act3 蒼い星 後編
部屋のあちこちで物が倒れ、細かい振動が床から伝わってくる。フェリシティはわけが分からないまま、近くに転がる枕で頭を覆う。
『緊急連絡。緊急連絡』
無機質な女性の声でアナウンスが流れる。
『異常事態発生。総員、可及的すみやかに退船せよ。これは訓練ではない。すみやかに退船せよ』
緊張で体中の血が頭に上るのを感じる。
正体不明の発光体が光の数分の一の速さで飛来し、船のどこかに衝突。結果、船の重力制御を軽く振り切るほどの衝撃を与えた。
信じられるものではない。それはまるで、砲撃だ。
だが、現実を突きつけるかのように繰り返し流れるアナウンスは、船の中央AIが自動的に発するもので優先度は船長より高い。
”指示など待たずに各個人の判断でとにかく逃げろ” そういう類のものだ。
「とりあえず、状況の確認をしないと……」
自分が薄い桃色の寝間着であることに気付くが、事態は一刻を争っている。倒れている椅子にかけてあった青いケープをまとうと、扉の前に転がっている緊急事態に反応し自動的にまとめられた机の中身、つまり私物の詰まったバックを拾って通路に飛び出した。
狭い空間は、悲鳴と怒号で溢れていた。
だれもがパニック状態で一方に向かって走っている。先には救難艇があるはずで、非難指示に従っているのだろう。
フェリシティは流れの逆を辿った。人波に弾かれながら進むと、円状の広間に出た。中央通路と呼ばれる場所で、ここから船橋、機関部、居住区など船内すべての場所へ行くことが出来る。
迷わず船橋への扉を目指したが、どうしたことか障壁が降りている。障壁に取り付けられている操作盤には、『船内気密保持の為閉鎖』と表示され、一切の操作を受け付けない。
バックの中から携帯端末を取り出し、船内のデータベースから船員一覧を呼び出し船橋クルーの状況を表示する。フェリシティも含めて船員の体には有機性認識タグが貼り付けられており、健康状態を常に管理されている。しかし、船長、副船長及び船橋作業員の名前の横には『接続不可』の文字。
「フェリシティ!」
振り向くと、機関部から船員たちが走ってくる。先頭には作業服姿のルークがいた。
「ルーク!」
「なにが起こった?」
だれもが焦りを顔に浮かべてこちらの答えを待っている。フェリシティは言葉に詰まった。見たものをそのまま告げるべきか。言っても信じて貰えるか分からない上に、状況を混乱させる可能性がある。迷った挙句、無難な方を選ぶ。
「……わかりませんが、船橋の気密が破れています」
「船長たちは?」
「端末もタグも反応ありません」
重い沈黙が場に降りた。タグは体温で動いており、装着者が死ねば反応しない。
「よしっ」
中年の男が自分を鼓舞するように大声を出した
「とにかく、船橋を確認しよう! 船外作業艇を使えばいい」
「待て」 ルークが慌てて制止をかける。「退船命令が出てる。従うべきだ」
「見捨てるの!?」女が叫ぶ。
「まだ生きているかも知れないんだぞ!」
「そうだ! 助けを待っているはずだ!」
ルークに詰め寄る船員たちは殺気だち、半ばパニックになっている。
――鎮めなくては。
船の指揮権は持っていないが、この場で一番権限が高いのはフェリシティだった。
だが、声が出ない。気持ちばかりが焦り、一歩が踏み出せない。
「どうせ船外作業艇に乗るんだ。退船するなら同じだろう!」
特に激高している中年の男を宥めようとルークは説得を続けている。
「船外作業艇は独立航行が出来ない。もし本船がなくなれば、一日も持たない。救難艇ならアンカーを起動させて、国に……」
「どけよ!」
ルークが中年の男に突き飛ばされ壁に叩きつけられる。
「時間がないんだよ! 俺は行くぞ! なあみんな!」
「急ごう!」
「医療器具も持っていかないと!」
どこかを痛めたのか、苦痛に表情を歪めながらルークが叫ぶ。
「フェリシティ! 船内埠頭を封鎖してくれ! あんたの権限なら出来るはずだ!」
フェリシティは慌てて携帯端末に視線を落とし、中央AIを呼び出した。いくつかのコマンドを選んだ所で、大きな手が画面を塞ぐ。
「……あっ」
反応する間もなく、中年の男に端末を取り上げられる。男は無言で端末を床に叩きつけた。細かな部品をまき散らして端末はバラバラになった。
船員たちが機関部に向けて去っていく。フェリシティは無意識に胸の前で手を組み、見守るしかなかった。
「フェリシティ、大丈夫か?」
ルークが側にきて、フェリシティの肩に手を乗せる。
「は、はい」 宙に視線を彷徨わせながら言葉を返し、「マニュアル……。緊急退船時の……」
「なに言ってるんだ! 総員退船だよ!」
ルークが怒鳴り声をあげ、――衝撃が来た。
自室で受けたものとは比べ物にならないほどの強い揺れに、立っていたフェリシティは一瞬でバランスを失い壁に頭を打ち付けた。
一瞬意識が飛ぶ。ぐらぐらと視界が揺れているが、それが自分自身の揺れなのか船のものなのかわからない。まだ朦朧としながら、打ち付けた頭を触ると、ぬるりとした。手が赤く、濡れている。
、指の隙間から、衝撃で倒されたのだろう、先ほどの船員たちが通路の奥で折り重なっているのが見える。
