8-2
少し年の離れた姉、奈々。
特に仲の良い姉弟というわけではなかった。
付かず離れず、時に口うるさく言ってくる姉をうっとおしく思い、おそらく向こうも何かしら些細なミズキの欠点を疎ましく思っていただろう。
だが嫌い合っているわけでもなかった。
お互いに軽口を言い合いながら、当たり前のように家に集って生活をする。
普通の家族と言うのはそんなものなのだと、彼は思っていた。
姉を失うまで、家族の在り方なんてそもそも意識すらしたこともなかった。
姉は本来あまり外に出る質ではなく、家の中で本を読むことが好きな少女だった。
一番思い出す姉の姿は、リビングのソファの上で小さくなって文庫本を読んでいるものだ。
ミズキとは違い、勤勉な性を持つ姉は常に中学では上位を保つほどであった。
それが変わったのは、彼女が志望校の星華高等学園に落ちた時だろう。
勉強のできる彼女は口には出さなかったが、心の底では馬鹿にしていたであろう陽光学園に通うことになった。
入学してわずか数ヶ月で服装が派手になった。
髪を染めてピアスをして、夜中に繁華街でたむろする女子高生と同じような化粧をするようになった。
口の利き方も鋭くなり、ミズキが寝付いた後に姉と両親の言い合う声が聞こえるようになった。
そしてその矛先が、弟のミズキにも向くようになる。
やがて両親や弟と言い合うことさえしなくなり、姉は外に出ているか部屋に閉じこもるようになってしまった。
それをきっかけに当たり前の家庭だと思っていた、その当たり前がどんどんと冷えていった。
姉が遅くまで帰ってこないことが日常になっていた頃だっただろうか。
あの、廃倉庫での切り裂き事件が起きた。
両親とミズキが病院に着いた時、姉は既に幾つものチューブを介して重苦しい機械に繋がれていた。
ミズキが思っていたよりも、随分と痩せてやつれているように感じたのを覚えている。
警察から聞かされた話に家族、特に両親は愕然としていた。
姉が陽光学園で評判の良くないグループに属していたこと。
彼女らの間で援助交際やドラッグが蔓延していたこと。
組織ぐるみの非行グループ内のトラブルで、姉は刺されたのだという。
突然のことでミズキ自身も混乱していた。
両親は彼以上だっただろう。
犯人はまだ捕まっていないという警察の説明には、まだ子供のミズキでさえも納得ができないことが幾つもあった。
だが結局は街から離れた廃倉庫での犯行のため、目撃者もおらず、証拠となるようなものは一つも出てこなかった。
何もかも分からず、姉はただ目の前の白いベッドで静かに目を閉じている。
仲が良かったわけではない、特にここ最近は。
だが、もどかしかった。
ただただ一方的に自由を奪われた姉と、今も自由を謳歌している切り裂き魔。
不条理で不公平だと感じた。
姉と最後に話したのは何時だっただろうか。
それすら容易に思い出せない自分は、なんて薄情なのだろうとミズキは思った。
だからといって、ただの少年であった彼に何が出来ただろう。
その時の彼にできることなど、何も無かった。
複雑な感情が入り交じるミズキが真実に触れたのは、事件から数日後だ。
姉の着替えや私物を取りに彼女の部屋に入り、そこで彼女の日記を見つけた。
悪趣味かと思ったが覗き見させてもらうと、その中に彼女の苦しみがあった。
馴染めぬ空気に染まるため、自分に嘘をつき媚びへつらって有力なグループに入ったこと。
比較的頭が良かった姉が、グループのリーダーだった畑山に気に入られていたこと。
それでも金ほしさにドラッグや体を売ることはしなかったこと。
畑山にカメラを仕掛けさせられ、そしてそのネタでグループ内の仲間が脅されていたこと。
そして何人かの仲間が、畑山の手によって暴行や強姦の被害にあったこと。
仲間が離れつつあるグループ内にあって、畑山が危機感を感じていること。
グループの意志を図ろうとする彼女の前で、もはや自分だけがドラッグや援助交際をしないはと言えなくなりつつあること。
だがそれでも出来ず、意を決してグループを抜けようとしたこと。
畑山の親が警察と繋がっているから、小さな証拠を重ねても無駄だということも知っていた。
しかし自分には、カメラを仕掛けた場所が分かっている。
その映像も知っている。
その事実をネットで公表しない代わりに、グループを抜けることを提案できないだろうか。
グループを抜けたら、髪の色を戻してピアスも外して、バイトをしてお金を貯めて、心配させた家族に夕食をご馳走しよう。
『ごめんなさい。お父さん、お母さん。
星華に落ちたこと、平気な顔をしてたけど、本当はすごく恥ずかしかった。
