act23 フェリシティ
ドリスの町は朝から大騒ぎになっていた。駐車場に大勢の警官が集まり、一台のトレーラーを取り囲んでいる。
警官に混じって多くの市民がみえる。その先頭にはマリサとセッターもいた。
だが、だれもトレーラーに触れることすらしない。遠巻きになにかを待っている。
人垣が割れて太った警官が現れた。胸にじゃらじゃらと勲章をつけており、明らかに地位が高いのだと思った。
太った警官はトレーラーの運転席側から声をかけてきた。窓が閉まっているために良く聞こえない。
フェリシティは後部座席に座ってフードで顔を隠している。ロンダートはその姿を確認すると窓をあけた。
「私はドリス市警所長のマグファートだ! そこに居るのは奴隷だぞ! 持ち主に返すんだ!」
はっ、と息を吐いたロンダートは、煙草をふかしながら言い返した。
「てめえなんざ、だれも呼んじゃいねえよ禿頭! 法制官を呼べと言ってるだろ。さっきからずっとな! じゃあなにか? お前は彼女が奴隷である証明が出来るのか?」
「手に刻印があるはずだ。確認してみろ!」
「手の火傷がどうしたってぇ? てめえの額に煙草押し付けりゃそれが烙印か? くだらねえこと言ってねえで、証明書を持ってこい!」
一喝してドアハンドルを回すと、窓をぴしゃりと閉めた。
あまりの態度に群集はさっと鎮まり、次の瞬間警官たちの怒号が響いた。
「だれに向かって口を聞いているんだ!」
「引きずり下ろすぞ貴様!」
フロントガラスから掲げられた複数の警棒がみえる。
「うるせえな……。やれるもんならやってみろってんだよ」
面倒そうにいうと、窓を少し開けて煙草を投げ捨てた。普段はピアが嫌がるため車の中では吸えないらしく、灰皿は外されている。
だれかに当たったのか、外でまた怒声が湧き上がった。ロンダートは肩を揺らして笑った。
お互いになにも出来ず時間が流れると、どよめきが聞こえた。
群衆のなかからピアが出てきた。その手は、レイノルド法制官の袖を掴んでいる。後ろからはさらにウォルターがついてきていた。
「役者は揃ったな」
ロンダートがいった。
「ここからはコディ、あんた一人だ。大丈夫か?」
フェリシティは頷くとトレーラーの扉を開いた。段を踏みつけ、地面に降りた。周囲が再びどよめいた。
フードを深くかぶったまま、トレーラーの正面に回った。その隣にロンダートが立った。
「久しぶりだな、レイノルド」
「気安く呼ぶな」
明らかに迷惑そうな顔をするレイノルド法制官に、ロンダートが聞いた。
「いま何時だ?」
「一一時五〇分三〇秒」
几帳面に答えると、レイノルドは一枚の紙を取り出した。
「フェリシティ・コディが奴隷である証明書だ」
表面にはインクで模様が書かれていた。警官たちの視線が包帯を巻いたフェリシティの右手に注がれた。
「しらねえな」
はっきりとロンダートが言い切った。レイノルドの眉根が上がった。所長がその間に割り込んで咳払いをした。
「これで証明された。逃げ出した奴隷を捕まえた礼は、持ち主がしてくれるだろう」
「なにをくれるんだい?」
ロンダートが聞くと、群衆のなかに紛れていたマリサが前に出た。
「キャベツでも齧るんだね小僧。余計な手間をかけさせて、とんだ大恥だよ」
「ババアがちゃんと監視しねーからだろうが」
セッターが隣に並び叱責すると、マリサは首をすくめた。
「まぁ、礼を言うぜ。こいつにはたっぷり仕事があるんだ」
軽く手を振りながら、セッターはフェリシティの腕に手を伸ばし、その手を払われた。
「お、おいおい……」
思わぬ反応に払われた手を擦りながらセッターは周囲に笑ってみせた。
「昨日奴隷にしたばかりで、まだ自分を人間だと思っているんだよ」
周囲からくすくすと笑いが起きた。恥ずかしさを誤魔化すように今度は、右手で強くフェリシティの左腕を握った。
次の瞬間、セッターは大足を開いて半回転すると、盛大に地面へ背中を叩きつけた。
