第005話 加護なしはお断り
迷宮に潜るには、どこかのシャールに入らなければならない。
それくらいは、カイも知っていた。
シャールというのは、神様を中心に集まった眷属たちの集団のことだ。
同じ神様と契約した仲間同士で組み、迷宮に潜り、稼ぎを分け合う。
村の大人たちの話にも、ときどき出てきた言葉だった。
もっとも、どのシャールも迷宮に潜っているわけではないらしい。
武器や防具を打つことを専門にしたシャールもあれば、ポーションのような薬を作って売ることを専門にしたシャールもある。
迷宮に潜る者たちは、そういうシャールから装備やポーションを買い揃えて、闇の底へ下りていくのだという。
カイが入りたいのは、もちろん、迷宮探索を生業にしているシャールだ。
依頼の仲介や、迷宮で手に入れた品の買い取りをしているのは、ギルドという別の組織らしい。
けれど、迷宮に潜れるのは、どこかのシャールに属している者だけだ。
だから、まずはシャールに入る。
そして、迷宮に潜る。
稼ぎたいから、ではない。
……いや、お金はもちろん欲しい。
けれど、カイが迷宮を目指す理由は、もっと別のところにあった。
加護というのは、もともと迷宮と戦うために、神様たちが人間に授けたものだ。
村の子どもでも知っている、昔からの言い伝え。
だったら、その加護が自分にだけつかなかった理由も、迷宮の近くにあるんじゃないか。
どうしてそう思うのか、と訊かれたら、たぶん答えられない。
理屈というより、ただの勘だ。
それでも、馬車に揺られている間じゅう、その考えは頭の隅から離れなかった。
加護がなくてもやれると、見返してやりたい気持ちもある。
けれどそれ以上に、知りたかった。
自分はどうして、加護を受け付けないのか。
計画としては、悪くないはずだ。
少なくとも、馬車の中ではそう思っていた。
グラナートに着いた翌朝、カイはシャールの本拠地が並ぶ大通りに立っていた。
石造りの立派な建物が、通りの両側にずらりと並んでいる。
どの入り口の上にも、それぞれ違う紋章を描いた旗が掲げられていた。
剣と盾。燃える鳥。絡み合う蔦。
通りの奥からは、鍛冶場のものらしい槌の音が、規則正しく響いてくる。
その下を、武具を身につけた冒険者たちがひっきりなしに出入りしている。
カイは、一番手前の建物を見上げた。
扉は開け放たれていて、中から賑やかな話し声が漏れてくる。
深呼吸を、ひとつ。
背筋を伸ばして、敷居をまたぐ。
「いらっしゃい。どなたかのお使い? それとも入団希望かしら」
受付の机の向こうで、中年の女性が顔を上げた。
「入団を、お願いしに来ました。エッシェ村から来た、カイ・アッシュグレイといいます」
「あら、若いのに丁寧ね。いいわよ、ちょっと待って」
女性は手元の帳面を開き、羽根ペンをインク壺に浸した。
「年は?」
「十五です」
「今は、どちらの神様の加護を? 村の守護神様から受けたのなら、うちの神様と契約し直す手続きになるけど」
ペン先が、帳面の上で答えを待っている。
加護を持っていることは、最初から決まっている前提の訊き方だった。
……まあ、そうだろう。
十歳を過ぎて加護がない人間なんて、普通はいないのだから。
カイは、膝の横で拳を握った。
ここで嘘をつけば、話は先に進むのかもしれない。
けれど、そんなことをして入れてもらっても、意味がない。
「……ありません。どの神様の加護も、受けられませんでした」
女性の手が、ぴたりと止まった。
「……ええと。ごめんなさい、もう一度いい?」
「加護が、ないんです。十歳の加護の儀で、つかなくて」
「つかなかった、って……」
女性は羽根ペンを持ったまま、カイの顔をまじまじと見つめた。
からかわれているのか、聞き間違えたのか、確かめるような目だった。
カイが黙って見返していると、その目から、少しずつ戸惑いが抜けていく。
笑いもしなければ、眉をひそめもしない。
代わりに浮かんだのは、ひどく困ったような色だった。
女性は、そっと羽根ペンを置いた。
「ごめんなさいね。それだと、うちでは受けられないわ」
「……加護がないと、駄目なんですか」
「駄目、というより……加護のない人を迎えたことなんて、一度もないのよ。どうしていいか、誰にも分からないの」
女性は、言葉を選ぶように少し間を置いた。
「それにね。迷宮は、加護を持った冒険者でも命を落とす場所なのよ。加護なしで潜らせたら、それはもう、送り出すんじゃなくて見殺しにするのと同じだから」
責める口調ではない。
むしろ、子どもに危ないことを言い聞かせるような声だった。
「うちだけじゃないわ。たぶん、どこのシャールでも同じことを言われると思う」
カイは、頭を下げた。
「……分かりました。ありがとうございました」
扉の外に出ると、朝の日差しがやけに眩しかった。
一軒目。
まあ、最初から上手くいくとは限らない。
二軒目のシャールでは、筋骨たくましい大男が応対してくれた。
加護がないと聞くと、大男はしばらく目を瞬かせていた。
「……ない? 一つもか?」
カイが頷くと、大男は太い眉をゆっくり下げて、カイの肩をぽんと叩く。
「悪いな、坊主。気持ちは買うんだが」
本当に、申し訳なさそうな顔だった。
こういう顔をされると、こちらのほうが申し訳なくなってくる。
三軒目は、眼鏡をかけた痩せた男だった。
「契約中の神の御名を」
