◆230 赤帝牛との対峙
腕を組み、正面奥に立つアズリーを前に静かに目を瞑っているリーリア。
対してアズリーは人差し指を目の下にもっていき、「あっかんべー」と呟く。
「なーにやってるんですか、マスター!」
通路から追い付き、すこーんと主の頭を叩くポチ。
「おう、何か全然反応しないし、目を閉じてるからちょっとやってみただけだ。ていうか痛ぇよ!」
「気のせいです! 気のせい!」
ぷいとそっぽを向くポチの後頭部を、自身の後頭部を押さえながら眺めるアズリー。
(空元気……って訳じゃなさそうだけど、弱気なところはそのままだろうからなぁ。この勝負は大丈夫にしても、この先は不安要素の一つになるかもしれないな)
ポチの心を覗いたかのようにアズリーは推察した。
今まで無事だった二人だが、これから先訪れる敵は全て過去の敵以下という事はほぼないだろう。
種族改変で宿ったポチの天獣としての力。
前へ前へ進む事で開花したアズリーの聖戦士としての力。
二人がどんなに力を付けようとも、根本が変わるという事はないだろう。
主に対する忠誠心は最上。なれど、ポチの身体が動かぬ時もあるかもしれない。
アズリーは、心の隅にその考えを置きコロシアム内を見据えた。
「リーリアの使い魔、赤帝牛! ポーアの使い魔、シロ! 前へ!」
審判の声が拡声魔法を通して響き渡る。
「……行ってきます!」
「気楽にやれ!」
「頑張れ」という言葉をあえて選ばなかったアズリー。
掛ける言葉は声援だが、その言葉を選びたくなかったのだ。
そう、アズリーは知っていた。
(既に頑張ってるヤツにそんな事言えないよなぁ……)
自分の体躯の四、五倍はあろう赤帝牛を見上げるポチ。
「宜しくお願いします!」
見据えるように、また、睨むようにポチは強い視線を赤帝牛に送った。
「ふんっ!」
返ってきたのは荒い鼻息だけ。
しかし、ポチはその鼻息を聞いて主の方を向いた。目を輝かせながら。
「マスターマスター! あぁいうの私もやってみたいですー!」
「うるせぇ! そんな威厳はないだろう、お前!」
「そんな事ありません! 私の威厳は天よりも高く! そして、天よりも低いのです!」
「プラスマイナスゼロだそれ! 皆無じゃねーか!」
「しゅ、集中!」
アズリーの野次とも取れる突っ込みを審判が制する。
再び睨み合うポチと赤帝牛。
次第に客席からのざわめきも静かになり、使い魔杯の決勝という大舞台を前に固唾を呑む人々。
ほんの一時、訪れた沈黙を待っていたかのように審判が叫ぶ。
「始めぃっ!!」
「むきぃいいいいいいいっ!!」
アズリーがポチの瞬間的な巨大化の声を聞き、(猿かお前は!)と心の中で突っ込みを入れた時、正面の巨体から大地を揺るがすような雄叫びが轟いた。
「グモォオオオオオオオオオオオッッ!!」
身体から噴き出る淡い土色の光が二つ。それは、赤帝牛が金剛力と金剛体を発動した証だった。
ポチはこの間に後方へ跳びながら浮身を発動させた。しかし――――、
「っ!? くわぁああっ!?」
巨大化したポチよりも一回り大きい赤帝牛の突撃。
その衝突を真っ向から受けてしまったポチが、更に後方へ吹き飛ばされる。
「くんぬぅ!」
宙で身体を捻り、コロシアムの壁に着地したポチは、更なる恐怖を身体に浴びる。
(嘘だろっ!? 勢いを殺さず、そのまま駆け抜けて来る……!)
「と、跳べぇシロ!」
「てい!」
間一髪でポチは直撃を免れた。しかし、赤帝牛の鋭い角が触れ、ポチの首元は赤く染まってしまった。
ずん、という凄まじい衝撃音を発しながら壁にめり込んだ赤帝牛。
「大丈夫かシロ!?」
「掠り傷です! 嘘ですけど! ふんぬ!」
次にポチが青い光を発しながら発動したのは神速。
「変な冗談は入れなくていい! この隙に時間のかかる魔法を先に使え!」
「れれれおれ! スピードアップ!」
ポチが自己強化で優先的に施したのは速度。
それさえ出来てしまえば、赤帝牛から逃れながらも自己強化に専念出来る。ポチはそう判断したのだ。
だが、壁に埋もれていたはずの赤帝牛は、そこから跳ね返るようにポチの懐へ潜り込んだ。
「さっきのが!?」
「最高速じゃなかったんですかっ!?」
振り上げられる角。
ポチは前方へ跳び、赤帝牛の背中を尾に向かって走る。
ここでポチは気付いた。
(もしかして……罠です?)
進行方向から降り注ぐ鞭のようにしなやかな尾撃。
ポチは目を瞑ってそれを凌ごうとするが、右目に強い衝撃を受けてしまう。
「くぅうっ!」
反射的に発動したのは剛体。身体を少しでも硬く、強くしようとした結果である。
(あ、大変です。これもおとりだったみたいですね)
たははと困った顔を見せたポチが気付いたのは、赤帝牛の攻撃が、まだ終わっていなかった事だ。
尾撃は威力を弱め、ポチはそのまま前方へ向かおうとした。そして赤帝牛の腰を蹴った時、その腰が少しだけ浮いている事に気付いたのだ。
(強烈な蹴りが……きますね!)
