第三話:沖縄戦線Ⅱ
◇ ◇ ◇
出鼻を叩き折られた。
初手で一個大隊千名のうち四割にあたる人員を失った深緑の集団――ロシア帝国航空部隊は、想定を遥かに超える日本側の暴威を前に目に見えて動揺し、防御陣形への移行すら遅れていた。
「撤退」か、「応戦」か。
決断を迫られる混迷の最中。集団の中でひときわ立派な巨躯に堅牢な装甲を纏う男――中露連合軍・第三航空大隊指揮官・アドリアン・ラキトフの元へ、一本の通信が入った。
『ラキトフ中佐、撤退だ』
それは、艦隊を総括するロシア帝国軍中将『ヴァレンチン・ツァリコフ』からの非情な通告。
『……了解しました』
納得などできようはずもない。しかし、冷静に考えれば合理的であるその判断を、自身の決断として無理やり飲み下し、ラキトフは部隊全員へと命令を告げる。
『総員、全速力で離脱せよ!』
彼はフルフェイス内のHUDを怒気を孕んだ視線で操り、部隊への全体通信に声を張り上げた。
最後方に布陣する輸送母艦の指揮官席で、ツァリコフ中将は冷徹に戦況を俯瞰していた。
中露連合にとっても、航空戦力は紛れもない生命線である。
ひと当てさせた後、退げる。連合軍が差し向けた千名の一個大隊は、日本側の航空戦力の質を見極めるべく出撃させた、十全に保険をかけた試金石のつもりであった。
しかし蓋を開けてみれば、たったの一手だけで四百名もの損失を被った。なおかつそれは、本来ならば日本のイージス艦へと直接攻撃を仕掛けるための切り札である「質量煙幕」まで守勢のために使わされた上での被害だ。
並外れた日本魔法師の能力データを基に、綿密なシミュレーションを重ねていたにも関わらず、敵航空部隊はその想定の遥か上をいっていた。このまま現場の感情に任せて応戦を続ければ、まず間違いなく「全滅」する。
敵の強さを見誤り、結果としてただ命を散らすこととなったこの命令を下したのは、他ならぬツァリコフだ。だが、それでも現場の感情を殺させ、「撤退」を命じたのは、戦闘全体の勝利を見通さなければならない総指揮官としての苦渋の決断であった。
「(……空の世界での削り合いには、一切付き合う必要はない)」
この作戦の基幹は、最大三日間に設定した「持久戦」にある。
軍艦のレールキャノンを絶え間なく浴びせ続ければ、いかに無敗を誇る日本軍のイージス艦といえど、障壁を維持し、あの異様な盾を稼働させ、そして艦本体の動力源すべてを担う魔法師たちの魔力――すなわち「燃料」は、いずれ底を突く。
航空戦力と水上戦力による一斉攻撃が「決定打」へ転じる、その瞬間が来るまで。これ以上、無意味に航空戦力の損耗を許すわけにはいかない。
◇ ◇ ◇
日本軍――灰色の集団は、横へと拡げきった陣形で敵を追い詰めるように一気に締め上げていく。
だが、敵部隊はその包囲網が完成するよりわずかに早く、防御を解いて後方へと隊列を伸ばし、全速離脱の動きを見せた。
包囲網から抜け出した隊列の最後方。殿役の二百名ほどが本隊直後に密集すると、決して遅れぬよう全速力を維持したまま、隊列を大きな長方形状へと拡げた。
直後、その四方を囲うように無数の幾何学紋章が現れ、大規模な疑似結界を同期展開。離脱に移った味方の背を守る「動く盾」となり、追撃の射線と進路を塞ぐように立ちふさがったのだ。
日本軍は、隊列を整えることすらせず。
だが、阿吽の呼吸で躊躇なく、無数に伸びていく飛行機雲の後を追う。
――空中戦闘用アーマースーツ『ウィング00』
『元老院』から配備されたそのスーツは、最高時速マッハ3での飛行を可能とし、空気抵抗や摩擦、重力加速度《G》を大幅に低減。
さらに、このスーツを象徴する魔法の統合制御システムである、能動的姿勢制御バランサーを搭載した、外部装甲一体型MCD『Magic Cast Device』である。
各関節部およびバックパックに配置された魔力コンデンサーが、スーツ自体に組み込まれたパッシブ発動魔法式――『摩擦軽減』『障壁魔法』『重力転換魔法』『重力加速度≒推力転換略式魔法』『飛行魔法・エアジェット』へと絶えず魔力を供給し続ける。これらを完全自動制御システムが最適化することで、機体性能を十全に発揮させる。
――唯一の懸念があるとすれば、フルスペック発揮時、稼働時間がわずか一時間という点だろう。
敵の最高速度はせいぜいマッハ2程度。だが、それはあくまでスペック上の数値に過ぎず、その領域に達するまでの加速性能は比べ物にもならない。
