第28話 ランキングの、その先へ
第28話です。
ミミル捜索の依頼を終えた大河は、ゴルディスの屋敷で、彼がバトルランカーから不動産王へ至った過去を聞きます。
ランキングで得た強さや金を、その先で何に変えるのか。
そして、大河が目指す新たな舞台への扉が、少しずつ開き始めます。
応接室には、森の緊張を洗い流すような穏やかな午後の空気が満ちていた。大きな窓から差し込む陽射しは磨き上げられた床の上へ長く伸び、庭木の枝葉が風に揺れるたび、淡い光と影の模様が静かに形を変えていく。開け放たれた窓からは刈りそろえられた芝の青い匂いと、庭に咲く花の甘い香りが流れ込み、卓上に置かれた紅茶の湯気とゆるやかに混ざっていた。
窓の外では、ミミルが使用人たちに囲まれながら芝生の上を駆け回っている。森で獲物を追い詰めた時の鋭い眼差しはすっかり消え、投げられた小枝を短い手足で懸命に追いかけては、誇らしげに咥えて戻ってきた。使用人が両手を広げると、その胸へ飛び込むように跳ね、桃色の毛並みをくしゃくしゃに撫でられている。そのたびに庭から笑い声が起こり、屋敷全体が、失っていた日常をようやく取り戻したように明るさを増していた。
ゴルディスはその光景を、眩しいものを見るように細めた目で眺めていた。森へ向かう前にまとっていた険しさはもうない。椅子の背へ身体を預け、紅茶の杯を両手で包みながら、ときおりミミルへ小さく手を振っている。その姿だけを見れば、この街の土地や建物をいくつも所有する不動産王だとは思えなかった。大切な家族が無事に帰ってきたことを噛み締める、一人の男の横顔だった。
大河は卓上の紅茶を口へ運んだ。爽やかな香草の香りが鼻を抜け、わずかな苦みとともに温かさが喉を通っていく。森の奥で張り詰めていた身体が、ようやくここまで戻ってきたのだと理解したように、肩から少しずつ力が抜けていった。ポルポルは自分用に出された小さな焼き菓子へ夢中になっており、口の周りに細かな粉をつけながら、庭のミミルと皿の菓子を交互に見ている。
その様子へ苦笑しながら顔を上げた時、大河の視線が壁際で止まった。
そこには、屋敷の豪華さとはどこか不釣り合いな古い武具が並べられていた。縁の一部が欠けた盾、刃こぼれを丁寧に研ぎ直した長剣、幾重にも傷が刻まれた胸当て。どれも埃一つなく手入れされているが、表面に残された戦いの痕跡だけは消されていない。魔物の爪に抉られたと思われる深い傷もあれば、剣を何度も受け止めた細かな線もある。それらは飾り物というより、長い年月を生き抜いてきた者だけが持つ記憶を、形として壁へ残しているように見えた。
大河は自然と席を立ち、もっとも傷の多い盾の前まで歩み寄った。腕を伸ばせば触れられる距離で足を止めたものの、無数の傷に込められた時間を思うと、むやみに指を触れることがためらわれた。
「その盾が気になるのかな」
背後から届いた穏やかな声に振り返ると、ゴルディスも静かに席を立っていた。年齢を感じさせるゆったりとした歩みではあるが、一歩ごとの足の置き方に余計な揺れがない。森へ向かう姿を見た時にも感じた、全盛期の名残が今も身体の奥へ染みついているのだろう。
「あなたが昔、バトルランカーだったと聞きました」
大河が盾から視線を外さずに尋ねると、ゴルディスはわずかに眉を上げ、その後で少し照れたように口元を緩めた。
「そんな話まで耳に入っておったか。今では、剣より契約書を持つ時間の方が長いというのにの」
そう言いながら壁へ手を伸ばし、両腕で盾を外す。机まで運び、ゆっくり置いた瞬間、見た目以上の重さを伝える鈍い音が応接室へ響いた。大河が近くから覗き込むと、遠目では分からなかった細かな傷まで浮かび上がる。盾の縁は何度も補修され、裏側の革紐も一度ならず取り替えられていた。
ゴルディスは、その中でもっとも深い傷へ指先を滑らせた。武具の状態を確かめているというより、傷の向こうにいる若い頃の自分へ触れているような手つきだった。
「若い頃の私は、毎日順位ばかり追いかけておった。朝は身体を鍛え、昼になれば挑戦し、夜には協会の順位表を眺めていたものじゃ。勝てば身体が疲れていても眠れず、負ければ悔しさでさらに眠れん。結局、翌朝になる前から剣を振っておったわい」
懐かしむように笑った横顔には、わずかな苦さも混じっていた。大河の脳裏には、今の穏やかな姿とは違う、傷だらけになりながら順位を追い続ける若いゴルディスが浮かんだ。盾の傷が増えるほど順位は上がり、それに伴って報酬も増えていったのだろう。
「その頃は、強さと金さえあれば何でも手に入ると思っておった。順位が上がり、報酬が増えるたび、自分の未来も広がっているように感じていたからの」
