第21話 次の道
第21話です。
三度目の月末を迎え、大河は三百四十四万マールの報酬を受け取ります。
しかし、手に入れた格闘ランキングの順位は、すでに五つ下がっていました。
立ち止まっていては、上へは行けない。
さらに強くなるため、大河は新たな道を探し始めます。
三度目の月末は、静かな朝に訪れた。
エリカ診療所の最上階にある大河の部屋には、薄い朝日が差し込んでいた。窓を開けると、協会へ向かうランカーたちの足音が石畳から聞こえてくる。荷車の車輪が軋む音、露店の準備をする商人の声、どこかの店で火を入れたのか、焼けたパンに似た香りが風に混ざっていた。
大河は机の上に置いていたカードを手に取った。月末の朝になると、この小さなカードの重みがいつも少し変わる。初めて報酬を受け取った時は、二十三万マールでも胸が高鳴った。次の月は九十万マール。あの時は、ようやく生活に少し余裕ができたと思った。そして今回は、五十メートル走一位と、格闘ランキング入りを経て迎える月末だった。
カードへ意識を向けると、表示が淡く浮かび上がった。
五十メートル走 一位 百ポイント。
格闘バトル素手限定 七百五十七位 二百四十四ポイント。
総合ポイント 三百四十四ポイント。
報酬 三百四十四万マール。
大河はしばらく、その数字を見つめた。
額だけを見れば大きい。三百四十四万マール。異世界へ来たばかりの頃、宿代にも怯えていた自分からすれば、信じられないような金額だ。ポルポルの食費を差し引いても、すぐに困るような額ではない。
けれど、大河の目は格闘ランキングの順位で止まっていた。
七百五十七位。
前回、ノーマント・フロックに勝って掴んだ順位は、七百五十二位だった。たった数日の間に五つ下がっている。つまり、その間に五人が大河より上へ進んだということだ。自分が立ち止まっている間にも、誰かが戦い、勝ち、順位を奪っていく。ランキングは、棚に飾っておける勲章ではなかった。
隣の寝床で丸くなっていたポルポルが、カードの光に気づいて目を開けた。ふわふわの毛を揺らしながら浮き上がり、大河の肩越しに表示を覗き込む。
「おおっ、三百四十四万マールなのです!」
ポルポルの目が一瞬で輝いた。尻尾が嬉しそうに揺れる。
「すごいのです、大河さん! これなら豪華な朝ごはんも、豪華な昼ごはんも、豪華な夜ごはんも」
「三食全部豪華にする気か」
「月末なのです」
「関係あるようでないな」
大河は苦笑したが、すぐにまたカードへ目を戻した。ポルポルも、その視線の先にある数字に気づいたらしい。先ほどまでの明るさを少し抑え、七百五十七位の表示を見つめる。
「五つ、下がったのです」
「ああ」
「バトルランキングは動きが速いのです。特にローランカー帯は人数も多いので、上がる人も落ちる人も多いのです」
「勝っても、放っておけば抜かれるんだな」
大河がそう言うと、ポルポルは小さく頷いた。
「それがランキングなのです」
その言葉は簡単だったが、大河の胸には重く残った。
午前中、大河はいつも通り広場で身体を動かした。だが、走りながらも頭の片隅には七百五十七位という数字がこびりついていた。足は以前より軽い。地面を蹴る感覚もよくなっている。シャドーをしても、肩から拳へ力が流れる。だが、それだけでは足りない。ノーマントには勝てた。けれど、同じローランカーの中にも、さらに強い者はいくらでもいる。上へ行けば、その数はもっと増えるだろう。
午後はマイラ食堂へ顔を出した。アイは次の料理ランキングに向けて、卵料理の改良を続けていた。彼女の小さな手がフライパンを扱う様子を見ながら、大河は自分とは別の戦い方があることを改めて感じた。アイは包丁と火で戦っている。エリカは魔法と知識で戦っている。自分は、何で戦うのか。足、拳、魔力。どれもまだ途中だ。
夜、エリカとの夕食の席で、大河はカードを見せた。
食卓には、薬草の香りが薄く残るスープと、焼いた肉、柔らかく煮た野菜が並んでいる。エリカは診療を終えたばかりで、白い外套を脱いでもまだ少し疲れた顔をしていた。だが、大河がカードを差し出すと、表情を引き締めて表示を見た。
「三百四十四ポイントか。報酬としては十分じゃな」
