるからな」
中央の少年は木剣を肩から下ろし、少しだけ口元を上げた。
「俺はタイラ。こっちがユニオンで、こいつがベイ」
「こいつって言うなよ」
ベイと呼ばれた少年が頬を膨らませる。隣のユニオンは肩をすくめながら、大河へ軽く会釈した。
「よろしく」
「望月大河です。よろしく」
「ポルポルなのです!」
誰にも聞かれていないのに、ポルポルが勢いよく前へ出る。
ベイの目が丸くなった。
「こいつしゃべるのか?」
「もちろんしゃべるのですよ!」
「すげえな。触っていい?」
「お菓子があればいいのです」
「条件つきなのかよ」
ベイが笑い、タイラもつられて口元を緩める。ユニオンだけは少し離れたところからポルポルを観察していたが、やがて視線を大河へ戻した。
「でも、なんで初級クラスなんだ?」
「剣はまったく習ったことがないからな」
大河が答えると、タイラの眉が上がる。
「本当に初心者?」
「本当に」
「へえ」
口調に悪意はなかった。ただ、どこか面白そうなものを見つけた時のように目が輝いている。
「じゃあ剣なら、俺たちの方が先輩ってことだな」
「そうなるな」
大河が素直に頷くと、タイラは少し拍子抜けしたような顔をした。
「もっと悔しがるかと思った」
「知らないことを知ってる人がいたら、その人の方が先輩だからな」
一瞬の沈黙のあと、ユニオンが小さく笑った。
「意外と普通だな」
「どういう意味だ?」
「ハイランカーって、もっと偉そうなのかと思ってた」
「俺はまだなったばかりだから」
「だったらなおさら、剣では負けたくないな」
タイラが木剣を軽く振る。その目には、もうはっきりとした競争心が浮かんでいた。
ポルポルが大河の耳元へ顔を寄せる。
「ライバルなのです?」
「まだ会って二分くらいだぞ」
「でも顔がライバルなのです」
「顔で決めるな」
そんなやり取りをしながら、五人は初級剣術クラスの訓練場へ入った。
中は思っていた以上に広かった。高い天井には太い梁が渡され、壁際には訓練用の木剣や盾が何十本も並んでいる。反対側には、短剣、大剣、細身の剣、二刀で使うための短めの剣まで置かれており、奥には革鎧や練習用の盾も掛けられていた。
大河は壁の武器を眺めながら、無意識に歩みを緩めた。
素手格闘では、自分の身体そのものが武器だった。届く距離も、重さも、速度も、すべて身体の感覚の中にある。だが、ここでは腕の先に別の重さが加わる。剣の長さが変われば間合いが変わり、盾を持てば立ち方も変わる。単に拳を剣へ持ち替えるだけではない。
「初心者はまず長剣からだよ」
横からタイラが声をかけてきた。
「どうして?」
「一番基本が分かりやすいから。短剣は間合いが近いし、大剣は重い。二刀流なんてもっと難しい」
ユニオンが壁の武器へ視線を向けながら続ける。
「盾を使うなら、剣だけじゃなく防御の動きも覚えないといけない。最初から全部やると混乱する」
「なるほど」
「まあ、そのうち自分に合うのを選ぶんだけどな」
ベイが短剣の方を見ながら笑った。
「俺は絶対二刀流がいい」
「まだ一本もまともに使えてないだろ」
ユニオンが冷静に返す。
「夢は自由だろ?」
「夢だけならな」
三人のやり取りを聞き、大河は少し笑った。昨日までいた上級クラスとは空気が違う。年齢の若さもあるのだろうが、まだランキング上位の重さを背負っていない分、訓練場全体にどこか明るさがあった。
やがて、入口の扉が開いた。
最初に聞こえたのは、大きなあくびだった。
「……眠いな」
入ってきた男を見て、大河は思わず瞬きをした。
