◆229 優しい戦闘準備
イディア皇后の来訪の後、アズリーはポチに持続型魔力回復促進魔法ギヴィンマジックを使い、魔力を回復させた。
「ほれ」
同時にポチビタンデッドを渡そうとしたアズリーだったが、ポチはそれを断った。
首を傾げるアズリー。
「条件は相手と同じ方がいいです」
「へぇ、まぁそりゃそうか。ギヴィンマジックならリーリアは使えるだろうけど……そうだよな。これは反則だよな」
ルールに則っていても反則と言ったアズリーの意図。そしてポチの意思は同じものだった。
この古代には存在しないアーティファクトとも言える飲み物、ポチビタンデッド。
この世界でアズリーがポチ以外の他者にこれを与えたのは、ガイルと薫のみ。
当人たちは使ってこそいるが、無理に使う事は避けているのだ。
「さ、そろそろ時間だな。準備はいいか?」
「後十レベルくらい上げたかったですねぇ……」
とほほと項垂れるポチを見て、アズリーは快活に笑って見せた。
「はははははは、そりゃまぁ無理な相談だな。天獣の恩恵があっただけでも有難いと思えって!」
ごしごしとポチの頭を撫でるアズリー。
「うぅ~、不安です~」
そんなポチの顔を見たアズリーは、少しだけ難しい顔を見せ、そして何かに気付いたように言った。
「ずーっと気になってたが……ポチ、勝たなくてもいいんだぞ?」
「……へ?」
「あー、やっぱりそうだったのか。ずっと勝たなきゃって不安があったんだな。言っとくぞ? 勝たなくていい。負けたっていいんだ?」
「そ、それはダメです!」
強気とも、やせ我慢ともとれるポチの態度を見て、アズリーは再びポチの頭を撫でた。
一瞬、ポチの顔が緩んでしまう程優しく。
「変に気負わなくたっていいんだよ。別にこれが魔王戦って訳じゃないんだ。お前がやれる事をやればそれでいい」
「でも、でもアズリー。ここで躓いていては魔王も、それに従う絶望の使徒も……――」
続く言葉は、ポチの口から出なかった。
それを解放するようにアズリーはポチの背中を撫で続けた。
「大丈夫大丈夫。今までだって何とかなってきただろう? それに、これからどうなるのかはわからないが、ジョルノだってリーリアだっているんだ。俺一人でも、ましてやポチ一人で戦う訳じゃないさ」
アズリーは手の平から伝わる振動で、ポチの気持ちを察していた。
いや、それがなくてもアズリーにはわかっただろう。
(……震えてるな)
アズリーはここで知ったのだ。
ポチのあげた黒飴の効き目。「ポチはあえて騙されたのだ」と。
騙せると思ったアズリーがポチの性格を知っているように、ポチもまたアズリーの性格を熟知していた。
アズリーの厚意と好意を受け入れ、そして委ねたポチは確かにブル戦の時、力を発揮した。
しかし、それは決して長続きするようなものではなかったのだ。
(二時間の休憩時間は、逆効果だったみたいだな)
ゆっくりと沈んでいくようなポチの目を見たアズリーは、咄嗟に変な行動に出た。
「うりゃっ」
「…………ふぇ?」
アズリーはポチの口の両端を斜め上に上げ、強制的な笑顔を作ったのだ。
「はにひてふんへふか?」
「見てわからんのか。遊んでるんだ。あ、ポチ。奥歯に何か挟まってるぞ? 女子としてこれはどうなの?」
「はっ! はんへふって!?」
目を見開き、アズリーが手渡した鏡を凝視するポチ。
ぎらりとした爪を出し、そっとその紙切れのようなものを歯間から掘り出す。
「これは…………紙切れ?」
「あー、ポチ。お前ついに食べ物じゃないものまで食べ始めたのか」
「し、失礼な! 私はヤギさんじゃありませんっ! でも、あれ? この紙、何か書いてあります……マスター虫眼鏡貸してください!」
「ほい」
瞬時に渡された虫眼鏡。いつの間にかアズリーはストアルームからそれを取り出していた。
ポチはそんな事には気付かず、口に入っていたのに何故紙が余り濡れていないのか気付かず、地面にそれを広げた。
「むむむ……小さくて読み辛いですねぇ!」
「まったく。俺は外で待ってるから早めに出て来いよー」
