◇112 おやおや
―― 戦魔暦九十四年 三月三十日 十四時二十九分 ――
我輩はタラヲである。
主はティファだ。
ここは魔法大学という人間に魔法を教えるための設備だそうだ。
その中の女子寮という場所で、我輩とティファは暮らしている。何故人間は男と女を分けるのだろうか?
次代に種子を残す本能を忘れているのではないか? 解せぬ。解せぬが、最近わかってきた事がある。人間には、獣やモンスターと違う感情があるのではないだろうか?
そうだ、いつぞや我輩の顎を撫でる女共が言っていた。
中々の気持ち良さのあまり、我輩はその女共の手を舐めてしまったのだ。
「ひゃっ。あはは、くすぐったいって~っ」
「さぁアンリ、私と変わってくださいな」
「も~ちょっと。もうちょっとだからさ。ね、クラリス。おねが~い」
「もう、仕方ありませんねっ」
ふっ、そうがっつかなくても我輩の顎は減ったりはせぬぞ? ほれ、さぁさぁさぁ。ぉほほほほほほ。うむ、よいぞ。よいではないか。
「ねぇ、そう言えば聞いた? アズリーさんランクSの昇格審査に行ってるんだってっ」
「まったく、本当に忘れん坊さんですね。その話、もう三回目ですよ」
「うぇっ? 本当? うぅ~、ちょっと気を付ける……」
「アンリがそんなにアズリーさんの事を好きだと知っていれば、私応援しましたのに……」
「あぁーっ! 違う違う! えっと、その、そういうんじゃなくて……」
「では、どうしたのです?」
アズリー…………この魔法大学に住むようになってからよく聞く名前だ。どうやら男のようだが、一体どういう存在なのだろうか。
リナという女から、オルネルという男から、イデアという女から、ミドルスという男から。トレースというここの教師からもその名が出ていたな?
人間の中では有名な存在なのだろうか? 我輩は知らぬがな。
どの人間の言葉からも、アズリーという男に好意的な感情が漏れていたように見える。む、そういえばオルネルという男だけはその名に少し違った感情が垣間見えたか。敵対心ではないが、対抗心のようなそんな感情だったはずだ。
我が慧眼をもってすれば、このような事たやすいものよ。ふふふふふ、我輩の世界制覇の日は近い。近いぞ。ふふふふふふ。
聞けばこのクラリスという女も、アズリーに対し少なからず好意的な感情を抱いておるようだな。友と称すアンリに対してこの感情を隠しながらその本性を探ろうとするなど、まこと人間の考える事は小賢しき事よ。
「ふふふふ、何を照れているのです?」
「アズリーさんの事は…………そりゃ在学中はちょっと子供っぽくておっさんぽくって変な人だなーって程度の感情だったけど、リナとの親善試合、それにアイリーンさんのあの話を聞いて、一気に印象が変わってさ。……なんか一種の憧れって言うの? そんな存在になっちゃったんだよねっ」
ふふふふ、はにかむ笑顔がまた初々しいではないか。
悪くない、悪くないぞ。女よ。
「まぁ、では後日ポチズリー商店にご挨拶に伺いましょうね」
「えぇっ!? ちょっとやめようよ! は、恥ずかしいじゃないかっ」
恥じ…………そうだ。この恥じという感情の揺らぎこそ、その正体なのかもしれん。
この感情があるからこそ、人間は男と女を分けるのかもしれん。無論、それだけではないようだがな。
「それでは、私一人でご挨拶に行きますね」
「あぁっ! それはずるいよクラリス! って、もしかして君っ!?」
「ふふふふふ、さぁ? それはどうでしょうか?」
ほぉ、隠していた訳ではないのか?
なるほど、友と友の間にも駆け引きがあり、そしてその駆け引きを許容する大きな器同士こそが、真の友となるのかもしれぬな。
これは小賢しいと言うよりかは……賢しい……と言ったところか。
ふふふふふ、この考えを改められる大きな器こそ、真の覇者となるべき存在なのだ。
……ぬぅ、それにしてもこの女共、アズリーの話を始めてから我輩の顎に一切触れぬぞっ?
解せぬ…………解せぬぞっ! 許すまじ……アズリーッ!