二人を失望させてしまって、その時から面と向かうことが出来なくなった。
みんなの視線が怖い。
ミズキなんて、もう目も合わせてくれないけど。
私、馬鹿だったな。
なんでこうなっちゃったんだろう。
もう遅いかな。
まだ間に合うなら、今度こそ自慢の娘で、自慢のお姉ちゃんになりたい』
日記はここで終わっていた。
自分の不幸を家族に当たり続けた姉を、ミズキは勝手だと思っていた。
確かにそういう部分もあっただろう。
だが同じ家の中にいたのに、姉の想いをミズキは一つも知らなかった。知ろうともしなかった。
何か出来たであろう可能性を、ミズキはただ緩慢と見過ごしていたのだ。
その結果、彼女は凶刃に伏すこととなった。
ミズキは姉が刺された廃倉庫に走った。
そこも姉が指摘していたカメラの場所であり、唯一証拠となる映像が残っている可能性があったからだ。
もしかしたらまだカメラが残っているかもしれない、その一縷の望みにかけて。
手早過ぎる捜査の済んだ後の倉庫に入ると、日記の記述通りの場所に足を運ぶ。
倉庫全体を見下ろす場所に、廃品に支えられるようにして仕掛けられた隠しカメラを見つけた。
映像は、撮れていた。
姉が畑山に刺される場面も。
震えてカメラを落としそうになりながら、ミズキはその映像を目に焼き付けた。
無意識に目を閉じようとする逃避の本能を、血が出るまで唇を噛んで押さえ込んだ。
その顔を、姉を奪った顔を、決して忘れないために。
この事件が決定的なきっかけとなり、ミズキの両親は離婚した。
姉とともに父親の方につくことを勧められたが、一人ぼっちになる母親を放ってはおけず、彼は母方に引き取られ、そして姓も変わった。
生活が厳しくなった母親を、ミズキは収入源の良いモデルで稼いで賄った。
しかし事件から三年が経ち、姉の想いも犯人も分かっているのに、彼は何もできなかった。
姉の日記にも書いてあったが、それほどまでに畑山の親の力は強かったのだ。
しかも畑山自身は既に県外の大学に進学しており、手を出すことが出来ない場所にいた。
あの日から、姉の日記の言葉は濁流のようにミズキの中に流れ、そして低く暗い場所で渦巻き続けた。
モデルという仕事は人を引き付けると同じくらい人を遠ざる仕事だ。
どちらの立場も選ぶことが出来たが、仕事柄後者の方が楽だと感じたミズキは、高校に入ってしばらくの間は友人のいない日々を送っていた。
そのうち同じようなはぐれものと仲良くなったが、その彼にも何かを話すことはできなかった。
数年間どこかに置いていってしまった学生らしい楽しみを思い出せたが、未だに彼の胸の内ではタールのような黒い液体が留まることなく、滔々とたまり澱み続けていた。
このまま姉と共に、自身も暗がりに落ちるのではないか。
そう思っていた時だった。
教育実習生としてミズキのクラスに配属された畑山の顔を見た時の衝撃は、声を上げなかった自分を褒めてやりたい程だった。
この街は魔力があるだの呪われてるだのと散々言われている。
もし本当に何か大きな力があるのならば、この出会いはその力が与えてくれた、最初で最後のチャンスなのだろう、そう彼は感じた。
そして、何かがミズキの中に降りてくるかのように、一つの計画が出来上がった。
コードハント。
これを使って、あの女を追い詰める。
だが計画にはいくつかの穴があった。
まず彼女は教育実習生だ。生徒が行うゲームに目を向けないかもしれない。
とするとゲームに誘い込むための餌が必要だ。
それも教育実習期間という限られた時間を削ることなくゲームに目を向けさせるほどの、大きな餌。
思いついたのが、一人の男だった。
友人がいない時分、校舎裏で一人昼食を取ろうとしていた時に、彼はある男の怒鳴り声を聞いた。
比較的不良が多い陽光学園で、殊更人相が悪い顔にも見覚えがある。
その不良は誰かを脅すようにして話していたが、話し声が一人だったから、恐らく電話だろう。
立ち竦んで聞こえたワードは、「黒狼」「切り裂き魔」「共犯」……等々物騒なものだった。
話を聞いていると、どうやら数週間前に発生した黒狼の幹部切り裂き魔事件についてであり、男がその主犯らしい。
今にして思えば、電話の相手はおそらく共犯の巳堂悟だったのだろう。
驚くべきことだったが当時のミズキにできることなど無く、ましてや黒狼絡みの厄介事を背負い込むのは勘弁とばかりに、すぐに立ち去った。
彼ならば良い餌になる。
この男に行動を起こさせ、相談という形で畑山にゲームへの興味を向けさせられないだろうか。
そうミズキは考え、「お前の犯行を知っている。現場で待っている」という短い手紙を彼のロッカーに忍ばせると、男――武井崎はすぐに行動に移った。
