第45話 世界最高峰の戦い
第45話です。
ついに始まった、現ランキング王ロベルト・カイザーと、総合ランキング第三位モレラの一戦。
剣、魔法、スキル。
世界最高峰の二人がぶつかる戦いを、大河は初めてその目で見ることになります。
これまで学院で学んできた重心の使い方や、魔力の制御。
大河が少しずつ身につけてきたものを、カイザーは遥かに高い次元で使いこなしていました。
そして大河は初めて知ります。
自分が一年後に越えなければならない「ランキング王」が、どれほど遠い場所にいるのかを。
それでも、大河が見るのは頂上だけではありません。
まずは、次の一段。
ハイランカーを目指します。
係員の掲げた右腕が、静まり返った闘技場の中央で止まっていた。
幾重にも張られた魔法障壁が午後の光を受け、淡い虹色の膜となって舞台を包んでいる。その内側では、ロベルト・カイザーとモレラが互いに数十歩の距離を置いて向かい合っていた。観客席を埋め尽くす人々は、つい先ほどまで石壁を震わせるほどの歓声を上げていたにもかかわらず、今は誰もが息を潜めている。
モレラは腰の長剣へ右手を添え、重心をわずかに前へ傾けていた。高く束ねた黒髪が風に揺れ、濃紺の軽鎧へ落ちる。対するカイザーは剣を抜くことすらせず、外套の裾を揺らしながら自然体で立っている。肩にも腕にも余計な力は見えず、舞台の中央へ散歩にでも出てきたような穏やかささえあった。
その姿を見つめる大河の掌には、薄く汗が滲んでいた。
戦いが始まっていないのに、視線を外すことができない。モレラからは鋭く研がれた刃のような気配が伝わってくる。それに比べて、カイザーから強い圧力を感じるわけではない。それでも、広い舞台のどこへ逃げても、すでに男の掌の上にいるような奇妙な感覚があった。
係員の腕が振り下ろされた。
「試合開始!」
魔道具によって増幅された声が響いた瞬間、モレラの姿が消えた。
石床が爆ぜ、踏み込んだ場所から細かな破片が後方へ飛び散る。モレラは抜き放った長剣を低く構え、一直線にカイザーとの距離を消した。刃には青白い雷光がまとわりつき、空気を裂く音が一拍遅れて観客席まで届く。
カイザーの首元を狙った斬撃が走る。
その刃が届く直前、カイザーは身体を半歩だけ後ろへ引いた。雷をまとった剣先が胸元をかすめ、紺色の外套が風圧で大きく翻る。
モレラは外した刃を無理に止めなかった。そのまま身体を回転させ、返す剣で胴を狙う。同時に左手で腰の魔石へ触れると、カイザーの足元へ白い霜が一気に広がった。
「氷結魔法です!」
実況の声が観客席を駆け抜ける。
「モレラ選手、剣術と同時に足場を封じた!」
石床を覆った氷がカイザーの靴底へ絡みつく。モレラの二撃目が迫る中、カイザーは足を動かさず、ようやく腰の剣へ手をかけた。
銀色の軌跡が走る。
二本の刃がぶつかり、乾いた金属音と雷の弾ける音が重なった。衝撃に押された空気が障壁を叩き、虹色の膜を大きく波打たせる。
モレラは剣を受け止められた瞬間、左手を前へ突き出した。掌の先に緑色の魔法陣が幾重にも重なり、渦を巻いた風がカイザーへ襲いかかる。
至近距離から放たれた風圧が舞台を削り、白い砂埃を巻き上げた。
「カイザー選手、直撃か!」
実況の声に、観客席の一角から悲鳴にも似た声が上がる。
大河も思わず身を乗り出した。舞台中央は白い煙に覆われ、二人の姿が見えない。その中から鋭い剣戟の音が立て続けに響き、火花だけが煙の内側で瞬いている。
「王が押されているのです?」
ポルポルは食べ物を持つことも忘れ、大河の肩の近くで羽を小刻みに動かしていた。
大河は答えられなかった。開始からモレラが攻め続けている。剣、雷、氷、風。別々の攻撃が途切れることなく重なり、カイザーへ反撃する時間を与えていない。
「押されているようには見えるわね」
ワイナが舞台を見つめたまま、口元へわずかな笑みを浮かべた。
「でも、カイザーはまだ一度も自分から攻撃していない」
その言葉に大河は眉を寄せ、煙の中へ目を凝らした。
やがて風が砂埃を吹き払い、二人の姿が再び現れる。
モレラの呼吸はわずかに速くなっていた。長剣には雷がまとわりつき、足元には次の魔法を放つための陣が浮かんでいる。
