act4 砂の漂流者
目を覚ますと、モニターには”着陸完了”の文字が浮かんでいた。
フェリシティは確かに体の重みを感じた。詳しい数値はわからないが、標準重力とそう変わらないようだった。
体を起こすと頭にズキリと痛みが走った。メイフラワーで転倒した時にぶつけた部分を触ってみると、かさかさと乾いた血の感触がする。
出血を伴う怪我を負ったのはジュニアスクールの自然倶楽部以来だった。強化プラスチックに囲まれた生活から抜け出し、緑の自然で遊ぶことが情操教育に良い影響を与える。データを信奉する父に勧められて入ったが、本人は特に面白いとは思わなかった。
半年ほどして、尖った樹の枝でこめかみを切った。傷自体は大したものではなかったが、ひとつ間違うと目を潰していたかも知れない。人体のパーツ、特に目の培養再生は難しく、生涯を片目で暮らす可能性もあった。母は恐慌をきたし、おかげでスムーズな退部が行えた。カウンセリングによって怪我のショックも癒えたと思っていたが、手にこびりついた乾いた血を見るとそんなことを思い出す。怪我の痕は消えても、記憶は消えないらしかった。
救難ポッドの中は筒状で、シートに座ったまま前面ハッチに手が届くほど狭い。安全バーを押し上げて体を自由にすると、足元に小さな箱が見えた。中には非常用の食料と水、携帯ライト、工具、その他の細々とした物と、医療薬の入った透明の袋がひとつ。
袋の中身を肘掛けの上に並べる。解熱、抗生物質のカプセル、止血擬似スキン、最後に注射器が出てきた。
医療用分子剤。肉眼では確認出来ないほど微細な有機装置が容器の中に詰まっており、注射すると血管内を泳ぎながら体内環境の管理をおこなってくれる。
注射器を首筋に押し当ててトリガーを引く。空気の抜ける音がして、痛みもなく有機装置は体内に侵入を果たした。しばらくすれば頭の傷は痕も残さず消えるだろう。
次に、眼前の端末を操作して外の大気を検査する。結果はすぐに現れた。窒素、酸素、アルゴン、二酸化炭素、その他、すべて国際標準を満たしている。酸素濃度が若干薄く、見慣れない成分も混じっているが、コンピューターは問題なしと判定している。
試しにハッチを開放してみると、あっさり二枚貝のように前面が持ち上がり、熱気がポッド内に吹き込んできた。
まず、地面が見えた。乾いた黄土色の砂。ハッチが開くごとに視界が開ける。砂。次に砂。最後に砂。
「……砂漠、なの?」
思わず声に出た。まさか砂漠に落ちているとは考えもしなかった。なぜこんなところに落ちたのだろうか。
脱出のさい、射出と別の衝撃があった。考えられるのはメイフラワーの爆発しかない。そうすると、爆風に煽られてルートがずれてしまったかもしれない。
フェリシティの目に写るのは一面砂の世界。地面は波のようにうねり、地平線は確認できない。
「……どうしよう」
救難ポッドはそれだけで生きられるように出来ていない。また、フェリシティに砂漠を生き抜くような知識も体力もない。早く他の救難者と連絡をつけなければならない。
ふと思い出し、モニターに目を向けた。端末を操作し、連絡先一覧を呼び出す。
やはり最後に見た表示と変わらない。救難ポッドが一つだけ。フェリシティの知識は通信技術に乏しい。これが一体どのような状況を指しているのかが判断出来ない。
普段使わない装置だけに、単に誤作動の可能性もなくなはい。メイフラワーは駄目だったとしても、救難艇は健在かもしれない。いや、メイフラワー爆散自体、自分の目で確認したわけでもない。最悪の可能性ももちろんあるが、すべての可能性に確証がない以上、考える段階ではないと判断して頭から閉めだした。
「こちらフェリシティ・コディ法務官です。だれかこの通信を聞いたら、応答して下さい」
通信機器に言い終わると、シートにもたれて目をつぶる。しばらく待ったが、やはり反応はなかった。
色んなことが一気に起こりすぎて思考がゴチャゴチャとしている。頭を整理しようと試みるが、異常な環境に気持ちが高ぶって落ち着かない。
あの発光体は一体なんだったのだろうか? 船員たちはどうなったのか。ルークは? 赤毛の彼女は? 血、炎……?