「でも、格闘ランキングは五つ下がりました」
「ふむ」
エリカは木杯を置き、淡い緑の瞳で大河を見た。
「悔しいか?」
大河は少し考えてから頷いた。
「悔しいです。勝ったのに、すぐ下がるんだなって」
「順位は生き物じゃ。止まっておるようで、常に動いておる。大河くんが休んでいる間にも、誰かは戦い、誰かは勝つ。ランキングとはそういう場所じゃ」
エリカの声は穏やかだったが、甘くはなかった。彼女自身も回復魔法ランキング一位として、その重さを知っているのだろう。月に一度の参加義務がある部門では、維持するだけでも労力がいる。王が必要最低限の部門にしか参加していないという話も、今なら少し分かる気がした。手を広げれば広げるほど、守るべき場所が増える。
「魔法は、少しずつ覚えています。でも、一気に強くなるわけじゃない」
大河は自分の手を見た。指先に小さな火を灯した感覚は残っている。だが、それを戦いで使えるかと聞かれれば、まだ無理だ。
「格闘も、ノーマントさんに勝てたのは大きかった。でも、このままだとすぐ頭打ちになる気がします。実戦経験も足りないし、技術も足りない」
エリカは黙って聞いていた。普段なら大河の手を握ろうとするところだが、今はふざけなかった。少しだけ目を細め、医師が患者の症状を見極める時のように、彼の言葉の奥を見ている。
「わしが教えられるのは魔法じゃ。魔力の流れ、術式の組み立て、身体を壊さずに力を開く方法。そのあたりなら見てやれる」
エリカはそこで、少しだけ肩をすくめた。
「じゃが、格闘は専門外じゃ。わしが拳を握っても、大河くんに抱きつくくらいしか使い道がない」
「そこは使わなくていいです」
「惜しいのう」
ポルポルがスープを飲みながら、真顔で言った。
「今のは本当に惜しくないのです」
少しだけ空気が緩んだ。だが、大河の中にある問題は消えていない。どうすればもっと強くなれるのか。王どころか、ローランカーの上位に進む道さえまだ見えない。
ポルポルは椅子の上に立つように浮かび、前足を小さく上げた。
「方法は、いくつかあるのです」
「方法?」
「はいなのです。大河さんがもっと強くなる方法です」
ポルポルはいつになく真剣だった。
「一つは、このまま独学で鍛えること。これはお金がかからないのです。でも時間がかかるし、間違った癖がつく危険もあるのです」
「だろうな」
「二つ目は、師匠を探すこと。格闘や剣の専門家に教わるのです。ただし、良い師匠は高いですし、見つけるのも難しいのです」
大河は頷いた。エリカのように偶然出会えた特殊な人物ばかりではない。技術を教える者も商売であり、相手を選ぶだろう。
「三つ目は、学校なのです」
「学校?」
大河は思わず聞き返した。異世界で学校という言葉を聞くと、少し不思議な感じがする。だが、考えてみればランキングが社会の中心なら、それを学ぶ場所があってもおかしくない。
ポルポルは頷いた。
「ランキング学校なのです。正式には、ランキング総合育成学院と呼ばれているのです。バトル、魔法、剣、基礎体力、戦術、ランキングの仕組みまで学べる場所なのです」
大河の胸が少しだけ動いた。学校。体系的に学べる場所。独学では届かない技術や知識を得られるかもしれない。ライバルもいるだろう。自分より先を行く者たちに囲まれれば、今よりもっと速く伸びられるかもしれない。
「試験があるんですか」
「基本的にはないのです」
「ない?」
「ランカーであることが、最低条件なのです。ランキングに入っている時点で、実力の証明になるのです。あとは入学金を払えば入れるのです」
「入学金……」
大河は嫌な予感がした。こういう流れで出てくる金額は、たいてい軽くない。
ポルポルは少しだけ目を逸らした。
「五百万マールなのです」
食卓に沈黙が落ちた。
大河は自分のカードを見た。三百四十四万マールが入った。以前なら十分すぎる額だ。だが、生活費もある。食費もある。マイラ食堂へ通う分も、魔法訓練に必要な道具代も、これからバトル用の装備や治療費が必要になる可能性もある。エリカの部屋に住んでいるため家賃は浮いているが、それでも五百万マールを今すぐ払うのは厳しい。
