第006話 欠陥品の女神
「……え」
カイは、間の抜けた声を漏らした。
五軒。
確かに、今日回ったのは五軒だった。
朝に大通りの外れで二軒、昼過ぎに裏通りで三軒。
どうしてそれを、見ず知らずの女の子が知っているのか。
「あ、やっぱりそうだ。合ってたー」
少女は満足げに頷くと、断りもなくカイの隣に腰を下ろした。
石段が冷たかったのか、「つめたっ」と小さく肩をすくめる。
それから膝を抱えて、カイの顔を横から覗き込んできた。
「えっと……どこかで、お会いしましたっけ」
「ううん、初めましてー。でも私、きみのことずっと見てたんだよね。大通りでも、裏通りでも」
「……見てた、んですか」
「うん。扉に入って、ちょっとしたら出てきて、ぺこって頭下げて、次の扉。入って、出て、ぺこっ」
少女は、両手でその動きを真似してみせた。
妙に上手い。
特に最後の頭の下げ方が、自分でも見覚えのある角度だった。
カイは、片手で顔を覆った。
あの情けない行脚を、一部始終見られていたらしい。
穴があったら入りたい、というのはこういう時のための言葉なのだろう。
あいにく、この広場の石畳には隙間ひとつない。
「あ、ごめんごめん。からかってるんじゃないよー? ほんとに、ずっと気になってたの」
少女は慌てたように、手をひらひらと振った。
それからカイの顔をじいっと見つめて、眉を寄せる。
「ねえ、ちゃんとごはん食べてる? 顔、真っ白だよ」
「食べてます。……一応」
「一応って言った。今、一応って言ったよねー?」
返事に困っているうちに、少女はぱっと立ち上がった。
ちょっと待ってて、と言い残して、屋台の並びのほうへ駆けていく。
二つに結った髪が、夕日の中でぴょこぴょこと跳ねていた。
戻ってきた時、その手には串焼きが二本握られていた。
「はい、こっちきみの分」
「え、いや、そんな。悪いですよ」
「もう買っちゃったしー。冷めたらおいしくないよー?」
ずい、と目の前に串が突き出される。
肉の脂が、夕日を受けててらてらと光っていた。
串焼き一本、銅貨三枚。
今朝も買おうか迷って、結局パンだけにしたやつだ。
……腹の虫が、空気を読まずに鳴いた。
少女が、ぷっと吹き出す。
「ほらー。お腹のほうが正直だねー」
「……いただきます」
カイは観念して、串を受け取った。
かじりつくと、香ばしい塩気が口いっぱいに広がる。
誰かと並んで食べたのは、何日ぶりだろう。
気づけば、手元にはもう串しか残っていなかった。
「おいしい?」
「……おいしいです。ありがとうございます」
「えへへ、よかったー」
少女は自分の串をかじりながら、嬉しそうに足をぶらぶらさせた。
不思議な子だ、とカイは思う。
いきなり現れて、隣に座って、串焼きを押しつけてくる。
普通なら、もう少し警戒するところなのかもしれない。
けれど、あまりにも屈託なく笑うものだから、肩の力が勝手に抜けてしまった。
「それでさ、宿は? ちゃんと寝るとこある?」
「あります。路地裏の安宿ですけど」
「隙間風、入るやつ?」
「……入るやつです」
「だよねー。あのへんの宿、だいたい入るんだよねー」
なぜか少女のほうが、得意げに頷いていた。
串焼きの最後の一切れを飲み込んで、少女は少しだけ声の調子を落とした。
「ねえ。訊いてもいい?」
「……何をですか」
「どうして、どこにも入れてもらえなかったの?」
カイは、手の中の串に目を落とした。
適当にごまかすこともできた。
田舎者だからとか、腕っぷしが足りないからとか。
それらしい理由なら、いくらでも作れる。
けれど、串焼きをもらっておいて嘘を返すのは、筋が違う気がした。
「……加護が、ないんです」
少女が、ひとつまばたきをする。
「十歳の加護の儀で、つかなかったんです。村の神様が二回やってくれたんですけど、二回とも弾かれて。それからずっと、加護なしのままで」
言ってから、カイは自分で少し驚いていた。
村の外の誰かに、このことを自分から話したのは初めてだ。
シャールの受付では、訊かれたから答えただけだった。
この五日間で、何十回も見てきた顔を思い出す。
目を丸くして、聞き返して、それから困ったように眉を下げる顔。
この子も、きっと同じ顔をするのだろう。
けれど。
「そっか」
少女は、それだけ言った。
目を丸くもしない。
聞き返しもしない。
気の毒そうに眉を下げることもなかった。
ただ、カイの言葉をそのまま受け取って、小さく頷いただけ。
「……それだけ、ですか」
「ん? それだけって?」
「いえ。皆さん、もっとこう……驚くので」
「あー」
少女は串の先で、自分の顎をとんとんと叩いた。
「驚いてないわけじゃないよー? でもさ、きみがそう言うなら、そうなんでしょ。私が驚いたって、きみに加護が生えてくるわけじゃないし」
身も蓋もない言い方だった。
なのに、胸の奥がふっと軽くなる。
哀れまれるのでも、慰められるのでもない。
ただ、そういうものとして聞いてもらえた。
