436 だいじなはなし
「それで、今日はどうしたんです、マスター?」
俺は、ポチと共にエッドの神山前にやって来ていた。
ここならば誰もやって来ないし、誰かが近付けばすぐに気付ける。
そう思い、俺はポチをここへ連れてきた。ポチがその内容を知る事はない。
だが、ポチは付いてくる。やはり、俺の顔に全て書いてあるのだろうか。それとも、ポチだけが気付くような微細な変化でもあったのだろうか。しかし、何があろうと関係ない。ポチは、何も言わずに付いて来てくれたのだから。
「よっと」
見つけた岩場に腰掛け、ポチは俺の眼前に腰を下ろす。
お座りしたポチは、首を傾げながら俺の話を待っている。
……思えば、ポチと出会ってから八百余年。この話をするのは初めてかもしれない。
だが、不思議と緊張はしなかった。それは、八百年以上も付き合いがあるポチが相手だからなのか、それとも、これが当然だからなのか。その理由は俺にわかるはずもない。
だが、これまで培った二人の思い出があるからこそ、この話を……今ここでするのだろう。
「嫌です」
それは、思わぬ先手だった。
ポチは俺が口を開く前にそう言った。
「へ……?」
俺は抜けた声を出し、ポチを見た。
そこにいたポチは、いつも以上にムッとした顔で強い視線を送ってきていた。
「いや、まだ何も言ってないだろう?」
「嫌なものは嫌です。その顔のマスターの話、私聞きたくありません!」
ポチも何かを予感している?
だが、ここで俺が引く訳にはいかない。
そして、ポチのペースにはまってはいけない事も確かなのだ。
沸き起こる感情を殺し、声を落とし、ただただ淡泊に。それだけを心掛け俺はポチに言った。
「……駄目だ」
「そ、そんな怖い顔したって駄目です!」
「頼むポチ、聞いてくれ」
「嫌! 嫌です!」
「ポチ!」
俺の恫喝に近い一言により、ポチの身体はビクンとなって硬直する。
……俺は狡い。こうする事でしか、ポチに聞いてもらう事が出来ない。
過去出会ったどんなマスターにも劣るような反則。
俺が立ち上がると、ポチも立ち上がり一歩後退する。
その目は、過去見たことのない悲しそうなポチの目。それ以上に、ポチは俺を見て怖がっている。何も言わないが、俺を見て恐怖している事は……俺たちの付き合いだ。どうしてもわかってしまう。これは、過去経験した事のない新しい記憶。
そして――、
「数日後、俺はルシファーとまたぶつかる」
「き、聞きたくありません!」
ポチは、俺の言葉を消すような荒く大きな声を出す。
しかし、俺が話を止める事はない。止めてはいけない――それが俺の唯一の逃げ道だから。
「そしてポチ、お前は炎龍王――獄龍ヘルエンペラーが相手だ」
「そんなの聞かなくてもわかってます! だからそれ以上言わないでください!」
「獄龍ヘルエンペラーがお前の……ポチのノルマだ。大丈夫、今のお前なら必ず勝てる。俺が、俺が保障する」
「そんな保障なんか必要ありません! ちゃんと! ちゃんと勝ちますから! お願いです! もう、もうそれ以上――」
「――それが終わったら、もう誰も文句は言わない」
「言うなぁっ!!」
ポチはかつてない程の大声で俺を威嚇するように叫んだ。
しかし、それでも俺はこの震え上がったポチに、懇願するようなポチに、俺の大事なポチに、言い聞かせるように言った。
「戦場から逃げるんだ」
言うしかなかった。
瞬間、ポチはまるで敵でも見るかのような強い視線を向けてきた。
そう、そうする事でしか、ポチが命令に逆らう事は出来ない。
ポチと俺の使い魔契約は、主人と使い魔……という部分を除けばまだ生きている。
つまり俺は、主人でこそないが、使い魔でこそないポチに……契約の力を使った命令が出来るのだ。だからポチはあれ程嫌がり、だからポチはあれ程恐怖し、だからポチはこれ程悲しんでいるのだ。
