092 黒帝ウォレン
「久しぶりですね、アズリー君」
「…………」
「本当に久しぶりです。君の相棒のポチ君が洞窟内に現れた時は口元が緩みそうでしたよ」
「………………」
「安心してください。ポチ君は下で舌を唸らせていると思います。ここの食事はとても美味しいと思いますからね。しかし、あれほど餌付けが楽な使い魔はいませんね。おや、どうしたのですかアズリー君? 何やら変な顔をしていますが?」
「先に帰るとポチに言っておいてください。じゃあ」
俺はランクSを諦め、別の称号獲得でもしよう。そうしよう。絶対にそうすべきだ。
そう思って、自分でも驚く程軽い足を上げて踵を返した。
ポカーンとする女戦士の横を素通りしようとすると、背後からウォレンとは違う声が届いた。
「まぁそう言わずに飯でも食ってけよ。ガキんちょ」
これが女の声だったから違う言語に聞こえたんだ。アイリーンとは違うがなんて勇ましい口調なんだ。
そう思い振り返ると、そこには黒髪の女が立っていた。十メートルはある距離を、ノーモーションで俺の前に跳んで来る程の脚力は流石に驚いた。
正面に立った黒髪の女は、左程大きくはなかったが、不思議と大きな存在感に押されそうになった。
まじまじと俺を見る漆黒の瞳に吸い込まれるかと思ったが、近すぎる距離を大きく一歩下がって距離をとった。勿論すぐに一歩詰められて諦めた。
性格は強引ってところか。いや、あの口調と圧を考えれば当然と言えば当然か。
ノースリーブの動きやすそうな軽装、パンツもゆったりとした裾の広いタイプだ。
身体は細いが、そこから漏れる細腕には確かな膂力を感じさせ、驚く程鍛えこまれていた。歳は……三十前後というところか? ベティーと同じかやや上という感じだな。
凄腕の女戦士? そう思ったのには訳がある。この女には武器の携帯がなかったからだ。完全な丸腰に俺が頭を捻ると、ぐるぐると俺の身体の周りを歩きながら肉体を見ている女が「こりゃまたとんでもないのが来たね」と、嬉々とした様子で言った。
この姿を改めて見たウォレンも、珍しくも少々驚いた感じだった。
「これは面白い現象ですね? アズリー君、戦士にでもなったのですか?」
ウォレンが少し俯き、笑いを混ぜながら問いかける。
「それよりこの人はどなたですかね? 今俺のふくらはぎを嬉しそうに揉んでいるこの女性は?」
「そうなったジェニファーさんは手がつけられません。きっとアナタの帰路、終始アナタの身体を揉んでいる事でしょう。気にしないのが一番です。何、一時間もすれば勝手に納得して通常に戻りますから」
一時間身体を触られ続けて気にしないなんてどこの聖戦士様だろう? いや、聖戦士も裸足で逃げ出すに違いない。
あれ、ジェニファーって…………どこかで聞いた事のある名前だな? 再び頭を捻りながら俺の靴を脱がせて土踏まずをツンツンしているジェニファーを見下ろした。
「……ちっと臭ぇな」
冒険者の足は皆臭いと思う。数時間履き続けている靴を脱がして言うセリフじゃないと思うが?
