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意識が白く、暗く、落ちていく。
いや、ふわふわと上がっていくのか。
酸素の欠乏により、正体不明の浮遊感に包まれる。
痛みと苦しさを伴う現実から、リクをゆっくりと連れ出していく。
だが、
バンッ!
突然、闇を裂いて破裂音が響く。
銃声に似たそれが、リクの朦朧とした意識を急速に現実へと連れ戻した。
バンッ!
続いて、もう一発。
ドラマの中でしか聞いたことのない、乾いた音、だが腹に響くような音が暗い工場を揺るがす。
リクの首を絞めていた男が力を緩めて、勢いよく音の方角を見る。
音の出どころは、工場の入り口の方だった。
リクもぼやけた視界で、鈍い光が差し込む入り口に視線だけを向ける。
しかし、そこには誰もいない。
「なんだ、誰だっ!!」
馬乗りになったまま、男が吠える。
次の瞬間、先程よりも軽い破裂音とともに真っ白な閃光が走る。
「っつ!!」
カメラのフラッシュ、それもミズキのバイト先にあるような、攻撃的なまでに強い光だった。
暗闇に慣れていた二人の目には、特に強烈だった。
思わずリクは顔を背けて目に手を当てる。
恐らく男も同じだっただろう。
リクの首から、湿った手が離れるのが分かった。
そして、
「がっ!」
未だ目を開けられないリクの上から、短い悲鳴が上がって腹の上が軽くなる。
何らかの衝撃で、男はリクの上から弾き飛ばされたようだ。
矢継ぎ早に起きる展開に、泣くのも忘れて目を閉じて身体を固くして蹲ったまま、リクが混乱していると、
「しっかりしろ!」
聞き慣れた声が響く。
聞き慣れた、だけどいつもの様に平坦ではなく、切羽詰まっている。
体温の低い指先が、頬を何度か叩いた。
それが誰だか分かっただけで、リクは崩れ落ちるほどに安心した。
彼が目をゆっくり開くと、まだ色が落ち着かない視界に、白い輪郭が浮かぶ。
リクをのぞき込んでいるハルの顔は、四年前の兄そのものだった。
「……あ、に」
「立てるか?」
ハルに腕を引っ張られ、上半身を起こす。
まだ体が痺れている気がした。
今までの緊張が全て解かれ、縋るようにハルの細い腕に身を預ける。
あの銃声から、一体何が起こっているのかリクには理解できていない。
分かるのは、ハルが自分のために駆けつけてきた、ということだけだ。
「ごめん、おれ。……だまって」
「いいから、喋るな。ほら」
ハルがリクを立たせようとした時だった。
ハルの背後を大きな影が覆う。
「あっ……!」
リクが教えるよりも、ハルの反応のほうが早かった。
起き上がった男がハルめがけて蹴りあげた足を、彼はリクを突き飛ばすのと同時に上体を反らして避ける。
そのまま身を捻って地に手をつき、それをバネのようにして宙を飛び、身をかがめたまま着地する。
格闘技というよりも、動物のような動きだった。
「下がっていろ」
ハルは離れたリクにそう指示すると、顎のあたりを抑えてゆらりと立ちはだかる男に面と向かう。
先程、閃光と共に聞こえた男の悲鳴に似たうめき声は、ハルに顎を蹴り飛ばされたのが原因のようだ。
顎への強い衝撃のためか、男は頭を振りながらハルとの間合いを詰める。
暗く顔が見えずとも、男には目の前の少年が自分より随分と小さく、華奢であることは分かる。
それが、尚更男の癇に障ったようだ。
「ガキが、ふざけてんじゃねぇぞ」
男の手には、先ほどのナイフが拾って収められていた。
思わず声を出しそうになるが、心配ないとばかりにハルが手でリクを制す。
足手まとい以外の何ものではないのは、リク自身痛いほど分かる。
邪魔にならないようにリクは移動するために立とうとするが、まだ腰が抜けていて力が入らない。
仕方なくずりずりと、尻を付けたまま壁際へとリクは二人から距離をとる。
「死ねっ!」
怒声とともに、男がハルにナイフを振り下ろす。
それをハルが半身で避けると、男はすぐに体勢を立てなおして左手を突き上げる。
