act6 流されてドリス・シティ
フェリシティの星にも車は多い。そのほとんどが全自動で、無音のモーターで進み道も限りなく平だ。そのため、荒々しいエンジン音を響かせながら未舗装の道を走る経験はなかった。もちろん喪失惑星に携わる仕事上、舗装されていない道を通ることもあるがその場合は浮遊車を使う。
絶え間ない振動。それも強弱に富み、ときおり体が浮き上がるほど尻が突き上げられる。
だが同乗させて貰っている以上、文句は言えない。ただでさえ良い印象を持たれていないロンダートが運転手なのだからなおさらだった。
トレーラーの車内は意外と広かった。運転席のとなりに助手席が二つあり、外側にウォルターが座っている。後部座席は三席が二列で、前にフェリシティとピア。最後部はよく判らない機械がゴチャゴチャと占領している。
砂漠はフェリシティの迷い込んだ岩石地帯を境に土の世界へと変わっていた。乾いた黄土色の地面は二時間も走った辺りから茶色へと変わり、丈の短い草が散見されるようになった。ときおり雨が降るのだろうか。
車内にはずっとピアの歌声が響いていた。それは多分、正体を明かさないフェリシティが会話を避けるのでは、ということに対する配慮なのかも知れない。
彼女の歌とギターはとにかくパワフルだった。悲哀の漂うブルースから、手を叩きたくなるようなポップまでなんでも歌う。本国の洗練された音楽とは違い荒々しくも生命力のある音は、いつまでも聞いていられた。
コンサートはロンダートの怒鳴り声で閉幕した。
「ピア! なにか食うもんだしてくれ。腹が減った」
ギターを最後部座席に移してピアは呆れた。
「さっき食べとけばよかったじゃん。急いで出発する意味あったの?」
「いちいちうるせえんだよ。さっさと寄越せ」
ピアが不承不承足元に屈み込み、革のバックから紙の包みを四つ取り出した。一つをロンダートに、もう一つをウォルターに渡し、フェリシティに向いた。
「お姉さん、食欲ある?」
「あ……」
思えばなにも食べていない。お腹は空いている。
「はい」
「へぇ……」 ピアは関心するように目を大きく広げ、包みを差し出した。「凄いね」
フェリシティは言葉の意味を受け取り損ねたが、ずっしりとした包みに意識が向いた。
「おい、たけーんだぞ!」
ロンダートから抗議が上がり、フェリシティは引っ込める手を止めた。
「ケチなことだよたいちょー! トレーダーは小銭を数えない」
そう言うと、ピアはこちらに笑顔で頷いてみせた。少し遠慮気味に包みを開き、フェリシティは絶句した。
一瞬、米かと思った。だが違う。小さな幼虫だった。蛆に似ているそれが、手のひらの上で紙一枚を通して山になっており、顔が引きつる。
ピアを見ると、数匹をひとつまみで口に放り込んでいる。ロンダートに至っては粉薬を飲むように大口を開けて幼虫を口に流し込んでいる。
再度手元に視線を戻す。幼虫はきつね色でところどころが焦げており、炒めているようだった。まるまると肥えており、たしかに栄養があるように見える。
記憶によれば、昆虫食はどの星でも行われており、母星でも虫を出す店は存在する。二百年前には銀河単位の食料不足対策として昆虫食は強く推奨され、多くの人間が口にしたと言う。
だが、フェリシティは食べたことがない。と言うより、虫に馴染みがない。どんな星にも虫は必ず存在するが、都会の害虫駆除は徹底しており蝶ですらみかけることは少ない。自然倶楽部でも、野生の虫が闊歩する場所にはいかない。
火を通しているのだから衛生面は問題ない。昆虫食は当たり前の文化。頭で解っていても、溢れ出る嫌悪感は抑えようがなかった。幼虫がいまにも腕を這い上がってくる気がして、包みを投げ捨てたい衝動に駆られるがそんなことは出来るはずもなく、ただ硬直するしかない。
