↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元自衛官の俺、蜀漢の「詰み」を回避する―  作者: 岡崎 隆幸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/15

第6話 剣に刻まれた誇り



 ――いい加減にしろッ!

 新野の練兵場に、怒号が響いた。

 兵たちの視線が、一斉にこちらへ集まる。

 声を上げたのは、劉備軍の古参兵の一人だった。

 名は陳。

 派手な軍功を持つ男ではない。

 それでも、黄巾の乱の頃から劉備殿に従い、幾つもの戦場を生き抜いてきた。

 その手には、一本の剣が握られている。


 いや――正確には、俺が廃棄を命じた剣だった。

「これ以上、俺たちのやり方に口を出すな!」

 陳が剣を地面へ叩きつける。

 乾いた音が響いた。

「この剣は、俺が何年使ってきたと思っている!」

「年数の問題ではありません」

 俺は自作の記録板を手にしたまま、淡々と答えた。

「刃の根元に亀裂があります。柄にも緩みがある。鍔も僅かに歪んでいます」

 俺は剣を指差した。


「このまま実戦で使えば、折れる可能性があります」

「可能性だと?」

 陳が睨みつけてくる。

「戦場に絶対なんてあるのか!」

「ありません」

 即答すると、陳が一瞬だけ言葉を失った。

「だからこそ、分かっている危険は減らすべきです」

「……」

「この剣が折れない可能性もある。だが、折れる可能性もある」

 俺は記録板に視線を落とした。

「だったら、交換する」

「簡単に言うな!」

 陳が吠えた。

「俺はこの剣で何度も戦ってきた! 仲間と一緒に戦場を駆け、この剣で敵を倒してきた!」

 その声には怒りだけではなく、誇りがあった。

 俺は黙って陳の剣を見る。


 古びている。

 傷も多い。

 手入れが行き届いているとは言えない。

 それでも、陳がこの剣を大切にしてきたことだけは分かった。

「……大切な剣なんですね」

「ああ」

 陳は即答した。

「俺の戦場での時間、そのものだ」

「なら、なおさらです」

「何?」

「その剣を使い続けて壊すより、保存したほうがいい」


 陳の眉が動いた。

「これは武器として廃棄します。でも、思い出まで捨てろとは言っていません」

「……」

「戦場で使った剣なら、残しておけばいい。後から見れば、それはあんた自身が生き抜いてきた証になる」

 練兵場が静かになる。

 だが、陳はまだ納得していない。

「……それでも、俺は新しい剣なんぞ信用できん」

「なら、実際に比べてみましょう」

 俺は鍛冶場から持ってこさせた新しい剣を一本、兵に受け取らせた。

「陳さん」

「なんだ」

「この剣で同じ動きをしてみてください」

 陳は訝しげに新しい剣を受け取った。

 数度、素振りをする。

 次に、古い剣を持つ。

 同じように振る。

 周囲の兵たちが、その違いに気づき始めた。

「……重さが違う」

 陳が呟いた。

「はい」

「柄の握りも……こっちのほうが安定している」

「だから交換するんです」

 俺は答えた。

「武器は、あなたたちの命を預かる道具です。使い慣れているからという理由だけで、不具合を見逃すわけにはいかない」


 陳は古い剣を見つめた。

「……だがな」

「はい」

「戦場では、そんな理屈通りにはいかん」

「分かっています」

 俺は静かに答えた。

「俺も、そういう場所を知っています」

 脳裏に、かつての光景が浮かんだ。

 訓練で泥にまみれた日々。

 極限まで疲労した身体。


 そして、災害派遣で見た光景。

 助けたくても、助けられない人。

 一瞬の判断が、生死を分ける現実。

 俺は目を伏せた。

「だからこそ、戦場に持っていくものは少しでも確実にしておきたい」

 陳は何も言わない。

 俺は続けた。

「俺は、あんたの経験を否定したいわけじゃない」

「……」

「あんたが長年生き残ってきたこと。それは、俺にはできない経験だ」

 俺は古い剣を指差した。

「でも、その経験があるからこそ、分かるはずです」

 陳を見る。

「武器が壊れるという、たった一つの不確定要素を残したまま戦場に行く危険が」

 陳の顔から怒りが少しずつ消えていった。

 代わりに、古い剣を見つめる目が変わる。