遥か地球時代、小さな島国で生まれた護身術。時代を越え、星を越え、その技術は連合職員の必修授業となっている。とは言え、フェリシティは実践で使うのははじめてだった。これほど簡単に決まるとは自分でも思わなかった。
ロンダートが口笛を鳴らした。ピアが歓声を上げた。周囲は息を飲み、マリサが悲鳴を上げた。
「息子になにをするんだ! だれかあいつを撃ち殺しておくれ!」
署長が頬肉を揺らして怒鳴った。
「奴隷の分際でなにごとか! この場で殺されても文句は言えんぞ!」
ごほごほと咳を繰り返しながらセッターは立ち上がった。大したことじゃないと周囲に手を振ったが、足元はふらついている。
「ちょっと甘やかしちまったみたいで、それが悪かったみたいだ。お仕置きが必要だ……、なっ!」
服の埃を手で払うと、セッターは拳を振り上げた。怒りのあまり顔を狙った。握りしめた手が、フードに当たり、手応えもないまま凪いだ。
わずかに腰を落としたフェリシティは、伸びきった腕を両手で掴むと容赦なく捻った。セッターの体は先程よりも派手に転がり、群衆の足元にぶつかった。
苦痛に顔を歪めてすぐさま立ち上がった。そばに居た警官から警棒を奪い取った。
「いいかげんにしろこの豚がっ!!」
荒々しく歩み寄ると、警棒を大きく振りかぶった。だが、下ろすことは出来なかった。
いつの間にか後ろに回ったウォルターが、掲げられた警棒を握っている。
「な、なんだてめえ」
驚きながら警棒を引っ張るが、まるで空中に固定されているかのように動かない。
「邪魔すんじゃねえよ! そいつはオレの奴隷だ! なにをしても許されるんだよ!」
フェリシティは歩みより、おもむろにフードを下げた。喚いていたセッターの目が驚きに見開かれた。
金髪は丁寧に櫛で梳かされ、前髪をきっちり右に流している。乾燥に負けていた肌は艶やかに潤い、唇にはピンク色の口紅が引かれている。
呆然と見つめていたセッターは、口元を歪ませて嘲笑した。
「へっ……。化粧をしたら人間になれると思ったのか? 馬鹿だなお前。なにをしたって豚は豚……」
最後まで言い切らないうちに、にやけた顔面に拳が突き刺さった。全く予測していなかったのだろう、セッターは後ろ向けに倒れると顔を抑えて転がった。
「セッター! セッター!!」
マリサが狂ったように名前を呼んだ。
警官も民衆も、ありうる筈のない事態に驚き戸惑っていた。
ジンジンと痺れる左手をプラプラとさせながら、フェリシティはついに口を開いた。
「これは侮辱への制裁です。市法に書いてあります。言われなき侮辱に対しては素手での反抗を認める」
はぁ、と嘆声をついた。
「馬鹿みたいな法律ですよね。くだらない。でも、あるんです、この国には。本当に、二〇〇年もなにをしていたんですかあなた方は」
鼻血まみれになったセッターは警官たちに向かって叫び喚いた。
「その女を捕まえてくれ! ちきしょう! なんだってんだくそが! なにぼさっとしてんだ! 捕まえるんだよ!」
警官たちが互いに顔を見合わせ、仕方ないとばかりにフェリシティに歩み寄り、
「私にさわるな!」
その一喝で思わず後ずさった。
「ど、奴隷にそんな権利はねーんだよ!」
セッターが叫んだ。
フェリシティは冷ややかにその姿を見下ろすと、ローブを脱ぎ捨てた。
黒革のジャケットと、色落ちしたジーンズ。腰には大きなベルトが巻かれ、ホルスターには拳銃が収まっている。
「私は、奴隷じゃない」
右手の包帯を解いた。
白い帯がくるくると回転しながら地面に落ちていく。
「……家畜なんかじゃない」
指先が現れた。長く、磁器のように滑らかな曲線。
「私はフェリシティ――」
包帯がすべて落ち――
驚愕が訪れた。
「――星系連合福祉協力機構所属法務官、フェリシティ・コディ。それが私の名前です」
人は驚きすぎると一瞬呼吸を止める。水を打ったような静寂。
