第2話 最初のランキング
第2話です。
ランキングですべてが決まる世界で、大河は最初の一歩を踏み出します。
この世界のルールと、異世界生活の厳しさをぜひ楽しんでいただければ嬉しいです。
草原を渡る風は、どこか知らない花の匂いを含んでいた。甘いのに青く、懐かしいようでいて、どれだけ記憶を探っても地球では嗅いだことのない匂いだった。大河はその風を胸いっぱいに吸い込みながら、遠くに見える街へ向かって歩いていた。見上げれば、空は信じられないほど澄んでいる。雲は白く、光は柔らかく、草の葉先は陽を受けて銀色に揺れていた。美しい景色だったが、その美しさに浸っている余裕はあまりなかった。
隣では、ピンクに近い紫色の毛並みをした小さな生き物が、ふわふわと空中を漂っている。ポルポルと名乗ったその相棒は、歩く大河の顔の横を行ったり来たりしながら、時々鼻をひくひく動かしていた。長い尻尾は落ち着きなく揺れていて、見た目だけならただの可愛い小動物だ。だが口を開けば、この世界の案内役として妙に現実的なことを言う。
「大河さん、まず最初にやることはランカー登録なのです」
ポルポルは空中でくるりと一回転してから、大河の少し前に回り込んだ。大きな瞳が真剣に細められている。真剣な顔をしても愛嬌が勝ってしまうのだが、本人はそれに気づいていないらしい。
「ランカー登録?」
「はいなのです。この世界では、ランキング協会の会員にならないと正式にランキングへ挑戦できないのです。記録を出しても、登録前だとポイントにはなりません」
「なるほど。協会が全部管理しているわけか」
大河は歩きながら、遠くの街並みに目を向けた。石造りの外壁が陽光を受けて白く輝き、その奥には尖塔のような建物がいくつも見える。地球の街とはまるで違う。けれど道の先へ近づくにつれて、人の声や荷車の軋む音が微かに聞こえ始め、そこに確かに生活があるのだと分かった。
ポルポルは小さな前足を得意げに胸に当てた。
「登録すると、ランカーカードがもらえるのです。そこに魔力を流すと、現在のポイントや順位、参加できるランキングが見られるのです」
「魔力か……」
大河は自分の掌を見た。神から異世界仕様の身体を与えられたとはいえ、自分の中に魔力というものがある感覚はまだ分からない。手を握ったり開いたりしてみても、特別な光が出るわけでも、身体の奥で何かが渦巻くわけでもなかった。
その様子を見て、ポルポルが少し誇らしげに鼻を鳴らした。
「大河さんはまだ魔力の扱い方が分からないので、しばらくはポルポルが代わりに魔力を込めてあげるのです」
「助かる。いきなり魔力を込めろと言われても、蛇口の場所が分からない水道みたいなものだからな」
「じゃぐち?」
ポルポルが首を傾げる。その仕草が本物の猫に近く、大河は思わず口元を緩めた。だが、また猫扱いすると怒られそうなので黙っておいた。
街の入口に近づくと、外壁の前には人々の列ができていた。荷物を背負った旅人、革鎧を着た冒険者風の男、頭に布を巻いた商人らしき老人、まだ十代前半に見える少年少女までいる。門番はそれぞれのカードらしきものを確認し、手早く中へ通していた。大河が列の最後尾に並ぶと、周囲の視線がちらりとこちらへ向いた。服装が珍しいのだろう。地球のランニングウェア姿の大河は、石造りの街の前ではどう見ても浮いていた。
門番の男は大河の番になると、訝しげに眉を寄せた。日に焼けた顔には無精髭があり、肩には使い込まれた槍を担いでいる。
「見ない格好だな。旅人か?」
大河がどう答えるべきか迷った瞬間、ポルポルが胸を張って前に出た。
「神の紹介なのです!」
門番の眉がさらに寄った。しばらくポルポルを見つめた後、男は深く考えるのを諦めたように息を吐いた。
「……ランキング協会に行くなら、中央通りをまっすぐだ。一番大きい建物だから迷わん」
「ありがとうございます」
大河が頭を下げると、門番はじろりと彼の足元を見た。ランニングシューズに興味を引かれたようだったが、何も言わずに手で通行を示した。
街の中へ入った瞬間、空気が変わった。草原の静けさは消え、代わりに人の熱と生活の匂いが押し寄せてくる。焼いた肉の香ばしい匂い、果物の甘い香り、馬に似た生き物の汗の匂い、石畳を踏む靴音、露店の呼び込み。大河はそのすべてを浴びながら、知らない世界に放り込まれた実感を改めて覚えた。