その光景が、手のひらの血が溢れたかのように、突然真っ赤に染まった。
炎が。なにもかもを焼きつくす勢いで炎が、うねりながら船員たちを飲み込み、脳を掻きむしるような悲鳴の合唱を生んだ。それだけでは飽き足らす、炎はまっすぐにフェリシティに向かった。呆然と見つめる瞳が煌々と輝き、中央通路の隔壁が降りた。
わずかに隔壁から逃れた熱波がフェリシティを煽った。
茫然とする間もなく、中央通路のあちこちから金属のこすれ合う音や、爆発音、そして空気の漏れる音が聞こえる。気密が破れた。そう思ったと同時に次々と各通路の隔壁が降り、中央通路は完全に封鎖された。
もうなにも考えることが出来ずフェリシティは立ち上がった。その体がすぅっと宙に浮く。重力制御が切れたのだ。
再び衝撃。宙に浮いているため転ぶことはないが、なにかに体が吸い寄せられている。見ると、壁に大きな亀裂が生まれていた。
宇宙空間に放りだされる。寝間着しか見につけていない状態で宇宙に出れば、どう足掻いても一分と持たない。窒息し、恒星に焼かれる。
流れに抗おうとして伸ばした手を、だれかがガッシリと掴む。
壁の一部が開いており、人間一人が入れるほどのスペースにシートが見える。救難ポッドと呼ばれる装置で、気密が破れたことに反応して開いたのだろう。ルークが壁の縁に手をかけて、もう片方の手でフェリシティを引っ張る。勢いもそのままフェリシティはシートに腰を落とした。
「あなたは!?」
音を伝達する空気が薄れて届いたかわからないが、ルークは反対側を指さした。十メートルほど先にも同じように救難ポッドが展開している。
「地上で――」
会いましょう。そう言うために身を乗り出した途端、肩からバッグが外れた。一瞬でポッドを飛び出し、ルークの手に収まる。バッグを掲げながら口元を動かすのが見え、ポッドの扉が閉まった。
安全バーが降りてきてフェリシティの体を固定する。次にガクンッ、と揺れたかと思うと、体が急激にシートに押し付けられた。船から射出されたのだろう。
次に、横殴りの衝撃がきた。固定されていない頭が激しく揺さぶられる。
息が詰まるほどの圧力はゆっくりと弱まり、体に浮遊感を覚える。安全バーがなければふわふわと浮いているだろう。
ポッドの内部には窓がなくモニターも外部を映さない。本来、救難ポッドは船外艇と違いほとんど航行能力を持たず、船から投げ出されたあとはSOS信号を発しながら宙を漂うだけの装置だ。
だが、今は一番近い居住惑星まで二五〇万光年も離れており、その救難信号を受け取れる船が周囲にいない。そのうえ、ポッドの空気は四十八時間しかも持たない。
これらの情報から、メイフラワーの中央AIはポッドの避難先をハイシノン地表に設定しているはずだった。なけなしの推進剤を焚いてポッドを大気圏突入ルートに乗せてくれるはずだ。
ポッドの中はまだ静かだった。全くの無音と言っていい。
重力のない世界は、上も下もわからない。自分がどこを向いているのか、どこに居るのか。ポッドは現在高速でハイシノンに向かっているはずだが確かめるすべもなく、まだ早鐘のように脈打つ心臓だけが時間の経過を知らせてくれる。
眼前に備え付けられている端末に右手を伸ばす。指が震えてうまく操作が出来ない。しばらく左手で右手を揉みほぐし、再度端末を操作する。
今度は上手く行った。モニターにはあらかじめ登録されている通信方法と通信先が表示されており、フェリシティは迷わずすべてを同時に選択した。
「こちら、救難……」 思ったより声がかすれて出ない。無理やり咳払いで喉を整える。「こちら救難ポッドのフェリシティ・コディです。だれか応答して下さい」
少し待ったが、全く反応がない。
「こちら救難ポッドのフェリシティ・コディです。だれかいませんか!?」
次は辛抱強く一分ほど待った。だが、結果はかわらない。
「こちらフェリシティ! だれか反応をお願いします! お願い答えて!」
突然、モニター内の連絡先表示が次々と消えはじめた。
「なんで!?」 悲鳴が上がった。「接続が確立出来ない? もうどれも……、存在しない……?」
相手が応答しないのではない。応答する装置がない。
六隻ある救難艇の表示がすべて消えた。間もなく母船メイフラワーも消失し、三五ある脱出ポッドも次々と消えるが、一つだけ残った。
「ルーク!?」
希望が湧いた。彼の物と言う保証はないが、可能性は一番高いはずだ。
「ルーク聞こえますか!? ルーク! なんで答えてくれないの!!」
モニター表示が降下モードに切り替わった。だが、モニターに示されたルートからポッドの位置が大きくずれている。
「待って! まだルークが……!」
体がシートに押し付けられる。大気の層にぶつかったのだ。
全身の血液が血管を遡るのを感じる。魂が体から引きちぎられるように意識が遠のいていく。
狭い筒の中で、必死に圧に耐えながらフェリシティは扉が閉まる前にルークがした口の動きを何度も真似した。繰り返し繰り返し動かすうちに、一つの言葉が紡ぎだされた。
「……無事で」
引きつる顔にわずかな笑みが浮かび、意識は深い闇の中へ沈んでいった。