「……な、んで?」
空白の時間のあと、セッターが呻いた。
掲げられたフェリシティの右手は、日に焼けてはいるが火傷のあとなど存在しない。滲み一つ残っていない。
――間に合った。
密かに胸を撫で下ろし、ちらりとトレーラーをみやった。
荷台部分には、大きな円筒状の物体がシートをかけられて乗っている。
「なんでだよ!!」
信じられるわけがない。セッターは素直な気持ちを叫んでいた。
フェリシティは淡々と答えた。
「海があり、砂浜があるんです……。なら、漂着物があるに決まっているじゃないですか。流れるものは必ずどこかに辿り着くんです」
朝日に照らされるポッドを砂浜で見つけた時は、思わず発狂するかと思った。奇跡だと思った。
だが、考えてみれば、思い出してみれば、はじめてロンダートに会ったとき、彼はこういっていた。
”砂漠横断に挑戦したものの半分は砂浜に打ち上げられた”
そう思うと、ポッドを見つけたのは偶然とは言えない。ただ、そこに辿り着くまでの過程が、偶然の一言では済まされなかった。
トレーラーのクレーンでポッドを引き上げると、内部はそのままの状態だった。つまり、文明の医療品がそのまま残っている。
フェリシティの体の中を、医療用分子剤が泳いでいる。目に見えないほど小さな彼らは、迷わず身体の修復にとりかかった。肌と内臓器官を修復し、体内環境を改善し、火傷を治療する。大忙しだったろう。
だが間に合った。
もちろん、ほとんどの人間がフェリシティに言葉を理解出来ない。マリサがセッターに縋り付いて聞いた。
「な、なんだいこれは? どういうことなんだい……」
「……なにか塗ってあるんだ」 セッターは自分の呟きに可能性を見出したらしく、気力を取り戻した。「肌に塗ってあるんだ! その手を見せろ!」
立ち上がったが、ウォルターが正面に回りこんで行く手を塞いだ。フェリシティは吐き捨てるようにいった。
「私に触れるなと言いました」 背を向け、「レイノルド法務官。あなたが確認して下さい。私に刻印があるかどうか」
「わかった」
さすがに法制官らしく平静な顔をしてフェリシティの右手を両手で掴んだ。そのせいで、レイノルドの隠している緊張が伝わった。
時間をかけて手は調べられた。肌に指を滑らし、痛くならない程度にひねり、やがて手を離した。
「参ったな……。こんなことが何度も起きれば、この法は意味をなくす」
ピアが飛び上がった。ロンダートが拳を振り上げた。群衆からは「おお……」と感嘆とも悲嘆とも似つかないため息が漏れた。
「ちょっと待ってくれよ……」 セッターが引きつった愛想笑いでいった。「そりゃ、ないだろ? たしかに刻印はされたはずだ。違うのか?」
最後の言葉は警察署長に向けられていた。署長は流れる汗を袖で拭きながら答える。
「そ、そのはずだ。刻印の入れ忘れなど、あるわけがない」
「だが……」 レイノルドはやれやれと頭を振った。「ないものはない。私が宣言する。フェリシティ・コディは奴隷ではない」
その一言で胸が詰まった。涙が溢れそうになった。
だが、必死で堪えた。まだ終わってない。
「なんでだい! セッター! 説明しておくれよ!」
マリサがセッターの腕を引っ張り叫喚した。
「うるせえ! 知らねえつってんだろう! 法制官が認めたんだ。しょうがねえじゃねえかちきしょう!」
苛立ちを吐き捨ててセッターは立ち上がると、俯いて長い長い溜息をついた。
「マジでどうやったんだか……。わかったよ。あんたのことは諦めてやる」
「そうですか」 フェリシティはニコリと微笑んだ。「ところで、いま、何時ですか?」
「はぁ?」
一言ずつ区切って問いかけると、セッターは怪訝そうに懐に手を入れて丸型の懐中時計取り出し、そこでようやく気がついた。
顔が、一瞬で真っ青に染まった。ふらり、と後ろに下がった。
「……ちょっと、まてよ。う、嘘だろ……?」
