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異世界ランキング王~総合1位だけが王になれる世界〜  作者: れいじ


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第12話 治療の条件

第12話です。


大河はエリカを連れ、アイの母・マイラのもとへ向かいます。


回復魔法ランキング一位の実力。

そして、魔法でも簡単には解決できない病の重さ。


アイの願いに、エリカはどう向き合うのでしょうか。

夜の通りには、昼間とは違う匂いがあった。石畳に残った熱がゆっくり冷めていく匂い、酒場から流れてくる焼き肉の香り、路地の奥に沈む湿った土の気配。大河はその中を、エリカとポルポルを連れて歩いていた。アイの家は協会から少し離れた細い通りにある。大河は一度訪れているはずなのに、その夜の道は妙に長く感じられた。


 隣を歩くエリカは、診療所で見た時とはずいぶん違っていた。白い外套の裾を揺らしながら、大河のすぐ横にぴたりとついてくる。肩が触れそうな距離だ。見た目だけなら、憧れの相手の後を追う少女のようにも見える。けれどその実態は回復魔法ランキング一位で、借金持ちで、いきなり結婚を迫ってくる数百歳級の魔法使いかもしれない存在である。大河はその情報量の多さに、歩きながら少しだけ頭が痛くなった。


「大河くん、歩幅が大きいのう」


「すみません」


「いや、よい。ついていくのは嫌いではない」


 エリカは楽しそうに言った。ポルポルは大河の反対側を飛びながら、半眼でその様子を見ている。腹は酒場でかなり満たされたはずなのに、今度は別の意味で機嫌が悪そうだった。


「エリカさん、今は患者さんのところへ向かっているのです」


「分かっておる。わしは仕事はする女じゃ」


「さっきまで結婚の話しかしてなかったのです」


「それも大事な話じゃ」


「大事ではないのです」


 小さな相棒と伝説の回復術師が言い合う声を聞きながら、大河は路地の奥へ目を向けた。アイの店の看板が見えてくる。鍋と魚の絵が描かれた木の看板。以前見た時と同じく、扉は閉じられ、窓には内側から布がかけられていた。かつては夕食時に湯気や笑い声がこぼれていたのかもしれない。今はただ、古い木の匂いと静けさだけがそこにあった。


 大河が扉を叩くと、少しして中から小さな足音が近づいてきた。鍵の外れる音。扉がわずかに開き、隙間からアイの顔がのぞく。大河を見つけた瞬間、その目が揺れた。続いてエリカに視線が移ると、アイは息を呑んだように身体を固くした。


「この人が……」


「エリカさんだ。診てくれるって」


 大河がそう言うと、アイは扉を大きく開けた。薄暗い店内に、夜の冷えた空気が流れ込む。アイは頭を下げようとして、言葉を探すように唇を動かした。けれど、うまく声が出ないようだった。


 エリカはその様子を見て、先ほどまでの浮ついた表情をすっと消した。淡い緑の瞳に、診療所で患者を見ていた時の冷静な光が戻る。


「母君のところへ案内しておくれ」


 アイは小さく頷き、奥の部屋へ向かった。客席は相変わらず静かだった。使われていないテーブル、整えられた椅子、火の入っていない厨房。包丁や鍋はきれいに手入れされているのに、料理の匂いだけが足りない。その静けさが、店の止まった時間を物語っていた。


 寝室に入ると、薄い薬草の匂いがした。窓は少しだけ開けられていて、夜風が白い布をかすかに揺らしている。寝台にはマイラが横たわっていた。以前見た時よりも頬がさらに痩せ、唇の色も薄い。呼吸は細く、胸が上がるたびに身体全体が小さく震えているように見えた。


 アイは寝台の脇へ駆け寄り、母の手を握った。


「お母さん。先生、来てくれたよ」


 返事はなかった。マイラのまぶたは閉じたままで、長い睫毛だけがかすかに影を落としている。大河はその姿を見て、胸の奥に重いものが沈むのを感じた。昨日よりも危うい。素人目にも分かるほどだった。


 エリカは寝台の横に立ち、マイラを見下ろした。さっきまで大河の隣で乙女のように歩いていた人物とは、空気がまるで違う。部屋の温度が少し下がったように感じるほど、彼女の意識は患者へ向けられていた。


「これは……かなり危険じゃのう」


 低く呟かれた言葉に、アイの肩が震えた。大河も息を詰める。ポルポルはいつの間にか黙って、エリカの診察を見守っていた。


 エリカはマイラの手首に指を添え、次に額へ触れた。彼女の指先から淡い緑がかった光が滲む。大河がこれまで見たポルポルの回復魔法とは違う。光は柔らかいのに、奥行きがある。水面に月が沈むような、静かな深さを持っていた。エリカは目を閉じ、呼吸を整える。光はマイラの身体を薄く包み、胸元、腹部、喉のあたりをゆっくり巡った。


