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8-3

「なーんで俺が『ディーラー』だってバレちゃったのかなぁ」


 病院屋上。

 事故自殺防止のためだろうか、高く張り巡らされた背の高いフェンスが屋上の床に細かい格子状の影を落とす。

 そこに背中を預けて座り込んだミズキが、隣でフェンス越しにリッパーズストリートを見下ろすリクに問う。


 リクは少し口を開け、そして言葉を選ぶように眉をしかめる。

 そしてゆっくり身を反転させて、ミズキと同じようにフェンスを背にしゃがむ。


「『第二の脅迫者』の目的と正体を考えていた時に、誰が一番都合がいいのかを考えてみたんだ。

 そいつの目的は、ゲームの続行だろ」

「『Quga』や降谷先輩の目的だって、同じだっただろ」


 『ディーラー』と『第二の脅迫者』の共通点。

 そこからミズキに繋がる線をリクが見出したのは数時間前だった。

 ミズキの指摘にリクは頷く。


「そうだな。

 あの二人っていうか、あの人たちはプレイヤーに助言することで、ゲームを『Ripper』達の思い通りにならないように誘導したり、プレイヤーの人数を増やすことで俺への危険が減るようにしていた。

 だけど『第二の脅迫者』がしたように、誰かを傷つけてまでゲームを続けさせようとするほどじゃない。

 ならプレイヤーが減って一番困るのは誰かって考えたら、ゲーム進行役の『ディーラー』じゃないかって思ったんだ」


 いつものリクとは違い、その口調はどこか感情を抑えたような話し方だった。

 ハルとリク。

 似ていないと兄弟だとミズキはずっと思ったが、こんな風に喋る姿は少し似ている気がしなくもない。

 どこか他人ごとのように彼は思った。


「『ディーラー』の目的は分からないけど、とにかくゲームを続けさせたいんだなって思った時、なんで俺が脅迫対象として選ばれたのか、考えてみたんだ。

 んで、兄貴が言ってた言葉を思い出した。

 『お前は黙ってても目立つ』って。

 その言葉を何度か言われたんだよな、ゲーム中に。

 俺を選んだ理由は、俺が目立つから。

 俺にプレイヤーをさせることで、他のプレイヤーに影響を与えようとしてたんだって。

 なら次は、誰が俺にそんなことをさせたのか、だろ?」


 リクは雨上がりの切れた雲を見上げて、少し口ごもる。

 珍しく日が差してきたというのに、リクの顔は曇る一方だ。


 お人好しだな、とミズキは思った。

 こんな目にあっても、リクはミズキを責めようとはしない。

 むしろ口に出すことでミズキを傷つけるのではないかと恐れさえしている。

 だから俺みたいな馬鹿に利用されるんだ、と苦い悲しみを押し殺すようにミズキが無理に苦笑しようとする。


 リクは続ける。


「たしかに俺は目立つけど、それ以外にも目立つ人間はいるだろ。

 それこそ降谷先輩とかさ。

 だから俺を選んだのは、俺の周りにいるヤツだろうなって思った。

 ならその中で、一番俺とゲームを操りやすい人間誰だろうって。

 もっと具体的に言えば、俺やミズキの写真を手に入れやすかったり、撮影所で俺のカバンに写真を仕込んだり、ミズキに怪我をさせやすい人間。

 そして、自分の都合でゲームのタイムラグをいじれる人間は誰だろうって」


 ミズキの写真なら、当然彼自身が持っている。

 リクの帰り道も撮影所の事情もミズキがよく知っている。

 人の目を盗んできちんとセットしてある照明を倒し、且つ重症にならないように調節できるのは、他ならぬ本人だ。

 そしてハルから言い渡された用事で手が離せなくなった数十時間、不自然な長さのタイムラグを設定できるのは、『ディーラー』の特権である。


 そこまで行き着いて、やっとリクはハルの言葉を理解したのだ。

 『知らなくて良いこともある』

 兄はその一例をリクに見せたのだろう。


 自分自身の友人が全ての元凶であり、その目的のために利用されたのだということを、リクは自ら暴いてしまったのだ。


「はは、なるほどねぇ。

 結構やるじゃん、お前。

 お兄様にはバレてるだろうなって思ってたけど、まさかお前にバレるとは思ってなかったよ」


 いつもの軽い口調でミズキが言う。

 いつもならつられて笑うかさらに渋い顔をするリクだったが、その表情は変わらない。


 リクが身体の力を抜くと、重力のかかったフェンスが鈍く軋む。

 事件の真相を、その正体を暴いても、彼の中ではまだ消化できないものがあった。

 いつも隣にいたミズキの本心。

 一体彼はどんなものを抱えて、リクの傍で笑っていたのだろうか。