「ウォレン様、どうやら皆無事のようです。怪我も大した事ありません」
正面で動いていた他の数名の内の一人が、ウォレンの背後から報告をする。
かしこまっていた女戦士が安堵し、俺に一つお辞儀をして、意識を取り戻し始めた仲間の下へ向かう。
「ふふふふ、相変らずお優しいですね、アズリー君? 敵に手心を加えるとは」
「敵……なんでしょうかね?」
「ランクSを目指すアナタにとっては敵でしょうね。ふふふふ」
見透かしたようにウォレンが言う。
まったく、相変らずどこで情報を集めているのかわからないな。
「その若さでランクSの昇格審査とは……いやはや驚きましたね。それで……残されたお時間は?」
「三時間程です」
「では一時間程遊んでいってください」
と、ウォレンはジェニファーをちらりと見ながら言った。
ジェニファーが俺を手放すまでの時間で言ったなこいつ? 残った二時間で何をすればいいんだよ。
ランクSの昇格は諦めよう。
相手がウォレンと知り、流石に争うのは忍びなく、ウォレンが抱えてる状況を聞いて、トゥースのところでまた少し修行して帰るか。
そう思い、俺はウォレンが誘う洞窟の中へ付いて行く事にした。
大腿筋にしがみ付くジェニファーを装備しながら。
「この方の顔を覚えておくように。今後我が軍で動いてもらう予定ですからね」
「「はっ!」」
入り口の戦士、魔法士たちにそう告げると、ウォレンは歩を進めた。
軍か。いや……つまり、そういう事なのか。先程の戦士が持つ称号を見てわかってはいたが…………面倒な事になってきたなぁ。
………………解放軍とはね。
俺が無言でウォレンの後ろを付いて行くと、ウォレンは後ろ手を組みながら言った。
「聞かないのですね? 今の私の事を」
「それを話してくれる一時間だと思っていますから」
「ふふふふふ。在学中、アズリー君の事だけは本当に読めませんでしたよ。いえ、勿論わかりやすい事の方が多かったのですが……いや、それにしても懐かしい。アナタが捕まったと聞いた時は皆心配そうでしたが、私だけはお腹を抱えて笑いたかったですよ」
ウォレンの言う「皆」ってのは、おそらく当時の学生自治会のメンバーの事だろう。
しかしウォレンの大笑いか。少し見てみたかったりもする。
そんな事を考えていると、洞窟の奥から良い匂いが漂ってきた。そして、「美味しいですー!」という変な声と、大きな咀嚼音。ここまで響かせるとは恥ずかしいヤツめ。
「ポチ君も見違えました。しかし本当にアズリー君にそっくりです。私の顔を見た瞬間に帰ろうとしましたよ」
「はははは、当然でしょう」
「その時私が食していたシチューの匂いを嗅ぎつけた時、すぐに足を止めましたけどね」
「……当然でしょう」
ウォレンの小さな笑い声が洞窟内に響くと、その奥が少し騒がしくなった。
主の帰還に慌てたのか? いや、そうとも違うような?
最初のひらけた空間に着くと、ポチが何枚か重なった空の皿の前で、口元を舌で拭っていた。
食い終わったのか。
「あ、おかわりお願いしますー!」
まだだった。
「あ、マスター! ……さ、帰りましょう!」
「いいからもうちょっと食ってろ」
本当にウォレンが苦手なんだな。
いや、俺もそうなんだけど、飯食わせてもらっただろう、お前? つまりそれ程には腹は膨れたって事か。
「さて、そちらに掛けてください」
ウォレンに着席を促され、そこへ座る。
この空間には戦士が五人。誰もが腕が立つし、その誰もがウォレンに敬意を表している。
俺の存在に気を配ってはいるが、それは敵としてだろう。
照らされた空間は光源魔法のおかげだろうが、およそ生活に必要なものは揃っているみたいだ。あくまでそれは必要最低限だが。
「さて、何から話しましょうかね」
「あのシチューの作り方からお願いします」
「ふふふ、ではそのレシピを後程ウチのコックから受け取ってください」
再び空間がざわついた。ほんの少し息を漏らしただけだが。
もしかして滅多に笑わないのだろうか、この人は? 在学中も俺の前では結構笑ってた気がするが?
「では、ウォレンさんが今に至った経緯を教えてください。あの時、俺がウォレンさんに進路を尋ねた時、ウォレンさんは答えを誤魔化しました」
二年前、国の上層部、その「もっと上」を目指しているとだけ言ったウォレン。
そのウォレンがどうして解放軍になんかいる?
「それは今も昔も変わっていません。私は六法士の更に上に行くために、もっとも近い道を辿っているだけです」
「近道……って解放軍が?」
「当然です。今の腐りきった国の体制を打ち崩さねば、この国に未来はありません」
そう言えば、今まで魔王にばかり意識を取られ過ぎていた。
これを機にその情勢を詳しく聞いた方がいいかもしれないな。偏った意見かもしれないが、損はないだろう。
「その事については、まず、戦魔帝ヴァース……いえ、傀儡王ヴァースの事から話さねばなりませんね」
……偏ってないかもしれない。