通りを行き交う人々の腰や首には、金属や木でできたカードがぶら下がっている。彼らが何気なくそこへ指を触れるたび、薄い光の文字が空中に浮かんでは消えた。子どもたちがそれを覗き込んで歓声を上げ、商人らしき男が渋い顔で数字を確認している。ランキングは特別な競技会ではなく、この街の呼吸そのものに混ざっているのだと大河は感じた。
「ここではポイントがそのまま生活に関わるんだな」
大河が呟くと、ポルポルは頷いた。さっきまで屋台の串焼きを物欲しそうに眺めていた表情が、少しだけ真面目になる。
「そうなのです。月に一回、その時点の総合ポイントに応じて報酬が入るのです。一ポイントにつき一万マール。マールはこの世界のお金で、価値は大河さんの世界の円と同じくらいだと思っていいのです」
「一ポイントで一万円か。じゃあ百ポイントなら百万円」
「はいなのです。だからランキングで生活しているランカーがたくさんいるのです。でも、マイナスも同じなのです」
ポルポルの尻尾の動きが少しだけ鈍くなった。
「月末の時点でマイナス千ポイントなら、千万マールの借金になるのです」
大河は思わず足を止めた。賑やかな通りの音が、一瞬遠くなる。ランキングで勝てば稼げる。だが負ければ借金になる。それはゲームのスコアではなく、現実の暮らしを壊す数字だった。
「失敗したら終わりってわけか?」
「救済制度はあるのです。払えない人はリタイア申請ができます。ただし、二度とランキングには参加できなくなるのです」
ポルポルの声は淡々としていたが、その言葉は重かった。挑戦することで人生が開ける世界。けれど挑戦の失敗で、二度と挑む権利を失う者もいる。大河は通りの端で座り込んでいる青年に目を向けた。彼は古びたカードを握りしめ、地面を見つめていた。通行人は誰も彼に声をかけない。珍しくない光景なのだろう。
胸の奥に、小さな重石が沈んだ。神が言っていた歪みは、映像の中だけの話ではない。目の前の街で、今も誰かの生活に食い込んでいる。
「だから競技選びは慎重に、か」
「はいなのです。勝てるランキングを選ぶのが一番大事なのです」
ポルポルはそう言ってから、また屋台の串焼きへ視線を吸い寄せられた。鼻先がぴくぴく動いている。大河はその横顔を見て、苦笑を漏らした。
「まずは宿代と飯代だな」
「とても大事なのです!」
ポルポルは勢いよく頷いた。その真剣さの半分以上は飯代に向いている気がしたが、指摘するのはやめておいた。
中央通りの先に、ランキング協会はあった。周囲の建物よりも二回りほど大きく、白い石で造られた堂々とした建物だ。正面には巨大な円形の紋章が掲げられ、その中心には王冠と数字を組み合わせたような意匠が刻まれている。出入りする人々の数は多く、冒険者らしき者もいれば、職人風の男、楽器を背負った少女、料理人の服を着た中年女性までいる。ランキングが千を超えるという話が、ここへ来てようやく肌で理解できた。
中へ入ると、広い受付ホールが広がっていた。天井は高く、陽光を取り込む大きな窓から淡い光が降り注いでいる。壁には無数の掲示板が並び、それぞれにランキング名と現在の上位者の名前が表示されていた。剣術、魔法火力、暗算速度、薬草鑑定、パン焼き、鍛冶、歌唱、長距離走。眺めているだけで目が回りそうな数だった。
ポルポルは迷いなく受付へ向かった。受付に座っていた女性は、眼鏡の奥から大河を見上げると、柔らかく微笑んだ。
「新規登録ですか?」
「はいなのです! この人をランカー登録するのです!」
ポルポルが大河の前で胸を張る。受付の女性は少し驚いたように瞬きしたが、すぐに仕事用の穏やかな表情へ戻った。
「では、お名前をお願いします」
「望月大河です」
「モチヅキ・タイガ様ですね。所属国、紹介者、魔力適性は分かりますか?」
大河は答えに詰まった。所属国などあるはずがない。魔力適性も分からない。視線を落とすと、ポルポルが任せるのですと言いたげに片目を閉じた。
「神様紹介枠なのです。所属は未定、魔力適性は未測定。登録後に確認でいいのです」
受付の女性は目を丸くした。周囲の数人もこちらを振り返る。神様紹介枠という言葉は、どうやらそう頻繁に出るものではないらしい。女性は慌てて奥の棚から銀色の縁取りがされた小さなカードを取り出した。