 兄に対して抱いているものと似た感情をリクは覚えた。


「俺に分かったのはここまでだ。まだ分かんねぇことがある」

「なんだよ」

「お前は、先生に何をしたかったんだ?」


 リクの問いにミズキは少し肩をゆすって笑う。

 相変わらず彼の表情は笑っていたが、その目から軽さは消えていた。

 まるで張り付いたような表情で、ミズキは口を動かす。


「……何を、か」


 自分の中に溜まりに溜まった黒くて汚いもの。

 ミズキは分かっていた。

 もうどうしようもないこと。

 例え証拠が揃っていても畑山を罰することは出来ないと。

 だから姉の復讐だなんて、半ば諦めていた。

 それでも彼は、このゲームを通して畑山の罪を彼女自身に向けて告発し続けたのだ。


 分かっていても、ゲームを始めて、そして続ける理由が彼にはあった。


「……アイツはさ。

 あの女は、多分これからも罪に問われず生きていくんだろうなって思ったら、我慢できなかったんだ。

 誰かと笑ったり泣いたり先生ぶったり。

 自分の罪に背中向けて、分厚い壁に守られて、その壁で誰かを追い詰めて抑えて傷つけて、そうやって楽しく生きてくんだって。

 でも俺にはどうしようもなかった。

 警察さえ手が届かないんだ。


 だけど、このまま……このままアイツが罪を忘れて生きていくのだけは、どうしても許せなかった。

 姉ちゃんは一番楽しい高校生活を、アイツに奪われたのに」


 ミズキの言葉はいつもの軽さを失い、吐き出される声は鉛のような冷たい重さを持っていた。

 笑った状態で止まった面を被った顔の中で、唯一その目だけは別の生き物のように目まぐるしく動く感情を抑えるように歪んでいた。


「だから、味わわせてやりたかった。

 追い詰められる人間の気持ちを。

 誰かに見張られて脅迫される恐怖を。

 姉ちゃんが味わった苦しみの、ほんの一部分でもいいから思い知らせてやりたかった」


 真実の言葉は、まるで血を吐くように紡がれる。

 リクは黙って友人の言葉を待つ。


「復讐なんて諦めてたから、アイツに実害なんてなくてもよかった。

 ただ、自分のしたことを忘れないで欲しかった。

 誰かがお前のやったことを知ってるんだって思わせることで、少しでもいいから罪悪感を感じて欲しかったんだ。

 アイツのどこかに、消えない小さい切り傷を付けてやりたかった」


 そこまで言い切ると、ミズキは疲れたように首をがくりと落とす。

 ゆるゆると首を振ると、両手で顔を覆って苦しそうに息を吐きながら、リクと同じように空を仰ぐ。


「まさか、あんな展開になるなんて思ってなかったけどなぁ」


 貼り付けるようにして浮かべた笑い顔は、変な風に歪んでいた。

 だがそうでもしないと溢れる感情が抑えられそうにないのか、無理やりミズキは肩を揺らして笑う。


「これから、どうするんだ」


 そんなミズキに顔を向けずにリクが問う。

 ミズキは覆っていた手を取って、雲間から差し込む薄らいだ光をぼんやりと見つめた。


「そうだなぁ。

 怪我人出たし、レイプ未遂も起こっちゃったしなぁ。

 こういうのってどこで言えばいいんだろう。やっぱり警察なのかな」


 まるで他人ごとのような口調だった。

 おそらく彼もその後の事をどこかで考えていたのだろう。

 ただ元の頭が良くないからか、結論にはたどり着かなかったようだ。


「お前が切り裂き事件を起こした訳じゃないだろ」

「俺がゲームを止めていれば、被害は出なかっただろ。

 覚悟は、してたし」


 まるで珍しいものでも見るかのように、ミズキは空の光を目をゆっくり瞬かせて遠い目で見つめている。

 やり遂げた後の抜け殻のような友人に、リクは目を向ける。

 ちょうど上を向いていたミズキと目が合う。


「俺さ、四年前の切り裂き魔事件の記憶ないって、言っただろ?」

「え? あぁ」


 いきなりリクが、自分の事件の話はじめる。

 こうやって話をぶった切る癖も、割と兄譲りだよなとミズキは少し目を丸くする。

 しかしリクは友人がそんなことを思っているとも知らず、少し拗ねたような表情をする。


「なんで覚えてないか、思い出したんだ」

「へぇ、頭でも打ったのか?」


 その事件は彼にとってデリケートな話だろう。

 以前雨の中で泣きそうになっていたリクの姿を思い出す。

 だが今のリクからはそれが窺えない。

 また兄弟の中で何かが変わったのだろう。


「兄貴が忘れさせたんだ。

 あの時の兄貴は俺にとって神様みたいなもんだったから、兄貴が忘れろっていた言葉を鵜呑みにして、自分の記憶に鍵をかけたんだ。