軽く頭を振った。自分の思考がパニックに近いことを自覚し、深呼吸を繰り返す。熱い外気が肺を満たし、いくぶん気持ちは落ち着いた。
どのぐらいそうしていただろうか、フェリシティはポッドの外へ出ることにした。ポッドから足を踏み降ろすと、砂は思っていたよりも柔らかく、軽く体重をかけただけでくるぶしまで埋まってしまうが、特殊繊維を編みこんで作られたブーツは砂の熱を通さなかった。
しかし、照りつける恒星の光は容赦なく剥き出しの頭に降り注いでいる。人工の太陽光と調整された気温になれた体が一斉に悲鳴を上げた。
ケープを肩から外し、頭から顔にかけてグルグルと巻き、目線の隙間を作った。
温度調整で無駄な電力を使わないようにポッドのハッチを閉め、すぐそばの小山に登ってみた。それほど高くはないが、周囲が一望出来る。
それは、驚くべき光景だった。
フェリシティの目の前を川が走っている。それも砂の川だ。一体どのような仕組みなのか、まるでなにかに吸い寄せられるように五メートルほどの幅で地面が動いている。
それだけではない。川の向こう一帯はところどころ渦を巻いている。
まるで海だった。フェリシティの認識だと、砂漠は静止した世界だと思っていた。ただ風だけが悠久の時をかけて地形を変えていくものだと思っていた。しかし、これほどに流動するのだと知らなかった。これでは、留まるのは危険かも知れない。
頭のなかの辞書を引く。
砂漠。降雨量が極端に少なく、砂と岩石の世界。植物はほとんど生息出来ず、人の居住に適さない。
星系連合の発行する遭難時のマニュアルには、――特に関心を示さず読んでいたために思い出すのに時間がかかったが――、”とにかくその場を動くな”とある。おそらく作成した担当者も、宇宙航海時代に砂漠で遭難する事案を真面目に考えなかったのだろう。
だが確かに、現在位置がわからない、どこに行けばいいのかもわからない、そういった状況で動くのは最悪の行動と思えた。砂の川も渦も一定の場所だけで動いており、こちらに向かう様子はない。
やはりポッドに引きこもり、だれかの応答を待つのが一番だ。そう思い振り返る。
そこには、いつの間にか大きな窪みが出来ていた。救難ポッドを中心に、円錐状の、まるで博物館でみたアリジゴクの巣のように地面が凹んでいる。
「……え?」
驚きが思わず声に出た。窪みはどんどん広がりながら、ポッドを飲み込み続けている。
「嘘!?」
窪みの中に駆け下りた。砂に足を取られながらポッドにたどり着くが、大きな強化プラスチックの塊を前にどうすることも出来ない。それどころか、自分自身もどんどんと沈んでいく。
慌ててポッドに背を向けた。踏み出す足が砂を崩し思うように進まない。ほとんど這うよう手を伸ばした。灼熱の砂が手を焼くが構ってはいられない。最後には泳ぐように体を投げ出して進み続ける。
やがてすり鉢の縁に手が届いた。ここまで来ると地面がそれなりに固い。
立ち上がって振り返ると、ポッドは消えていた。
立ちすくむ体を太陽がじりじりと焼いている。
見えるものはすべて砂の世界。途方もなく、果てもない。
一つの考えが頭に生まれ、胸にすとんと落ちてきた。
これは、絶望というものだ。
寝巻き一つで、水も、食料も、通信機も、太陽を遮るものも、風を防ぐものも、助けもなにもない。
死ぬ。このままここに入れば必ず死ぬ。容赦などない。確実に命がつきる。
「……いやだ」
言葉が漏れた。ふらりと足が前に進む。
まるでなにかに押されるように、体が前に前にと動き出した。一つの言葉を繰り返しながら。
「……死にたくない」
ずいぶんと歩いた気がする。
実際、どのぐらい自分が進んだのかフェリシティにはわからない。足取りはすでに老人のように乏しく、いまにも立ち止まりそうだった。
思考の方はもうとっくに止まっている。脳が、全身が、ただ歩くこと、体力を温存するためだけに働いている。
口をぎりぎりまで閉じていても、一呼吸するごとに乾燥した空気が口から水分を奪う。
視界が熱のせいか常にゆらゆらと揺れているために、ときおり自分が歩いているのか止まっているのかわからなくなる。
自然倶楽部で一度、山登りをしたことがあった。重い荷物を肩に担いで延々と坂道を上る。やめろ、と警告を出す体を無視するのは新鮮な経験だった。山頂に到着して、みなで水を飲む。それなりの充足感があった。だが、くだらないという思いのほうが強かった。
なぜそんなに自分が冷めていたのか、今になるとわかる。所詮、あれは作り物なのだ。子供用に調整された丁度良い坂道。丁度良い気候。丁度良い高さ。安全と健康に配慮された自然。その違和感をどこかで感じていたのだ。
ここにはそんなものはない。砂は一歩ごとに足をくるぶしまで飲み込み、吹き付ける熱風は体を押し戻し、太陽は水分を奪い続ける。人間のことなど露ほども思っていない。倒れれば死ぬ。それだけの世界。
どこからかピピピと電子音が鳴った。
はっ、と息をついた時、突然世界が明瞭になった。風に舞う砂で遠くまでは見渡せないが、視界の揺れは収まっている。自分は今、立ち止まっている。
風の音が聞こえる。そして電子音も。
音は左腕から発されていた。袖の中に隠していた腕を出すと、アンティークの腕時計が星系標準時間で朝の7時を指している。いつもなら目覚める時間だ。
なのに、自分は今なにをしているのだろうか。寝間着一つで砂漠を横断。まるでバカバカしい話だった。
膝が崩れた。歩いても無駄だ。そう思った瞬間、体の隅々から疲労が吹き出した。もう動きたくない。
「……もう――」
なにかを呟きかけた時、突然風が止んだ。
砂のヴェールが消えて、先まで見渡せた。
岩山が見える。砂とは少し違う黄土色の塊が転々としている。そして、気のせいだろうか、緑が見える。
これが蜃気楼というものなのだろうか。そう思ったが、同時に生への欲望が湧いた。
――もう少し。
膝が上がる。
――あそこまでは歩いてみよう。
体が前へと傾き、倒れないようにと足が踏み出される。
再びフェリシティは歩きはじめた。




