2 大人たち
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担任の教師から呼び出されて、僕は職員室の奥に連れて行かれた。三畳の和室で、職員室と個室を隔てる引き戸は妙に分厚かった。担任は折りたたみ机を広げ、電気ポットのスイッチを降ろした。ポットの電熱線が水を温める音が響く中、僕は無言で座布団の上に胡坐で正座していた。
「楽にしてくれ」担任は言う。「怒ろうっていうんじゃないんだ。そういう使われ方もよくする部屋ではあるけどな」
特に信頼しても嫌ってもない社会科の教師だ。四〇歳過ぎで中肉中背、髪の量は多いが額は広く白髪がち。冗談が好きでよく授業は脱線したが、ひとたび怒ると唾を飛ばして机を叩いたり蹴っ飛ばしたりした。昔の刑事ドラマのような大きな眼鏡をして、どことなくカエルのようなトロンとした目つきをしている。
「最近どうだ」いかにも薄そうな緑茶が入った湯呑みを机に置いて、担任は胡坐をかいた。「友達二人が一ぺんにいなくなったんだ。さぞ退屈だろう」
「別に」僕は言う。僕の心配なんてされなくてもいい。
担任は僕の顔をちらりと見て、それから湯呑の淵を上から持って口に運んだ。一息ついて担任が言う。
「今日はな、お前にお願いがあって呼んだ。岬と楓のことだ」んん、と一つ咳払いをする。
「俺も教師になって二十年経つが、真面目だった子が予兆もなく不登校になるのは、傾向としてあまりよくない。普段から素行が悪かったり、一人きりだったならまだ分かるが、何の問題もない生徒が不登校になるという事は、重大な何かがあったに違いがないんだ」
うむ、と担任は右斜め下を眺めながら言う。僕も視線に倣ってそちらを見るが、そこには何もない。畳と壁の境目があるだけだ。僕は黙っている。
「楓にはいま、家に両親がいない」担任は続ける。「お兄さんも入院中で実質一人暮らしだった。父親は浜松に単身赴任で、母はある理由で家に帰れなくなっている。だから楓がいない今は家に連絡をしても誰も出ない。父親とは連絡したが、警察への連絡は消極的だった」
担任は言葉を切って虫歯を噛みしめるように顔を歪めた。「そういう親御さんもいる」担任は続ける。
「岬は岬自信からお母さんに定期的に連絡しているそうだ。家には戻っておらず、親御さんは多大な心配をしておられる。警察への連絡は、岬本人の希望で辞めて欲しいと懇願しているようだ。どうも岬から両親へはある程度事情を話しているらしいが、肝心の親御さんが俺に全てを話したがらない。かれこれ合計で十時間以上は岬の親御さんと話をしているが、教えてくれない。進展しないんだ」
僕は温くなった緑茶に口を付ける。岬は家族には事情を話している。岬の両親は、同性愛の駆け落ちが学校に広まることを避けているのだろう。僕は自分でも意外なほど落ち着いていた。表情に一切出さないで居ようと心掛ける事が出来る。
「先生の立場からは、警察や親御さんからの情報があれば動けるが、今は手詰まりだ」
担任は大きく息を漏らす。教壇の上でやるような大げさな物ではない、本物のため息だった。
「なぁ、何か知っていたら教えてくれないか」担任は言った。穏やかな声だ。
「何も」僕は言う。
「言いにくい事なのか」
担任は言う。僕は黙って緑茶を飲む。中は空っぽだった。担任が神経質に折りたたみ机の上を指で叩いている。
「言いにくければそれでもいい。だったら、お前自身の手で二人を戻してやってほしい。今は二人の友達だったお前にお願いするしかできないんだ」
担任は真剣に僕を見据えて言った。たじろいで、うつむく事しかできない。
「十六歳と言えば、もう半分大人だ。現実的な話をすると、二人はこのままだと留年になる。期末テストを受けられないんじゃ、成績が付かないからな。ああいう真面目な子たちが、もう一度一つ下の生徒たちと一年やり直すのは難しい。今の気の迷いが、将来に影響する」
僕は反射的に溜息を吐く。まったくその通りだった。担任は胡坐をかいたまま背筋を丸めた。
「本来なら、こんなことは生徒に話してはいけないんだ。教師の不備を生徒一人に背負わせるようなもんだからな。職員の誰かにバレたら大変な事になる。けれど、二人の真面目な生徒が、こんな若いうちから人生に躓いてしまっていい訳がないんだ。手出しできないからといって、放っておくわけにはいかない。だからお前に話をした。分かってくれ、辛いと思うけど、今のお前の立場なら二人を救うことができるかもしれないんだ。やってくれるか」
僕にも連絡はないけれど、と思う。一つ大きなため息をついて様子をうかがっていたが、担任はそれ以上何も話さなかった。
「二人を探すんで、学校休んでもいいですか」僕は言った。
「それはいかん」担任は言った。「ミイラ取りがミイラになってどうする」
家に戻ると、母親が誰かと電話で話していた。母は丁寧語で電話の相手と深刻な何かについて話しているように見えた。電話を切った後、母は僕に何も言わずいつも通りにしていた。
翌朝、母は早起きしていた。弁当のおかずがやたらと豪華になっていた。
大人たち、と僕は思った。