つまり、後追いのポジションからでも再度の包囲、そして殲滅が可能であることを意味する。
しかし、敵対空網の領域までは二桁秒の猶予しかなく、部隊を分けての殲滅を遂行するには時間が足りない。
よって、灰色のアーマースーツたちは、殿役、二百の「完全処理」にのみ意識を傾けた。
追跡の最中に、速度を優先したことで締まりきった陣形を無造作に崩し、猛烈な加速で一瞬のうちに肉薄。敵の真後ろに百名、上下左右にそれぞれ百名が展開。障壁からわずか数メートルの位置で追従し――文字通り「箱」を取り囲むように、ベッタリと張り付いた。
「隊長! 殿の者たちが包囲されています! せめて援護射撃を一当てだけでもするべきですっ!」
ラキトフのフルフェイス内には、隊員からの悲痛な叫びが次々に届いていた。
「却下だ。……我々のスーツでは、おそらく全速を出してなお逃げ切ることすら許されん。彼らの覚悟を無駄にするな。振り返らず、前だけを見て飛べ」
そう言い切るや、彼は部下たちとの通信ラインを一方的にシャットアウトした。
「(必ず、雪辱は果たす。……必ずだッッ!)」
重なり合い、轟音と化した発砲音を背中で受け止めながら、ラキトフ率いる四百名のダークグリーンの一団は、細かく隊列を散らし――後方の二百名を、非情にも切り離した。
◇ ◇ ◇
散り散りとなり「逃げてゆく」深緑の集団に一瞥くれると、視線を戻し、目前の障壁へとアサルトライフルの銃口を向ける。
『総員発射』
刹那、一斉に引き金が引き絞られた。発射の閃光と同時――『加重・加速』ならびに『追尾魔法』。二つの精密な幾何学紋章がすべての弾丸に呑み込まれ、ゼロ距離からそれらが叩き込まれる。
全ての弾丸を受けた障壁は、数秒という長き時間を確かに耐えてみせた。だが、ヒビが走り、亀裂が広がり、一つ、また一つと穿たれ――最後は無惨に砕け散った。
それでも、灰色の集団は決して手を緩めない。
一糸乱れぬ挙動で、面々が敵の真上へと迅速にポジションを変える。阻むものを失ったダークグリーンの人影に、障壁を再構築する間すら与えずその銃口を向け直し、弾丸の絨毯を投下した。
交戦開始からわずか十分。
日本側の損害は「零」。
中露連合軍は、総勢千名の一個大隊のうち、初手だけで四割を失い、「逃げ帰る」ためだけに二割を費やした。合計六割にあたる六百名もの航空隊員を、言葉通り「一方的」に失うに至ったのである。
◆ ◆ ◆
ロシア帝国軍航空魔法師母艦「フ・ジヴォチェー」ブリッジ。
航空戦闘域を脱し、友軍ミサイル対空網を抜けて着艦した第三航空魔法師大隊指揮官ラキトフ中佐は、すぐさまブリッジへと呼び出された。
互いに敬礼を交わすと、ツァリコフが静かに口を開く。
「ラキトフ中佐。敵のアーマースーツは何色だったか」
彼は、一切の感情を押し込めたような色のない声で淡々と問うた。
出撃した隊員たちのカメラ映像越しにその色、姿は鮮明に捉えられている。だがそれでも、現場の目による確定情報を得るまで、彼はそれを「現実」の確信として認めることは到底できなかった。
「はっ。灰色でありました」
ラキトフもまた、感情の一切を窺わせない無機質な面持ちで答えた。
「……白ではないのだな?」
「間違いなく、灰色で統一されておりました」
白。それは昨年、西暦2282年の「四国統合基地占領作戦」において、一時は基地の占領にまで至った中露連合軍一万名をたったの二十名で全滅させた存在――上補十二家の筆頭『白川家』を指す。
当時、ツァリコフは同一の母艦の指揮を執り、周辺海域の警戒の任に就いていた。言葉なき救援信号に駆けつけた際、望遠カメラが捉えたのは、蹂躙という表現しか見当たらない光景。否、反撃の手段すら存在しない『姿の見えない亜空間からの一方的な掃討』であった。
あまりに理不尽なその暴虐が、彼の脳裏には今も鮮明にこびりついていた。
「よし、ならいい……。生き残った部隊員とともに、貴官も休め」
「散っていった戦士たちへの敬意の言葉すらないのでありますか」
思わず漏れたツァリコフの安堵の色は、屍を踏みつけることで生き残ったラキトフの神経を逆撫でする結果となっていた。
「雪辱の機会は必ず作る。――それまでは堪えろ」
一瞬の安堵が軽率であったと面持ちを正したツァリコフは、精悍な顔つきで、その激情を真正面から受け止めた。