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
―― 戦魔暦九十四年 三月三十一日 二十時 ――
「なぁティファよ…………少し、足が速いのではないか? 我輩の歩幅の事を考慮すべきだと思うが?」
「だから……待ってていいって言ったでしょ」
「むぅ、それは寂し――――そ、そうはいかぬ! 規律を破り寮を抜け出すと聞けば、使い魔である我輩が付いていかぬ訳にはいくまい! 使い魔たるもの、主の安全は最優先に考えねばならぬのだっ」
「はいはい」
「して? 今宵はどこの木っ端モンスターを血祭りにあげるのだ? ふふふふ、騒ぐ。血が騒ぐぞっ!」
「勝手にすれば?」
「ほぉ、勝手にすればよいのか。ふふふふ、勝手に…………え?」
「今日はこの街の中で行く場所があるの。だからタラヲは別に付いて来なくてもいいの。わかった?」
「解せぬっ!」
「お座り」
「ふっ! こうか!?」
「じゃ、そこで待っててちょうだい。私は…………そうね、九時間後くらいに帰るから」
「あーあーあーあーあー! ちょっと待ってって! 我輩は、その……アレだ!」
「どれよ?」
こ、こやつ、既に何人か同族を殺してるのではないかっ!?
なんと恐ろしい目をするのだ!
我輩の我が肺が既に圧迫されて呼吸困難になりそうだぞ!
「そ、その、ティファの小さな身体ではやはり心もとない。どうやらこのベイラネーアは屈強な肉体を持つ冒険者が多い街と聞く。だからそのっ……ぬぅ!? 何故我輩の首根っこを掴むのだっ!?」
「私のどこが……小さいって?」
こ、こやつ、既に何百人か同族を殺してるのではないかっ!?
これはまさしく覇者の目! いや、以前見た事がある! あれはそうだ! 我輩が狼王ガルムとして名を馳せていた頃だ。噂を聞きつけたのか我が眼前に現れたのは死者の王である《リビングデッドキング》。奴と対峙した時に見えた、漆黒の眼底をする奴の目そのものっ!
これは…………まずい! 正直に言わねば……殺される!
「そ、そうだな! やはり背が一番というかなんというか! あ、そう言えば女子寮にいる女共より多少胸部の膨らみが小さいのだと思うぞ! ふふふふふ、どうだ! 我が慧眼恐れ入ったかっ!? ……あれ?」
何故…………何故ティファは死者の王を超える瞳をしているのだ?
人間の物差しでいうところのランクSSモンスター、リビングデッドキングだぞ?
人間とは斯くも強大な存在になり得るというのかっ!?
ふふふふふ、恐ろしい! 恐ろしいが…………ティファを操れば世界は我輩の物になるやもしれぬ!
「…………タラヲ」
「ふふふふふ、何だ主ティファよ? ついに世界征服のための計画を準備段階へと進める時かっ! いいだろう!」
「死ぬ?」
「いいだろう! …………え?」
「死ぬ? 今死ぬ? 五秒後に死ぬ? 十秒後に死ぬ?」
…………………………………………………………………………………………おや?
「なななななななななななななななななななな何を冗談を言っているのだティファよ! 我輩がいなくてはお主も大変であろうっ。死ぬとはまた物騒な事を、はははははは………………ん?」
「どれにする?」
な、何故このような形相にっ!?
さしものオーガキングでさえも裸足で逃げ出すのではないか!?
何故、何故我が主ティファはこんなに怒っているのだっ!?
思い出せ! 我輩は一体ティファに何と言ったのだっ?
そ、そうだ! ティファは「小さい」という言葉に反応したのだ! そして我輩は答えた。がしかし、選択を誤ったとは思えぬ!
しかし、それで怒ったという事はその答えに誤りがあったのだろうっ! 我輩は間違えておらぬが、ティファの中ではそれが違った! そうなのだろう!
どっちだ!? どちらを謝ればよい!? 背が小さい事か!? もしくは胸部の話か!?
はっ、もしやどちらもか!?
それならば大問題だ。し、しかし、始めに出した背の話ではあまり反応を見せなかった! もしそれで怒ったのならば我輩の話を遮ってでも反応して見せたに違いない!
だとすれば答えは明白!
胸部の話か! しかし何故だ!? 解せぬ! 解せぬぞ!
ここは一つ、主のためを想う使い魔を見事に演じてみるしかあるまい。
獣、モンスター、人間のどの世界でも必ず存在する母性に訴えかけるのだ!
やれ! ティファの使い魔タラヲよ! 我輩のにくきゅうに……不可能の文字はない!
「ふふふ、ティファよ。案ずるな。胸部の大きさは子孫繁栄に大した問題はない。逆に利点が多いのだ。ここで我輩の知恵を一つ貸すとしよう。例えば側面からの攻撃に対し……あり得ぬが、あり得ぬ事だが、我輩がティファに向かってブレスを吐いたとしよう。ティファの速度を活かし、無論それはかわされるであろう? しかしもし胸部の大きいものであれば、その局部を喪失し、更には大きなダメージを負うかもしれぬ。つまり胸部が小さい事は生への活路ともなるのだ? どうだ? わかったかティファよ?」
「………………………………死ぬ?」
…………………………………………………………………………………………おやおや?




