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1 一人


 

 僕には二人の女友達がいる。二人は僕が知らないうちに性別の壁を越えて恋人になり、揃って失踪してしまった。いつになっても連絡はこなかった。かつて僕たちは昼になれば一緒に弁当を食べ、週末には集まって出掛けていた。僕は教室で一人きりで過ごしている。

 

 ホームルームが始まる五分前のチャイムが鳴った。近頃はぎりぎりの時間に登校するようにしている。駐輪場はどこも一杯で、うまく空いていたスペースには鳥の雛の死骸があった。自転車の前輪で死骸を払おうとして隣の自転車を倒し、そのまま五台ばかりドミノ倒しになった。駐輪場には二月の鋭く冷えた風が吹く。見知らぬ人の自転車を持ち上げると、フレームは底意地が悪いほど冷たかった。

 休み時間になると、すぐに机に突っ伏した。昼休みは十分足らずで弁当を食べ、後は休み時間と同じだった。夜更かしがちだったから、学校にいる間は何度も浅く眠った。時折スマートフォンで掲示板のまとめサイトを眺めるけれど、友達のいない教室で何を見ていようが面白くはなかった。プラウザを閉じてメール画面を開くけれど、女友達からの返事は一向に返ってこない。教室では僕たちについて見当はずれの噂や揶揄がささやかれ、耳に届くたびに顔を背けて強く目をつむった。

 放課後にはすぐに教室を出て朝来た通学路を戻って行く。河川敷の土手には、山を下ってきた強い風が吹きつけた。自転車のペダルは重く、体は翻弄される。高校では、遅刻すると生活指導室に連れていかれ理由を一筆書かなくてはいけないが、「風が強かった」と書く生徒が後を絶たなかった。教師はよくそれを馬鹿にした。一度でもいいから、この土手を自転車で走ってみればいいのに。

 吹き付ける風に体を煽られていると、すぐ横を車が猛スピードで通り過ぎ、クラクションを鳴らして走り去った。赤いバッヂを付けた白いスポーツカーだった。信号のない一直線の土手に甲高い騒音を吐いて遠ざかっていく。そんなに走りたいならサーキットに行ってこいよ、すぐ近くなんだから、と僕は思う。あるいはサーキットなんてあるから、あんな車が市内をよく走っているのかもしれないけれど。

 スマートフォンで音楽を聞こうとイヤホンを探ったが、鞄の底で絡まり合っていたのでやめた。もっとも特に聞きたいという訳でもないのだ。僕は「my first kiss」という一曲だけを、この数日のあいだで何十回とリピート再生していた。僕が初めてのキスを女友達とした後、父の本棚を意味なく漁ってこの曲を偶然見つけた。ぶっきらぼうなボーカルの激しい曲だ。キスをした翌日、相手は僕のもう一人の女友達とともに失踪した。ボリュームを目一杯上げて、土手に吹く強い風に逆らって激しく自転車を漕いでいると、荒んだ心の搾り汁が汗になって吹き出してくるように感じた。数日経ち、今はそういう気分でもなくなった。

 僕はこの曲が大好きだったけれど、ネットで詳しく調べたらいっぺんに熱が冷めた。それはかつてのアニメソングのカバーであり、原曲を歌っているのは某中年男性アイドルグループの解散に一役買ったと今話題のオバサンだった。世の中には知らずにいた方がいい事がたくさんある。なんだよ「キテレツ大百科」って。


 家に帰ると夜は長かった。僕は食事の前に自慰をして、食べ終わるとすぐに部屋に戻った。ラジオを聴いてとりあえずの宿題は済ませてしまうと、また自慰をした。そこからは眠れない。僕は二人の女友達を思った。中性的で背の高い楓と、小柄で色白でハーフっぽい顔立ちの岬。楓とは男同士のように冗談を何でも言い合えた。岬は奔放な爛漫さで、見ているだけで胸が躍った。僕は岬に恋をしていて、岬は楓に恋をしていた。そこに複雑な事情が絡み、楓の前では僕と岬は付き合っているフリをしていた。いびつな三角関係だ。それでもしばらくは三人で仲良くやれていた。岬と楓が僕に黙って恋人になり、失踪してしまうあの日までは。

 失踪の前日、岬は僕にキスをした。あの日、岬は僕を人通りのないグラウンドの端にある用務員室の近くまで連れて行った。楓との関係を告白しようとしていたのだと思う。岬は言いだしかねて、友達としてできる事なら何でもする、と言った。僕はキスしてほしいと言った。

 「智生くん」キスの後で岬は言った。「本気で友達で居たいってこと、信じてくれる?」。あれから何度もこの言葉が頭の中で繰り返されている。なぜ失踪する前日に、自分に片思いしている男にキスなんてするんだろう?

 僕は今夜も眠れなくなっている。


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