「来月まで待てば、たぶん貯まるんじゃないですか?」
大河が言うと、ポルポルは小さく首を横に振った。
「入学時期があるのです。学校は年に二回しか入学できないのです」
「二回?」
「はいなのです。春期と秋期です。次の入学受付は、あと二週間なのです」
「今回を逃したら?」
「半年待ちなのです」
大河は言葉を失った。半年。その響きが、思っていた以上に重かった。神から与えられた一年という時間を思い出す。今すぐ王になれるとは思っていない。だが、半年を何もせず待つほど余裕があるとも思えなかった。今が伸びる時期だという実感がある。身体も、魔力も、戦い方も、少しずつ変わっている。その流れを止めたくない。
エリカが頬杖をついた。
「貸してやろうか?」
「借金は嫌です」
「利子は五パーセントでよいぞ」
「それ、協会と同じじゃないですか」
ポルポルが冷静に呟く。
「借金まみれのエリカさんが言うと、説得力が薄いのです」
「痛いところを突くでない」
エリカは少しだけ目を逸らした。大河は苦笑したが、すぐに表情を戻した。冗談で済む問題ではない。あと二週間で五百万マール。今の手持ちだけでは足りない。だが、まったく届かない額でもない。そこが厄介だった。
「他に稼ぐ方法は?」
大河が尋ねると、ポルポルは少し考えた後、言った。
「冒険者ギルドに登録する方法もあるのです」
「ギルドか」
大河はその言葉に、異世界らしい響きを感じた。だが、ポルポルはすぐに釘を刺す。
「ただし、冒険者ギルドは高収入を得る場所ではないのです。この世界で大きく稼ぐなら、基本はランキングなのです」
「じゃあ、ギルドは何のために?」
「実戦経験、素材集め、人脈、生活費なのです。ギルドは仕事を斡旋する場所です。でも、実力の基準はランキング協会のデータを使うのです」
「つまり、ランキングが上がれば受けられる依頼も増える?」
「その通りなのです。大河さんは総合三百四十四ポイントで、格闘ランキングにも入っています。だから、最低限の依頼よりは少し上を受けられるはずなのです」
大河は考え込んだ。ギルドで一気に五百万マールを稼ぐことはできない。だが、実戦経験は積める。ランキング戦とは違う状況で身体を使い、魔物や護衛、採取などを経験できるかもしれない。学校に入るための資金を補いながら、自分に足りないものを埋める手段にはなりそうだった。
エリカはスープを口に運びながら、静かに言った。
「悪くないのう。ランキング戦だけでは見えぬものもある。実戦でしか学べぬこともある」
「危険は?」
「当然ある」
エリカはあっさり答えた。
「じゃが、危険のない道で王を目指す方が無理じゃろう」
その言葉に、大河は返せなかった。王。国。ランキング。まだ遠い。だが、遠いからといって立ち止まっていれば、距離は縮まらない。
食事を終えた後、大河は部屋に戻った。窓の外では、夜の街に灯りが浮かんでいる。協会の白い塔が月明かりを受け、静かに立っていた。カードを開く。三百四十四ポイント。七百五十七位。三百四十四万マール。十分大きな数字のはずなのに、学校、ギルド、王という言葉を知った後では、まだ足りないものばかりに見えた。
大河はカードを閉じた。
今の自分に必要なのは、ただ待つことではない。
学校へ行くための金も必要だ。だがそれ以上に、学校へ行く前に少しでも経験を積みたい。ランキングだけでは見えない世界を見る必要がある。
扉の向こうで、ポルポルが小さく欠伸をする音が聞こえた。大河は窓の外を見たまま、静かに呟いた。
「まずは、ギルドに行ってみるか」
夜風がカーテンを揺らした。
ランキングの街の向こうには、まだ大河の知らない世界が広がっている。王へ続く道は、リングの砂の上だけにあるわけではなかった。
第21話を読んでいただき、ありがとうございました。
大河はランキング学校の存在を知りました。
入学金は五百万マール。
次の受付までは、あと二週間。
今回を逃せば、次は半年後です。
足りない資金と、まだ不足している実戦経験。
その両方を得るため、大河が次に向かうのは冒険者ギルドです。
ランキング戦とは違う場所で、どんな仕事と危険が待っているのか。
次回も読んでいただけると嬉しいです。