平静を装おうと作り笑いを浮かべ、失敗した。表情はくしゃくしゃに歪み、喜怒哀楽の体を成していない。
フェリシティは踏みしめるように一歩づつ近づき、胸ポケットから紙を取り出した。
「いや……、違うだろフェリシティ。マジで、それはない……」
「なにが、ないんです」
「だって……、ま、まってくれよ……」
そんな願いを聞くはずがなかった。フェリシティは紙を広げて、突きつけた。
「契約書です。セッター・オリベイラさん。一八日の一二時までに、二五万ドルを支払う。いま、何時ですか?」
セッターは両膝を地面について、両手の平を合わせてフェリシティを見上げた。
「払う! 二五万払う! だから、少し時間をくれ」
「お断りします」 容赦などない。裂帛の気合を込めて宣言した。「契約は破られた! 私はずっとこの場にいた。あなたもです。一〇分前にはロンダートさんがわざわざ時間まで聞いてくれたのに、あなたは支払いの意思を微塵も見せなかった。一二時〇〇分を持ってセッター・オリベイラの契約義務違反は構成される!」
「知らなかったんだ!!」 セッターはその足元に縋り付いた。「オレは知らなかった! 奴隷だと思っていたんだ! 支払う必要はないと思っていたんだ」
「それは通らない」 レイノルドが心なしか楽しげにいった。「”知らなかった”ということは証明できない。それが通るのなら、フェリシティ・コディの雇用契約は成立していなかった」
「ふ、ふざけるんじゃないよ!」 今度はマリサがレイノルドに食って掛かった。「そんなことを認めたら、契約なんかやぶり放題じゃないか」
レイノルドは特に否定しなかった。苦笑を堪えて答える。
「刻印のある部分を切り落とす人間ならいたがな、刻印そのものを消す人間などだれもいなかった。だが、今日ここに現れた。その事実は消せない」
「だ、だったら……」 マリサは諦めきれない様子で地面を叩いた。「雇用契約も復活するんじゃないのかい!」
「ならば」 フェリシティは堂々返した。「契約書を出して下さい。この場に」
そんなことは不可能だった。契約書は無窮の風にのって砂漠を渡っている。
マリサが苦しげに呻いて倒れた。地面にうずくまりひぃひぃと喘いだ。セッターは助け起こしもせず、二歩三歩と後ずさった。
「なにをしている!」 レイノルドが警官たちに指示を飛ばした。「契約義務違反者を捕らえろ!」
警官たちははっ、として、一斉にセッターに飛びかかった。必死に抵抗したが、もみくちゃにされて手錠を嵌められた。
「フェリシティ・コディ」 レイノルドが聞いた。「奴の刑はお前が決められる。罰金、懲役、人権剥奪。好きなのを選べ」
「罰金って、私に入るんですよね?」
「ああ。八五パーセントが取り分だ」
「それで、罰金はいくらですか?」
「三倍が基本だ。まぁ、詳しく計算しないと細かい所は判らないが、ざっと七二万は越えるだろう」
金額の大きさに周囲がざわめいた。
髪をかき乱され、両脇を警官にもたれてうなだれるセッターに、フェリシティはいった。
「店と家の権利書。それと貯金。……ええと、確かトレーダーなら車もお持ちですよね」
セッターは顔を上げ、泣き顔で哀願した。
「た、頼むよフェリシティ……。全部渡したら、生きていけねえ。年老いたババアと二人でどうすりゃいいんだ……。せめて家か車か……」
「全部です」
「……ちょ、貯金だけでもいい!」
「ダメです」
絶望、と表題をつけられた絵画のようにセッターは泣き笑いの表情で固まった。
「わたしはあなたのような奴隷なんか要りません。あなたの持っている財産をすべて頂きます。でも、それでも嫌というなら仕方ありません……」
フェリシティはせいぜい悪そうな顔を作った。上手く行ったかはわからないが。
「……豚になりますか?」
セッターの眼球がくるりと上を向いたかと思うと、警官の手をすり抜けて地面に倒れた。