「……お願いです」
普段頭を下げないポチ。しかし、俺は目の色を変える事はない。
何故なら、この頭は俺が下げさせたのだから。この懇願を引き起こしたのは誰でもない俺。これまで好き勝手を許した俺が、唯一ポチに下す最悪の命令。それこそが、今のポチの悲しみをつくった。
どんなバカで、ドジで、マヌケで、アホで、マヌケで、バカで、ちょっとおっちょこちょいで、お人好しで、たまにポチから美味しそうと言われようと…………それくらいわかる。
「嫌です……嫌ですぅ……」
「ポチ、これが最初で最後の……俺のマスターとしての命令だ」
「嫌……! 絶対に聞きませんっ」
そうだ。ポチが命令を断る事も出来る。
元来、使い魔の命令違反はその使い魔の死を意味する。
当然、それが効かない使い魔もいる。その理由は使い魔の実力が主人より秀でていた場合だ。今の俺とポチの実力は……やはり俺の方が上。命令違反しようにも、ポチはそれが出来ない。だから、ポチが命令違反をした場合、ポチの命はなくなる。
――当然、俺がそんな契約を含める事はない。
使い魔を信用出来なくて何が主だ。そう思い、俺はポチとの契約内容にこれを含めていない。だが、書き換えは可能だ。
そして、ポチもそれを理解している。理解しているからこそ、「死んでも命令違反をする」と言っているのだ。
俺も……俺もそれを理解している。たとえ死ぬ事になろうとも、ポチは「逃げない」と言う。そう理解しているからこそ、俺の書き換え内容は――――、
「この命令が遂行されない場合、主アズリーが命を落とす」
「っ!!」
俺は一瞬でその宙図を終え、ポチの驚愕以上の驚きを利用して発動させた。
風の音もなく、街の喧噪も届かず、獣やモンスターの鳴き声も届かない。
俺の耳に届くのは、眼前で項垂れる使い魔の……聞いた事のない嗚咽。
「っ……ずるいっ…………ずるい……です……」
先程のような拒絶、怒り、恐怖はない。
そこにあるのは、ポチの深い悲しみのみ。止めどなく流れ落ちる涙が、俺の心を締め付ける。
「……何年付き合ってると思ってる。お前が俺を大好きなのは……最初から…………最初から気付いてんだっての……!」
いつの間にか、俺の頬を伝う雫。
まるでポチの悲しみが移ったかのように。
「マスターの……マスターのっ…………ばかぁ……」
「っ! 俺は! お前に死んで欲しくないんだよっ!!」
俺はポチを抱き締め、ただ言い聞かせるように、俺の、俺だけのわがままを叫んだ。
それから……それからポチは、泣いた。俺の耳に、八百年以上の悲しみを届け続けた。
ポチの涙と俺の涙は、大地を濡らし続ける。
これでいい。これでいいんだ。
最悪の主人――今後幾千年ポチにそう罵られ続けようと、これ以外の選択はない。
ポチならば人間と違い野生で生きられる。ルシファーが俺に勝ち、世界を征服しようとも、ポチだけならば生きられる。
これは、俺のわがまま。俺の願い。俺の希望。
きっと、誰も俺を責めはしないだろう。そう、ポチ以外。
だが、ポチが死ぬよりかはマシ。ポチに嫌われる事なんてしょっちゅうだ。
これでいい。これでいいんだ。
主人の立場を利用した、史上最低の屑野郎。
泣き続けるポチを抱き締め続ける俺が、心残りなくルシファーに立ち向かうための、史上最低の最善。
誰が何と言おうと、この決断を覆させない。リナにも、ティファにも、フユにも、春華にも、アイリーンにだって文句を言わせやしない。
ポチの悲痛は嫌って程わかる。
ポチは……コイツは俺の最高の相棒。最高の大親友。世界一の理解者。俺を愚者と呼び続ける宇宙一のパートナーなんだから。
俺は、宇宙一ポチが大好きなんだ。ポチが俺の事を好きな以上に、俺はポチの事が好きなんだ。
だから、これでいいんだ。
次回:「437 最後の調整」