ゴルディスは一度言葉を切り、窓の外へ目を向けた。ミミルは小枝を咥えたまま主人の姿に気づき、芝生の上から勢いよく尻尾を振っている。その姿へ片手を上げて応えると、ゴルディスの表情はわずかに柔らかくなった。
「だが、ある時ふと思ったのじゃ。この報酬は、本当に一生続くのかとな」
窓から流れ込んだ風がカーテンを膨らませ、卓上の紙をかすかに揺らした。大河は何も言わず、次の言葉を待った。
「人は歳を取る。怪我もする。昨日まで勝てた相手に、明日も勝てるとは限らん。自分より若く、強い者も次々と現れる。順位を守り続けることの難しさは、上へ行くほど身に染みた。いつか剣を置く日が来た時、私は何を持っておるのだろうと考えたのじゃ」
ゴルディスの手が盾から離れた。長く戦い続けた者だからこそ辿り着いた問いなのだろう。大河も、自分のカードへ表示された順位が、たった数日の間に五つ落ちたことを思い出した。勝って終わりではない。一度手にした順位さえ、立ち止まれば誰かに追い越される。それを何年、何十年と維持することは、今の自分にはまだ想像もできなかった。
「そこで、最初に買ったのが小さな土地じゃった」
予想していなかった言葉に、大河が顔を上げると、ゴルディスは当時の周囲の反応を思い出したらしく、肩を揺らして笑った。
「街の外れにある、誰も欲しがらぬ荒れ地じゃ。仲間からは散々笑われたよ。命懸けで稼いだ金を土へ埋める気かとな。もっと良い武器を買え、魔道具を揃えろと言われたが、私はあの土地を手放さなかった」
ゴルディスは窓の向こうに広がる屋敷と、その先の街並みへ視線を移した。
「土地は逃げない。そこへ建てた家も、私が剣を振らぬ日まで働いてくれる。人が住み、店が開けば、私が眠っている間にも少しずつ金を生む。最初の土地で得た金とランキング報酬を合わせ、次の土地を買った。そこへまた建物を建て、その収入でさらに先へ進んだ。派手なことは何もしておらん。ただ、昨日まで一つだったものを二つにし、二つだったものを三つにすることを、何十年も続けてきただけじゃ」
大河は改めて室内を見回した。広い屋敷、手入れされた庭、大勢の使用人。そのすべてが、若いゴルディスが買った小さな荒れ地からつながっている。ランキングで大金を得たから成功したのではない。その金を未来へ残る形に変え、長い時間をかけて積み重ねたからこそ、今の景色があるのだ。
「やがて剣を握る時間より、土地を見て回り、契約書へ署名する時間の方が長くなった。最初は少し寂しかったが、建てた店で誰かが働き、そこへ客が集まり、その家族が食べていく姿を見るうちに、戦う以外にも人の暮らしを支える方法があると知った」
ゴルディスは盾を元の壁へ戻すと、大河へ向き直った。その眼差しは穏やかだったが、若者の行く先を見定めようとするような深さがあった。
「望月君。ランキングは人生を変える。だが、本当に大切なのは、そこで得た強さや金を使い、その先で何を築くかじゃ」
大きな声ではなかった。それでも言葉は応接室の静けさへ沈み込み、大河の胸の奥へゆっくり届いた。
強くなること。順位を上げること。一年で王を目指すこと。異世界へ来てから、そればかりを考えてきた。けれど、王になることは終着点ではない。制度を変え、誰かが安心して暮らせる国を作るなら、力だけでは足りない。土地も、建物も、金も、そして自分を信じてくれる仲間も必要になる。
エリカ、アイ、マイラ、ポルポル、オルド。出会った者たちの顔が一人ずつ浮かんだ。まだ仲間と呼べるほど深く関わっていない者もいる。それでも、王になるという目標の先に、彼らと築いていく何かがあるのかもしれない。ぼんやりとしていた未来の景色に、初めて人の姿が混ざったような気がした。
しばらく黙っていた大河は、膝の上で組んでいた手をほどき、小さく息を吸った。
「実は今、学校へ入りたいと思っています」
ゴルディスは驚く様子を見せず、先を促すように静かに頷いた。大河は、自分一人の訓練だけでは限界を感じ始めていること、エリカから魔法は学べても、格闘や実戦についてはさらに広い場所で学ぶ必要があることを、一つずつ言葉にした。学校なら同じようにランキングを目指す者と出会い、競い合いながら強くなれるかもしれない。それに、将来国を作るなら、自分一人では何もできない。様々な技術や考えを持つ者と出会うことにも意味があると思っていた。
「ただ、入学金が五百万マールなんです。今回の報酬もあるので、だいぶ近づきましたが、生活費まで考えると、すぐ払って終わりというわけにもいかなくて」
