第2話 生きている魂
教会の外で、子どもたちがはしゃぐ声が聞こえる。
昨夜に降った雪の残る村で、互いに雪玉を投げ合っているのだろう。
笑い声が、冬の澄んだ空気の中で軽やかに弾んでいる。
その無邪気な声は、礼拝堂の静寂とはあまりにも対照的だった。
アルトは無言のまま、少女へと歩み寄る。
石の床を踏む靴音が、やけに大きく響く。
一歩、また一歩。
あと三歩。
その距離まで近づいたとき、少女は小さく息を呑み、右足を半歩だけ退いた。
逃げようとしたわけではない。
ただ、身体が反射的に後ずさったのだ。
アルトはその仕草を見て、胸の奥がわずかに痛んだ。
「……大丈夫。怖くない」
思わず、言葉が口からこぼれる。
アルトは、自分の口から出たその言葉に驚いた。
それは、夕方になると不安がり、夜になると孤独に苛まれる老人たちを慰めてきた、かつての自分の言葉だった。
根拠などない。
ただ、そう言うしかなかった。
「はい……。」
少女の声は小さかった。
しかし、その響きには、ほんの少しだけ安心が混ざっていた。
彼女は聖女候補。
救魂官の役割を知っていて当然だ。
死者の、時に生者の魂を神の園へ導く儀式。
それが何を意味するのかも、きっと理解している。
それでも少女は逃げなかった。
ただ、震える指で祈りの形を作りながら、そこに立っている。
礼拝堂の中は静まり返っていた。
古い木の柱、石の壁、色褪せた神像。
アルトはゆっくりと息を吸い、胸の奥のざわめきを押さえ込む。
そして、聖句を告げた。
「セット、ソウル・リンカーネート」
その瞬間だった。
礼拝堂の空気が変わり、光が満ちた。
突然、目の前に小さな陽が現れたかのように、空間そのものが明るくなった。
発生源は少女だった。
アリアの身体から、揺らめく強い光が溢れている。
それはただの輝きではない。
まるで空間そのものが震えているかのように、揺らぎながら広がっていく光。
アルトは思わず息を止めた。
こんな魂は見たことがない。
彼は呼吸を整え、再び救魂器を手に取る。
銀色の器は、まだ少女の魂を吸っていない。
それなのに、少女の光の余波を受けただけで、器がじわりと熱を帯びていく。
アルトの眉がわずかに動く。
戦場で何百、何千と魂を扱ってきたアルトでさえ、その存在の強さに息をのんだ。
今まで数多の魂を見送ってきた。
戦場で息絶えた兵士。
病床で眠りについた老人。
事故に倒れた人々。
魂は軽く、そして静かであり、穏やかだった。
だが、目の前の少女の魂は違う。
生きている。
鼓動があり、意思があり、まるで自分を押し戻すかのような力を持っている。
光は柔らかく、同時に熱い。
それはアルトの胸の奥に、直接響いていた。
「これが……。聖女」
アルトは呆然と呟く。
その声に反応するように、少女の瞳が揺れた。
恐怖か、不安か、それとも覚悟か。
「……怖くない」
再び口をついて出た言葉。
それは少女に向けたものか。
それとも、自分に向けたものか。
アルト自身にも分からなかった。
アルトにとって、生きた人間の魂に触れるのは初めてだった。
それこそが、救魂官としての最初の試練。通過すべき登竜門。
彼はそれを理解していた。
そして、この試練を越えれば、アルトの家が安泰になることも知っていた。
父は自分に期待している。
兄は救魂官になれなかった。
だからこそ、この試練を必ず成し遂げなければならない。
「……神託を受けました」
そう、分かっている。
しかし、次の聖句の言葉を出すことができない。
それさえ口にすれば、少女の魂は肉体を離れる。
痛みはないはずだった。
先輩救魂官の教導の場で見た限り、魂は安らかに旅立つ。
苦しむことも、もがくこともない。
静かに、神の園へ導かれる。そう教えられてきた。
だが、先輩救魂官が導いてきた魂は、すぐ近くに死が迫っている者たちだった。
彼ら、彼女らは苦しみから救ってくれたことに、心からの安堵と感謝を捧げてくれた。
「今日、あなたがここに来ると……。」
しかし、少女は違う。
指令書によれば、彼女はまだ十三歳だ。
見る限り、健康そのものであり、人生はまだ始まったばかり。
アルトの喉は、凍りついたように動かなかった。
「だから、これは運命……。」
少女が小さく呟いた。
両手を力強く組み、ぎゅっと目を閉じる。
祈りを捧げている。
「か、神の園へ……」
その瞬間だった。
光がさらに強くなった。
礼拝堂の空気が震える。
窓の外の冬の光さえ、かき消されるほどの輝き。
おそらく、外に漏れているのだろう。
騒がしさが教会の外から聞こえてくる。
アルトの胸が強く打つ。
時間がない。次の瞬間にも教会の扉が開き、村人が入ってくるかもしれない。
「あなたの魂に安らぎがあらんことを」
アルトは、自分自身に『逃げるな』と言い聞かせる。
これは試練だ。
逃げることは許されない。
彼はゆっくりと息を吸い込み、震える手で、救魂器を差し出した。