「承りました。こちらがランカーカードになります。紛失すると再発行手数料がかかりますのでご注意ください。魔力を流すことで、総合ポイント、順位、参加履歴、獲得予定報酬が確認できます」
大河は差し出されたカードを受け取った。薄い金属のような手触りだが、不思議と温かい。表面にはまだ何も書かれていない。ポルポルがカードの上に小さな前足を置くと、淡い紫色の光が広がった。
空中に文字が浮かぶ。
望月大河。総合ポイント、ゼロ。総合順位、未登録。獲得予定報酬、ゼロマール。
数字は予想していた通りだったが、実際にゼロと表示されると胸にくるものがあった。現在の王は五九五七ポイント。自分は何も持っていない。地球で走り続けてきた年月も、この世界ではまだ一ポイントにもなっていない。
大河がカードを見つめていると、ポルポルが横から顔を覗き込んだ。
「でも、ここからなのです」
「ああ」
大河は短く答え、カードを握りしめた。金属の温かさが掌に移る。その感触が、まるで新しいスタートラインの感触に思えた。
「最初は何に挑むべきだと思う?」
問いかけると、ポルポルは待ってましたと言わんばかりに尻尾を立てた。
「得意なものから行くのです。大河さんは元陸上選手。まずは基礎体力部門、五十メートル走ランキングがいいと思うのです」
「基礎体力部門は魔法やスキルは禁止だったな」
「はいなのです。己の身体だけで勝負する競技なのです。五十メートル走は一位が百ポイント、二位が九十九ポイント、百位が一ポイント。百一位以下になるとマイナスなのです」
大河は表示された掲示板へ視線を向けた。ポルポルがカードに魔力を込めると、五十メートル走ランキングの情報が浮かび上がる。
一位、五秒一二。百位、六秒〇二。
数字を見た瞬間、大河の中で眠っていた競技者の感覚が反応した。五秒一二は異常に速い。地球の常識なら信じがたい記録だ。だが百位の六秒〇二なら、届かない数字ではない。神から与えられた身体の軽さを考えれば、少なくともマイナスにはならない可能性が高い。
「五秒台なら出せる」
大河は呟いた。言葉にしてから、自分の声に懐かしい響きが混じっていることに気づいた。大会前にタイムを計算していた頃の声だ。勝負の前に、身体の状態と相手の記録を見て、届くかどうかを冷静に測る。忘れていたはずの感覚が、筋肉の奥から戻ってくる。
ポルポルは大河の顔を見て、嬉しそうに目を輝かせた。
「エントリーするのです?」
「ああ。今日はこれにする」
「ランキングは一日一競技、一回までなのです。今日挑戦したら、明日まで別のランキングには挑めないのです」
「分かってる。それでも今日は五十メートルだ」
大河はカードを受付の女性へ差し出した。女性は確認用の水晶にカードをかざし、手元の書類に何かを書き込んだ。
「五十メートル走ランキングへの挑戦ですね。記録種目のため、競技場へ転移後、協会審判員の立ち会いで計測を行います。不正防止のため、魔法、スキル、身体強化具の使用は禁止されています」
彼女の声は事務的だったが、大河の耳には妙に遠く響いた。五十メートル。たったそれだけの距離。地球では何度も走ってきた距離だ。だが今から走る一本には、宿代も飯代も、この世界での最初の一歩もかかっている。
「明日が月末なのです」
ポルポルが小さな声で付け加えた。
「今日ポイントを取れば、明日には報酬が入るのです。逆にマイナスなら、明日いきなり借金なのです」
「初日から借金生活は勘弁だな」
大河は苦笑したが、掌にはうっすら汗が滲んでいた。緊張している。自覚すると、胸の奥で鼓動が少し速くなった。けれど嫌な緊張ではない。スタート前の静けさに似ていた。
受付の女性が床に描かれた転移陣を指し示す。大河がその中央に立つと、足元の紋様が淡い青に光り始めた。ポルポルは当然のように肩の近くへ浮かぶ。
「では、いってらっしゃいませ」
光が足元からせり上がり、周囲の景色が水に溶けるように揺らいだ。次の瞬間、大河は別の場所に立っていた。
そこは広い競技場だった。空は高く、楕円形の観客席が遠くを囲んでいる。ただし観客はほとんどいない。記録種目だからだろう。中央にはまっすぐな走路が一本引かれ、五十メートル先に白いラインが見える。走路の表面は土ではなく、しっとりとした弾力のある黒い素材だった。地球の競技場のタータンに似ているが、足で軽く踏むと、もう少し柔らかく反発する感触がある。
