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「メトゥス」
離す合図を出す。
メトゥスが触手を体へ戻す。
「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ」片手を地面に付き、もう一方の手で自らの首を抑えている悪魔。そして立ち上がって息を荒げている「はあ…はあ…」音を鳴らし、唾を飲み込む悪魔。
「やはりフィーンドか。アガレスはこの事を気にしていないのか?」
赤い煙が上がり、アガレスの姿をしたフィーンドが、蝙蝠のように小さく醜いインプへと姿を変え、翼をばたつかせ飛んでいる。
「さあな。デーモンにとって俺達フィーンドは、ただの使い捨ての駒だ。今更どう思われようと知ったことか」
「小さな気晴らしか。哀れな魂は、誰であろうと歓迎だぞ」
「ヴォイドは相変わらず情け深いな。だがディスコルディアの怒りの方が恐ろしい。悲しいがな。そういえば、ヴォイドの使者を見たのは久し振りだな」
「お前は随分と長生きしているようだな」
「アガレスは戦争に興味がないからな。特別、何かあったわけでもない。俺様自身が争いに興味が薄いというのもあるが、まあ、なんだ。もう伝える事は伝えた。俺様は次の使い走りに行くとするよ」
インプが赤い煙と共に姿を消した。
「メトゥス、アガレスの宮殿の場所は分かったか?」
「キュル」
メトゥスが触手を伸ばし、目の前へ。
無数の目玉がこちらをじっと見つめてくる。
自身の記憶への侵入を許し、メトゥスの得物を共有する。
メトゥスが記憶透過で得た地獄にあるアガレスの宮殿の記憶を自身の記憶へ刻み込む。
目玉が閉じ、メトゥスが触手を戻す。
「良くやったな。メトゥス」
「キュルル」
「エスティナ、お前はどうするんだ?」
少し驚いた様子でこちらを見ているエスティナ。
「貴方が良ければ、デーモンの件が片付くまで行動を共にさせて欲しい」
「それは構わんが」
「ありがとう」
「一緒に来るか?」
「いえ、少し……」エスティナが念動を放ち、本棚から四冊の本を取り出す。そして四冊の本を宙に浮かせたまま開いていく「ここにいるわ」
「合流地点は森の奥にある洞窟だ。まあ、お前なら迷わないだろう。獣人のマーラ、マミーのイエナに会った際は、メトゥスを連れたリッヂに言われたと言えばいい」エスティナが静かに頷く「これは気にならんのか?」祭壇に置かれていた本を持ち、軽く振る。
「気になる」エスティナは本を浮かせたまま側へ来る。
祭壇で得た本を開く。
緑に輝く文字が刻まれている。
これは…まさか。
「何も書かれていないわね」
「いいや……」
「貴方には字が見えるのね。なんて書かれているの?」
「転ばぬ先の骨」
読み上げると、字が蠢き始めた。
字に指先が触れると緑に輝き始めた。そのまま書かれた字を指先でなぞる。
本は更に輝きを増し、宙へと浮く。そして書斎全体を眩い緑の光が覆っていく。
本は輝き放った光を一瞬で消滅させ、そして浮遊を失い、手元にゆっくり戻り、閉じた。
手元に戻った本を再び開くと、本の中に一本の指が描かれていた。
「指?」
本の中に描かれた親指に触れる。
するとページに触れると同時にページが透け、手が奥へ入っていく。そのまま手を入れ続け、中にある物を掴み取り出す。
「ああ、本物の親指のようだな」
指を眺め、右手の親指の骨に肉をめり込ませ嵌めていく。
記憶、力、得も知れぬ感情が魂の底から湧き上がってくるのを感じる。魂の奥底から震える勢いで込み上げてくる何かを。
最初程の苦痛はない。慣れなのか。
肉体は封印されていたわけではないのか。それともこれは別の者の……。
突然目の前を眩い青い光が覆っていく。そして青く半透明に輝く1人の女性が目の前に現れた。
肩まである透き通るように美しい綺麗な青い髪に、魂を引き込まれそうになる魅力的な青い瞳。