「あ、はい! わかりました!」
扉を出たアズリーの背中を見送り終えたポチは、再び虫眼鏡を覗き込む。
「むむむ……何でしょう! 短い文です。最初は『ポ』ですね。最後は『カ』? はて? この丸字、どこかで見た事があるような? むむむ……真ん中辺りにある字は『の』?」
アズリーが控え室を出た数十秒後、控え室の扉がけたたましい音で開いた。
壁に寄りかかるアズリーをギロリと睨むポチ。
「どうした、シロ?」
控え室を出て、ポチの呼び名を偽名に戻したアズリーは爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「どうしたもこうしたもないですよ! 何ですかこれは!」
アズリーの前にずいと掲げられる紙切れ。
「『ポチのバーカ』とか子供ですかアナタは!」
「ははははは、ようやく気付いたか馬鹿たれ」
「ばっ、馬鹿たれですってぇええええ!? そんな事マスターにだけは! だけは! だ! け! は! 言われなくないですねぇ!」
「くぅううう! 『だけは』をそんなに強調する事ねぇだろ、犬ッコロ!」
「何度だって言ってやりますよ、馬鹿マスター! いいですか! 四百年前、オオワライキノコを食べて、笑い過ぎてお漏らししちゃったマスターのパンツを洗ったのは私ですからね! あの時の恩を忘れたとは言わせませんよっ!」
「あぁああああああ!? てめぇ! 人が忘れていた記憶ばかり覚えてやがって! いいかっ!? 七百年前、お前が一日中川で泳いで案の定風邪引いて一晩中面倒みさせられたのは俺だからな!?」
「いやぁああああああああああああああああああああああっ!? 何でそんな事覚えてるんですか、マスターのエッチ!」
「何がエッチだ! お漏らしの掃除も俺がやるって言ったのに、お前がずいずいと押し切っただけだろうが、このエッチ!」
「むきぃいいいいっ! 真っ赤になったマスターのためを思ってやった私の善行をエッチの一言で済ますつもりですか、アナタはっ!!」
「そうですか、どうもありがとうございますぅうううううっ!」
「それはこちらのセリフですぅううううう! ありがとうございますぅうううう! 馬鹿マスターッ!!」
「犬ッコロ!」
「残念、私もう鳥なんですぅうううう!」
「こんな時ばっかり都合のいい事言ってんじゃねぇよ!」
「あぁそれ言っちゃいますぅ!? なら決勝が終わった後、白黒つけようじゃないですか!」
「はん! お前は生まれた時から真っ黒じゃねぇか!」
「むきぃいいいいいいいっ! 覚えてなさいよ、馬鹿マスター!」
「忘れちゃうね、俺馬鹿だからぁ!」
怒号と罵声が飛び交うコロシアムの通路。
アズリーは最後の悪態を言い放った後、背中を向けて出場者の門へと歩いていく。
しかし、ポチの目にはその背中に怒りが見えなかった。
通路の奥に消えゆく主の背中。
見えなくなった友の背中。
ふと、目を落とすと、そこには身体からは想像出来ない程可愛い丸字のアズリーの文字。
「『ポチのバーカ』……ですか」
誰もいない通路に響くポチの声。
「あぁ、このお礼をするのを忘れてしまいました……」
そう言ったポチは地面に小さな紙を置き、その紙を綺麗に二回折った。
「簡単に折れましたね? あぁ、元から折り目が付いていたんですか…………ん? もしかしてあの人、こういうの常備してるって事ですか!? むぅ……本当に腹が立ってきましたよぉっ!」
そうは言ったものの、ポチの言葉にやはり怒気はなかった。
通路の燭台の火にその紙を掲げ、内側から透ける丸字を見てくすりと笑うポチ。
その口は、先程アズリーが引き延ばした口の端より大きく開き、火があたっているせいなのか、先程より明るく見える。
「本当に、仕方のないマスターですねぇ……」
ポチは自分に言い聞かせるようにそう呟くと、掲げていた紙を首元のスカーフの結び目の中に忍ばせた。
そして、自身の自慢の肉球でバシバシと頬を叩いた後、ゆっくりと、しかししっかりと歩を進め始めた。
「白黒つけてやるんですっ!」




