↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不完全な女神と加護なしの少年。~迷宮都市グラナートで目覚める力~  作者: s-rush
作戦屋の少女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/36

第030話 四階層

胸当てを着けて潜るようになって、最初の二日は体が少しだけ重かった。


籠手の分だけ短剣を振る腕が一拍遅れる気がする。

胸当ての分だけ屈むのにも手間取る。


三日目には、もう気にならなくなっていた。

重さには体のほうが勝手に合わせてくれる。

シュラムクレーテの体当たりを籠手で受け流し、ネーベルモッテの群れを抜けて、気がつけば三階層を一回りできるようになっている。

防具と重さのない短剣があって、それに体が慣れてきたからだろう。


それから一週間ほどが過ぎた。




「四階層に下りてみたいんです」


夕方のターフェルで匙を置いてから、カイは切り出した。


「いいと思いますか」


向かいで芋の皮を剥いていたヴィルマは手を止め、ナイフを持ったままカイの顔をしげしげと眺めた。


「……カイがそれを聞いてくるとはねえ」


「え」


「なんでもない」


目を細めて、ヴィルマは剥きかけの芋を籠に戻した。


前の自分なら聞かずに下りていた。

今は決める前に誰かに聞ける。


「じゃあ、こっちからも聞くよ。三階層で合図は出てるかい」


「最近は出てません。出る前に上がるようにしてます」


「帰り道の分は」


「いつも残ってます。……残るように、早めに切り上げてます」


「一日の終わりに、足は」


「重くないです。塔の階段も普通に上れます」


ヴィルマは一つ答えるたびに小さく頷き、最後にカイの肩から膝までをざっと見る。


「装備も合ってきたみたいだね。立ってる時に体がぶれてない」


それから指を一本立てる。


「一日目は見に行くだけ。戦いに行くんじゃないよ」


「はい」


「それと、下りたらまず戻る道を頭に入れな。角を曲がるたびに振り返って、どっちから来たか確かめる。帰り道を何かにふさがれたらどうなるか、もう知ってるだろ?」


傷のある魔物が自分と階段のあいだに立った日を思い出して、カイは黙って頷いた。


「何が出るかは窓口で聞いときな。あたしは、四階層の今の様子までは知らないからね」


「四階層か」


厨房から出てきたブルーノが、どんと皿を置く。

焼いた肉がいつもより一枚多い。


「下りる前の晩は肉だ。決まってる」


それだけ言って、のしのしと厨房へ引き上げていく。


「決まってないでしょ、そんなの」


帳場から声を飛ばしたロッテは、そのままカイの胸当てをじろりと見た。


「その胸当て、もう傷が増えてきたじゃない。……で、結局いくらしたの。何回聞いても教えてくれないんだから」


「……言いません」


「けち。まあ、怪我して来なくなるよりは安いでしょ」




翌朝、ギルドの窓口に寄った。


「四階層です。初めてなので、今日は様子を見るだけにします」


イルゼは申告をそのまま書き留めると、羽根ペンを置いてカイのほうへ顔を上げた。


「四階層では、ハルクレーエという魔物が確認されています。黒い鳥で、天井近くにとまっていることが多い魔物です」


「鳥、ですか」


「一羽は弱い魔物です。ですが、鐘のように響く声で仲間を呼びます。数が増えると、足元と頭上の両方に気を配らなければなりません」


帳面の行を指で一つ下へ送って、イルゼは続けた。


「声を上げられる前に見つけること。それが一般的な注意です」


「四階層!?」


奥の扉からフィーネが飛び出してきた。


「フィーネ様」


名前を呼ばれただけで、フィーネは「はーい」と引っ込んでいく。

閉まりかけた扉の隙間で、ひらひらと手だけが揺れている。


カイは小さく手を振り返して窓口を離れた。




四階層は三階層とよく似ていた。


石の通路が続き、ところどころに洞窟が口を開けている。

壁がうっすらと光っているのも同じだ。

違うのは天井の高さで、見上げると、光の届かない暗がりが頭の上にぽっかりと広がっている。


角を一つ曲がるたびに振り返って、壁の割れ目や崩れた岩を、来た道の目印として一つずつ覚えていく。


二つ目の角を過ぎたあたりで、低い唸り声がした。