 長い沈黙が続いた。アイは母の手を握ったまま、息をすることさえ忘れたようにエリカを見つめている。大河は声を出さなかった。何かを尋ねるだけで、この診察の糸を切ってしまいそうだった。


 やがてエリカが目を開けた。


「心労からくる衰弱が大きい。そこへ免疫が落ちたところに、ウイルス性の病が入り込んでおる。かなり進んでいるのう」


「治せるんですか」


 大河が尋ねるより先に、アイの声が漏れた。細く、今にも消えそうな声だった。


 エリカはすぐには答えなかった。彼女は小さな水晶のようなものを取り出し、マイラの胸元に近づける。水晶は淡く光り、すぐに不安定に揺れた。エリカは眉を寄せ、もう一度別の角度で光を当てる。


「魔力耐性は……多少ある。まったくないわけではないのが救いじゃな」


「魔力耐性?」


 アイが聞き返す。エリカは水晶をしまい、静かに説明した。


「回復魔法は外傷や体力の回復に使う。だが毒や細菌、病、呪いのようなものは治癒魔法の領分じゃ。治癒魔法は体内へ深く魔力を入れる。だから、魔力耐性が低い者に強い治癒魔法を使うと、病は消えても後遺症が残ることがある」


 アイの指が、マイラの手をさらに強く握った。


「後遺症……」


「記憶の混乱、手足の震え、視力の低下、魔力酔いが長く残ることもある。ひどい場合は、起き上がれても以前のようには暮らせん。だから、魔法は万能ではない。使えばよいというものではないのじゃ」


 エリカの声は冷静だった。だが冷たいわけではなかった。むしろ一つ一つの言葉が、患者を壊さないために積み上げられているように聞こえた。大河はその時、ようやく理解した。エリカが回復魔法ランキング一位である理由は、強い魔法を使えるからだけではない。使わない判断ができるからだ。


「ここまで進むと、普通の薬や弱い治癒魔法では足りん。かなり強めの治癒魔法が必要になる」


 エリカはマイラの顔を見つめた。


「じゃが、今すぐ強い魔法を入れるのは危険じゃ。まずは魔力耐性を上げる。少し時間はかかるが、後遺症が出るよりはましじゃろう」


 アイは震える唇で尋ねた。


「時間、あるの?」


 部屋の空気がぴんと張った。大河は自分の拳が自然に握られていることに気づいた。


 エリカはアイを見た。さっきまでの軽い調子はない。数百年分の経験を背負ったような、静かな目だった。


「ある。今ならまだ間に合う」


 アイの目が大きく開いた。けれどすぐに涙がこぼれるわけではなかった。ただ、強く握っていた肩の力が少しだけ抜ける。息を止めていた人間が、ようやく浅く息を吸ったようだった。


「命は助かるじゃろう。もちろん油断はできん。まずは魔力耐性を上げるカプセルを飲ませる。効き方は人によるが、多少の耐性があるなら希望はある。なければ後遺症を覚悟で治癒魔法を使うしかなかったからの」


「カプセルは?」


「診療所にある。明日取りに来ておくれ。飲ませ方と間隔も教える。数日様子を見て、耐性が上がったら治癒魔法を使う。そうすれば治るはずじゃ」


 その言葉で、アイの表情がようやく崩れた。泣いたわけではない。笑ったわけでもない。ただ、目の奥に張り詰めていた糸が少しだけ緩んだ。彼女は何度も頷き、母の手を握ったまま、声にならない息を吐いた。


「ありがとうございます」


 かすれた声だった。


 エリカは軽く手を振った。


「まだ礼は早い。治してからじゃ」


「お金は……」


 アイが不安そうに顔を上げる。大河もその言葉に反応した。治療費が安いとは思えない。上級治癒魔法、魔力耐性を上げる薬、診察料。いくらかかるか分からないが、アイに払える額ではないだろう。大河が負担するつもりで口を開こうとした時、エリカが先に言った。


「今回は無料でよい」


 アイが固まった。


「え?」


「大河くんに免じて無料じゃ」


 エリカはそこで、くるりと大河の方を向いた。医師の顔が、ものすごい速さで乙女の顔へ戻っていく。淡い緑の瞳がきらきらと輝き、頬がほんのり染まる。


「ただし、カプセルは大河くんに取りに来てほしいのう」


「自分がですか」


「そうじゃ。約束しておくれ」


 大河は複雑な気持ちで頷いた。感謝はある。マイラを助ける道を作ってくれたことは、本当にありがたい。だが、無料の理由が自分への好意だと言われると、素直に喜んでいいのか分からない。隣でポルポルが「言質なのです」と小さく呟いたので、大河は聞こえなかったふりをした。