その動きは、見るからに喧嘩慣れしていた。
それも並大抵のレベルではない。
攻撃時の重心、転身の速さ、狙いの正確さ。
一つ一つの動きに、勢いと殺気が込められている。
しかしハルはそれを上回った。
その一つ一つに対して、あらかじめ軌道が分かっているかのように、全て紙一重でナイフをかわす。
兄の動きにリクは覚えがあった。
かつて日本よりずっと北方の雪深い国にいた頃、父親の友人であったその国の軍人に仕込まれた動きだ。
その中年の軍人は表面的には快活であったが、その奥は幼いリクでも時折感じるほどに、冷静で厳格な軍人だった。
ハルに訓練を頼まれたその男は、はじめは遊び半分だったが、少年の飲み込みが男が予想以上であったのか、やがて本格的に相手を始めた。
予想以上であったという驚きから、出来の良い弟子分に対する誇らしさへ。
武術体術に終わらずナイフや銃の扱いまで、今考えれば不自然なほどに、ハルはその軍人から様々な技術を吸収していった。
だがその後のことをリクはよく覚えてはいない。
ただ時が経つに連れて、その軍人は彫りの深い顔の眉間に皺を寄せ、険しく、どこか後悔したような顔でハルを見ていたのは覚えている。
彼とは数年後に八柄家が国を移動することになって別れることとなったが、最後は警戒するような目をハルに向けていた。
思えば、そんなことがあったのは、一度や二度ではなかったような気がする。
キンっとナイフが壁を削る音で、リクははっと意識を現実に戻す。
数年前に思いを馳せている間に、リクと二人の距離はかなり開いていた。
ハルは一度も反撃せず、男の動きをリクから遠くの方へと誘導しているようだ。
そして男が完全にリクから離れたのを確認すると、ハルは男が横蹴りした右足を屈んでかわし、地面に手をついて彼の軸足を横から払う。
男は突然の反撃に対応しきれず、尻から床に落ちる。
受け身をとって身を起こそうとするが、その顎をハルのブーツの踵が襲った。
「ぐぁっ!」
先ほど蹴られた場所と寸分違わぬ場所への打撃に、男が仰向けに倒れる。
ナイフを持っている手が体の横に投げ出されると、ハルは躊躇せずその手首を踏む。
「手間ぁかけさせやがって、クソ野郎が」
いつもより一層温度のない音で、ハルが罵る。
そして屈むと、男の目出し帽に手をかけようとした。
「このっ!」
それを拒もうと男が左手でハルの手を掴もうとするが、それももう片方のブーツに音を立てて踏みつけられる。
未だ顎への衝撃で動きがままならなず、しかも両手を磔のようにして塞がれた男が身を捩るが、それより先にハルの手が彼の目出し帽に伸びていた。
だが、それに触れる直前で、なにか気配にも似た音を感じ取り、ハルの動きが止まる。
そして、
「え?」
ハルがリクの方を振り返る。
その意図が分からず、リクがぼけっと座ったまま目を丸くする。
微かな違和感を読み取るように、兄はじっとリクを見ている。
やがて、はっとしたように顔をあげると、
「そこをどけっ!」
手で追い払うような仕草をしながら、ハルがリクを怒鳴りつけた。
「え? え?」
「早く! そこからどくんだ!」
そこでリクがはじめて気づいた。
ぱら、ぱらり。
彼が背を預けている鉄柱の山から、溜まった砂か埃のようなものが落ちてきていた。
ギギ……ともジジ……、ともつかない鉄同士がゆっくりと擦れる音がする。
リクが顔を上げると、こぶし大の丸い切り口をした長さ二メートルはあろう鉄柱の束が、ゆっくりと動いている。
崩れる、そう直感的にリクは思った。
だが腰が上がらない。
先ほどの緊張感からか、それとも今現在起こっていることに対する恐怖からか。
筒ではなく、柱だ。
中まで鉄で詰まっている。
あぁ、これは。
当たったら重くて、すごく痛いだろうな。
混乱と情報過多によりショートしたリクの脳は、自分に向かってゆっくり崩れ始める鉄柱の山を見上げながら、そんな当たり前のことを浮かべるだけで精いっぱいだった。




