第24話 揚げたての証明
第24話です。
アイにとって三度目となる料理ランキング。
今回の料理は、魔物肉を使った唐揚げ定食です。
正式な料理ランカーとなるための大切な一戦。
小さな料理人が積み重ねてきた努力が、ついに順位として刻まれます。
料理ランキングの会場へ向かう道で、アイはずっと両手を握っていた。
朝の通りには、焼きたてのパンの匂いと、露店の香草を束ねる青い香りが混ざっていた。石畳の上を荷車がゆっくり進み、車輪の音が店先の笑い声に重なる。いつもの街の音だ。けれど、今日のアイには、そのどれもが遠く聞こえているようだった。小さな肩に力が入り、時折、胸元に下げたカードへ視線を落とす。
今日が三度目の料理ランキング挑戦だった。
料理ランキングは直近三回の平均点で順位が決まる。前回までは、まだ正式なランカーではなかった。だが、今日の点数が加われば、アイの名前は初めてランキングに載る。百位以内なら報酬が入る。百位より下なら、逆に負担が生まれる。子供の肩に背負わせるには重すぎる仕組みだったが、アイは逃げなかった。
大河は隣を歩きながら、彼女の横顔を見た。前回より落ち着いている。だが、緊張していないわけではない。むしろ、今回の方が怖いのかもしれない。失敗すれば正式な順位が低く出る。成功すれば、生活が変わる。母の治療費、店の借金、マイラ食堂の未来。そのすべてが、この小さな料理人の指先に乗っている。
「アイ」
大河が声をかけると、アイは足を止めずに顔だけを向けた。
「いつも通りでいいからな」
それ以上は言わなかった。大丈夫だと何度も言えば、かえって重くなる気がした。アイは少しだけ目を伏せ、やがて小さく頷いた。
「うん」
ポルポルは大河の肩の上で、いつもより真剣な顔をしている。
「今日は勝負なのです。唐揚げ定食なのです」
「お前は食べる気満々だな」
「応援の力に変えるのです」
「便利な言葉だ」
そのやり取りに、アイの口元がほんの少しだけ緩んだ。大河はそれを見て、胸の奥で小さく息を吐く。
会場には、すでに十人の挑戦者が集まっていた。前回と同じように広い調理場には十台の調理台が並び、客席には料理人や商人、常連客、審査を見に来た人々が座っている。マイラも今日は店を少し閉めて来ていた。顔色はまだ完全ではないが、背筋を伸ばし、娘の姿をじっと見つめている。マイラ食堂の常連たちも数人来ていて、声を張り上げることはないものの、手を振ってアイへ合図を送っていた。
アイはその姿を見つけると、一度だけ深く息を吸った。
調理開始の鐘が鳴る。
包丁の音が一斉に立ち上がった。魚を切る音、肉を叩く音、鍋に水を注ぐ音。香草が刻まれ、油が温められ、火が入る。十人の料理人が同時に動き出す光景は、やはり迫力があった。だが、三度目のアイはもう、その熱気に飲まれていなかった。小さな手で魔物肉を取り出し、丁寧に筋を切っていく。
今日の主役は、魔物肉の唐揚げだった。
ギルドで見た魔物肉をもとに、マイラが仕入れられる食用の魔物肉を用意してくれた。癖はある。普通に焼くだけでは臭みが残る。だが、アイは昨夜から下味を調整し続けていた。香草、塩、少し酸味のある果汁、すり潰した根菜の甘み。大河が知っている唐揚げとは違う。けれど、それでいい。地球の料理をそのまま再現するのではなく、この世界の食材で勝負する料理に変えていく。それが、今のアイのやり方だった。
主食には、前にオムライスで使った穀物を炊いたものを添える。米ほどの粘りはなく、粒も少し細長い。噛むと香ばしさはあるが、甘みは控えめだ。大河は初めて食べた時、白米とは違うと思った。だが、唐揚げの油と香草の味を受け止めるには悪くない。今この世界で作れる、最善の形だった。
さらに、シャキシャキした葉野菜と香草のサラダ。森きのこと香味野菜の澄んだスープ。前回の卵スープやポテトサラダとは違う、油料理を支えるための組み合わせだ。マイラが遠くから、娘の手順を確認するように見守っている。