「分かりました。明日、診療所に取りに行きます」


「うむ。よい返事じゃ」


 エリカは満足そうに頷いた。その表情だけ見れば、やはり十代の少女にしか見えない。だが、先ほどマイラを診察していた姿を大河は見ている。軽くて、危なっかしくて、金遣いが荒くて、いきなり結婚を迫ってくる。それでもこの人は間違いなくすごい人だ。そう思わざるを得なかった。


 その日はそこで別れた。エリカは帰り際にも大河の隣を歩きたがったが、診療所の仕事が残っているらしく、名残惜しそうに手を振って帰っていった。アイは店の前で何度も頭を下げ、大河とポルポルを見送った。彼女の顔にはまだ不安が残っていたが、昨日までの張り詰めた暗さは少しだけ薄れていた。


 翌朝、大河はいつも通り広場で身体を動かした。足裏が地面を捉え、呼吸が整い、朝の冷えた空気が肺に入る。五十メートル走で一位を取った身体は、今日も軽かった。だが、頭の片隅にはアイとマイラのことがあった。自分のランキングだけを追っていた数日前とは、少し違う。走りながら、大河はこの世界で背負うものが増えていることを感じていた。


 訓練を終えると、すぐにエリカ診療所へ向かった。受付の女性は大河を見るなり、どこか諦めたような顔で小さな包みを渡してくれた。中には青白い小さなカプセルがいくつか入っている。飲ませ方、間隔、注意事項を書いた紙も添えられていた。


「先生から伝言です」


「何でしょう」


「大河くん、ちゃんと来てえらい、だそうです」


「……ありがとうございます」


 大河はなんとも言えない顔で包みを受け取った。ポルポルは横で笑いをこらえている。診療所を出ると、その足でアイの家へ向かった。アイは扉を開けた瞬間、包みを見て小さく息を呑んだ。


「これを飲ませればいい。間隔はここに書いてある」


 大河が紙を渡すと、アイは両手でそれを受け取った。指先がわずかに震えている。彼女は何度も頷き、奥の部屋へ急いだ。大河はその背中を見送りながら、薬ではなく希望を渡したような気持ちになった。


 午後は魔法の練習に使った。水晶は以前より少しだけ強く光るようになっていた。まだ魔法と呼べるものは何も使えない。それでも、胸の奥の温かい流れを指先へ運ぶ感覚が少しずつ分かってきている。ポルポルは隣で尻尾を揺らしながら、何度も頷いた。


「悪くないのです。大河さん、魔力の流れが少しだけ安定してきたのです」


「少しだけか」


「最初は少しでいいのです。ランキングも魔法も、一歩ずつなのです」


 その言葉を聞きながら、大河は水晶の淡い光を見つめた。一歩ずつ。そう言うには、この世界の変化はあまりに速い。だが、それでも足を止めるわけにはいかなかった。


 そうして日々が過ぎ、月末がやって来た。


 朝、部屋の中でカードを確認した時、表示が切り替わった。五十メートル走ランキング一位、百ポイント。ボーナスポイント、マイナス十。差し引き九十万マール。


 残高が増えた瞬間、ポルポルが空中で跳ねた。


「入ったのです! 九十万マールなのです!」


 大河はカードを見つめた。最初の月末に受け取った二十三万マールは、家賃と借金返済と生活費であっという間に削られた。最後はかなり厳しかった。だが今月は違う。九十万マール。決して無限ではない。魔法を学ぶ費用も、剣やスキルの習得費も、これから必要になるものはいくらでもある。ポルポルの食費も相変わらず恐ろしい。


 それでも、ようやく少し余裕ができた。


「今日は豪華にいくのです?」


 ポルポルが期待に満ちた目で見上げてくる。紫色の尻尾が嬉しそうに揺れていた。大河はカードをしまい、少しだけ笑った。


「少しだけな」


「少しだけ豪華なのです!」


「使いすぎるなよ」


「大丈夫なのです!」


 その自信にはまったく根拠がなかった。けれど、大河はその明るさに少し救われた気がした。


 マイラの治療はまだ始まったばかりだ。魔法の習得も入口に立っただけ。バトルランキングではまだ勝てていない。王との距離は、相変わらず遠い。


 それでも、カードに刻まれた九十万マールと、アイの家へ運んだ小さなカプセルが、大河に教えていた。


 自分の一歩は、もう自分だけのものではなくなり始めているのだと。

第12話を読んでいただき、ありがとうございました。


エリカの診断により、マイラを救う道が見えてきました。


すぐに治せるわけではありません。

それでも、アイにとっては確かな希望です。


そして大河も、五十メートル走一位の報酬として九十万マールを手にしました。


自分のためだけではなく、誰かを助けるためにもランキングを使う。


大河の一歩が、少しずつ意味を変え始めています。

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