カイザーは最初に立っていた場所から数歩しか動いていなかった。足元の氷は砕けているものの、軽鎧にも外套にも傷はない。片手で握った細身の剣を自然に下ろし、モレラの目だけを静かに見つめていた。
「相変わらず、嫌になるほど落ち着いているわね」
モレラが長剣を構え直しながら呟いた。観客席までは届かないほどの声だったが、カイザーには聞こえたらしい。
「君の攻め方が、前よりずっと洗練されているからね」
カイザーは剣先を軽く持ち上げた。
「もう少し見ていたくなった」
モレラの眉が動く。次の瞬間、その姿が三つに分かれた。
三人のモレラが異なる方向へ走り、カイザーを囲むように広がっていく。足音も鎧の擦れる音もそれぞれから聞こえ、どれが本物か見分けられない。
「幻影スキルです! しかも三体すべてが実体を持っているように見える!」
実況の声がさらに熱を帯びた。
三人のモレラが同時に長剣を振り上げる。右から雷、左から炎、正面からは氷の刃が放たれ、逃げ道を塞ぎながらカイザーへ迫った。
カイザーは動かない。
刃と魔法が身体へ届く寸前、男の足元に小さな青い魔法陣が浮かんだ。
次の瞬間、カイザーの姿が消える。
三方向から放たれた攻撃は互いに衝突し、爆音とともに炎と氷が舞台中央で弾けた。モレラの幻影二体が衝撃に巻き込まれ、光の粒となって消えていく。
本物のモレラだけが即座に振り返った。
その背後に、カイザーが立っている。
剣を振り下ろすより先に、モレラは地面を蹴って距離を取った。カイザーの刃は追わず、代わりに空いた左手をゆっくり持ち上げる。
舞台の四方に魔法陣が現れた。
赤、青、緑、黄。色の異なる陣が空中へ広がり、それぞれが違う音を響かせながら回転を始める。
「四属性……」
大河の口から、かすれた声が漏れた。
自分は掌へ小さな火を生み出すだけでも、呼吸と魔力の流れを一つずつ意識しなければならなかった。水魔法に至っては、拳ほどの水球さえまともな形に保てない。
それをカイザーは、四つ同時に展開している。
しかも、ただ浮かべているだけではない。
赤い陣から生まれた炎がモレラの左側へ壁を作り、緑の陣から吹き出した風が右側から身体を押す。足元では土が盛り上がって踏み込みを妨げ、上空に現れた水が細い雨となって降り注ぎ、雷をまとった長剣から熱と魔力を奪っていく。
「四つを別々に動かしておる」
エリカが膝の上へ置いた手をわずかに握った。普段の軽い調子は消え、淡い瞳が舞台の魔法陣を一つずつ追っている。
「ただ同時に放つだけではない。火は退路を塞ぎ、風は身体を流し、土は足を止め、水は魔石の働きを鈍らせておる。すべての威力と動きを、モレラの位置に合わせて変え続けておるのじゃ」
「そんなことができるんですか」
「できておるから一位なのじゃ」
エリカの声には、悔しさも驚きもなかった。自分とは異なる頂点の技術を、冷静に見定める響きだけがある。
モレラは四属性の包囲の中で、剣を床へ突き立てた。
腰に巻いた魔石が一斉に輝き、濃紺の軽鎧へ赤い線が走る。身体を包む魔力が膨れ上がり、足元を拘束していた土が内側から弾け飛んだ。
「モレラ選手、全魔石を解放!」
実況の声とともに、アイナルファイターの応援席から大歓声が上がる。
モレラは正面の風へ向かって踏み込み、長剣を横薙ぎに振り抜いた。刃へ炎と雷が重なり、巨大な光の弧となって舞台を横切る。
カイザーの炎壁が切り裂かれ、水の雨が蒸気へ変わった。土の隆起も斬撃に削られ、包囲の一角が強引に開かれる。
モレラはその裂け目を駆け抜けた。
速さは先ほどまでとは比較にならない。踏み込むたびに残像が生まれ、一瞬でカイザーの目前まで迫る。
カイザーが剣を上げる。
二本の刃がぶつかり、青白い雷が視界を覆った。
モレラは受け止められることを読んでいたように、身体を低く沈めた。剣同士が触れたまま手首を返し、カイザーの刃を外側へ流す。そのまま懐へ踏み込み、左手に握っていた短い魔力の刃を外套へ走らせる。
布が裂けた。
カイザーが初めて後ろへ跳び、紺色の外套の端が宙を舞った。
一瞬の静寂のあと、闘技場が爆発した。
「入ったああっ!」