アイは油の温度を確かめた。小さな衣を落とすと、細かな泡が立ち上る。目で見て、耳で聞いて、香りを嗅いで、火加減を読む。大河には分からない領域だった。だが、アイの横顔を見れば、彼女がその瞬間を掴んだことは分かった。
肉が油へ入る。
じゅわぁぁ、と会場の空気を裂くような音が広がった。
その音だけで、数人の観客が振り返った。揚げるという調理法を知らない者にとって、その音は料理というより小さな魔法のように聞こえたのかもしれない。熱い油の中で衣が泡をまとい、少しずつ黄金色へ変わっていく。香草と肉の匂いが油に乗り、調理場の空気を塗り替えていった。
審査員席の一人が、顔を上げた。
「……何の香りだ?」
別の料理人も手元を動かしながら、ちらりとアイの台を見る。派手な炎も、巨大な肉もない。だが、音と匂いが強かった。油の中で変わっていく肉の姿に、観客席のポルポルはほとんど前のめりになっている。
「危険なのです……あれは絶対おいしい匂いなのです……」
「審査前に食べようとするなよ」
「我慢しているのです。かなり偉いのです」
大河は苦笑したが、視線はアイから離せなかった。唐揚げが引き上げられる。衣は薄く、しかししっかりと肉を包み、表面には細かな凹凸ができていた。油を切ると、湯気とともに香ばしい匂いが立ち上る。
アイは皿に穀物を盛り、その横へ唐揚げを並べた。葉野菜のサラダを添え、柑橘に似た小さな果実を一切れ置く。最後に澄んだきのこのスープを器へ注いだ。派手さだけなら他の皿に劣るかもしれない。だが、そこには一食としてのまとまりがあった。揚げ物の強さを、穀物と野菜とスープが支えている。
やがて審査が始まった。
アイの皿が審査員の前へ置かれた時、最初に反応したのは香りだった。三人の審査員がほぼ同時に鼻を動かす。中央の審査員が唐揚げを一つ取り、表面を確かめるように見た。
「油で包む料理か」
「はい。衣をまとわせて揚げています」
アイの声は少しだけ震えていた。けれど、視線は逃げなかった。
審査員が噛む。
サクッ。
小さな音が、なぜか会場のざわめきの中でもはっきり聞こえた気がした。次の瞬間、審査員の目がわずかに開く。衣の香ばしさの後から、肉汁が滲む。魔物肉特有の癖は、香草と下味で丸くなり、噛むほどに旨味へ変わっていく。
「外は軽いのに、中に肉の力が残っている」
「魔物肉の臭みが、香草でうまく抑えられているな」
「この衣という発想が面白い。油を吸いすぎていないのも良い」
別の審査員が穀物を口に運ぶ。続けてサラダ、スープ。彼は目を閉じ、しばらく味を確かめていた。
「穀物は甘くはないが、この肉には合っている。サラダで油を切り、スープで最後に落ち着かせる。単品ではなく、一食として組み立てている」
大河はその言葉を聞いて、思わず拳を握った。唐揚げだけが評価されているのではない。アイが考えた全体の組み立てが伝わっている。隣でマイラが小さく息を吐いた。緊張をほどくような、しかしまだ結果を見るまでは安心しきれない吐息だった。
審査員の一人が、唐揚げをもう一口食べた。
「欠点を挙げるなら、肉の大きさにわずかなばらつきがある。火の入り方にほんの少し差が出ているな」
「あと、衣の香りは良いが、後半にもう一段変化が欲しい。柑橘を添えた判断は良いが、使わせ方に工夫できる」
アイは黙って聞いていた。褒められても浮かれず、指摘されても俯かない。すべてを覚えようとするように、審査員の顔を見ている。その姿に、大河は彼女がもうただの子供ではなく、ランキングに挑む料理人なのだと改めて感じた。
やがて、点数が表示された。
九十三点。
会場がざわめいた。前回の九十二点を上回る点数。アイの目が一瞬だけ揺れた。ポルポルが跳ね上がりそうになり、大河が慌てて肩を押さえる。
「まだなのです?」