風はほとんどない。空気は乾いていて、遠くで旗がわずかに揺れる音だけが聞こえる。走路の脇には、灰色の制服を着た審判員が二人立っていた。片方は記録板を持ち、もう片方は透明な水晶球を支えている。
「挑戦者、望月大河。五十メートル走ランキング。魔法、スキル、補助具の使用は禁止。違反が確認された場合、記録無効および罰則ポイントが科されます」
審判員の声は淡々としていた。大河は頷き、靴紐を確認する。地球から履いてきたランニングシューズの紐をきつく結び直すと、指先に馴染んだ感覚が戻ってきた。土手を走っていた時とは違う。今は明確に、一本の記録を狙っている。
ポルポルは走路の外で前足を握りしめていた。
「大河さん、無理はしないでくださいなのです。でもマイナスは困るのです。できればいっぱい稼いでほしいのです。あとごはんも食べたいのです」
「最後が本音だろ」
大河は小さく笑った。その笑いで、肩に入っていた余計な力が抜けた。
スタートラインの前に立つ。白線が足元に伸びている。五十メートル先のゴールは近い。短い。だが短いからこそ、誤魔化しがきかない。反応、加速、姿勢、腕振り、接地。そのすべてが一瞬の中に詰め込まれる。
大河は軽くジャンプし、身体の感触を確かめた。やはり軽い。地球で走っていた時より、関節の動きが滑らかで、筋肉が素直に反応する。けれど、異世界仕様の身体にまだ慣れていない怖さもあった。力を入れすぎればフォームが崩れる。焦れば接地が乱れる。
大河は深く息を吸った。鼻から入った空気が肺に広がり、胸の中のざわつきを少しだけ鎮める。記憶の底から、試合前のグラウンドが蘇った。スタート前の静寂。隣のレーンの気配。号砲を待つ時間。あの頃は、勝てない相手ばかり見ていた。今は違う。まず超えるべきは、この世界で何も持っていない自分自身だった。
「位置について」
審判員の声が落ちる。大河はスタート姿勢を取った。指先が走路に触れる。黒い素材は少し冷たく、掌に細かなざらつきを返してきた。視線はゴールの少し先。身体を前へ倒しすぎず、最初の一歩を強く出す。
鼓動が一つ、強く鳴った。
「よーい」
空気が張り詰める。ポルポルの息を呑む気配まで聞こえた気がした。
鋭い音が鳴った。
大河の身体は考えるより先に動いていた。右足で地面を蹴り、腕を振る。最初の三歩で身体が前へ浮きそうになるのを、腹に力を入れて押さえ込む。反発が強い。想像以上に前へ進む。だが勢いに飲まれれば転ぶ。大河は歯を食いしばり、身体の軸を保った。
十メートル。加速に乗る。
視界の端が流れ、風が耳元で鳴った。地球で走っていた時より速い。脚が回る。だがフォームがわずかに荒い。異世界の身体はよく動くが、まだ自分のものになりきっていない。大河は腕振りを意識し、接地を短くする。力任せに走るな。前へ、前へ、余計な上下動を消せ。
二十メートルを越えたあたりで、身体が伸びた。胸が開き、視界が少し広がる。走っている間だけ、余計な思考が消えていく。この世界が何なのか、王が何者なのか、借金がどうなるのか。すべてが一瞬だけ遠ざかり、残るのは白いゴールラインと、自分の呼吸だけだった。
ゴールが近づく。
最後の十メートルで、大河はもう一段階腕を振った。太腿が上がり、足裏が走路を叩く。風が顔を打つ。ゴールラインを駆け抜けた瞬間、身体が前へ流れ、大河は数歩かけてようやく止まった。
肺が熱い。喉が焼ける。だが全身に血が巡っている。大河は膝に手を置き、荒い呼吸を繰り返した。汗が顎から落ち、黒い走路に小さな点を作る。久しぶりに全力で走った。ほんの五十メートルなのに、胸の奥が震えていた。
「記録を確認します」
審判員が水晶球を覗き込む。ポルポルは両前足を口元に当て、尻尾をぴんと立てていた。大河も息を整えながら顔を上げる。たった数秒の沈黙が、不自然なほど長く感じられた。
やがて審判員の手元の記録板に光が走った。
「記録、五秒九三」
大河の胸が小さく跳ねた。五秒台。予想通りではある。だが問題は順位だ。百位以内に入らなければ意味がない。
審判員は淡々と続けた。
「現在順位、七十八位。獲得ポイント、二十三ポイント」
その瞬間、走路脇でポルポルが跳ねた。