「どうしたの?」
ピアが不思議そうにこちらを見ていた。フェリシティは、今の自分の行為が礼儀に欠けることは判っている。しかし、それでも動けない。
「もしかして、嫌い?」
頭のなかで必死に穏やかな断り方を探すが、どう断っても角が立つのは避けられそうになかった。強迫観念に押されるように幼虫を一匹つまみ上げるが、つい力んでしまったらしく幼虫が潰れた。白濁した液体が溢れだし、
「っ!」
つい手を離してしまった。幼虫は包み紙に落ちた。はっ、と顔を上げると、ピアが苦笑いを浮かべていた。
「いいよ。無理しなくて」
とたん、ロンダートが笑声を発した。肩を揺らしてハンドルをバンバンと叩いている。
「なにがおかしいのさ、たいちょー」
ひぃひぃと喘ぎながらロンダートは肩越しに黄色い歯を見せた。
「なに、聖母気取りの小娘が砂をかけられるのは見ものだってとこだ」
ピアが鼻を鳴らしてフェリシティの手から包みを奪うと、「気にしないで」 と呟いてそっぽを向いた。彼女の忍耐の限度を感じて、フェリシティは泣きたい思いだった。結果が解っていてなぜ過ちを犯すのか。謝罪の言葉を述べるのも空々しく感じられ、ただ嵐の過ぎ去るのを待つように顔を伏せた。
トレーラーはごとごとと進み続ける。
歌はもうなかった。
目覚めると、トレーラーは止まっていた。車内にはフェリシティ以外だれもいない。
――どれだけ寝れば気が済むの? 思わず自分に対して腹がたった。実際、この睡眠障害でずいぶんと損をしている。
外へ出ようとドアを開けた。車高が高いため、慎重にステップを踏んで降りる。
ドリスの町。ロンダートはそういった。
フェリシティの立っている場所は駐車場らしく、周囲には大小さまざまな車が止まっている。ほとんどがトレーラーやトラックといった運搬用車で、自国の車のように洗練さはなくとにかく無骨だった。たしかにそうでもなければあの道は走れないだろう。
自分たちが通ってきたであろう門が見える。門扉は鉄製の格子状でアーチ型に造られており、トレーラーが通るぐらいなのだからかなり大きい。門の両端には小さな塔が建っており、見張りの人間が見える。白い、といっても汚れて黄土色がかっているが、布で顔と体をすっぽりと包んでおり、手には銃らしきものが見える。
塔からは三メートルほどの高さでずっと壁が伸びている。すべて乾いた土色のレンガで構築されており、頑丈そうだった。
振り返ると、町が見えた。
第一印象は、とにかくごちゃごちゃしていると思った。壁と同じく乾いた煉瓦で作られた家々が、ある境界線を境にびっしりと群れをなしている。おそらく、主要道路と壁まで数十メートルを除いて手当たり次第に建てたのだろう。家の向きすら統一されていない。
洗濯物を屋根に干す習慣があるようで、さまざまな色の布が一斉にはためき、ますます煩雑さを強調していた。
「でかい町だろう」
足元から聞こえた声にフェリシティは驚き身を翻した。車の下からロンダートが這いずり出てくる。上半身だけを再度潜らせて、鉄製の箱を引っ張りだす。ガチャガチャと鳴るそれは工具箱らしく、メンテナンスをしていたらしい。
「そう怖がるな。あんたはオレを短気で粗野な人間だと思っているようだがね、別に敵意を持っているわけじゃない。素直な性格ってだけだ」
立ち上がり体の土を払うと、胸ポケットから煙草を取り出し、マッチをブーツにこすりつけ点火した。母国にも喫煙習慣はあるが、煙を伴うものは禁制になっている。町中で吸えば警察が飛んでくるだろう。
「この町が発展している理由は、法整備のおかげだ」 紫煙を吐き出しながら、ロンダートは町について語りだした。「この町は法に厳しい。警察は賄賂を受け取らないし、有力者であろうと法を犯せば容赦なく処罰する。珍しいだろう?」