「まだ平均が出る」
「分かっているのです。でも跳ねたいのです」
水晶板に、過去三回の点数が順に浮かぶ。
一回目、七十九点。
二回目、九十二点。
三回目、九十三点。
平均、八十八点。
料理ランキング、二十二位。
獲得ポイント、八十九ポイント。
その表示が出た瞬間、マイラが口元を押さえた。常連たちが小さく拍手を始め、それはすぐ周囲へ広がった。大きな歓声ではない。だが、温かい音だった。アイは水晶板を見つめたまま、しばらく動かなかった。
料理ランキング二十二位。
八十九ポイント。
月末には八十九万マールが入る。マイラ食堂にとって、アイとマイラにとって、それはただの数字ではなかった。借金に追われ、病に怯え、閉まりかけた店の扉を、もう一度開けるための数字だった。
審査が終わり、会場の外へ出た時、アイはカードを両手で握りしめていた。午後の光が、カードの縁を淡く照らしている。マイラは娘の前にしゃがみ、何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。代わりに、そっとアイを抱きしめる。
アイの肩が小さく震えた。
涙は落ちていない。けれど、その背中に入っていた力が、少しずつほどけていくのが分かった。
「おめでとう」
大河が声をかけると、アイはゆっくり顔を上げた。
「ついにランカーに……なれた」
「ああ。立派な料理ランカーだ」
ポルポルは我慢しきれず、その場でくるくる回った。
「すごいのです! アイちゃん、正式な料理ランカーなのです!」
常連の老人が鼻をすすりながら笑う。
「うちの看板娘が、二十二位か。こりゃ店も忙しくなるな」
「お祝いしないとね」
別の常連がそう言うと、アイは照れたように視線を下げた。マイラは娘の髪を撫で、静かに笑っている。
けれど、大河はそこでカードの表示をもう一度見た。
七十九点。
それがまだ残っている。
今回の順位は二十二位。十分すぎるほどの成果だ。だが、三回平均制である以上、次に出れば一回目の七十九点は消える。次回も九十点台を取ることができれば、平均は一気に跳ね上がる。トップ十も見えてくる。
「アイ」
大河が言うと、アイはカードから視線を上げた。
「これで終わりじゃない」
「……はい。月に一回は出ないと、ランキングを失う」
「それもある。でも、もっと大きい」
大河はカードの表示を指さした。
「次は七十九点が消える。九十二点、九十三点、そこに次の点数が入る」
アイの目がゆっくり開いていく。数字の意味を、彼女も理解したのだろう。
「次も九十点台なら……」
「トップ十が狙える」
アイはカードを見つめた。二十二位という数字に喜びがある。だが、その奥に、次の扉が見えている。彼女の小さな手が、カードを少し強く握った。
「次は……トップ十を狙います」
その声は静かだった。大きな宣言ではない。けれど、迷いはなかった。
大河は頷いた。
「一緒に考えよう」
「はい」
マイラ食堂の常連たちが、帰ったらお祝いだと騒ぎ始める。ポルポルは当然のように「唐揚げをもう一度食べるのです」と主張し、マイラが笑いながら困った顔をする。アイはその中心で、まだ少し照れくさそうに俯いていた。
料理ランキング二十二位。
それはゴールではない。
母を助け、店を守るための、そして料理人として上を目指すための、最初の確かな足場だった。
揚げたての香りは、まだアイの指先に残っていた。
第24話を読んでいただき、ありがとうございました。
アイは料理ランキング二十二位となり、正式な料理ランカーになりました。
獲得ポイントは八十九ポイント。
マイラ食堂にとっても、借金返済へ向けた大きな一歩です。
しかし、三回平均制の料理ランキングでは、次の挑戦で最初の七十九点が外れます。
次も九十点台を取ることができれば、トップ十が見えてくる。
アイの次の目標は、料理ランキングトップ十です。