「やったのです! 二十三ポイントなのです!」
空中でくるくる回りながら、ポルポルは尻尾を花火のように振った。大河はしばらく記録板を見つめていた。七十八位。決して上位とは言えない。王の五九五七ポイントを思えば、あまりに小さな数字だ。それでも、ゼロではない。
大河はゆっくりと息を吐き、握っていた拳を開いた。掌には汗が滲んでいる。その手の中に、確かに最初の二十三ポイントを掴んだ感覚があった。
「初挑戦で七十八位はかなり良いのです。五十メートル走は参加者が多い人気ランキングなのです!」
ポルポルが興奮気味に言う。大河はゴール方向を振り返り、五十メートルの走路を眺めた。たったこれだけの距離で、二十三万マールが動く。勝てば生活が開け、負ければ借金になる。ランキング世界の熱と怖さが、その短い直線に凝縮されているようだった。
「一位は五秒一二だったな」
大河の声に、ポルポルの動きがぴたりと止まった。
「大河さん?」
「かなり遠い。でも、身体に慣れればもう少し縮められる」
大河は自分の脚を軽く叩いた。まだ無駄が多い。スタートも荒かった。加速の時に身体が浮きかけた。改善点はいくつもある。それが分かった瞬間、胸の奥で静かに火がついた。
ポルポルは一瞬ぽかんとした後、嬉しそうに目を細めた。
「大河さん、もう次のこと考えてるのです?」
「考えるだろ。これで終わりじゃない」
審判員からカードを返されると、ポルポルがそこへ魔力を流した。紫色の光が広がり、空中に新しい表示が浮かぶ。
望月大河。総合ポイント、二十三。五十メートル走ランキング、七十八位。獲得予定報酬、二十三万マール。
数字は簡素だった。だが大河には、それが異世界で最初に刻んだ足跡に見えた。
「明日、月末報酬として二十三万マールが入るのです。これで宿に泊まれるのです。ごはんも食べられるのです」
ポルポルは後半を言う時、明らかに声が弾んでいた。大河は呆れたように見やったが、その食いしん坊ぶりに救われてもいた。重すぎる使命の中に、妙に現実的で小さな楽しみが混ざるだけで、足元の感覚が戻ってくる。
転移陣で協会へ戻ると、受付ホールの喧騒が再び大河を包んだ。先ほどと同じ場所なのに、カードに二十三ポイントが刻まれただけで見え方が少し違っていた。周囲の掲示板に浮かぶ無数の数字も、他人事ではなくなった。剣術、魔法、知能、料理、商業。どのランキングに挑むか、どこで勝ち、どこを避けるか。その選択一つで、この世界での未来が変わる。
大河は協会の出口で足を止めた。外は夕暮れに近づき、石畳の通りには長い影が伸びている。屋台からは焼いた肉の匂いが漂い、ポルポルの視線はもう完全にそちらへ吸い寄せられていた。
「大河さん、初ポイント祝いなのです」
「報酬が入るのは明日だろ」
「見るだけでもいいのです。たぶん」
「たぶんってなんだ」
大河は苦笑しながら、カードを胸元にしまった。二十三ポイント。王の五九五七ポイントには遠すぎる。距離にすれば、まだスタートラインを一歩出た程度かもしれない。
それでも一歩は一歩だ。
大河は夕焼けに染まり始めた街並みを見つめた。見知らぬ世界の石畳の上で、胸の奥に確かな鼓動が響いている。ランキングで王を決める世界。勝てば富を得て、負ければ借金を背負う世界。その中で自分は、今日初めて名前を刻んだ。
「まずは二十三ポイントか」
呟くと、ポルポルが隣で力強く頷いた。
「はいなのです。ゼロじゃなくなったのです」
その言葉に、大河は小さく笑った。遠い頂点を見上げるには、まだあまりに頼りない数字だ。だが、ゼロではない。走って得た二十三ポイントが、今の大河にとっては何よりも確かな証だった。
夕暮れの風が通りを抜け、協会の掲げる王冠の紋章を揺らしていく。大河はその紋章を一度見上げてから、腹を空かせた相棒とともに、人の波の中へ歩き出した。
第2話を読んでいただき、ありがとうございました。
ついに大河がランカーとして登録され、最初の23ポイントを獲得しました。
王までの道のりを考えれば小さな一歩ですが、この世界ではゼロと一の差はとても大きな意味を持ちます。
次回はいよいよ、初めての報酬と異世界での本格的な生活が始まります。
食いしん坊なポルポルも、きっと大活躍……するはずです。
引き続き応援していただけると嬉しいです!