実況が立ち上がり、拳を振り上げる。
「モレラ選手、ランキング王へ一撃を届かせました! カイザー選手の外套を切り裂いた!」
観客席が総立ちとなり、アイナルファイターの赤い旗が激しく揺れる。スター・エルミナスの応援席からも、驚きと称賛の声が入り混じって上がっていた。
モレラは追撃せず、荒くなった呼吸を整えながらカイザーを見つめている。
カイザーは裂けた外套の端へ目を落とした。そこへ指先を触れ、切り口を確かめる。
やがて、笑った。
余裕を崩されたことへの苛立ちではない。待ち望んでいたものを見つけた子どものような、素直な笑みだった。
「見事だ」
カイザーは裂けた外套を肩から外し、舞台の端へ放った。
銀色の軽鎧が陽光の下へさらされる。観客席から再び歓声が上がると、カイザーはその声へ応えるように剣を空へ掲げた。
「何をするのです?」
ポルポルが大河の肩へしがみつく。
カイザーの頭上に、白い光が一つ灯った。
それを中心に、二つ、十、百と無数の光が生まれていく。やがて光は細長い剣の形へ変わり、闘技場の上空を埋め尽くした。
観客のどよめきが広がる。
光の剣は一斉に落ちることなく、ゆっくりと回転し始めた。何百もの軌跡が空へ線を描き、やがて巨大な五つの頂点を持つ星を形作る。
スター・エルミナスの紋章。
銀色の星が闘技場の上空へ浮かび上がった瞬間、観客席から割れんばかりの歓声が上がった。子どもたちは両手を伸ばし、大人たちも旗を振りながらカイザーの名を叫んでいる。
「試合の途中で、あんなことを……」
大河は呆然と星を見上げた。
「観客を楽しませる余裕まであるのね」
ワイナはそう言いながらも、視線を星ではなく舞台へ向けていた。
「でも、ただの演出じゃないわ。よく見なさい」
大河は目線を下げる。
星を作っていた光の剣が、少しずつ位置を変えている。モレラが右へ動けば右側の剣が狭まり、左へ足をずらせば左側の光が下がる。華やかな紋章を保ちながら、無数の刃がモレラの逃げ道を削っていた。
モレラもそれに気づいている。長剣を構え、上空とカイザーを交互に見ながら慎重に間合いを測っていた。
「見せ物まで武器にしておる」
エリカが低く呟く。
「観客には美しい星を見せ、相手には刃の檻を見せておるわけじゃ」
カイザーが掲げた剣を振り下ろした。
星を形作っていた光の剣が、一斉に動く。
すべてがモレラへ向かうのではない。半数は舞台へ突き刺さって進路を塞ぎ、残りは角度を変えながら身体の周囲へ降り注ぐ。
モレラは長剣を振るい、光の刃を次々と弾いた。炎と雷をまとった斬撃が白い光を砕き、舞台に無数の輝きが散る。
その中を、カイザーが歩いてくる。
走ってはいない。それでも光の剣が作った道を進むたび、モレラとの距離が確実に縮まっていく。
モレラは最後の光を弾き飛ばすと、長剣へ残る魔力をすべて集めた。炎、雷、風が刃の周囲で渦を巻き、舞台の石床に細かな亀裂が走る。
カイザーも剣を正面へ向けた。
しかし、刃に魔法をまとわせることはない。
モレラが踏み込む。
舞台中央に巨大な衝撃が生まれ、魔法障壁が大きく膨らんだ。炎と雷に包まれた長剣がカイザーへ迫る。
その瞬間、カイザーの左手が動いた。
指先が空中へ短い線を描く。
モレラの剣を覆っていた炎が消えた。続いて雷が細かな光となって散り、風の渦が音もなくほどけていく。
「魔法が……」
大河が息を呑む。
「術式を見抜いて、つながりを切ったのじゃ」
エリカの声がわずかに硬くなる。
魔法を失っても、モレラの剣は止まらなかった。純粋な剣術だけでカイザーの胸元へ振り抜かれる。
カイザーは身体を半歩ずらし、剣の腹で長剣の側面へ触れた。
強く打ったようには見えなかった。
それでもモレラの刃は軌道を外れ、身体の脇を通り過ぎる。体勢を立て直そうとした足元へ、カイザーの靴先が静かに添えられた。
モレラの重心が崩れる。
そこへカイザーが身体を入れ替え、剣の柄でモレラの手首を軽く打った。長剣が指を離れ、回転しながら宙へ舞う。
金属音を立てて刃が床へ落ちた時には、カイザーの剣先がモレラの喉元で止まっていた。
闘技場から音が消えた。
モレラは崩れた姿勢のまま動かず、目の前の刃を見つめている。肩が大きく上下し、額から流れた汗が頬を伝って床へ落ちた。