三十八歳と聞いていたが、見た目は年齢より少し若く見える。日に焼けた肌に無精髭が薄く残り、黒髪も適当に後ろへ流しただけだった。学院教師らしい服装ではあるものの、襟元は少し乱れ、片手にはまだ飲み終えていない小さな水筒を持っている。
教壇の前まで来ると、男は水筒を机へ置き、もう一度あくびをした。
「先生、また遅いですよ」
誰かが声を上げる。
「間に合ってるからいいだろ」
「ぎりぎりです」
「ぎりぎりは間に合ってるって言うんだ」
教室に小さな笑いが広がる。
男は特に気にした様子もなく、壁際へ歩いて一本の木剣を手に取った。
その瞬間、空気が変わった。
さっきまで眠たそうに半分閉じていた目が、まっすぐ生徒たちへ向く。背筋が伸びたわけでも、大きく構えたわけでもない。それでも、木剣を握っただけで、先ほどまでのだらしなさがどこかへ消えた。
「俺はキルギス」
低く、よく通る声が訓練場へ響く。
「剣術部門十九位。シルバーランカーだ」
ざわめきが起きる。
大河も改めて男を見る。
十九位。
シルバーランカー。
それだけでも十分に上位だが、昨日までの自分とは別世界の順位だった。
「魔法は使えん。スキルもない」
キルギスは木剣の柄を軽く握り直した。
「俺にあるのは剣だけだ」
誰かが息を呑む音が聞こえた。
「だから、剣だけなら学院の誰にも負けるつもりはない」
大河の背中に、薄い緊張が走った。
言葉に大げささがない。自慢しているようにも聞こえない。ただ事実を口にしているような静けさがあった。
キルギスは生徒たちを一人ずつ見渡し、やがて大河のところで視線を止めた。
「今日から入った、望月大河」
「はい」
「素手格闘で九十五位になったそうだな」
「はい」
「ハイランカーか」
キルギスは大河の肩から足元までを一度だけ見た。
「ここじゃ関係ない」
「分かっています」
「剣を持ったことは?」
「習ったことはありません」
「なら初心者だ」
それだけ言うと、キルギスはもう興味を失ったように視線を外した。
タイラが少しだけ口元を上げる。
「やっぱり同じじゃん」
ポルポルがすぐに大河の肩から身を乗り出す。
「でも大河さんはハイランカーなのですよ!」
「ポルポル」
「大事なことなのです」
キルギスの視線がポルポルへ向いた。
「そいつは何だ?」
「ポルポルなのです!」
「名前じゃなくて種類を聞いた」
「ポルポルはポルポルなのですよ」
数秒の沈黙。
キルギスは眉間を押さえた。
「まあいい。剣は持つなよ」
「どうしてなのです?」
「お前の身体より重い」
「失礼なのです!」
訓練場に笑いが広がる。
キルギスは木剣を肩へ担ぎ、生徒たちを壁際へ集めた。
「最初に覚えるのは、剣の振り方じゃない」
壁にはさまざまな武器が並んでいる。
キルギスは一本ずつ顎で示した。
「長剣、短剣、大剣、細剣。二刀を使う奴もいる。盾を持つ奴もいれば、鎧を重くする奴もいる」
生徒たちの目が武器へ動く。
「どれが一番強いと思う?」
タイラがすぐ手を上げた。
「大剣」
「理由は?」
「一発が強いから」
「外したら?」
「……遅い」
「そういうことだ」
次にベイが答える。
「二刀流」
「理由は?」
「二本あるから」
「お前は単純だな」
「大河さんと同じこと言われたのです」
ポルポルが嬉しそうに言い、ベイが吹き出した。
キルギスは木剣の先で壁を軽く叩いた。
「強い剣なんてものはない。あるのは、自分に合うかどうかだけだ」
その声には先ほどまでの気だるさがなかった。
「ただし、初心者は長剣から始める。基本が全部入ってるからだ」
生徒たちへ一本ずつ木剣が配られていく。
大河も受け取った。