問われ、フェリシティは頷いた。喪失惑星のような遅れた文明社会にとって、法律が正しく運用されることはまずない。”決まり”というのは一部権力者にとって存在しており民衆のためではない、ということは歴史が証明している。ロンダートの口ぶりからすると、ハイシノンの政治体制は判らないが”決まり”については例外でないらしかった。
「法律さえ守ればこの町はずいぶんと生きやすい。あんたが何者で、なにを目的としているかは知らんがね、ここならよろしくやれるだろうよ」
どこか突き放した言い方に、フェリシティは違和感を覚えた。すぐに、一つの恐ろしい可能性を想像した。
「あの……、行ってしまうのですか?」
「はぁ?」
今度はロンダートが聞き返した。
「トレーダーが一つの町に留まるわけがないだろう。用事が済めばとっとと次の町に行くさ。今からだと夜までには着ける」
そこで、フェリシティは衝撃を持って自分の大きな過ちに気付いた。
ロンダートたちがしばらくの間は自分を保護してくれる。根拠もなくそう思っていたのだ。だが、現実の彼は去るのだと言う。
――どうして? そんな言葉が喉まで出かかった。だが、理由はすぐに思い当たった。まだフェリシティは事情をなにも話していない。正体不明の人間をどうして保護しようと思うのか。
「あの……!」
本当のことを言ってしまうべきだ。誠意を示さなければならない。もうあとがない、そう思いなけなしの勇気を奮い起こす。
「私は……」
ロンダートの視線は意外にも穏やかだった。
フェリシティはここに至ってようやく、ほとんど捨て鉢な思いで、俯きながら言葉を繋いだ。
「私は、……星系連合体と言って、みなさんの移民前の星系から来ました」 反応が怖く前を向けない。「……目的はこの星の調査と、住民の方との交渉です。……でも、衛星軌道に来た時に事故が発生して、この星に避難したのです。だけど、降りた先が砂漠で……、仲間ともはぐれてしまったんです」
返事はない。恐る恐る顔を上げると、ロンダートの表情に明らかな怒気が浮かんでいた。まずい、と思い口を開く。
「あの、本当に……」
「だから、なんだってんだ?」
冷めた返事と視線にフェリシティは体温が急激に下がるのを感じた。喉を塞ぐなにかと一緒に唾を飲み込む。
「仲間と合流したいんです。きっと近くに着陸しているはずで……。それまで協力をして、……頂けませんか」
最後はほとんど言葉にならなかった。
ロンダートの表情から怒りが消え、かわりに現れたそれは哀れみを超えた、軽蔑というものだった。
「お前さんは勘違いしている」
煙草を地面に落とし踏みつけた。踵でこすり潰す。
「協力っていうのは、お互いが力を出すことだ。あんたの言っているのは人任せってやつだ。違うか?」
フェリシティは慌てて首を横に降った。
「そんなつもりは……。私に出来ることはなんでもするつもりです」
「なにが出来る? なにをする? 言ってみろ」
言葉が出なかった。見知らぬ町で自分に出来ることなどわからない。だが、沈黙してしまうと今度こそ終わってしまう。ひとりぼっちになる。焦燥に体を押され、すがる思いで頭を下げた。
「お願いします。本当に私はこの世界を知らないんです。仲間と合流できればお礼は必ずします」
「もういい」
押し殺すような声だった。
「水をくれてやって町まで運んだ相手に、そんな与太話を聞かされた人間の気持ちが判らねえようだから教えてやる。人をだます時は命をかけろ。バレたら死ぬか、殺すかのな」
「だ、だましてなんか……」
「いないというか? 確かにそうかも知れんな」
予想外の返事を呟くと、ロンダートはもう一本煙草に火をつけた。