ミズキはその後を追い、そして黒狼切り裂き事件の犯行現場を特定すると、武井崎が帰った後にコードを書き込み、続いて姉の日記に書いてあった取引場所を巡って、同じようにコードを書き込んだ。
家に帰り、姉の事件とミレニアムナイトの事件、そして一部武井崎の事件を織り交ぜて問題を作った。
準備はほんの数日もかからず、まるで導かれるようにしてスムーズに終わった。
本当に何かに取り憑かれているとしか思えなかった。
ミズキはIDや発信元が分からないようにする方法をネット上で学ぶと、すぐにディーラーとしてのアカウントを登録し、賞金額を今までのコードハントよりも高額でかつ現実味のある十五万円に設定した。
それにのせられてプレイヤーも釣れ、同時に密やかなるゲームの割に話題にもなった。
もしかしたら畑山が、姉とミズキの関係に気付くかもしれない。
そう思い、ミズキ自身がディーラーではないとアピールするため、自分はプレイヤーであることのアピールも忘れなかった。
『Ripper』が現れた時、ミズキはすぐに武井崎だと分かった。
掲示板でプレイヤーを脅すか、暴力沙汰か、何らかの騒ぎを起こすとは思っていた。
だが切り裂き事件にまで発展したのは、ミズキも想定外だった。
切り裂き魔『Ripper』の出現に、プレイヤーが一人二人と減り、そして流されるようにプレイヤーの数が激減した。
これではゲーム自体の存続が危うい。
畑山が興味を持つ前にゲームを中止しなければならなくなる。
そこで考えついたのが、友人リクの存在だった。
ミズキ同様、本人が思っている以上に不本意ながら人の目を引くリクをゲームの誘い込み、彼をプレイヤーに仕立てる。
ゲームに踏みとどまっている人間が目に見える形でいれば、他のプレイヤーも留まる。
問題はネット関係やゲームにあまり興味がなく、図体の割に怖がりなリクをどうやってゲームに引きこむかだ。
これは『Ripper』に便乗させてもらった。
人が良いリクの性格を利用して、ゲームに乗らせ、途中で辞めないようにミズキ自身が切り裂き魔に狙われていると思わせた。
結果は思い通り、いや、それ以上だった。
プレイヤー数の維持だけではなく、畑山をゲームに誘いこむことに成功したのだから。
リクが脅迫状を見て畑山に相談を持ちかけた時に、話題のネタとしてコードサーチの写真を見せた。
あの時、彼女が一瞬動揺する素振りを見せたのを、ミズキは見逃さなかった。
そして彼女が知りえない、第二問目――黒狼切り裂き事件の起きた場所をさりげなく教えると、考えるように顰めていた彼女の口が、一瞬にやりと吊り上がった。
釣れた。
そうミズキは確信した。
そして次の日から一人凄まじい勢いで問題を解く『BlueButterfly』が畑山だと目をつける。
ただここから、ほとんどミズキの予想を裏切る展開ばかり起こるようになった。
弱みを握られていると悟った畑山が、あろうことか『Ripper』を矢面に立たせてプレイヤーのクリア阻止に乗り出した。
そして、『BlueButterfly』と『Ripper』は段々と苛烈な手段を取り始める。
人を使ってプレイヤーを襲ったり、『青い蝶』の真似をしたり、女子生徒をレイプしようとしたり、坂を転げ落ちるようにして大胆さを増していく。
自作自演の脅迫からミズキを守ると言ってくれたリクも、『Ripper』に襲われた。
もはやミズキの手に負えなくなっていく二人の切り裂き魔を見て、さすがにゲームを中止しようと何度も思った。
だがそんな中で、一人、徐々に力を増す切り裂き魔たちに迫る人物がいた。
リクの兄は、『Ripper』しか知らない犯罪、『BlueButterfly』しか知らない犯罪を追い始め、そしてゲームの『本当の目的』に近づきつつあった。
おそらく彼は、『ディーラー』の意図を、早い段階で汲み取っているはずだ。
もしかしたら、とうの昔にあきらめていたミズキの願いが叶うかもしれない。
姉の復讐。
これからまた、誰かが傷つくかもしれない。
今度こそ取り返しの付かない事になるかもしれない。
だが。
ミズキはハルに賭けた。
最後のチャンスなのだ。
ここで終わる訳にはいかない。ここで逃すわけにはいかない。
ヤツらと同じ場所まで堕ちてやる。
もうどうせ、元になど戻れないのだから。
そして昨日。
自分の手から完全に離れた場所で、ミズキは全てに決着が着くのを見届けた。
コードハント:ネイビス。
『NAVES』、ひっくり返すと『SEVEN』。なな。
姉の名を以って仕掛けられたゲームは、彼女を傷つけた切り裂き魔を、遂に破滅へと導いた。