手にした瞬間、想像より重いと感じた。木でできているのに、先端へ重さが集まり、片手で持つと手首が自然に下がる。
「両手で持て」
キルギスの声が飛ぶ。
大河が言われた通り握る。
「強く握るな」
「え?」
「もう力んでる」
大河は自分の指を見る。
確かに無意識に強く握り込んでいた。
「剣を落とさない程度でいい。握り潰すな」
言われた通り指の力を抜くと、木剣の重さが今までよりはっきり感じられた。
「足は肩幅。前後にずらせ」
生徒たちが一斉に動く。
大河も左足を前へ出した。
「望月」
「はい」
「近い」
キルギスが近づいてくる。
「拳の構えになってる」
大河は自分の足元を見る。
素手格闘で自然に身についた位置だった。
「剣には剣の間合いがある」
キルギスは大河の木剣を指先で軽く押した。
「お前は相手に近づきすぎる。剣を持ってる意味がない」
「なるほど」
「分かった顔をするな。身体は分かってない」
木剣の先が大河の胸へ軽く触れた。
「俺がこの距離なら、お前の拳は届かん」
大河が試しに手を伸ばす。
確かに届かない。
「でも俺の剣は届く」
ほんの少し木剣が前へ動き、胸へ当たる。
大河は息を止めた。
「これが間合いだ」
キルギスはすぐに離れた。
「素手が強い奴ほど、最初は苦労する。身体が近づくことを覚えてるからな」
タイラが少し得意そうに大河を見る。
「ハイランカーでも苦手なことあるんだな」
「あるよ。今まさに困ってる」
大河が素直に答えると、タイラはまた少し拍子抜けした顔をした。
「なんか調子狂うな」
ユニオンが横で小さく笑った。
「勝手に張り合ってるからだろ」
「張り合ってねえよ」
「顔が張り合ってる」
「ポルポルと同じこと言うな」
今度はベイまで笑った。
基礎姿勢の確認が終わると、キルギスは全員を横一列へ並ばせた。
「次は振る」
生徒たちの表情が少し明るくなる。
「ただし、速く振るな」
すぐに釘を刺される。
「上から下。それだけだ」
木剣を頭上へ上げ、ゆっくり振り下ろす。
キルギスの動きは驚くほど静かだった。肩や腕が大きく動いているようには見えないのに、剣先は一直線に落ちる。
「やれ」
大河も同じように振った。
ぶん、と空気が鳴る。
「違う」
「え?」
「腕で振ってる」
もう一度。
また止められる。
「肩に力が入ってる」
三回目。
「腰が死んでる」
四回目。
「足が使えてない」
五回目で、大河は少し笑ってしまった。
「難しいですね」
「だから剣術なんだ」
キルギスは当然のように言った。
横ではタイラたちがそれなりに形になった素振りをしている。初心者クラスとはいえ、何度か授業を受けているのだろう。
「大河さん、ちょっと下手なのです」
「見れば分かる」
「ポルポルが教えるのです?」
「お前は剣持ったことないだろ」
「気持ちで振るのです」
「一番危ないやつだ」
キルギスが小さく鼻で笑った。
「いい相棒だな」
「賑やかではあります」
「大河さん、褒められたのです!」
「たぶん違うぞ」
しばらく素振りが続いたあと、キルギスは手を上げた。
「止めろ」
訓練場に残っていた木剣の風切り音が消える。
キルギスは壁際へ歩き、訓練用の藁束を中央へ運ばせた。
「最後に一つだけ見せる」
生徒たちが自然に距離を取る。
キルギスは木剣を持ったまま、藁束の前へ立った。
特別な構えには見えない。
大河は目を細めた。
足も肩も力が抜けている。剣先は少し下がり、今にも眠そうにあくびをしそうな姿勢だった。
次の瞬間。
空気が鳴った。
大河の目には、剣が動いたところまでは見えた。
だが、その軌道を追いきれなかった。
乾いた音が一つ響く。