 ……そう言っても、お前には分からないと思うけど」


 確かに、他人から忘れろと言われて忘れました、というのはミズキには理解できなかった。

 リクにとって彼自身の領域を半ば預ける兄の言葉だからこそ成立したのだ。


「兄貴が『忘れろ』って言ったんだから、兄貴が『思い出せ』って言ってくれれば、きっと俺は思い出せるってさ。

 だから『思い出せ』って言ってくれって、頼んだんだ」

「言ってくれたのか? お兄様」


 その言葉にリクが小さく肩をすくめる。

 少しふてくされるように、唇を尖らせながら、


「まさか。『お前は知らなくていい』の一点張り。

 知らなくてもいいことだってあるんだって、そう言ってさ」

「そりゃまた、なんていうか」

「自分勝手だろ?」


 ミズキが言い淀んだ言葉を、リクが片目を細めて口に笑みを浮かべながら継ぐ。

 いつもの友人の笑顔に、ミズキは少し安堵するのに気づく。

 リクは、兄との会話を思い出してまた笑う。


「兄貴も自分で言ってたよ。

 『知らなくていいなんて、知ってる人間のエゴ』だって。

 でも、兄貴はエゴだって分かってても言わないんだ。

 真実を知って、俺が変わってしまうのが怖いんだって。

 俺がまだその事実に耐えられないから、知ってしまうことで俺が自分を失ってしまうのが怖いんだって。

 だから俺がちゃんと強くなるまで、兄貴は待ってくれって言ってた」


 兄からその言葉を聞いた時、リクは半分納得しながら、どこかで理解できない自分がいた。

 だが、それが今ここで分かった。

 

 兄はあの事件で決意した。

 善も悪も生も死も清濁構わず飲み込み、成すべきことを成す。

 たった一人の家族であるリクにさえ知ることが出来ない、知ってはいけないものがそこにはある。

 それが大きすぎたから、兄は弟に背を向けた。


 きっと友人も同じだったのだろう。

 リクは笑うのをやめて、ミズキに向き直る。


「なぁミズキ。

 お前が正しいか正しくないのか、お前の罪が罰せられるべきなのかどうかなんて、俺には分かんねぇよ。

 だけどお前が真実を喋ったって、何も終わらないし、何も始まらない。

 むしろお前の真実は、お前の姉ちゃんを傷つけるだけだ。

 それでなくてもお前の姉ちゃん、自分のせいで家族がバラバラになってるんだぜ。

 その上、自分のせいで弟が間接的にでも誰かを傷つけたなんて知ったら、姉ちゃん可哀想すぎるだろ。

 俺ならきっと、自分なんていなかったら、ってそう思う」


 その言葉にミズキが唇を噛んで下を向く。

 自分が罰せられるなら良い。

 覚悟はしていた。


 だが、それが当の姉自身を苦しめるとしたら。


「姉ちゃんの苦しみは、お前が一番知ってるんだろ?

 なら姉ちゃんの願いだって、一番お前が知ってるはずじゃないのか?

 違うのかよ」


 ミズキは姉の日記を思い出す。

 髪の色を戻して、ピアスを外して、昔の自分になって、家族に夕食をごちそうするんだって。

 もう家族全員が揃うのは無理かもしれない。

 だけど、自分ならば。

 姉の苦しみと願いを受け継いだ自分ならば、それを叶えてやれる。

 何時の日か目覚めた姉に、彼女のささやかな願いを笑顔で受け止めてあげることが出来る。


「いいのかな、それで」


 ミズキの罪は、誰かに罰せられなければならないのではないのか。

 彼自身、正直それを望んでいた。

 そこで初めて、この事件は終わると考えていた。


「いいんじゃないか、それで」


 事も無げに、だけど確かな重みでリクが返す。

 その言葉にミズキが呆れたように笑う。


「お前さ、お人好しすぎない?

 俺、お前のこと騙して利用してたんだぞ?

 もっと怒鳴るとか怒るとか揺するとかタカるとか殴るとかさ、俺にやり返してやろうって感情はないの?」

 

 ゲームに巻き込み、自作自演の狂言芝居で心底心配させ、そして彼のもっとも触れられたくない傷を暴いてしまった。

 なのにリクは一言もミズキを責めない。

 それどころか彼を気遣い、そして励まそうとする。


 そんな彼を利用して目的を達した自分は、何と醜いのか。

 後悔はしないと決めたのに、そんな彼を前にしてはどうしたって罪悪感で潰されそうになる。


 呆れたように、怒っているように、混乱しているように、彼は笑う。

 それが痛々しくて目を背けそうになったが、リクは首を振ってそのまま真っ直ぐミズキの目を見た。


「そうしてほしいならするけど、でもお前、もうとっくに苦しんでるだろ」

「っ!」


 ミズキが笑いと一緒に言葉を飲み込む。


「お前は俺に、何度かゲームを辞めろって言ったよな?