カイザーの呼吸は、試合前とほとんど変わっていなかった。
係員が二人の姿を確認し、腕を高く上げる。
「勝者、ロベルト・カイザー選手!」
その宣言と同時に、闘技場が揺れた。
幾千もの声が一つとなってカイザーの名を呼び、銀色の旗が観客席を埋め尽くす。足元から突き上げる振動に、大河の胸まで震えた。
カイザーは剣を収めると、片膝をついたモレラへ手を差し出した。
「また強くなったね」
モレラはその手を見上げる。悔しさを隠すような笑みは浮かべなかった。唇を強く結んだまま、カイザーの手をつかんで立ち上がる。
「次は、その余裕ごと斬る」
「楽しみにしているよ」
カイザーは穏やかに答え、観客席へ向かってモレラの腕を掲げた。
一瞬戸惑った観客たちから、今度はモレラへ向けた拍手が広がっていく。アイナルファイターの旗だけではない。スター・エルミナスの応援席からも、惜しみない歓声が送られていた。
モレラは目を伏せたあと、カイザーの手を振りほどくことなく、観客席へ静かに頭を下げた。
その姿を見つめながら、大河は膝の上で拳を握っていた。
カイザーの魔法は、ただ大きく強いだけではなかった。四つの属性を同時に操り、相手の動きに応じて役割を変える。モレラの魔法を一瞬で見抜いて崩し、最後は力ではなく、重心と手首を操って剣を奪った。
ワイナから教わった崩しも、エリカから教わった魔力の流れも、すべてがあの戦いの中にあった。
けれど、自分が学んだものとは深さが違う。
それだけではない。
カイザーは世界三位のモレラと戦いながら、観客を楽しませ、相手の力を引き出し、最後には敗者へも歓声を向けさせた。勝敗だけでなく、闘技場全体を支配していた。
ランキング王。
その呼び名が、初めて一人の人間の姿を持って胸へ落ちてきた。
「怖くなった?」
隣からワイナの声が聞こえた。
大河はすぐには答えず、舞台を見つめ続けた。勝利を称える声に応えながら、カイザーはモレラと並んで観客席へ礼をしている。その姿は、今の自分から見ればあまりにも遠い。
一年で、あそこへ届くのか。
頭の中へ浮かんだ問いに、答えは見つからなかった。
それでも、握った拳を開こうとは思わなかった。届かないと決めてしまえば、その瞬間にすべてが終わる。この世界へ来た日から、自分はそのために走り、戦い、学んできたのだから。
「いいえ」
大河は舞台から視線を外さないまま、ゆっくりと息を吐いた。
「まずは、ハイランカーになります」
ワイナは何も言わなかった。ただ、大河の横顔をしばらく見つめたあと、満足そうに唇の端を上げる。
「大河さんなら、きっとなれるのです」
ポルポルが肩へ降り、小さな拳を大河の頬の横へ差し出した。
「まずはハイランカー、その次はシルバー、ゴールドなのです。そして最後は、あの王様に勝つのですよ」
大河はその小さな拳へ、自分の拳を軽く合わせた。
「もちろん。そのつもりだ」
闘技場の上空では、先ほどカイザーが生み出した光の欠片が、まだ小さな星のように舞っていた。
その光の向こうに立つランキング王を、大河はもう一度真っすぐ見つめた。
第45話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、ようやく現ランキング王ロベルト・カイザーの本格的な戦いを描くことができました。
四属性の同時制御、相手の魔法を崩す技術、剣術、重心操作。
さらに、戦いながら観客まで楽しませる余裕。
単純に「強い」だけではなく、なぜカイザーがランキング王なのかが伝わる回を目指しました。
そしてモレラも、ただ王に負けるための相手ではありません。
カイザーの外套へ一撃を届かせたことで、総合ランキング第三位、そして王に最も近い一人としての強さを見せています。
大河にとって、今のカイザーはあまりにも遠い存在です。
ですが、いきなり王を見る必要はありません。
まずはハイランカー。
その次にシルバー、ゴールド。
一段ずつ上がった先に、ようやく王がいます。
次回から、大河自身もその次の階段へ挑んでいきます。
引き続き読んでいただけると嬉しいです。