赤帝牛の後ろ脚が、ポチの腹部を目がけて高く上がる。
攻勢に出られないポチが、この攻撃をどう凌ぐかと考え始めた瞬間、正面から主の声が届く。
「合わせろ、シロ!」
アズリーの指示の意味を瞬時に悟ったポチは、上がってくる赤帝牛の両後ろ脚に、自身の両前脚を乗せ、合わせた。
「くる、りん、ぱっ! です!」
まるで人間のように前転をするポチに、観客たちの声援がヒートアップする。
「凄い。何が起きたのか全然わかりませんでした……!」
来賓席から試合を眺めるブライトは感嘆の言葉を漏らし、フェリスは声を失っていた。
「見事だ。有利だと思っていた赤帝牛だったが、シロ君はしっかり彼にダメージを与えている」
「大地を掴むように、爪を立てて赤帝牛の背を駆けたか。ポーア殿の指示も有り、両者一歩も譲らぬ戦いだ」
ポルコ、ジュンが戦況を読み、息を切らすポチを見つめる。
「ふぅ、ふぅ、一瞬も気が――――ぬ、抜けませんーっ!?」
息吐く暇もない程、赤帝牛はポチを攻め続けた。
(リーリアの指示なく一人で戦っているが、やはり赤帝牛は天獣の一角。戦闘が上手いなんてもんじゃない。それに、ポチに極力魔法や特殊技能を使わせないように動いている。ポチにそれらを使わせない事が勝利へ繋がると知っているからだ。ポチは首元に深い傷。そして右目が使えない。対して赤帝牛はポチの爪によって背中にかなりの傷を負っている。正面からの攻撃は硬いし難しい、何より反撃が待っている。側面から行こうにも赤帝牛の身体運びが上手すぎて狙えない。距離をとれないから回復魔法を使えない。首元の傷が深い分、ポチには不利ではあるが、赤帝牛の速度が落ちてきているのも事実だが……どうする、ポチ!)
幾多の攻防を経て、観客の誰もが五分の戦いを見守る中、ポチの口がニヤリと動いた。
そして、ポチは意外な行動に出たのだ。
「なっ!? 何やってんだ、シロッ!!」
ポチは正面から赤帝牛に向かって行ったのだ。
ポチを心配するアズリーの声が上ずり、好機と見た赤帝牛はポチを迎え撃とうと首を下げた。
瞬間――――、
「何っ!?」
試合を黙って見守っていたリーリアの視界から、巨大なポチの身体が消えた。
それはアズリーも同じであった。
「なるほど!」
「そういう事か!」
唯一、観客より高い席に座っていた来賓席のポルコとジュンだけが気付いたのだ。
――――ポチの奇策に。
赤帝牛はポチとの衝突の直前、確かにポチをその目で捉えていた。
しかし、自分の最大の武器である角は、ポチの身体をすり抜けるように空を切った。
赤帝牛はポルコとジュン同様に、ポチの姿を見失ってはいなかった。しっかりとポチの行方を追っていたのだ。
ポチが消えた先、それは赤帝牛の下げた首の更に下。まるで空気が抜けるように萎んでいったポチ。
そう、ポチは消えたのではなく縮み、小さくなったのだ。
一時的な巨大化の解除によって。
この一瞬の出来事で、赤帝牛の胸下に潜り込んだポチは、巨大化を再度発動する。
赤帝牛の前脚が徐々に浮き上がる。
巨大化の効果によって、赤帝牛とポチは二足で立ち上がる。
「がおーん! ふふふ、どーですか! 取りましたよ、絶好のポイント!」
赤帝牛より一回り小さなポチが出来る事。
それは両者立ち上がったところを狙い、赤帝牛の喉元へ噛み付く事にあった。
赤帝牛が引き離そうにもポチは赤帝牛の肩に爪を食い込ませ、離そうとしない。
それでも赤帝牛が諦める事はない。前脚をバタつかせ、ポチの胸や顔を殴打している。
「グモォオオオオオオオオオオオオッ!!」
「ぬくくくくくく……ぅぁああああああああああああぉおおおおおんっ!!」
(まるで怪獣同士の喧嘩だなこりゃ。いや、天獣か……)
紫死鳥の特性を得た黒狼ポチと、巨大な真紅の帝牛。
その二人が互いを抱え合い、命を奪い合っているのだ。
アズリーが呆れ、観客たちが言葉を失うのも無理はない。
コロシアムの会場に四つの後ろ脚だけが土煙を上げさせている。
そんな中、アズリーは不気味な音を聞いた気がした。
(……何だ? あの二人じゃない。でも確かに地面が……揺れている?)
次に気付いたのはポルコだった。
「何の音だ……?」
「これは一体……」
続きジュンが呟く。
そして――――
「棄権する」
沈黙を破ったリーリアの言葉。
勝負の行く末が誰にもわからなかった状況で、リーリアは一瞬にしてその可能性を手放した。
審判すら沈黙する中、リーリアは大地を蹴ってアズリーの下まで風と化した。
静かに門の前に現れた敵の主に、アズリーは首を傾げた。
「聞こえているのだろう?」
「聞こえてるって…………この不気味な音の事ですか?」
「そう、まるで命脈のようなこの音が意味する事を知っている者は少ない」
「何を…………言って――?」
脈絡のないリーリアの言葉に、混乱するアズリーだったが、それを払拭したのはこの時代の友の声だった。
「ポーア殿! すぐにレガリアの外へ!!」
「ど、どういう事です、ポルコ様!?」
「奴らが……奴らが来るっ!!」
真に迫るポルコの様子にアズリーは何かを感じとった。心に去来する不安、懸念、恐怖。
振り返り、緑髪のエルフ、リーリアを見つめるアズリー。
心の準備をする間もなく、ソレは訪れる。
「準備をしろ――――来るぞ………………魔王軍だ……!」




