34.外厩(2)
年末年始の休みを使って、悠馬は茨城県の「雪島スタッド稲敷」、通称「雪稲」 を訪問した。こうやって地方馬の馬主でも入れるのも外厩のいいところだ。土浦から乗ったタクシーの支払いの最中に外厩の受付スタッフがやって来た。
「佐藤様、当スタッドにようこそいらっしゃいました。お手伝いしますね」
頼みもしないのに、悠馬が持って来た大荷物の半分を持ってくれる。こういうところも扱いが丁寧だ。
「すいません。こんな年の瀬に」
「いえいえ、グランフェリスはとても賢くて強いので、私どもも期待しております。ましてや佐藤様からみるととても可愛いでしょう」
「はい。会えるのが楽しみです」
なんだかしばらく会っていない娘に会うような会話だ。事前に連絡していたとは言え、ここにはシーズンオフでも200頭近い馬が滞在している。それなのにしっかりその持ち馬の話をできるのはさすがだ。しかも今日は12月30日。悠馬がこんな日に会社に呼びつけられたら絶対に不機嫌になるはず。
「もう午前の調教は終わりましたので、今は牧場に出ていると思います。グランフェリスは馬房に籠っているよりも外に出ている方が好きみたいですね。雨や雪でも全然気にならないみたいですね。高梨先生はお食事中でした。まずは食堂にご案内しましす」
土浦でも雪が降るんだ。それはそうか。
「牧場で産まれた時から、雨も雪も風も好きだったそうですよ」
「ああ、そう言えば引き継ぎ書に書いてあったような気がします」
雪島ファームの和田さんから聞いた話を雪稲のスタッフに話すのも妙な気分だ。でもそんなことまで引き継がれていることに素直に感心しながら受付のある管理棟に入る。
「その前にまずは荷物をおろさせてください。年末にも関わらず働いて頂いているスタッフの皆様への差し入れを持ってきましたので」
「それはありがたいですね。北海道は美味しいものが多いですからね」
これが現金なら絶対に断られていたはずだ。食べ物でもちょっとした大きさなら断られていたかもしれない。ただ悠馬の大荷物を見て、受け取る以外の選択肢が無いと思ったのだろう。
まず作戦その1は成功だ。今回の「雪稲」訪問の目的のひとつはスタッフと仲良くなることだ。だから断れない程のお土産を持って来た。雪島ファーム系列だから北海道土産に目新しさはないだろうけれど、それでも口コミやネットの評判から喜んでもらえそうな品ぞろえを集めたつもりだ。
多くの差し入れを受付に届けた後、悠馬は食堂でお食事中の高梨先生をお邪魔した。悠馬自身は土浦駅の改札内の立ち食いそばですましてきている。なお駅改札内の立ち食いそばは札幌駅にもあって、多分あそこが北限だと思う。
「佐藤さんお疲れ様です」
悠馬が食堂に入った時には高梨調教師は既に食べ終わってスタッフと談笑していた。悠馬のためにスタッフが高梨先生の前の席を空けてくれる。悠馬は礼を言ってありがたく座らせてもらった。
「高梨先生こそお疲れ様です。順調だそうですね」
悠馬がそういうと高梨調教師がにこりと笑った。いつも慎重なのに珍しいことだ。
「昨日ウッドチップでのラップを測ったんですけど、また上がってますね。今朝は注意しながら坂路を3本を走らせたんですが、まったく問題なかったです。競馬に絶対がないことは私も良く知ってますが、本気で京成杯を狙えると思っています」
やけに口調が明るい。そんなに調子が良いのだろうか? 調教で良くても本番で走らない。そんなことがざらにあるのがこの業界。悠馬よりも100倍はそれを知っている高梨先生がこれだけ強気だと逆に不安になってくる。
「それに佐藤さんの言う通り、長い(距離の)ところだともっと有利だと思います。長ければ長い程良いです。ねえ?」
そう言って周囲に話しかける。悠馬が見たことがない人なので厩務員ではなくこの外厩のスタッフだと思われる。
「はい。うちの場長も太鼓判を押してましたよ」
外厩によって異なるが、そのトップは「場長」と呼ばれることが多い。この高評価は良いことなんだろうけれど、悠馬がブレーキ役にならないといけない気がする。
「じゃあ早速彼女に会いに行きますか。まだ牧場にいるかな? 馬房に入れておきたいんですけど、グランフェリスは外に出たがるんですよね。レースが近いのでそろそろ牧場には出さないようにします」
馬房にいる方が体調も管理できるしケガのリスクも少ない。悠馬は上着を羽織った高梨先生と一緒に牧場に出た。遮るものが少ないので風が強い。果たしてグランフェリスは牧場にいた。ただ一頭、風の中で遠くを見ている。まるで初めて出会った時のようだと悠馬は思った。もう3歳だから、あの時に比べると随分大きくなったと思う。 空が曇っているから、あの時のように栗毛が煌めいてはいない。
そして悠馬たちが近づいて来るのに気が付いたのだろう。一度こちらを振り向いたけれど、そのまま逃げたりもせずにまたどこか遠くへと視線を動かした。人を怖がらないけれど、かといって馴れあうでもない適度な距離感があるような気がする。
「相変わらずマイペースだなあ。高梨先生を困らせたりしてないよね?」
悠馬が話しかけるとグランフェリスはまた悠馬を見た。馬の視野はとても広く、真後ろ以外はだいたい見える。逆に人間のように顔の前が一番見えるというわけではない。でも悠馬は彼女が自分を観察しているように見えた。
不審に思っている様子でもないし、懐かしいと思っている様子でもない。強いて言えば『この人なんでここにいるの?』かな。しばらくお互いに見つめ合っていたけれど、先に彼女の方が飽きたらしい。ゆっくりと悠馬たちから離れて行った。
「ふられちゃいましたね」
「いい雰囲気だったんですけどね。でも本当に落ち着いてますね」
馬体が全体的に成長している。特にトモ(後半身)の筋肉は一回り大きくなった気がする。腹回りも締まって見えた。そしてなによりも落ち着いている。グランフェリス自身が自分が強くなったことを自覚しているのではないかと思うぐらいだ。
ブレーキ役になるどころか、悠馬までその気になってしまいそうだった。
「このままあと1時間ぐらいは好きにさせます。2時ごろからケアを始める予定です。見て行かれますか?」
この場合のケアとは蹄鉄の確認とか獣医のチェックとか。場合によってはマッサージや電気治療をする馬もいる。こういった部分が行き届いているのが外厩の強いところ。
「そうですね。できれば場長とお話できればありがたいのですが、お時間おありでしょうか?」
繰り返すけど明日が大晦日。数日前にはホープフルステークスがあってウィンドブリンガーが圧勝した。東スポ2歳Sで大本命で僅差勝ち、優勝したのに少し評価を落としたが、GⅠ本番では改めて強さを示した形になる。その翌日の有馬記念で秋競馬が終わった。季節は完全に冬だけど。
そして数日後には中山と京都で金杯がある。どちらも4歳以上のGⅢだけど、京都は1600mで中山は2000m。この業界は年末年始もとても忙しい。
「場長ですか? 今日は大丈夫じゃないかな? 確認しておきますね」
悠馬は高梨調教師やスタッフと一緒に建物に戻った。
今村聖奈騎手、オークス制覇おめでとうございます。
日本人女性で初のGⅠ、しかもクラッシック。素晴らしいですね。
勝ったジュウリョクピエロのオーナーは馬主を始めてまだ1年、これが2頭目の持ち馬らしいですね。
簡単にフィクションを超えてきますね。
この34話まではこの偉業が含まれていませんがご容赦くださいませ。