それだけのことが、こんなにも楽だとは思わなかった。
「それにねー」
少女は、膝を抱え直した。
夕日のほうを向いたまま、何でもないことのように続ける。
「私も、似たようなもんだから」
「似たような……?」
「私ね、神様なんだー」
「……はい?」
カイは思わず、少女の横顔をまじまじと見た。
アプリコット色の髪に、琥珀色の瞳。
動きやすそうな深い青緑のケープと、生成りのスカート。
どこからどう見ても、街の娘だ。
……いや。
そういえば、この街の神様は、だいたい神様らしくない格好をしていた。
着いた日に見かけた、手ぶらの青年も。
四軒目のシャールで、長椅子に寝そべっていた神様も。
「あ、信じてないなー?」
「いえ、その……失礼ですけど、神様っぽくはないな、と」
「よく言われるー。でね、もうひとつあるんだ」
少女は、右手を夕日にかざした。
指を開いて、閉じて。
また、開く。
「私、人に加護をあげられないの」
カイは、息を呑んだ。
「神様なのに、だよ? 手を出しても、なーんにも出てこないの。ずっと前から、ずーっとこう。だから眷属も、一人もいないんだー」
少女はかざした手をぱたんと膝に落として、からからと笑った。
「だからね、神様の中じゃ、ちょっとした"欠陥品"扱いなの。あはは、笑っていいよー?」
カイは、笑わなかった。
加護を受けられない人間と、加護を与えられない神様。
そんなものが、自分のほかにもいたのか。
驚きは、確かにあった。
けれどそれより先に、胸の底へすとんと落ちてくるものがある。
さっき、この子が「そっか」とだけ言った時の顔。
あれは、同じ場所に立ったことのある顔だったのかもしれない。
カイは、膝の上に落ちた少女の手を見た。
白くて、小さな手だった。
自分の手と、何も変わらないように見える。
「……じゃあ、俺と逆ですね」
「……え?」
「俺は受け取れなくて、あなたは渡せない。ちょうど、逆です」
それ以上、何を言えばいいのか分からなかった。
大変でしたね、と言うのは違う気がする。
気にすることないですよ、と言うのは、もっと違う。
どちらも、この五年間で言われるたびに、少しずつ居心地が悪くなった言葉だ。
だから、思ったことをそのまま口にした。
それだけだった。
少女の笑い声が、ふつりと途切れた。
「……笑わないんだ」
ぽつりと、それだけ。
琥珀色の瞳が、まっすぐにカイを見ている。
さっきまでの、くるくると表情の変わる顔ではない。
何かを確かめるような、静かな目。
夕日の加減だろうか。
ほんの一瞬、ずいぶん遠いところから来た人のように見えた。
カイが何か言おうとするより早く、少女はぱちんと手を叩いた。
「そっかそっかー! 逆かー。うん、言われてみればそうだねー」
元の調子だった。
今の一瞬が、見間違いだったかのように。
「あ、ていうか名前! 私たち、まだ名乗ってなかったよねー?」
「あ……すみません。カイです。カイ・アッシュグレイ。エッシェ村から来ました」
「カイ。カイかー。いい名前だねー」
少女は口の中で転がすように、二度繰り返した。
それから、自分の胸に手を当てる。
「私はフィーネ。よろしくね、カイ」
フィーネ。
いい名前ですね、と返しかけて、さっき言われたのとまるきり同じになることに気づく。
カイは、そっと口をつぐんだ。
名乗りながら首を傾げた拍子に、フィーネの片方の結び目で、小さな飾りが揺れた。
もう片方には、何もついていない。
カイの視線に気づいたのか、フィーネは飾りのないほうの髪をつまんでみせた。
「あ、これ? 片方なくしちゃってさー。ドジでしょ」
それだけ言って、あっさりと手を離す。
カイも、それ以上は訊かなかった。
気づけば、夕日はほとんど屋根の向こうに沈んでいた。
広場のあちこちで、ランプに火が入り始めている。
「……そろそろ、宿に戻ります」
カイは石段から立ち上がり、ズボンの埃を払った。
「串焼き、ごちそうさまでした。それと……話を聞いてもらえて、助かりました」
本心だった。
明日からどうするのか、何ひとつ決まっていない。
路銀の袋は相変わらず軽いし、どのシャールも入れてはくれない。
それでも、さっきまでよりは少しだけ、足が前に出る気がした。
「ん。どういたしましてー」
フィーネは座ったまま、ひらひらと手を振る。
カイは小さく頭を下げて、広場の出口へ歩き出した。
一歩。
二歩。
「——ねえ、カイ」
背中に、声がかかった。
振り返ると、フィーネが石段から立ち上がっていた。
けれど、続きの言葉が出てこない。
口を開きかけては、閉じる。
両手が、ケープの裾をきゅっと握っていた。
さっきまであれほどよく喋っていたのが、嘘のようだった。
カイは、黙って待った。
フィーネが、小さく息を吸う。
琥珀色の瞳が、灯り始めたランプの火を映して揺れていた。
それから、思い切ったように、一歩だけ前に出る。
「よかったら私の眷属にならない?」




