36.京成杯(1)
「塞翁が馬」という言葉がある。ざっくり言えば人生良いことも悪いこともあるよねということ。「禍福は糾える縄の如し」とか同じ意味の慣用句が多い。
よく似た慣用句が多数存在するのは、実際に良く発生することなのだな、ということを悠馬は痛感した。東スポ2歳S同様、前の週の木曜日に出走馬登録があった。京成杯のフルゲートは17頭だったが、近年18頭に拡張された。でもなぜなのか、以前から出走馬が15頭を超えたことがない。今回もグランフェリスを入れて15頭が無抽選で決まった。
地方所属馬はグランフェリスただ一頭だけど、珍しいことに牝馬がもう一頭いる。京成杯の牝馬の斤量は-2kgだから東スポ2歳(牝1kg減)よりも少し有利。そしてこれまで重賞レースを走ったことがあるのはグランフェリスだけだ。
そこまでは別に問題ない。2戦2勝の馬もいるから油断はできないけれど、東スポ2歳S並みに跳びぬけた実績のある馬はいない。
問題は翌日の枠順の発表から始まった。グランフェリスは15頭中の15番。東スポ2歳Sに引き続いての大外枠。なにこれ? 悠馬が知らないだけで地方所属馬は一番外に配置するというルールができたのかもしれない。本当に公平なコンピューター抽選なの?
その次はいいニュース。最終の追い切りも紗季さんが「雪島スタッド稲敷」 に来て行って、予想以上にいいタイムが出た。
これは雪稲のスタッフにとっても珍しいので新鮮だったと聞いた。
中央競馬に所属する馬は、レースの10日前にはトレセンに戻らなければならないというルールがある。だから追い切りもトレセンでやって、そのタイムが競馬新聞などに掲載される。それを元に予想する人も多いはずだ。
でもグランフェリスはホッカイドウ競馬の所属だから美浦には入れない。だから追い切りも外厩で行うし、その時計は公開されない。これはオッズに影響するはずだ。
グランフェリスだけがギリギリまで充実した設備の外厩で調整できるというのもプラスだ。
そしてとても悪いニュース。レースの1週間前に発表された週間天気ではレース当日の天気は曇りだった。だが4日前には雨に変わり、レース前日に外厩から輸送する時の明日の天気は午後から雨が激しくなるという予想に変わった。本当に許して欲しい。
門別での調教で、グランフェリスは重馬場が苦手だった。より正確にいうと雨で砂が締まり、脚抜けがよくなるはずなのに時計が良くならない。他の馬が速くなる分グランフェリスは不利になる。
一方芝だと土がぬかるんで走りづらくなり脚力が必要になる。これまたグランフェリスに不利な要素だと思う。そして門別では当然だけど、外厩でも重馬場を走る練習をしていない。雨が降ってどろどろになったウッドチップのコースを走らせてケガでもしたら目も当てられない。
だからグランフェリスは重い芝を走るのは本当に初めてのことだ。
そして当日、悠馬が羽田空港→浜松町→秋葉原→西船橋と移動している最中も雨が降っていた。これから強くなるという予報も変らない。こういう時だけ天気予報が当たるんだよ。
「雨が強くなってきましたね」
1月半ばの冷たい雨。雪にならないのが不思議なぐらいだ。
「そうですね」
中山競馬場の馬主席で会った高梨先生も心配そうだった。
「でも案外雨には強いかもしれません。門別でも雪稲でも雨の日でも元気に走ってました」
「確かにグランフェリスが雨に強い可能性はあります。蹄の形もいいですから」
グランフェリスの蹄は小さく立ち気味で、起立蹄と呼ばれる。平べったくて大きな蹄が有利なダートではなく芝向けなわけだし、重い芝でも泥の下の深いところまで蹄が届く……かもしれない。
「でも肝心のタイムがどうなるかというと……ぶっつけ本番ですからね。圧勝したいんですけれどね……」
「そうですよね……圧勝するのは難しいですよね」
「それに紗季さんの負担が重すぎます。レース自体はもちろんですけど、斤量が大変ですよね」
この不安な会話がスパイラルすると思われたところに高梨先生の顔が急に明るくなった。
「そうだ、今回は紗季に他の騎乗依頼があったんですよ。朝イチの3歳未勝利と、ちょうどこの次の4歳1勝クラスです」
それはいいニュースだ。
「それは是非観戦しないと。まだパドックも間に合いますよね」
ホッカイドウ競馬所属の紗季さんに2件も依頼があったことはとても喜ばしい。単純に紗季さんの実力に目を付けた陣営がいるというのも誇らしいし、この雨のレースを事前に体験できる価値は計り知れない。紗季さんは大変だろうけれど。
「ちなみに朝のレースの結果はどうでしたか?」
悠馬は少し迷ったけれど聞かないのも不自然だ。
「4位でした。妹ながら、客観的に見てもいい騎乗をしていたと思います」
悠馬が立ち上がると、高梨先生も続いて立った。
「それは凄い」
年が明けた3歳の未勝利戦だと出走頭数も結構多いはず。普段はダートでしか乗らない紗季さんが、そこで掲示板まで持って来たのはとても素晴らしいことだ。第1レースだから芝もそこまで荒れてはいなかっただろうけれど、騎乗経験が積めたのはグランフェリスにも追い風だ。
さらに午前より雨が激しくなった中で、もう1レース乗れるのも大きい。これはものすごく良いニュース。騎手が未知の競馬場で雨でぶっつけ本番という、聞いただけで頭が痛くなる問題が避けられるのだから。
そしてふたりでパドックを見に行くことにした。紗季さんが乗ると言っても高梨先生の管理馬はグランフェリスだけ。
「2階だとずぶ濡れになるかもしれませんね」
確かにこの雨だと2階の馬主用パドックの中にも降り込んできそうだ。そんなことを話している時に声をかけられた。
「さとうさん、たかなし先生、お久しぶりですネ。お元気ですか?」
ほんの少しだけ海外の訛りを含んだ自然な日本語。そちらを見ると、久しぶりに見たソフィアさんがこちらを見て微笑んでいた。
細々続けます。




