32.東スポ2歳(6)
「100円だけですか?」
「さすがに今日は難しいと思います」
さすがに今日は複勝でも賭ける気がしない。だが単勝が200倍を超えている。つまり単勝なのに万馬券。2万馬券? もし悠馬が10万円突っ込んだらさすがにオッズが動くかもしれないがそれを試したいとも思わない。
そして雪島さんはご自分の所有馬、ド本命のウィンドブリンガー、そしてこれも縁だからとグランフェリス、この3頭のボックス買い。金額は悠馬が自信がある時の掛け金と比べても桁が違う。
こんな生業ですからこれぐらいは当たり前です、とのこと。ハズレで当たり前という買い方。悠馬にはとても真似できない。
悠馬は雪島さんとフジビュースタンドの7階、つまり馬主席にいる。雪島さんの連れが来れなくなったとのことで、隣に座らせて頂いている。北海道民の悠馬でも東京の11月の夕方(15時半)の風はやはり冷たく感じられる。
東京競馬場は日本では珍しい左回りのコースだ。これまで門別しか走ったことのないグランフェリスは当然だけど、他にも初めての馬がいるだろう。そして向こう正面に2mの急坂があり、最後の直線にもなだらかだけど長い上り坂。全体的に平坦なコースの門別とは違う。オッズが200倍を超えるのも当然だな。
そんなことを思っているうちにスターターの旗が上がる。そして一斉に馬がゲートから飛び出すのがターフビジョン(競馬場にある大型ディスプレイ)に映し出された。
嘘だろ?
そう思ったのは悠馬だけではない。スタンド全体がどよめいている。大本命のウィンドブリンガーがスタートダッシュの勢いを加速させ大きく逃げ出したのだ。
「これはこれは」
隣の雪島さんもやはり驚いたようだ。ウィンドブリンガー、そしてグランフェリスの2頭がバックストレッチで他の馬をどんどん引き離していく。
グランフェリスは先頭を走らなければ勝ち負けにならない馬だと悠馬は思っている。東京競馬場の芝1800mはスタンドから見て右奥のポケットコーナーからスタートし、直後に緩いカーブがある。先頭で馬群を千切らないと勝負にならない大逃げ馬が外に配置されると辛い。
これはグランフェリスを潰そうってこと? 本命馬が?
競馬には斜行というルールがある。平たく言えば、競走馬は基本的に真っ直ぐ走らなければならないというルールだ。それに完璧に従うと外側の馬に勝ち目がなくなるから、正しい進路変更が許されている。自分及び進路変更先の後方2馬身以内に他の馬がいない事。さらに他の馬の妨げにならない事が必要だ。2馬身以上の差があっても後ろの馬が自分より速い場合は進路変更で邪魔になるので「斜行」つまり反則になる。
高速道路を運転している場合を想像して欲しい。 かなり後ろからでも追い越し車線をかっ飛ばしてくる車がいた場合、前の車が止まりそうな程遅くても自分が追い越し車線にハンドルを切ることが危ないのはわかってもらえるだろう。
つまりグランフェリスがこのコースで最初の緩いカーブを内側に切り込むことは難しい。せいぜい数頭分幅寄せするだけ。その大きく空いた内ラチとの間をウィンドブリンガーが先に曲がって、そのままバックストレッチをかっ飛ばしていく。
「これはかなりペースが早い。どうやら私にも勝ち目がでてきたようですね」
「ウィンドブリンガーはなぜ大逃げを選択したのでしょう?」
しんがり人気のグランフェリスを本気で潰そうとしているとは思えない。ウィンドブリンガーにとっても明らかなオーバーペースだ。
「それはグランフェリスが飛び出たからですよ。どうせペースを崩されるなら、レースが始まってから鈴をつける(単騎で逃がさないように追走する)よりも、自分がそれ以上で逃げた方が良いという判断でしょう。本命馬ゆえの苦悩ですね」
グランフェリスは単騎で逃げることで本領を発揮する。東スポ2歳に出場している陣営は当然サンライズカップの映像も見て知っているだろう。
所詮は地方の牝馬。後から追いかけても十分追いつく。そう考える陣営ももちろんいるだろう。だが「もしかしたら最後まで逃げきってしまう可能性があるのでは?」と心配する陣営もいた。そういうことだ。
「でも大逃げが本領のグランフェリスを上回るペースで逃げるのは、ブリンガーにとってもかなりの負担だと思います。これでもし最後まで逃げ切ったらブリンガーは相当強いですね」
悠馬の言葉に雪島さんがうなずく。
「さて、そろそろ最後の直線です」
グランフェリスは結局向こう正面ではウィンドブリンガーを追い抜く機会がなかった。紗季さんも前に出るのは諦めたのだろう。そのままコーナーを追走する状態で正面の直線に入った。後ろから馬群が迫って来る。
「これはブリンガーも捉まるかもしれませんね」
当然グランフェリスも捉まる前提で悠馬は話す。だがウィンドブリンガーはそこから粘った。追いつかれそうになっても負けじと加速。まだ脚が残っているようだ。本当に強い。そしてわずかに残してゴール板を駆け抜けた。
「これは最後まで残しましたね。本当に強いですね」
悠馬は最後まで先頭を走り続けたウィンドブリンガーを称えて、横にいる雪島さんを見ると、悠馬と目があった。
「本当ですね」
落ち着いた声で雪島さんが話す。もしかしてこの方、レースではなくて悠馬を見ていた? 流石に考え過ぎか。
「で、2着争いはどうでしょうね」
そう言って再度ターフビジョンを見るけれど、本当はグランフェリスの順位を確認する。まだ確定していないけれど14番が掲示板に表示されている。5着に残った? すごくない? そして雪島さんの持ち馬が掲示板に無いこと。一方生産馬は2着、3着、5着に入っていることを確認した。
「2着3着は雪島ファームの生産馬ですね。おめでとうございます」
順位はすぐにそのまま確定。
「ありがとうございます。そして5着。こちらはお互い様ですね。おめでとうございます。地方から遠征して掲示板に入ったのは素晴らしいですよ」
それは本当におっしゃるとおりです。いろんな悪条件があったのに、2歳GⅡで5着は素晴らしい。グランフェリスが中央でも通用することを示したと言って良いし、なにげに1着の1/10の賞金まで貰える。
「そうですね。この後下に降りて、馬と高梨調教師、沢井(紗季)騎手をねぎらいに行ってきます。本当にありがたいことです。そして雪島さんもありがとうございます。今日は本当に色々な経験ができました。またこの舞台に戻ってこれるように馬主にできることをしようと思います」
雪島さんが満足そうにうなずく。
「私は何もしていませんが、佐藤さんにそう思って頂けたのは嬉しいですね。せっかくです。私もグランフェリスを称えに行ってもよろしいですか?」
どちらかというと2着馬の方に行くべきでは? でも地方馬が中央重賞の掲示板に乗るなんてめったにないことだから雪島さんの気が向いたのかもしれない。
なんとか今週も更新。でもおそらく次は6月になる予定です。