 そこには、長年連れ添った相棒を見るような寂しさがあった。

「……こいつも、もう限界か」

「たぶん」

「たぶん、か」

「実戦で折れてからでは遅いのです」

 陳はしばらく黙っていた。

 その時だった。

「陳殿」

 背後から声がした。

 関羽だった。

 その隣には趙雲もいる。

「延麒殿の言葉は、理屈だけではあるまい」

 関羽が静かに言った。

「我らも武具を確認した。確かに、修理や交換が必要なものは多い」

 趙雲も頷く。

「私も最初は、武具の整備をそこまで細かく考えてはいませんでした」

「趙雲殿まで……」

 陳が苦い顔をする。

「ですが、戦場では僅かな不備が命取りになります」

 趙雲はそう言って、自分の槍を見た。

「武器が万全であることは、臆病なことではありません」


 陳は黙った。

 やがて、古い剣を鞘に収める。

「……分かった」

 その声は小さかった。

「この剣は、戦場には持っていかん」

「ありがとうございます」

「だが――」

 陳が顔を上げる。

「こいつは捨てるな」

「もちろん」

「俺の部屋に置いておく」

「それがいいと思います」

 陳は、新しい剣を手に取った。

 何度か握り直し、重さを確かめる。

「……悪くない」

「でしょう?」

「まだ信用したわけじゃねえぞ」

「それで十分です」

 俺がそう答えると、周囲から僅かに笑いが漏れた。

 陳も、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 だが、その時。

「延麒殿」

 聞き慣れた声がした。

 振り向くと、諸葛亮が立っていた。

 羽扇を手に、静かにこちらを見ている。

「なんです?」

「貴殿は、人を説得するときも戦場と同じなのですね」

「どういう意味です?」

「相手を倒すのではなく、相手が納得できる場所へ誘導する」

「……」

 俺は苦笑した。

「そんな大したものじゃありません」

「そうでしょうか」

 諸葛亮は、陳の古い剣へ視線を向ける。

「貴殿は、武器ではなく、その武器に込められた人の記憶まで見ていた」

「……そこまで考えていたわけじゃありませんよ」

「ですが、結果としてそうなった」

 諸葛亮は羽扇を動かした。

「兵を動かすというのは、命令することだけではない」

 その言葉に、俺は少し驚いた。

「人には、それぞれ譲れぬものがある。それを理解せずに組織を動かせば、いずれ内側から崩れる」

「……孔明さんも、そう思いますか」

「ええ」

 諸葛亮は静かに答えた。

 その横から、龐統が顔を出す。

「とはいえ、あまり甘やかすのもどうかと思うがな」

「士元さん」

「兵が命令を聞かぬたびに話し合っていては、戦には間に合わん」

「それは……そうですね」

「だからこそ」

 龐統が俺を見る。

「普段から納得させておく必要がある」

 俺は何も言わなかった。

 その言葉は、妙に胸に残った。

 組織は、命令だけでは動かない。

 かといって、全員の意見を聞いているだけでも動かない。


 必要なのは――

 信頼だった。

 俺は記録板へ目を落とした。

 武具の状態。

 兵糧。

 水。

 衛生。

 訓練。

 警戒。

 どれも、戦場そのものではない。

 だが。

 戦場に立つ前に、勝負は始まっている。


「……装備点検の基準を作ろう」

 俺は呟いた。

「一人の経験や勘だけに頼らなくていいように」

「基準?」

 趙雲が尋ねる。

「誰が見ても、不具合が分かるようにするんです」

 俺は記録板に新しい項目を書き始めた。

 刃。

 柄。

 鍔。

 鞘。

 留め具。

 一つずつ確認していく。

 経験は大切だ。

 だが、経験だけでは人に伝えられない。


 ならば――

 誰でも確認できる形にする。

 それが組織を強くする。

 俺がかつて学んだことだった。

 そして、この時。

 俺はまだ知らなかった。

 新野で始めたこの小さな改革が、やがて劉備軍そのものの戦い方を変えていくことを。


 そして北の彼方では――

 曹操軍が、確実に動き始めていた。

「少しでも面白かったら、下部の『★★★★★』で応援していただけると執筆の励みになります!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。