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Stay Here  作者: 多手ててと
遠征

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38.京成杯(3)

「そろそろパドックを見に行きましょう」


そうソフィアさんに問いかけられるまで悠馬は気が飛んでいたと思う。スマートフォンをチェックすると確かに15時を過ぎていた。騒がしいのは第10レースのジャニュアリーステークス(OP:4歳以上:ダート1200)が始まったのだろう。


このレースが終わればいよいよ本日のメインレース、京成杯のパドックが始まる。


紗季さんが騎乗したはずのレースが14時発走の第7レースだった。ということは実質1時間半ぐらい話し込んでいたことになる。


互いの持ち馬の話をした。グランフェリスについては彼女も買い取ろうとしたぐらいだから良く知っているからだろう、牧場で生後2週間の彼女との出会いから、先日の外厩での話まで、一通り根掘り葉掘り聞かれた。


仕事の話もした。こちらは彼女の生家である牧場の話や、日本での牧場の買収の話までいろいろと教えてもらった。多くの馬に囲まれて育ったエピソードを聞いた。イギリスというと競馬の母国。さぞかし競馬が人気なのだろうと思っていたのだけれど、実際はそうではないという切実な悩みも聞いた。


悠馬も気が付いたら自分の親や既に子どもがいる妹の話、これまでに買って売り飛ばした馬の話をべらべらと話していた。おそらくはこの国で唯一のピンフッカーである話もした。そこから抜け出せるかはグランフェリスにかかっている話までしてしまった。それだけではない。


「前回(東スポ2歳S)の時は出なかったんですけど、今回は私もホッカイドウ競馬の応援番組にコメントしたんです」


そんな悠馬の身の上話などソフィアさんの来歴に比べるとあまりにも地味だ。だってアスコット競馬場のロイヤルクロージャーで、先代の女王陛下から父親の代理としてコロネーションステークス(GⅠ:3歳牝馬:芝7f213y ≒ 1600m )の優勝カップを賜ったこともあるという。それ自体ここにいる大金持ちの馬主たちも経験したことがないはずで、誰もが羨むことだろう。しかもそれを嫌味にならないようにさらっと言ってのけるのもスゴいと思う。


「でもまだゴールドカップだけは『縁』がないんです」


『縁』という日本的な言葉も見事に使いこなしていた。そんな彼女が立ち上がって一緒にパドックを見に行こうと誘ってくれた。本来なら男性の悠馬がエスコートすべきでは? いや、背伸びしても仕方がない。


悠馬はソフィアさんと並んで4階からパドックを見下ろすことにした。その途中に悠馬は近くに置きっぱなしにされていた競馬新聞でカンニングした。雪島夫人とソフィアさんの馬、グレイスなんちゃらは馬番6のグレイスフルウェイだ。ちゃんと覚えておこう。


パドックが見下ろせる場所まできたけれど、雨は一時いっときよりはマシになっていたが、それは単純に喜べない。天候の影響を受けるのは馬場の状態だけではないからだ。


少しはマシになったのかもしれないが、まだ雨粒が大きい。スタンドにも降り込んでくるので、ソフィアさんに雨やその跳ね返りが当たらないように手すりから少し離れる。


グランフェリスよりも先にGⅢの緑のゼッケン6番の馬を見つけた。


「グレイスフルウェイがいますね。距離があるので葦毛で、牝馬に見えない体格ですね」


毛並みは葦毛なので、本来なら白に近いはず。晴天だととても綺麗な馬だろう。でも雨のせいで黒い地肌が見えている。


「はい、かなり大きく育ちました。正直今日のじょうたい、ババ?、は少し心配です」


雨の日に事故も故障も多いのは車も一緒だ。しかも馬の繊細な脚にかかる負担がとても大きくなる。車と違って馬体も水を吸って重くなるし、泥も付きまとう。


「グランフェリスも、サンライズカップより大きくなってますね」


確かにグランフェリスは外厩で成長した。でも元々小柄なのでまだ他の馬より一回り小さく見える。なおこちらも栗毛がこげ茶、ビターチョコレートみたいに見える。この後2000m走った後にはきっと泥だらけになるだろう。


「それに雨でも楽しそうに見えます。走りたくて……しかたがないみたいです」


グランフェリスよりも、こうしてソフィアさんと話をしている自分の方が楽しんでいると思う。それは悠馬ではなくてソフィアさんのおかげだ。


彼女の産まれ持った人柄なのか、貴族として育つ過程で得た社交術なのか、心理学か何かを学んだからなのか、それは悠馬にはわからない。それを日本語という大陸を挟んで反対側の島国の言葉でやってのけてしまうのは尊敬するしかない。


このままパドックを見下ろしながらでふたりでずっと話続けたい気もするけれど、どうやら時間切れのようだ。パドックに整列した騎手が一斉に自分の騎乗する馬へと向かう。


誘導馬の2頭の白馬は葦毛ではなく本物の白毛なのだろう。黒い雨雲の下、1月の冷たい雨に打たれながらも地肌のピンク色が透けて見えている。それに馬たちが続いてパドックを出ていく。グレイスフルウェイもいる。紗季さんが跨ったゼッケン15のグランフェリスは競走馬の一番最後。さらにその後にも1頭の誘導馬が付く。こちらは白毛ではなく葦毛のようだ。


いよいよ本番が始まる。ホッカイドウ競馬の配信を見て応援してくれている人もいるはずだ。その人たちの分もスタンドで応援しようと思った。中山の馬主席はガラス張りだから声援は届かないけれど。


そして振り返った時、ふたりきりだと思っていたのは悠馬だけで、しっかり万里子さんが後ろに控えていたことに気が付いた。

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