通路の先に、ケッセルヴォルフが三頭いる。

真ん中の一頭が正面で牙をむいて吠え立て、その陰で左右の二頭が壁沿いにじわりと回り込んでくる。


知っている群れ方だ。


カイは正面の一頭を放っておいて、左から回り込んでくる一頭へ踏み込んだ。

飛びかかってきた鼻先を籠手で払い、がら空きになった喉元へ短剣を入れる。

振り向きざま右の一頭の牙を半歩でかわして、首の付け根を斬る。

仲間が消えたのを見て、正面で吠えていた一頭が一瞬だけ足を止めた。

その一瞬で、三頭目の首にも刃が届く。


二階層で初めてこの群れに転ばされた日が、ずいぶん遠い。


「……慣れた、かな」


息を吐いて、魔石を拾おうと屈みかけた時だ。


頭の上で何かが動いた。


天井近くの岩の出っ張りに黒い鳥がとまって、ゆっくりと首をもたげている。

目が合った、と思った。


しまった、と思う間もない。


鐘を打ったような声が、通路いっぱいに響きわたった。


ごおん、と石の壁が震える。

耳の奥まで揺さぶられて、カイは思わず肩をすくめた。


羽音があちこちから集まってくる。

暗がりから暗がりへ黒い影が渡ってきて、天井の岩にとまる鳥は、あっという間に四羽になった。


そのうちの一羽が降ってくる。


とっさに籠手を上げると、くちばしが金属を叩いて硬い音が鳴る。

払いのけても、鳥はすぐに天井へ舞い上がる。

短剣を伸ばしても跳んでみても、刃は届かない。

入れ替わりに別の一羽が降りてくる。


通路の奥からは、鐘の声に引かれたケッセルヴォルフがもう二頭駆けてくる。


上を見れば、足元の狼が見えない。

狼を見れば、頭の上の鳥が見えない。

目は二つしかない。


くちばしが肩口をかすめ、胸当ての上でかつんと鳴る。


息はまだ上がっていないし、足も重くない。

アーベントロートは重くならないので、刃の合図は振る腕のほうで確かめる。

その腕も、まだ振るのを嫌がっていない。


それでも、今日は見に行くだけの日だ。


カイは飛びかかってきた狼を一頭だけ斬り払って、後ろへ下がった。

覚えてきた目印を逆にたどっていく。

帰り道には何も立っていない。


下りてきた所に一番近い角を曲がったところで、羽音がふっと遠のいた。

振り返ると、黒い影たちは天井の暗がりにとまったまま、こちらへは降りてこない。


追ってきたのは狼が一頭だけだ。

頭の上を気にしなくていいなら、もう怖い相手ではない。

踏み込んできた牙をかわし、すれ違いざまに脇腹を斬り払う。


狼が消えるのを見届けてから、カイは壁に背中を預けてようやく大きく息を吐いた。


籠手の甲には白い引っかき傷が何本も走り、胸当てにも小さなへこみが二つできている。

肩口の服が裂けて、その下が少しだけひりひりする。


防具がなかったら、どうなっていただろう。

へこみの一つを指でなぞる。

あの日、窓口で記録をめくっていたイルゼの声が、耳の奥で聞こえた気がした。




「戻ってきたのが正解だね」


夕方のターフェルでカイの話を最後まで聞き終えると、ヴィルマは短くそう言った。


「上と下を一人で両方見張れる奴なんていないよ」


頬杖をついて、ヴィルマはカイの籠手の引っかき傷を眺める。


「四階層から先は組んで潜るのが普通なんだ。一人が上を見て、一人が下を見る。数が多けりゃ後ろを見る奴もいる」


「組んで……」


「組める相手がいれば、だけどね」


カイは何か言おうとして口を開いた。


加護なしと組んでくれる人なんて——。


この街に来たばかりのころ、いくつのシャールの戸を叩いただろう。

加護がないと言うたびに、相手の顔から笑みが引いていった。

あれから何も変わっていない。

変わったのは神様と短剣と防具くらいのものだ。


カイは言いかけた言葉を飲み込んで、口を閉じた。


ヴィルマは芋の籠を膝に引き寄せて、次の一つにナイフを入れた。


ブルーノがやってきて、黙ってカイの皿に肉を一枚足していく。




店を出ると夜の空気が頬に冷たい。


白い息を吐きながら、塔へ続く道を歩く。

腰の短剣に手を置いてみる。

この刃は天井まで届かないし、目は上と下を同時には見られない。


組める相手なんて、と思う。


それでも、明日も窓口に寄ってから潜る。

鳥に見つかる前に見つけるやり方が、一人でも何かあるはずだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。