「……ありません。加護が、ないので」
帳面の上で、ペン先が止まった。
男は眼鏡の奥で一度だけ瞬きをして、それから、何事もなかったようにペンを置く。
「前例がありませんので、お受けできかねます。次の方」
以上。
帳面から一度も顔を上げないまま、話は終わった。
ここまで潔いと、いっそ清々しい。
四軒目では、奥の長椅子に寝そべっていた若い女性が、のっそりと体を起こした。
眷属らしき男たちが、慌てて姿勢を正す。
どうやら、このシャールの神様らしかった。
加護がない、とカイが言った時だけ、神様は眠たげだった目を少し見開いた。
けれど、それ以上は何も訊かずに、カイの話を最後まで聞く。
それから、頬杖をついたまま口を開いた。
「加護のない子なんて、下界に降りてきてから初めて見たわ。……でも、だからこそ迷宮には出せないわね」
神様は、少し考えるように視線を宙に投げた。
「迷宮だけが稼ぎ口じゃないわよ、坊や。この街なら、荷運びでも宿の下働きでも、仕事はいくらでもあるんだから。荷運びなら、日に銀貨八枚は固いわよ」
親切な忠告だった。
たぶん、本心から言ってくれている。
けれど、カイは首を横に振った。
「ありがとうございます。でも……迷宮でなきゃ、意味がないんです」
神様は、少しだけ目を細めた。
それから、また長椅子に寝そべって、ひらひらと手を振る。
話は終わり、ということらしかった。
五軒目。六軒目。七軒目。
断られ方にも、いろいろあるものだ。
気の毒そうな顔。事務的な声。親切な忠告。
この調子なら、そのうち断られ方の目利きになれるかもしれない。
……なっても、何の役にも立たないけれど。
本拠地の並ぶ大通りを歩いていると、ふと、視界の端を何かがよぎった。
人混みの向こうで、明るい色が揺れる。
熟れた杏のような、暖かい色。
カイがそちらに目をやった時には、もう人波に紛れて見えなくなっていた。
カイは小さく首を傾げ、次のシャールの扉に向き直る。
二日目も、三日目も、結果は同じだった。
大通りのシャールは、あらかた回り尽くした。
裏通りの小さなシャールも、片端から訪ねてみる。
答えはどこも、加護がないなら、というところで止まってしまう。
宿は、大通りから三本外れた路地の安宿にした。
素泊まりで、一晩銀貨二枚。
狭い寝台と、隙間風の入る窓がついてくる。
食事を屋台のパンと串焼きで切り詰めても、一日に銀貨三枚近くは消えていく。
四日目の夜、カイは寝台の上で袋の中身をあけてみた。
銀貨が二十枚と少し。あとは、底のほうに銅貨が何枚か。
村を出た時、この袋はもっと重かった。
馬車代と、四晩分の宿代で、もう半分近くが消えている。
村では、銀貨なんて祭りの時くらいしか見ない。
それを皆が、少しずつ出し合ってくれたお金だ。
この調子で泊まり続ければ、あと何日もつだろう。
七日か、八日。
……いや、帰りの馬車代を残しておくなら、もっと短い。
カイは黙って袋の口を縛り、枕の下に押し込んだ。
五日目の夕暮れ。
カイは、街の中央にある広場の隅で、石段に腰を下ろしていた。
今日も、全部断られた。
数えるのは三日目でやめてしまったけれど、たぶん、三十は超えている。
広場には、仕事を終えた冒険者たちが続々と集まってきていた。
今日は銀貨三十枚になった、いや俺は四十枚だ、と稼ぎを自慢し合う声。
屋台から漂う、肉の焼ける匂い。
串焼き一本、銅貨三枚。
……値段から先に考えてしまうあたり、だいぶ追い詰められている。
誰も、隅に座り込んだ田舎者のことなど気にも留めない。
カイは、膝の上で組んだ自分の手を見下ろした。
これから、どうしよう。
あの神様の言う通り、荷運びの仕事でも探すべきなのだろうか。
そう考えかけて、村の畑が頭に浮かんだ。
刈った麦の袋を、自分が一つ運ぶ間に、みんなは三つ運び終えていた。
あの神様は、荷運びなら日に銀貨八枚は固いと言っていた。
けれどそれは、加護持ちが担いだ場合の話だ。
自分が三分の一しか運べないなら、宿代を払えば、ほとんど何も残らない。
……力仕事にも、逃げ道はなさそうだった。
それとも、いっそ村に帰るか。
母さんの顔が浮かぶ。
畑のことは気にするなと言った、父さんの声も。
拳を突き出してきたルッツ。
手紙を書けと言った、グレタ。
……手紙。
まだ、一通も書けていない。
書けるわけがない。
書くことといえば、どこのシャールにも入れてもらえませんでした、くらいしかないのだから。
カイは、大きく息を吐いた。
迷宮の近くに行けば、何か分かるかもしれない。
そう思って、村を出てきた。
けれど、分かるどころか、迷宮の入り口にすら近づけていない。
夕日が、石畳を橙色に染めていく。
広場の喧騒が、少しずつ遠くなっていくような気がした。
ふと、目の前に影が差した。
誰かが、カイの前に立っている。
カイはのろのろと顔を上げた。
少女だった。
年は、カイと同じくらいだろうか。
夕日を受けて輝く、明るいアプリコット色の髪。
それを左右で二つに結い上げていて、片方の結び目にだけ、小さな飾りが光っている。
そして、カイを覗き込む、透き通った琥珀色の瞳。
少女は膝に手をついて身をかがめ、カイの顔をまじまじと見つめていた。
それから、ぱっと顔をほころばせた。
「ねえねえ、きみ! 今日だけで、シャール五軒回って、五軒とも断られてたよねー?」




