59
────
OBLATION ヴォイドの呼び声Ⅰ
全 Ⅰ章 〜 Ⅻ章
下 Ⅶ章 〜 Ⅻ章
────
────
Ⅶ章 狂気
Ⅷ章 信仰
Ⅸ章 闇の表面
Ⅹ章 意企
Ⅺ章 悪魔狩り
Ⅻ章 報復
────
── Ⅶ章『狂気』──
笑いが時を優雅にする。『王達のペット』より。著:ドレク:宮廷道化師。
ロレンツォの書斎へ戻り、持っていた本の目の輝きが失われると同時に転移門が消滅した。
「はぁ…はぁ…」
ロレンツォが片手で胸を抑えている。
「平気か?」
「あぁ。戻って来れて本当に良かった。本当に。でも不思議だ。まったくあそこにいた感覚が…ないんだ。まるで夢から覚めたような」
「無理もない。あの場所は時が止まっていたからな」
「なんて恐ろしいんだ。もうこんな経験は御免だ」
「これから起きる事に比べれば、大した事じゃないさ」
「そうか…。覚悟が必要なようだな。あぁ、それよりアンナの件はどうなった? 何か分かったのか? あの奇妙な場所と、その本に何か関係があったのか?」
「これは本ではない。強力な死霊術が掛けられる罠があったんだ。アンナはそれを受けてしまったようなんだ」
「元に戻せるのか?」
「いいや。現状は無理だ」
「そんな……」
「だが差して焦る必要はない。直接的な害はないだろう。アンナの気持ち次第だがな」
「なら一先ずは安心か。だがアンナはなぜ……いやもういいか。私は少し休むよ」
「ああ」
ロレンツォが書斎を出て行く。
ゆっくりと歩きながら周囲を見回しているエスティナの元へ行く。
「気分はどうだ?」
「はぁ~。いいわ。それなりにだけど。あそこを出てから、頭が次第にハッキリしてきているの。物事が鮮明に認識出来るようになってきた」
「それは良かった」
自らの手を見つめるエスティナ。
「こんな感覚いつぶりかしら。自分を自分と認識できるなんて。また味わえるなんてね」久しい感覚を噛み締めている様子のエスティナ。エスティナが俺の方を見る「もう駄目かと思ってた」
「具体的には、どんな感覚だったんだ?」
「そうね~。石を淡々と積み上げる作業。苦ではなかったわ。ンフフ、不思議とね。まるで自分を遠くから眺めているような……そんな感覚だった。でも、今なら分かる。あの時は、自分かどうかすらも分からなかったから。薄れる意識の中、ただ……ただ呆然と眺めていた。意味もなくね。それで…貴方は一体誰で、ここは何処なのか教えて」
「もう分かっていると思うが、俺はアンデッドだ。ここは随分と時が過ぎた世界。俺も、お前と似たような境遇でな。今はあまり力にはなれん」
エスティナは動揺する素振りもなく、落ち着いた様子で小さく頷いた。
「お互いこれから大変ね」
「まあな。お前はなぜあそこに?」
「どうだろう。あまり覚えていないの。遠い昔……遠い昔に感じるから。魔道具で入ったのは確かね」
「この本ではないのか?」
「いいえ、たぶん違う。それは分かるの」
「ふむ」
本を裏返し、観察し、表に戻す。
「ねえ、あなたは一体どうしてあそこに? なぜ助けてくれたの?」
「お前と違い、入る意思はなかった。不可抗力でな。悲しいが、罠に掛かったんだ。お前を助けたのは……特に理由はない。なんとなくだ」
「ネケシタスのいたずらね。でも感謝しなくちゃ。あの場所から出してくれて本当にありがとう。心から感謝してるわ」
「者によっては嘆き悲しむ。大切な者も大勢いただろう」
「そうね。でも、あの場所に永遠に囚われる恐怖よりは、耐えられる」
「君はとても強いな」
両方の眉を上げ、軽い笑みを浮かべるエスティナ。
「ンフフ、ありがとう。あぁ……その…言いにくいんだけど…。もう一度助けて欲しいの」
「構わん。聞こう」
「私は生前、まったく信仰心がなかった。だからつまり……」
「魔術師は基本、ヤーヌスを信仰していると思ったが、違うのか?」
「いいえ。それは正しいわ。一般的には、そう。でも私は……横着してて。今思えば浅はかだったわ」
「安易に魂を神に委ねるのが最善とは限らない」
「ンフフ、そうね。確かにそう。私は幼少の頃からずっと本ばかり読み漁ってきたから、貴方の懸念も十分理解できる。でも、このままだと魔法の影響が切れた時、私の体は一瞬で朽ちてしまう。痛みもそうだけど、まだこの世界には未練があるの。沢山ね。失った時を少しでも取り戻したい。ヴォイドなら、受け入れてくれるかもしれないって。どうかな?」