大河が苦笑を浮かべると、ゴルディスは椅子へ深く腰を下ろした。指先で肘掛けを軽く叩きながら、しばらく大河の顔を見ている。その沈黙は長くはなかったが、ポルポルが焼き菓子へ伸ばしかけた前足を途中で止めるほど、室内の空気が静まった。
「金は貸さんよ」
やがて告げられた言葉に、大河は思わず目を瞬いた。しかし、失望するより先に、ゴルディスの口元へ浮かんだ柔らかな笑みが目に入った。
「夢へ向かうための金は、自分で稼いだ方がよい。苦労して払ったものほど、人は簡単に手放さぬからの。それに、お前さんなら遠からず届くだろう」
そう言いながら机の引き出しを開け、上質な羊皮紙とインク壺を取り出した。羽根ペンの先をインクへ浸し、余分な雫を壺の縁で落とすと、迷いのない筆運びで文字を書き始める。紙の上をペン先が滑る、さらさらという乾いた音が、午後の静かな応接室へ響いた。
「学院長とは古い付き合いでな。若い頃、何度も同じ相手を追いかけ、互いに順位を奪い合った仲じゃ。私は途中で不動産へ進んだが、あやつは若者を育てる方を選んだ」
ゴルディスは書きながら、わずかに懐かしそうな笑みを浮かべた。互いに別の道へ進みながらも、今まで関係が続いているのだろう。最後に署名を加え、紙を丁寧に折り畳むと、熱した封蝋を垂らし、自らの紋章が刻まれた印章を押し当てた。
赤い蝋が固まるのを待ってから、ゴルディスは紹介状を大河へ差し出した。
「これを学院長へ渡しなさい。紹介状があるからといって、入学金が免除されるわけではないし、特別扱いをしてくれるとも限らん。だが、お前さんの話を聞かずに追い返すことはない。扉を開くところまでは、私が手伝おう。その先を歩くのは、お前さん自身じゃ」
大河は両手で紹介状を受け取った。羊皮紙一枚のはずなのに、手のひらへ伝わる重みは、先ほど受け取った硬貨の袋とはまるで違っていた。そこにはゴルディスが長い年月をかけて築いてきた信用と、自分の可能性を認めてくれた思いが込められている。
「ありがとうございます」
深く頭を下げると、ゴルディスは大げさに受け止めることなく、静かに頷いた。
「礼は、学院で学び終えてから聞こう。その時、お前さんがランキングの先に何を築きたいのか、今より少しでも見えておれば十分じゃ」
屋敷を辞する頃には、太陽が街の屋根近くまで傾いていた。昼の白い光は柔らかな橙色へ変わり、石畳も建物の壁も、薄い金色に包まれている。門の外まで見送りに来たミミルは、ゴルディスの足元へ身体を寄せながら、大河たちを大きな目で見つめていた。
ポルポルが両前足を振ると、ミミルも真似をするように片方の前足を持ち上げる。その不器用な動きに使用人たちから笑いが漏れ、大河も手を振り返した。
「またな、ミミル」
ミミルは短く鳴くと、今度はゴルディスの脚へ頬を擦りつけた。主人のそばへ戻れたことを確かめるような仕草だった。
屋敷から離れたところで、大河は胸元へしまった紹介状の上へそっと手を添えた。これで学校へ入れると決まったわけではない。入学金も自分で用意しなければならず、その先には今より強い者たちが待っている。それでも、昨日まで遠くに見えていた扉が、今は手を伸ばせば触れられる場所まで近づいていた。
夕暮れの街を歩きながら、大河はゴルディスの言葉を繰り返し思い返した。ランキングの、その先で何を築くのか。今はまだ、はっきりした答えを持っていない。ただ、王になることだけを見ていた時よりも、目指す場所は少し広くなっていた。
隣ではポルポルが、学校にはどんな食堂があるのかと早くも楽しそうに話している。大河はその声を聞きながら、小さく笑った。西日によって長く伸びた二人の影が、石畳の上を並んで進んでいく。
新しい舞台には、まだ見ぬ仲間やライバルがいる。これまで知ることのなかった技術も、今の自分では届かない強さも待っているだろう。胸の奥へ芽生えた期待とわずかな不安を抱えたまま、大河は夕焼けに染まる街の先へ視線を向けた。
ランキングの先に何を築くのか。その答えを探すための新たな一歩が、静かに始まろうとしていた。
第28話を読んでいただき、ありがとうございました。
ゴルディスは、ランキング報酬を使って小さな土地を買い、長い年月をかけて今の財産を築きました。
ランキングは人生を変える。
しかし、本当に大切なのは、その先で何を築くか。
大河もまた、王になることだけではなく、その力で何を残すのかを考え始めます。
そしてゴルディスから受け取った、学院長への紹介状。
入学金は自分で用意しなければなりませんが、遠くに見えていた学院への扉は、確かに近づきました。
次回から、大河は新たな舞台へ向けて動き出します。