その美しさのあまり、全てを捧げてしまいさえさせる美しく白い肌。本来見えないはずの色彩まで頭の中で見えていく。
青く輝く女性が口を開き、こちらに何かを語り掛けてくる。
「貴方を愛してる。早く戻ってきて」
「お前は一体、誰だ?」
女性はそう言い残し、残像の様に姿を消した。
辺りを凝視し魔法の干渉を探すが無駄骨だった。魔法の類いは一切感じられない。時が動き始めたかのように音が周囲を駆け巡っていく。
「リーケンが後世に残したものなのかしら。それとも……どうかしたの?」
「……何でもない。仮説など、今はどうでもいい」
邪推的な感情が魂の底から込み上げてくるのを感じる。
「そうね」
エスティナが本を読み漁りに戻っていく。
「メトゥス。行くぞ」
「キュル」
書斎を出て地下へ向かう。
地下へ着くと早々にアンナがこちらへ駆け寄ってきた
「パパを助けてくれてありがとう」
「礼なら不要だ。何があったか聞いたか?」
「ええ!」
「心配はいらないようだな」
「パパは人一倍、心配性だから。そうだ。パパが奥の部屋で貴方を待っている」
「分かった」
アンナは書き物をしにテーブルへ戻っていく。
ロレンツォの待つ奥の部屋へ向かう。
ロレンツォは奥から箱などを取り出し、多くの荷物を整理していた。
「俺はもう行く。エスティナは暫く、お前の書斎で書物を読みたいそうだ」
「そうか。好きにさせておくよ」
荷物を取り出す手を止め、こちらを向くロレンツォ「さっきは助かった。本当にありがとう」
「礼なら働きで返してくれよ」
「ハッハッ、そうだな。それとさっきは取り乱していて言いそびれたんだが、ブラックハンドは内部抗争を起こしていたんだ。だからその……」腰に手を当て頭を軽く掻くロレンツォ「規律に忠実でないネクロマンサーもいると思う」
「ほお。そんな奴が殉教騎士団に殺られていないと?」
「残っている可能性は0じゃない。いたとしても、俺のような頭の古い者は少ないだろう」
「お前は、糧はどうしたんだ?」
「勿論罪人だけだ。それに罪人でもさっきのあんたのように、ちゃんと論してから判断している」
「実際はどうなんだ? そんな小さな事ヴォイドが気にしていると本気で思っているのか?」
「あぁ……どうだろうな。言われてみれば、自分の良心が痛まないようにしているだけかもしれない。組織でない以上、規律なんて守っても無駄だしな。でも自分自身がそうであるように、安易に妥協はしたくはない。疑問は残るが、他の多くの物事 同様、正しいと思ってやってる」
「それを聞けて良かった。お前の放った虚無の介入だが、本来はスケルトンを召喚する魔法じゃない」
「そんな気はしてた」
俯き、小さく首を振るロレンツォ。
「だが信仰心が必要な魔法には変わりない。だからお前を信用した」
「おぉ…そうなのか。魔法とは相変わらず、深いんだな」
「あまり大っぴらには使うなよ。本来は生易しい死霊術ではないからな。万一もある」
「分かった。これからは気を付……」
上階からドアを何度も激しく叩く音が聞こえてくる。
ロレンツォが慌てた様子で部屋を出る。ロレンツォに追従する。
「パパ!」
「奥の部屋に行ってなさい」
アンナが奥の部屋に行きドアを閉める。
「客人に心当たりは?」
「いいや。だがここはお前の家だ」
自身に複数の魔法を放ち。戦闘準備を整えるロレンツォ。
「強盗ならマシだな」
覚えのある気配だ。
「俺が見てこよう。ここで待っていろ。大丈夫そうならメトゥスを合図として送る」
「分かった。気を付けて」
階段の影に身を潜めるロレンツォ。
生者探知を放ち、階段を上がる。
小さい者がドアの下部を叩いている様子が見える。だが鮮明ではない。
入り口のドアは多数の牙を持つ口に覆われている。
ロレンツォの魔法か。
杖の触手を放ち、ロレンツォがドアに掛けていた饕餮の封印を破壊する。