「協力してやりたいが、難しい問題だ。俺は神でもないし、本当にリッヂかどうかすらも怪しいんだ。それに、俺の知る限り、ヴォイドはもうこの領域では信者を見捨ているようなんだ」
エスティナは取り乱す事なく落ち着いていた。エスティナが軽い笑みを浮かべ口を開く。
「ヴォイドがそう言ったの?」
「いいや。ただの憶測さ。悲観的だが、まあ現実的だろ?」
「でも世界はそんなに単純じゃない。でしょ?」
「ふむ。君は…俺が目覚めてから、この世界で出会った中で最も魅力的だ」
「ンフフ」
「力になれるのなら手を貸そう。望むのなら、アンデッドにしよう」
「ありがとう」
「だが本当にいいのか? どうなるか分からないぞ」
「お願い」
「早計すぎると思わないのか?」
「う~んう~ん」エスティナが首を左右に振る「思わないわ。はぁ~、近くにデーモンの気配を感じるもの。それも、とても強い気配。きっと私の魂を欲しがる。デーモンの玩具になるなんて御免よ。覚悟はできてる」
「恨むなよ」
「ンフフ、それはどうか分からない」
「ハッ。痛むぞ」
エスティナは目を瞑り、両手を胸の前で握りしめる。
力を込め、ヴォイドの誘いをエスティナへ放つ。
…………。
エスティナの体が緑の光に覆われていき、両目が緑に輝き始めた。
エスティナの体は宙へ浮き、エスティナが苦しみに耐えながら上を見上げている。
両手を広げ、昇格の儀式を全身で受け入れていくエスティナ。
エスティナの体を包み込む緑の光は次第に収まり、エスティナは両足を地面にゆっくりと着けた。
エスティナが広げた両手を元に戻すと同時にこちらへ顔を向ける。
エスティナの体は緑の半透明な体へ変化し、エスティナは心地良さそうな表情を浮かべていた。
「それで、気分はどうだ? 意思や記憶は残っているか?」
「ンフフ、ええ。まだエスティナよ。気分はとてもいいわ。不思議とね。痛みも、思ったより耐えれた。こんな事で生前の鍛錬の成果が分かるとは皮肉よね。それに……本当にヴォイドは何も要求して来なかった。それどころか、姿形すら見当たらなかった。文献なんて当てにならないものね」
「残念そうだな」
「私程度、会う価値すらないって事よね」
「だが裁量は為された」
「優しい神よね」
「ヴォイドの真意は分からん。今は
、ただ気紛れを起こしている時期なのかもな」
「それは疑問が残るわ。ヴォイドが見返りもなく、やっているとは思えない」
「神だって、退屈さ。他の神もさして変わらんだろう」
「私は意図を感じる。直接的ではないけれど、何か……」
「ふむ。否定はできんな。だがヴォイドしか知り得ない事を考えても、仕方がない。それよりその体に慣れるのは少々辛いぞ」
「あらそうなの? 経験から?」
「ああ。特に本能の部分を抑えるのが厄介だ。普段の抑制は容易い、不確定要素が発生した時、対処が困難に陥りやすい」
「用心しておくわ」
近づく悪魔の気配を感じる。
「感じるか?」
「ええ、悪魔ね」
赤い煙が目の前に現れ、悪魔が姿を現す。
両手を腰に当て胸を張り、片側の肩をこちらに近付ける「良くやった」すぐに姿勢を戻す悪魔「いや~、我は……ゴホン、いや我はアガレスだ!」
エスティナと互いに顔を合わせ、すぐに悪魔の方を見る。
「二度も自己紹介してくれるとは親切だな」
「そ、そうか。ゴホンッ! いや、なんて口の聞き方だ! 私はアガレスだぞ!」
「用がないのなら失せろ」
「ああ、分かった。 いや! お前に称賛を伝えにきたのだ。ありがた〜く思え。あ~、害虫を…一匹…片付けたようだな。我は嬉しいぞ」
「そうか」
「ここはもっと感情を高ぶらせるところだぞ骨。いやアンデッド…スケルトン…リッヂ。と・に・か・くだ。良かった」
「良ければ他の害虫も片付けよう。そうだな~。手始めにお前からってのはどうだ?」
「なに!?」
「メトゥス」
「キュル!」
メトゥスが瞬時に触手を伸ばし、悪魔の首に巻き付けていく。
「うっ! うぅ……うぅ! よ、よせ!」メトゥスが触手の締め付けを強めていく「こ、降参だ……」
〘⇄〙このまま始末するか。或いは見逃すか。