 俺が昔の事件の事で悩んでる時とか、『Ripper』に襲われた時とか。

 俺を利用しようとしたくせに、俺が傷つくのに耐えらんなかったんだろ。

 でも俺は辞めなかった。

 それどころか自分からガンガン前に進んで行っちまった。

 引き返そうとしたお前を一緒に連れてきたのは、俺だ」


「んなこと、ねぇよ。

 押せば終わらせられるスイッチを、結局俺は最後まで押さなかった」


 ミズキの足の間で組まれた両手の指が、白くなるほどに食い込んでいた。


「俺は自分がやったことを、正しいとは思ってない。

 だけど、間違ってるとも思ってない。

 あの時ゲームをはじめなければ、俺は一生悔やみながら生きていたと思う。

 俺はやるべきことをやったんだ」


 だからこそ自分を罰する他人がほしい。そうミズキは望んでいた。

 ミズキ自身が、自分の罪を悔やんでいないから。

 間違っていると認めるわけにはいかなかったから。

 他の誰かにケリをつけてほしかった。

 終着点が欲しかった。


 組まれたミズキの指は祈るように固く、そして少しだけ震えていた。


「……でも、苦しかっただろ」


 もう一度、リクが言う。

 やめろ、とミズキは叫びたかった。


 苦しくて当然なんだ。

 人が傷ついているのに、やめなかったんだから。


 この数週間、まともに寝られなかった。夜中に起きては、何度も吐いた。

 彼が始めたゲームなのに、彼の手の届かぬところで繰り広げられる心理戦。

 思惑のつかめない『Ripper』や『BlueButterfly』。

 レールを外れていくゲーム。

 増える怪我人。


 親友を騙し、さらに彼の最も深い傷口を抉り出してしまった。

 作り笑いで強がるリクを見て、彼は何度自分を呪っただろう。


 だが、全ては彼自身が起こした出来事だ。

 それを許すような口調で、苦しかっただろなんて、言わないで欲しかった。

 裏切られたくせに、自分のせいだなんて、言わないで欲しかった。

 罵って罰して欲しかった。


 そこまで思って、ミズキが気づく。

 あぁ、これが罰なんだと。

 誰かじゃなくて、自分で認識しなければいけない。

 正しいか間違いかではない。

 誰かを傷つけてしまったという事実を。

 罰せられることで許されてはいけないということを。

 ずっとこの苦しみを抱えて行かなければいけないということを。


 ずっと憎かった畑山に背負わせた罰を、自らも背負わなければならない。


「そうか。

 これで、いいのか。

 ……こうじゃなきゃ、駄目なんだ」


 握った両手の間に、溢れた涙が落ちる。


 三年間ずっとこらえてきた涙だった。

 それが悲しみなのか苦しみなのか、ミズキには分からなかった。

 ただ、三年間溜まり続けて行き場を失っていた感情が、ようやく形となって外に出ることが出来たのだと感じた。

 一旦溢れだした感情は体中に溜まった全てを吐き出すように、白くなった拳に落ちて濡らす。


 この事件に終わりなんてない。

 またミズキが予想もしなかった方向に物事が動いてしまった。

 だけどその結論に、彼は心の底から納得した。

 

 爪が食い込んだミズキの手の甲に、骨ばって大きな、だが温かく優しい手が重なった。

 高い長身を屈めたリクが、ミズキと同じ高さの目線にいた。


「ネイビスの優勝所は、俺だよな?

 『Ripper』はいなくなっちまったし、当然だよな?

 ってことは、賞金は俺のもんだよな?」

「なんだよ、急に」


 ニヤっと意味ありげに笑うリク。

 何を言い出すのかと、ミズキは鼻をすすりながら赤い目をリクに向ける。


「馬鹿のクセに、一人でどっか行って何とかしようだなんて考えるなよ?

 友達割引の分割で、お前には俺に賞金を払い続けてもらうんだからな」


 顔を上げると、これからの季節にぴったりな、太陽のように白い歯を見せて笑うリクがいた。

 その顔に、ほんの僅か、ミズキは自分のできる限りのひどく歪な笑顔を返して、大きな手に縋るように額を付けた。


「馬鹿はお前だろ。

 ばーか、ばかばかばかばかばか、ありえねぇ馬鹿。

 本当馬鹿だよ、お前」


 雲間から差していた光は、暗い塊を力強く割るようにして大きく広がっていた。

 彼の涙が止まるころには、晴れていてくれるだろうか。

 

 今後重い荷物を背負って歩いていく友人の旅路が少しでも穏やかであれば良いと、リクは思った。

 

 

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