8-1
長い廊下をリクはゆっくりと歩く。
自分の出した答えが本当に正しいのか何度も確かめながら。
そして『彼』に会った時に何と言えば良いかを考えながら。
白時々パステル調の色合いで囲まれた廊下は、病院独特の消毒臭がする。
医者、看護師、患者そして見舞い客がそれぞれのユニフォームで行き交う中で、リクは小さな花束を下げてその間を縫うように進む。
途中で陽光学園の制服を着たポニーテールの少女がリクとすれ違う。
壮年に差し掛かるやつれた男性、おそらく彼女の父親の体を支えて幸せそうに笑う顔に見覚えがあった。
古馬志乃。
『BlueButterfly』に嵌められた父と、『Ripper』に襲われた娘。
彼らが奪われたもの全てを取り戻すのは不可能だが、それでもその穴を埋めるかの如く寄り添う二人を見て、少し羨ましそうにリクが目を細める。
彼らの声を聴きながら、リクは昨日のことを思い出す。
ハルの部屋で彼から渡された文字の羅列は、とある動画サイトのアドレスだった。
昨日そこにアクセスすると、まさに『Quga』が『BlueButterfly』を追い詰め、そして破滅へと追いやる場面がリアルタイムで放送されていた。
『BlueButterfly』、教育実習生としてリクたちの担当でもあった、畑山歩。
明るくて良い先生だとリクは思っていた。
相談にも乗ってくれた。
だからはじめは『Quga』が何を言っているのか、彼には理解できなかった。
いや、したくなかったのだろう。
だが『Quga』に事件について迫られ、リクを含む多くの人間に見られているとも知らずに、徐々に正気をなくし、ついに罪を認めて開き直る姿が大きく映った瞬間、頭を覆って泣きたい気分になった。
裏切られた怒りというより、ただ悲しかったのだ。
もう畑山と会うことはないだろう。
それが良いことか悪いことかはリクには分からない。
ただ、今まで当たり前のように続いていた日常が、指をパチンと鳴らした次の瞬間に奪われる喪失感は、否応なく四年前の事件を彼に思い出させた。
『Quga』は、ハルは、あそこまでしなければならなかったのだろうか。
畑山自身が言っていた通り、彼女の罪を法的に問うことは出来なかったかもしれない。
その事実とそれに対する彼女の傲慢なまでの思い上がりが、結果として法的な罰よりも残酷な罰へと追いやった。
あの夜、兄は一人の人間を破滅させた。
だがそれを言えば、畑山も同じだ。
高校生の時にグループの人間を何人も破滅に追いやり、今回も多くの被害者が出た。
古馬志乃の父親、そして家族もその被害者だ。
それに対して当然の報いとでも言うように平然と罰を下した兄に、リクは僅かながら疑問を抱かざるを得なかった。
しかし、他に考え得る終わらせ方があっただろうか。
そう言われると、リクには考えもつかない。
これで良かったのか。
これでこの事件は終わったのだろうか。
何度も何度も考えて、リクは兄の言葉を思い出した。
「もし全ての真実が知りたいのなら、それは自分で考えろ」と兄は言った。
「お前はお前の決着をつけろ」とも。
『Quga』との共同捜査で『Ripper』の正体が判明した。
『Ripper』の正体については、遅かれ早かれ黒狼も気付くだろうから、彼の始末については連中に任せて置けばよいとは兄の言だ。
そして昨日『BlueButterfly』が判明し、裁かれた。
しかしまだいくつかの謎が残っている。
リクを脅迫した『第二の切り裂き魔』は誰か。
切り裂き事件を起こした『Ripper』『BlueButterfly』を告発しようとした『ディーラー』は誰か。
『ディーラー』の、このゲームの、本当の意図はどこにあるのか。
すべての謎が解けた時、リクは理解した。
なぜ全ての謎を既に解いていた兄が、答えをリクに伝えなかったのか。
兄は常々言っていた。
「知らなくて良いこともある」と。
それでも。
リクは決着をつけることに決めた。
一つの病室の前でリクは足を止める。
表札には『櫻谷奈々』と書かれていた。
そのほかの名前がないことから、個室であることが分かってリクはほっとした。
周りに人がいたら少し気まずい。
銀色の冷たい取っ手を横に引き、静かにドアを開ける。
病室に足を踏み入れると、先程よりも消毒の匂いが濃くなる。
少し不安な気持ちが一度リクの足を止めたが、それを踏み越えるように大きく足を踏み出して、真っ白な病室に歩を進める。
本来は二人部屋だったのだろう、病室を分けるように二つのベッドがあり、それぞれにベージュのカーテンが付いている。
片方はカーテンが空いており、空のベッドが窺える。
ということは、もう片方のカーテンが引かれた方にいるのが、きっと目的の人物だろう。
そちらに静かに近づいて声をかけようかと思ったが、どうやら内側の人間も訪問者に気づいたようだ。
薄くて柔らかいカーテンが内側から静かな波を立てて開かれる。
ちらりと見えたベッドには、リクより少し年上の小柄な少女が、目を閉じて横たわっていた。
長い黒髪が白いシーツに緩く波打っている。
勿論カーテンを開いたのは、寝ている彼女ではない。
内側からカーテンを開いた人物は、リクを見て驚いたように目を開き、声を詰まらす。
その顔を見て、リクは自分の考えが正しいことを認識した。
正しかったことには安堵したが、半ば外れて欲しかったという気持ちも嘘ではない。
しかし、ここに来たのは決着を着けるためだ。
リクは『彼』に向かって、静かに口を開く。
「賞金の受取はここでよかったか?
コードハント:ネイビスの『ディーラー』さん」
「……お前」
「なぁ、ミズキ?」
リクは手に持ったお見舞いの花束を、ぽかんと口を開けるミズキに差し出した。