藁束の上半分が、わずかに遅れて横へ滑った。
床へ落ちる。
訓練場が静まり返った。
木剣だ。
刃はついていない。
それでも切断面は押し潰されたような崩れ方ではなく、ほとんど真っすぐだった。
「うそだろ……」
タイラの口から声が漏れる。
ポルポルも羽を止めそうなほど目を見開いていた。
「木の剣なのですよ……?」
キルギスは木剣を肩へ戻した。
「剣は力で振るもんじゃない」
さっきまでの気だるい教師とは、まるで別人の目だった。
「足、腰、肩、腕。全部が一つにつながった時、剣は初めて速くなる」
大河は床へ落ちた藁束から目を離せなかった。
素手格闘でハイランカーになった。
その事実は変わらない。
けれど、この場所ではまだ入口に立っただけだ。
「望月」
名前を呼ばれ、大河は顔を上げた。
「お前は身体が強い」
「はい」
「だから、その強さを捨てろ」
大河の眉がわずかに動く。
「捨てるんですか?」
「剣を覚える間だけな。素手の強さに逃げたら、剣は身につかん」
キルギスは木剣で大河の手元を軽く指した。
「一から覚えろ」
言葉は短かった。
だが、ワイナに初めて投げられた日と同じように、胸の奥へ残った。
大河は木剣を握り直す。
重さはまだ不自然だった。
構えも分からない。
足の位置も、間合いも、振り方も、すべて初心者だ。
それでも不思議と嫌ではなかった。
「分かりました」
大河が頭を下げる。
「よろしくお願いします」
キルギスは一度だけ頷くと、再び大きなあくびをした。
「じゃあ今日は終わり。俺は昼飯に行く」
「まだ午前ですよ、先生」
タイラが呆れた声を上げる。
「朝飯食ってないんだよ」
「またですか?」
「金がなかった」
「シルバーランカーなのに?」
「金と女は剣みたいに扱えねぇんだ」
妙に堂々と言い切り、キルギスは水筒を持って出口へ向かった。
大河が呆然とその背中を見送っていると、ベイが小声で言う。
「先生、あれさえなければ格好いいんだけどな」
「剣だけはすごいけど」
ユニオンが冷静に付け加える。
タイラは床へ落ちた藁束を見ながら、木剣を握り直した。
「でも、十九位だ」
その声には先ほどまでの軽さがなかった。
大河も手の中の木剣へ目を落とす。
拳とは違う重さが、掌の中にある。
肩の横へ降りてきたポルポルが、その木剣を不思議そうに見つめた。
「大河さん」
「ん?」
「剣術、難しそうなのです」
「そうだな」
大河は木剣を軽く持ち上げた。
「だから、面白そうだ」
窓から差し込む朝の光が木剣の表面を細く照らし、その向こうではタイラ、ユニオン、ベイの三人が、もう一度それぞれの構えを確かめていた。
素手格闘とは違う、新しい戦いが始まった。
第48話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は大河の剣術初日でした。
素手格闘では九十五位のハイランカーでも、剣を持てば完全な初心者。
間合いも、握り方も、足の位置も、剣の振り方も分からないところからの再スタートです。
そして新しく登場した剣術教師キルギス。
普段は眠そうで、朝食を食べるお金すらないような男ですが、剣術ランキング十九位のシルバーランカーです。
「魔法もスキルもない。俺にあるのは剣だけ」
そんなキルギスが、大河へどんな剣術を教えていくのか。
また、タイラ、ユニオン、ベイの三人とも、これから学院生活の中で関わっていくことになります。
ハイランカーになった直後なのに、また初心者。
でも大河にとっては、知らないことを一から覚えるのも強くなるための一歩です。
次回から、本格的な剣術修行へ入っていきます。