「最初からおかしいと思っていたんだよ。あんたの格好はこの辺じゃ、……いや、この国じゃ見かけないもんだ」
苦い表情で紫煙を吸い込み、吐き出す。
「あの車はな、よっぽど車慣れしてないとだれでも最初はゲロを吐きまくるんだ。それなのにあんたは車に酔わない。間抜けな表情でぐーすか寝てると来た。かと思えば、虫を食わなかったな? ずいぶん良い育ちらしい。車慣れしたお嬢様? おかしいことだらけだよ、あんたは」
乗り物酔いとは、三半規管が体のバランスを失うことによって引き起こされる自律神経の失調である。宇宙を飛び回る時代の人間が、振動の激しい車程度で酔っていては生きていられない。
「だけどな、どうでもいいんだ、そんなことは。あんたがいかれた妄想家だろうと宇宙人だろうと関係ない。問題はそんなことじゃない。オレは、……いや、オレたちトレーダーはな」 ロンダートはフェリシティの目を見据えた。「あんたを助けない」
きっぱりとした拒絶だった。助けない。そういった。フェリシティの肩から力が抜けた。問答無用の響きがあった。甘い幻想は捨てろと、それがこの世界の常識なのだと、理屈など抜きにした説得力があった。
「おまたせー!」
声の方を向くと、ピアが布を抱き、ウォルターが肩に大きな樽を乗せて歩いて来た。
「はい、これ」
ピアが布を差し出す。フェリシティが受け取り広げると、灰色のコートだった。フードがついているため、ローブと呼べるかも知れない。
「お姉さんの格好は目立つからね。それに、美人はいろいろと大変だから」
さっぱりとした笑顔だった。彼女はフェリシティとここで別れることを疑っていない。
ウォルターが右手を差し出した。手には小さな紐のついた木の板が握られている。表面は綺麗に磨き上げられており、鳥の意匠が施されている。
「なにこれ?」
ピアが問うと、ウォルターは首を指さした。
「ネックレスぅ? そんなものなんの役に立つのさ」
呆れた様子のピアに、ウォルターは再度自分の首を指さす。フェリシティは木の板を首から下げた。
「おい、そろそろ行くぞ」
告げると、ロンダートが車に乗り込んだ。エンジンをかけたらしく、排気口から黒煙が吹き上がる。
「気が短いおっさんって嫌だねー」
ピアがフェリシティと視線を合わせた。
「じゃあね、お姉さん。お互い生きていたらまた会おう?」
引き止める最後のチャンスだと思った。頷けば彼らは行ってしまう。だが、心の奥で”無駄だ”と声が響いた。
「……いろいろと、ありがとうございました」
お礼が言えた。それだけが救いだった。
ピアとウォルターが車に乗り込むと、砂塵を巻き上げてトレーラーは動き出す。
窓からピアが手を振り、ウォルターの方はまだ自分の首を指さしている。最後までよくわからない人だった。もしかすると喋れないのかも知れない。
ぎぃぎぃと音を立てて門が開き、トレーラーが通ると、門は閉じた。
行ってしまった。
あまりにもあっけなく去っていった。
放してはいけない手を放してしまった。そう思った。だが、なにも出来なかった。
彼らを恨む気持ちは湧かなかった。実際、彼らにフェリシティを助ける義務も決まりもない。甘えていた。あまりにも甘い認識だった。最初から本当のことを話すべきだったのかも知れない。虫ぐらい食べればよかったかも知れない。もっと、必死に懇願すれば良かったかも知れない。地べたに伏して縋り付けば良かったかも知れない。だが、選択の時間はとうに過ぎてしまった。
すべての結果がここにある。だれも知らない町でひとりぼっち。それが現状だった。
緩慢な動きで貰ったローブに袖を通す。ゆったりとした布が全身を覆い隠した。頬をつたう涙も、だれにも見られることはなかった。




